御覧頂きまして、有難う御座います。
独覚派(?)/妖術系の伝道師、皇悠です。
さて、今回は今まで何度か紹介してきました大黒天信仰の日本における根本経典・大黒天神経こと佛説摩訶迦羅大黒天神経の紹介です。
と言いつつも訓読版で紹介しますが・・・。漢文経典のままですとハッキリ言いまして殆どの方には無意味・無理解のままの経ですので・・・。
では、佛説摩訶迦羅大黒天神経・訓読です。
『その時、如来は大衆に告げて云う。
今この大会の中に大菩薩あり。名けて大福徳自在円満菩薩という。
この菩薩は昔、等正覚を成じて大摩尼珠王如来と号す。今自在業力を以っての故に、娑婆世界に来たりて、大黒天神あらわる。
この大菩薩大会の中にて、即ち座よりたち、掌(たなごころ)を合わせ佛にもうして言(もうさ)く。我れ一切の貧窮無福の衆生において、大福徳を与えんが為に、今優婆塞の形を現し、眷属の七母女天を、三界に遊現せしめるなり。
一切の衆生に福徳をあたえんと欲す。唯だ願わくは世尊、我が為に大福徳円満陀羅尼を説きたまえと。その時に世尊貌(お顔)を開かせ、笑みを含ませたまいて呪を説きたまいての賜わく。
なうまくさんまんだー ぼだなん おん まーかーきゃらやー そわか
その時、世尊大衆(だいしゆ)に告げて云う。
この天神の呪(じゆ)は、過去無量の諸仏の出世にも説きたまわず。若し未来悪の世の中に、諸(もろもろ)の貧窮の人ありて、此の陀羅尼の名を聞く者は、まさに知るべしこの人は、大摩尼宝珠を降らし。無量の珍宝を湧出することを。
その時、大黒天神は佛に申して云う。若し末法の中に衆生ありて、この呪を持たんには、我が体を若しくは五尺、若しくは三尺、若しくは五寸に、その形像を刻みて伽藍に安置し。若しくは家内に崇敬せば、我れ七母女天の、眷属八萬四千人の福徳神を遣わし、十方に遊行して、毎日一千人を供養せしめん。若し我が所説に虚妄あらば、永く悪趣に堕して本覚に還らず。
若し又種々の珍菓美酒等を以って供養する者は、将に甘露を降らさん。時に一切の大衆よ。皆大いに歓喜して信受奉行し礼をなして去りにき。』
以上です。
さて、訓読版ですと祭文や法文のような言い回しですが、一応そのままでも使えます。
それとですが、一読して頂きますと判りますが、この経では大黒天様を祀る際に(ぶっちゃけると加護を頂くには)本尊(五尺・三尺・五寸に限定)の像が必要で、かつ自身の伽藍(つまり専用の祭儀場)か家内に安置してなければならないと記述してあります。
つまり、ただ真言だけを唱えるのは駄目な訳で、また、よく野外で唱える修験道や各派の法要などでも自身が自宅なりその寺院・神社に安置した上で崇敬していない信者が寺院なり神社の本尊に対して唱和しても意味が無い訳ですね。[この呪を持たんには]とはそういう意味ですから・・・。
また、更に密教のお得意の尊像無しのやり方・・・観想(視覚化)でも種字でも駄目と言う事ですな・・・。
つまり、よくある配布されてます寺院や神社の本尊・祭神の写真や御札・神絵は勿論不可と言う事ですよ。勿論、尊像もサイズが違うと駄目でしょう・・・ね。
それでも、「良いです」とは記述されていないですから・・・。
そんな訳で、色々と多くの寺院・神社の(配布物の)嘘がばれるのであまり知られて無かったりしてます。
だからこそ、土産物や置き物で大黒天様の仏像はよくあったりしてます。
そして、大黒天様は在家でも信仰が可能としています。「一切の衆生に福徳をあたえんと欲す」とか「末法の中に衆生ありて、この呪を持たんには」というのも同じ意味です。ちなみに末法の世とは現在の日本のような仏教社会の事です(破戒・薄徳・無知無学無行な僧だらけな時代・・・、ちなみに日本には厳密な意味での出家者ならびに僧はいませんよ。以前に記述しましたが、そういう方はもう何百年も前にいなくなりましたし・・・)
では、今回は此処までで・・。
閲覧頂きました方々には、全ての良き事が雪崩の如く起きますように・・。
皇悠拝。
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