いつも、ご覧いただきまして、ありがとうございます。
どうも、皇悠です。
さて、今回も前回に引き続き、古えからの神社・寺院などとの付き合い方などについて書こうと思います。
私信ではありますが、いちファン様より応援のコメントも頂きましたので、がんばって書いていこうと思います。正直な感想として久しぶりのコメントで嬉しかッたス。
では、前回の少し復習もかねて、成田山について何ぞタイムリーに始めます。
成田山こと成田山新勝寺。新義派の真言宗智山派の大本山のひとつです。関東においては私の地元の高幡不動ー「ここも同じく智山派」・落語「秋刀魚は目黒に限るのアレです」などで有名な目黒不動などと並ぶ関東における不動信仰の大聖地です。
なんと言っても、日本における不動信仰の開祖、弘法大師・空海作とも伝えられている不動尊が本尊として祀られていますから、下手な不動信仰/本尊寺院とは格が違いすぎます。
さて、本日の朝のニュースでも出ていましたが成田山と成田屋の関係は寺社と氏族の関係をよく表わしています。
ちなみに成田屋とは歌舞伎の市川一門のことで、今は芸能ニュースなどでよく見かけますが市川海老蔵などの方が有名ですが一門のトップの名は市川団十郎と名乗ります。
さて、この成田屋と成田山の関係は団十郎の初代さんがなかなか出来ない二代目を成田山に祈願して得たことが始まりですが、不思議なことに江戸時代の初代団十郎以後の市川一門のファン「当時のアイドルオタク」や初代より繁栄している市川一門をみてそれにあやかりたいミーハーなどが集い参拝した事も成田山の繁栄の理由の一つであるのですが、これは何故かあまり喧伝されていません。成田山と成田屋の関係はよく喧伝してますが・・・。
ちなみに、現在の現象で同系のモノとして上げるのならば、一部で俗に言うオタクが好きな作品・アニメに関わる土地「大体は参考にした現実の建物の事」を観光で巡る現象を聖地巡礼と言いますがこれがそれです。そして、この観光が地元を一部ですが潤していますから、元オタキングこと岡田氏のいうオタクの江戸起源説は正しいのかもしれませんね。
昔も今も人のやることにあまり変化が無く、「天が下に新しき事なし」なのでしょうか・・・。
さて、この市川団十郎の故事が元来の平将門を調伏した時からの戦勝・調伏の功徳以外にこの成田山に子授けの験を加え、また江戸時代の浄土宗の名僧祐天に智慧を授け導いた故事から立身出世、それ以外にも江戸に近いこともあり多くの民衆が行きやすく参拝、そして数多くの願いを叶えて大いに喧伝!あれよあれよと霊験あらたか万願成就の不動尊として成田山は隆盛を極めていきます。
さて、少し前振り・例え話が長くなりました。それでは前回は個人と神社・寺院の相性判断の方法は書きましたので、今回は万が一にも相性の悪い所に行かざるを得ない場合の対処法を書きます。
まず一つ目は、祀られている所が特に仏教の場合、より上位の仏尊や同格の存在に取り成しを願います。
ただし、この場合は普段から自宅で日々の勤行をしているとか、季節の祭礼にわざわざ祀られている菩提寺などの縁ある寺院に行くとかして、その方と懇意にしていないとまず意味がありません。
お釈迦さまいわく、「縁無き衆生「人を含む全ての生き物」は救いがたし」です。
またこれも何故か不思議と知られてませんが、お経なり参拝なりをたかだか数回して験・加護を貰えると考えていること風潮がありますが、そのこと自体が実は大間違いです。
たしかに、数回のお参りや祈願で霊験があるときはありますが、それは滅多にないから喧伝される訳で、普通に考えて何処の誰とも分からない者を、しかも多くの方がろくな作法で祈願しているのにも関わらずに何故にして助けるのでしょうか・・・?
また、とくに読経などでは功徳は数回でもありますがそれで願いが必ず叶うと書かれたお経・祭文・祝詞などは存在しません。
最低限度は祈るときには名前、生年月日、年齢「数えの場合もあります」、現住所など祈願者が誰かと個人を特定できる情報を伝えて、つまりは挨拶を終えてから、心願を奏上・祈願するのですが、その挨拶すら知らない・しない人が多すぎます・・・・・。orz
確かにしないでよい場合もありますが、それは菩提寺やよく行く崇敬神社など何度も伺い、何度も自己紹介しているので完全にお馴染みさんの檀家・講員などである場合だけです。
例えば、小さな寺院や神社なら宮司さんや住職さんから名前を覚えてもらい普通に呼ばれるくらい通いつめた場合だけです。
次に二つ目は、これが一般的ですが御守りを持つことです。
ただし、一代・一生モノの御守り「十万単位ですが」以外は、一応は何処の寺院・神社も一年は持つといいますが、実のところは何十・何百個とまとめて/手を抜いて祈祷しているのが定番でありまして、そんなやり方なので効果はよくて三ヶ月です。三時間で切れた例もありますが・・・。
それに多くの寺社ではアウトソーシングで工場などで製作したものを何も祈祷もせずにそのまま売ってる場合も多々あります。
祈祷して力が宿っているのは、本殿なり拝殿なりに昇殿した上で、祭神なり本尊なりの前で特別に祈祷を受けて下賜された物だけです。これも、形だけのモノが多いですが・・・。
それに、お守りは実はお寺の本尊を作製・開眼したり、神社に祭神を勧請するのとランクは下がりますが同じことです。
ある物に神仏を宿す・繋がりを持たす事とある物に神仏の力/功徳を宿す・追加することは基本的に同義です。
ですので真面目にやれば、何日も準備なり作法なりの必要があります、それを売店に気軽に置くようなモノとしては作れません。実質的には本尊・祭神の一部を売るということですからね。まともな信仰者・行者なら本尊を砕いて破片を売らない様に本当はお守りはなかなか作れません。
よほど気にいった方や渡すに値する方になら勿論、別ですが・・・。
だから、普通は御数珠の性根入れのように簡単に「それでも真面目にやれば何時間も掛かりますが・・・」煙にかざしたり、お経を唱えたりなどの祈祷して終わりにしてます。
つまり、「これ/この持ち主をお守りください」で終わりです。間違えても「これ/このお守りに宿りたまえ・力を分け与えたまえ」などと祈りません。そして、そんなやり方では当たり前ですがその持ち主を守るかどうかは神仏の胸一つで文句も言えません。
確実に神仏が宿り祀られれば、日々の供養を得ているのでどんな方でも守る必要というか理由はあると思いますが・・・。でも、そうしますと基本的に本尊・祭神と同格になりますね・・・。
それに、万人と相性の良い・最適な神仏は存在しないので、誰が持つか分からないモノに力を宿らしてほいほいと製作するのもどうかと思いますが、どうでしょう・・・?寺社の相性以前にお守りの相性がきて、そのお守りを得るには寺社にいかなくてはならず・・・・、循環話法ですね。
そして、だからこそ、西洋魔術では普通は護符・お守りを作る際はこの世界の仏尊・神格ではなく、惑星のモノを利用します。少なくとも、惑星の力はこの地上の全ての人が大なり小なり日々受けているので相性的には問題が少なく「慣れてますからね」、それに好きな神格が選べるので基本的に中立・中性です。
それに作製する際にも占星術や万物照応で個人にとって最善の時・状況・物を選んで作製・聖別出来るのでリスクが少なく、ハイリターンを狙えます。
何より卑しくともそれなりの行者・祈祷師・術師ならお守りをつくる暇があるなら、より神仏との強い繋がり・加護を得る為に行学に励み、守りが必要な際は自ら祈祷・呪術を行い立ち向かい何とかするモノで本人的には必要性があまりありません。
師は西洋系の惑星霊の護符作製が上手でしたが、あくまで「それは余技である」と考えていましたし・・・。それに何かお守りって、日々の行をしないでお金で加護を貰う面がありますので、それを厭う方々もいます・・・。
さて、そういう諸々のためにお守りを車につけてても交通事故だの、家内安全のお札を貼りつつ火災だのに遭う人がいるわけで・・・。プライドがある術師なら、万が一自らが作製したお守りを保持していてそういうことが起きれば詫びてから原因究明と対策を考えますが、そんなことをする寺社はまずありません。現状、気休め用ですから・・・。
あいかわらずのワンパターンのモノを厭きもせず毎年毎年作製し売ってます。素晴らしくよく出来た、いい商売です。
さて、、そうは言っても護符・お守りは効果はハマればかなりありますので、なかなかに便利です。ちなみに自作する際は凝りに凝るので時間的にも材料的にも金銭的にも大変です。普通に一ヶ月分の給料位は色々と掛けましたから、もう飽きた上に必要が無いので作りませんが・・・。
最後の三つ目の手段は、其処の神仏に祈る・詫びることですね。
「自分は貴方にお願いできるような立場ではありませんが、なにとぞ見逃してください・・・」とか、「これこれこういうものを捧げるのでよろしくお願いします・・・」とかです。ただ、そういうのは基本的に商売している方ならご存知の通りで、クレーム客を納得させるわけです。しかも自分より遥かに強く上位の方を相手ですから低姿勢&作法どうりする必要があります。
「勿論、作法をよく知る人はまずそうい場所に行かない」のは内緒です・・・。
それに幸か不幸か殆どの人は神仏の力の影響を感じるほどの力も才もないので、験もないですが呪詛も罹りにくいです。
最後にこんな今までの全てをぶち壊すような一文を出すのも恥ずかしいですが、これは事実で、あくまでこのシリーズは万が一の危険を避ける為の豆知識です。
神仏の力を受信できるということは、自らの望まない神仏の意志を影響を受け易くなるということでもありますから・・・・、この辺は良し悪しですね。
妖術師の言うことではないですが・・・orz。
さて、色々と対処法を書きましたが、やはり「君子危うきに近寄らず」・「治療より予防」です。意味も無く目的も無くふらふらと神社・寺院に立ち寄り呪詛・害を受けるのもある意味で自業自得の運命なのかもしれませんね。
では、今回は特に長々とお読み頂きましてありがとうございます、
貴方に全ての良き事が雪崩の如く起きますように・・・。
それでは、また・・・・。
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