理論・哲学など

2009年12月12日 (土)

浄化(純化)作業などつらつら・・

御覧頂きまして、有難う御座います。

妖術系神学の皇悠です('-^*)/。

さて、今回のは浄化(純化)系作業です。

まず、この作業は混沌魔術の初期段階(日本語版の書物レベル)においてはあまり関係は無いようです。

では、話を戻しますが当ブログの閲覧者が完全に知識だけの方々(俗に理論派とかともいわれる、流派に依っては他人(のくれた情報に好んでなった)奴隷扱いされる方々)は別にして、大なり小なり実践していくと片付けと云うべきか純化・浄化する事の重要性が分かってくると思います。

意識の切り替えも含め、不要なモノを廃棄なり、昇華なり、退けるなりと色々ありますが、そういう事の大事さがある意味で純度を保ちつつも新たな変化を加えていき、より繁栄なり向上なりに向かうようにする為に重要だとする事です。

簡単な所では呼吸やリズムを掴む事や場の流れを把握しつつタイミングを計り変える際などにです・・。(よくある人付き合いや社会のルールなどの事で無く、儀式や瞑想にも流れやリズムが在ります)


さて、そうは言っても例えのリズムだの流れを掴む・導くのはなかなかどうして難しいモノが在ります。

初めは自らの事で一杯一杯な未熟者はしょうがないのですが、抑えて於くべき事を為せない方々(センスと謂うよりは大抵は素直さの反対・聞き分けの悪さか危険を見たがらない方々ですが・・)はリズムとか場の流れとかはまず読めません。

ちなみにKYなどは関係無いですね。
人間に対しては駄目な方々でも事が魔術や儀式に瞑想など神仏・神秘関係は大丈夫な方はいますから・・。


この辺はまたある意味で天性なモノがあります。擬似的に虐待間際の精神的肉体的罰で向上する方々もいますが・・・。

ちなみに、個人的には無意味なイジメは好きでは無いですね。
後で復讐だの反撃だのをされうる余地のある、その程度の攻撃は無意味と考えますし、何よりやるなら殺す気で叩き潰す気でないと・・・。
ちなみにこれはこの業界の鉄則です。(皇悠の温厚な恩人も隠然とした先生も、何故か使うほどの目に未だに遭ってませんが、皇悠が出来る程度のモノですが教授して頂きましたし・・)

さて、少し話がズレましたが、今回はこの辺で、では何かの役に立てば幸いと思いつつ、閲覧頂きました方々には全ての良き事が雪崩の如く起きますように・・。

皇悠より。

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2009年12月 7日 (月)

呪術・祈祷の存在意義

御覧頂きまして、有難う御座います。

どうも、妖術系神学伝道師の皇悠です。

さて、今回は呪術・祈祷の存在意義の話です。

えーとですね。何故か勘違いしている方々が凄く多いのですが、呪術や祈祷は現世的な栄達願望(異性にモテる!金銭を得る。地位向上!)の為にある訳(密門の云う増益)では無く、もっと根源的な危険から逃れ生きたい!死にたく無い!生き延びたい!何とか安全に暮らしたい・・・そうした願い(息災)の為に在ります。

さて、今でこそ日本は多くの公共設備やそれなりに優れた法律の御陰で安全に暮らせれるように成りましたが・・・。

しかし、海外や日本でも五世代前位では、歩いているだけで身ぐるみ剥がれる。殺され・監禁されるなどの危険がゴロゴロしています。

また、実際には現代日本でも年間に正確に警察に受理される数だけでも十万人単位で行方不明者がいます(うち七割以上が女性で、また三割近くが13才以下の女の子だとか・・)。

それ以外にも殺人に事故だの病気だのと個人的な努力ではどうにも為らない災厄はかなり在ります。

だからこそ、どんな国にも神仏はいて信仰はあり、加護・支援を求める祈りは絶えません。

ただ、大方の人の期待とは裏腹に、残念な事ですが神仏は幾ら慈悲深くても誰にでも無料奉仕と云う事はまず無くて、大抵は日々の供養だの祭祀だの勤行をするモノだけを助けるのですよ・・。

まあ、この辺は人間関係も同様ですが・・、いきなり見ず知らずの人に助けを求められても、大抵は助ける力があっても何もしないですよね・・(b^-゜)。

これは無料奉仕で有名なキリスト教でも変わりません。組織的に信徒と異教徒ならやはり信徒ですし・・。


この点は、今まで何度となく記述してますが、御理解頂ければ幸いです。
では、閲覧頂いた方々には全ての良き事が雪崩の如く起きますように・・。皇悠より。

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呪術・宗教の目的

御覧頂きまして、有難う御座います。

妖術系雑学・神学の伝道師、皇悠です。

さて、今回は以前にも記述したかも知れないのですが、宗教や呪術の目的(?)の一つを記述したいと思います。

さて、結論を云いますと呪術・宗教の修行の先は端的に身も蓋も無い言い方をしますと「化け物になる」事が在ります。少なくとも目指す方々にはかなりの割引でそんな方々ばかりが・・・。

神に仏、仙人等は永遠の存在?全知全能?慈悲深い?色々な形容をされてますが、じゃあその姿を描写したモノを見ますと・・・(^o^;)。

角が生えたり、羽が生えたり、手が幾つもあったり、足が増えたり、鱗や尾が生えたり、目が増えたり、巨大化し山よりデカかったり、顔や背中が光を放ったり、分身したり、動物になったりで・・・。

まさに「どこのテレビ番組・ヒーロー戦隊物の怪人ですか?それともウルトラマンシリーズの異星人か怪獣ですか?」と言った次第です(笑)。

まあ、そういうこの世界から外れた姿を持つ方々だからこそ、この世界の存在では出来ない事が出来るとは思いますが・・。


しかし、イケてない!

絶対にファッション紙の表紙は飾れない方々ばかりですよ・・(≧▽≦)ゞ。

個人的には、時にはそういうのもありかなぁ~とも思いますが、やはり今の大多数にとっては不気味な姿ですよね(^_^;)。

個人的な感想ですが、初めてそういう神仏を見た・邂逅した修業者はびびった筈です。

少なくとも皇悠はビビリました。
「ヤバい!マジでが生える!!!」と・・・。
今では良い思い出です。

では、今回は此処までです。閲覧頂きました方々の何かの役に立ち、また「全ての良き事が雪崩の如く起きますように・・・」祈りつつ・・。皇悠より。

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2009年12月 6日 (日)

救われ無い人々。本とラー油の区別がつかない・・

御覧頂きまして、有難う御座います。

妖術系雑学・神学の伝道師、皇悠です。

さて今回は多分救われ無い人々の話です。

えーっと、御釈迦様作とされる有名な言葉に、「縁無き衆生は救い難し」と云う言葉があります。
また人が救われ無いのは根源的な煩悩(怒り、貧欲、愚かさ)が在る為とされてますが・・・。

しかしながら、たまに考えるのですが、救いの縁があっても気付けない・自ら断ち切ってしまうような方々がいると云う事実です(^_^;)。

その実例が有名な楽天市場に在ります。

さて、具体的に紹介しますと楽天市場には辺銀愛理と云う方の「ペンギン夫婦がつくった石垣ラー油のはなし」と云う本のページが在り、この商品購入者のレビューを読みますと何と云うか、絶対に救われえ無い人々の実在を個人的に確信します・・・(〒_〒)。

そうレビューを記述した彼らはどうやらテレビやブログで紹介され話題となった一部で人気の石垣島のラー油と間違えて本を購入したのです(*゜▽゜ノノ゛☆。

しかも、楽天市場はあまりに間違える方々が多い為に後にちゃんと「こちらは本です。ラー油ではありません」と云うフレーズが追加しますが、しかしながら間違える方々が続出する始末・・・ヾ(≧∇≦*)ゝ。

しかし、このフレーズ以前にサイトのページにはカテゴリー楽天ブックス、出版社マガジンハウス、著者名に本自体の映像、まして商品名が「~~石垣ラー油のはなし」と「どう考えてもラー油じゃないだろ(*゜▽゜ノノ゛☆オイ」と判るように表記されているにも関わらず・・・(≧▽≦)ゞ。

更に、レビューを記述した方々のかなりが自分の勘違い・誤解を反省しつつ、同じような間違いをしないように注意を呼びかけるのではなく「騙された!嘘にあった!」と記述していて・・・(・_・)エッ....?。

何と云うか、ソクラテスがたった一つの事(無知の知)だけで、古代世界一の賢さを神々に認められたのも判る気がします。

さて、こんな小さな愚かさ・誤りを自覚するだけでも、こんなに大変ならばより根源的愚かさを克服するのはどれだけ大変なんでしょうか?

また、個人的には浄土のエラい長い修行は好みでは無いのですが、こんな人々・環境の中では悟りは無理と絶望し自殺して阿弥陀様の慈悲深さに縋った中世阿弥陀信者の気持ちも判る気がしませんか?

では、閲覧頂いた方々には全ての良き事が雪崩の如く起きますように・・・。皇悠より。

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2009年12月 4日 (金)

西洋魔術

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妖術系神学・雑学の伝道師、皇悠です。

さて、今回は表題の通り西洋魔術論です・・・、といっても多分、かなりの閲覧者に取って置いてきぼりな内容に成ると思いますが・・(≧▽≦)ゞ。

さてさて、日本に於ける魔術は残念な事にいまだに西洋で秘議参入した方か、今は無きHGS系の方々に師事する以外はまともにマスターしえる環境に在りません・・・( ̄○ ̄;)。
一応、国書刊行会を始めとして日本語訳並びに日本の文献は参考書レベルで在りますが、欧米のように文献を元に独学はまず無理です・・。


もう、日本に西洋魔術が輸入されて約四十年以上経ちますがいまだに未開のままですから、多分日本に魔術はこのまま根付かずに終わるでしょう。

実際、皇悠が恩人(元HGS系)に師事するまでにそれなりに当時の最良レベルの日本語訳並びに和書、洋書の独訳なんかをして学んでいましたが・・、はっきり言って師から学んだ事(歴代の呪術ではなく、キッチリとしたGD系西洋魔術ですよ('-^*)/)は文献(洋書・和書)の内容とは違ってました・・。

なんというか、洋書には確かに書かれ記述されているんですが隠されているのですよ・・('-^*)/。

そう、日本にいると全く意識しないのですが、アメリカにしろヨーロッパにしろ、排他的キリスト教にイスラム原理主義者など異教徒に対して暴力的な方々が存在する為、そう易々と奥伝だの、基礎原理(その体系の基盤、他派との根源的な違う点)だのを公開しないのです(・ω・)/。

だからこそ、一般的な用語(流行りはちょっと前ならサイバーパンク、皇悠の修行時代はユング心理学やトランスパーソナル心理学、一世紀前ならエジプト神話にクリスチャン・カバラあたり)で偽装して記述されます。だから、読むと分かった気にはすぐにも成れます・・・(^_^;)。

そして、万が一にもそうした事を理解した上でも、文献は普通に色々と省略・あえて誤用して記述してますから、やはり師事無しではまず無理なんですよ・・。


実際に、かなり前(最初期の当ブログ)の記事で日拝では伝統的なエジプトの風景を神名に合わせて幻視するのか?日本の風景で正しいのか?すら日本では未解決のままで・・・(^_^;)。日拝のやり方は三十年は前に輸入されていたのに・・(*゜▽゜ノノ゛☆。


では、閲覧者には全ての良き事が雪崩の如く起きますように・・。皇悠より

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2009年11月28日 (土)

方便各種

御覧頂きまして有難う御座います。

どうも、妖術系神学の伝道師・皇悠です。

さて、仏教系の言葉に「嘘も方便」という言葉がありますが、一般的に方便とは比喩・例え話的な意味で使われますが、この方便という語句は元来は法華経の方便品の中で御釈迦さんが多くの比喩・言葉・例え話などで仏法を説いたと言う事から来ているようです・・・。

しかしながら、顕教的には法華経の方便品の意味が一般的ですが多分、日本密教徒にとっては十八道の中にある九方便(漢文)の方を指すかもしれません・・・。

ただ、この九方便自体あまり知られていない言葉ですので、初見の人用に、九方便を拙い書き下し文ですが、紹介します。

なお、九方便とは胎蔵界の懺悔の頌(漢文による詩の一種)に九種類あることから、こう名付けられてます。

そして、これらの語句は菩薩・仏弟子の行願・行うべき誓いであり、従って密門の仏教徒の守るべきであるモノでもあり、、仏道を成ずるさいの方便・行い集でもあります。

また、曼荼羅における大日如来を囲み・支え・その力の方向性を表わす中台の八葉九尊を表すといいます。

では、行きます・・・。

「作礼方便」(先ず三世十方の諸仏を敬礼する。)
十方の正等覚の三世一切の三身を具し給えるを帰命し、一切大乗の法を帰命し、不退の菩薩衆を帰命し、諸明の真実の言を帰命し、一切の諸密印を帰命し、身口意清浄の業を以て、慇懃に無量に恭敬し礼し奉る。

「出罪方便」(諸仏に帰依せんとして、先ずその罪を滅ぼす。)
我無明に由り積集する所、身口意の業、衆罪を造る。貪欲、恚、癡、心を覆うが故に、仏と正法と賢聖僧と父母と二師と善智識及び無量の衆生とにおいて、無始生死流転の中に、具に極重無尽の罪を造れり。まのあたりに十方現在の仏に対し、悉く皆懺悔して、ふたたびは作さじ。

「帰依方便」(三宝に帰依する。)
十方三世の三種の常身と正法蔵と勝願菩提の大心衆を帰命し奉る。我れ今皆悉く正しく帰命す。

「施身方便」(己身を仏に献じて教えの如く修行する。)
我れ此の身を浄め諸垢を離る及び三世の身口意と大海、刹塵の数に過ぎたるを、一切の諸如来に献じ奉る。

「菩提心方便」(上求菩提、下化衆生の志すを起こす。)
浄菩薩心の勝願の宝を我れ今発起して群生を済う。生苦等の集に纏繞せられ、無知に害せられる身とを救摂し帰依して解脱せしめん。常に当に諸の含識を利益すべし。

「随喜方便」(衆生の善根を随喜渇仰する。)
十方無量の世界の中、諸の正遍知の大海衆の種々の善巧方便力と及び諸の仏子、群生の為に、あるゆる所修の福業等を我れ今一切悉く随喜す。

「勧請方便」(如来を勧請して法輪を転ぜしめる。)
我れ今諸の如来と菩提大心の救世者とを勧請す。唯願わくば、善く十方界において恒に大雲を以て法雨を降らしめ給え。

「奉請法身方便」(法身の位に安住せしめる。)
願わくば、凡夫所住の処をして、速やかに衆苦所集の身を捨て、当に無垢処に至ることを得、清浄の法界身に安住すべし。

「回向方便」(以上の功徳を皆十方に回向する。)
所修の一切衆の善業を、一切衆生を利益せんが故に、我れ今ことごとく皆正しく回向す。生死の苦を除いて菩提心に至らんことを。
以上です。まあ、門派や流儀・口伝などによって解釈・語句は微妙に違うかも知れませんが、何かの参考になれば幸いです。

では、今回は此処までです。

閲覧頂いた方には、全ての良き事が雪崩の如く起きますように・・・。
皇悠より。

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2009年11月24日 (火)

次第・法・術等の構成

御覧頂きまして有難う御座います。

どうも、妖術系神学の伝道師・皇悠です。

さて、今回は次第・儀式の構成についてです。

え~、近頃流行りのサブカルチャー(漫画・アニメ・ゲーム)にそのテレビ化・映画化作品等で祈祷や呪術の次第・儀式を一部流用したりしているのを見かける事が在りますが・・、まあ何というかあまりの安直さに驚きますよ(*^_^*)。

真言唱えたら火が噴く・・、祝詞唱えたら化け物逃げ出した・・、呪文唱えたら回復・・(笑)。

まあ、端から見たらそうなんでしょう・・・(^_^;)。映画・アニメ・漫画などは数分がせいぜいですが、実際は数時間の違いこそあれ基本的には唱えまくりですから・・、まるで力のある言葉(祝詞・真言・呪文・言霊)さえ唱えたら、奇跡が起きるかのように錯覚するのかも知れないですよね・・・。

でも、実際はそれ以前の準備だの資格取得的なモノが色々と在りますし、そのごくごく一部が加行とか前行とか勧請とか伝授とか別の名前で云われますね('-^*)/。

さて、ぶっちゃけますが神仏(正式に勧請した)・祈祷本尊の前で、加行・前行を正式に終えた上で伝授を受けた資格者が作法・次第通りに祈祷・呪術をしていても大抵は験・効果は無いですよ・・(・ω・)/。

これは以前に、散々記述しましたが現在の作法・次第は中抜き・手抜き、簡略化したモノで伝えて来ているので、単純に云いますと資量(ある意味で効果・験を出すの必要な量的な何か)が足り無い上に、間違った・抜けたやり方をしているからです。

まあ、大抵の方は祝詞・経典に古伝書だの説話集に答え・やり方は充分に書いてあるのですが、何故か無視し、気づかずに行い、何故効かない・・(?_?)、このやり方は験が無いのか?と不思議がります。

それで他の法や別の方に流れ・・、時間に資金・労力を無駄にします。


気をつけたいモノですね('-^*)/。

では、今回は此処までです。

閲覧頂いた方には全ての良き事が雪崩の如く起きますように・・・。
皇悠より。

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2009年11月 6日 (金)

神道呪術の基礎・基本

御覧頂きまして、有難う御座います。

独覚派(?)/妖術系伝道師、皇悠です。

さて、今回は神道呪術の基礎・基本と云う事で、おさらい系記事です。


え~とですね・・・、昨日ある神仙道系修行者に聞かれた事でもありますが、神道系呪術の基礎・基本を当ブログにも明確には記述していなかったので、改めて(?)記述します。

まあ、あまりに当たり前・前提条件なので記述してなかったのですが・・・(b^-゜)。

まず、神道呪術は基本的に神様にお願いする形式ですが、神道の神様はタダ祈っても応え無い方々ばかりです。

具体的には、神棚なり神社の本殿なり、御札なりに向かって祈らないとまず聞き届けない方々ばかりです。(つまりは、神様の前で願いを伝える訳です。)

だからこそ、多くの祝詞で「の御前」とか「□□の大前」とか、「を拝し・・」に「△△を奉るれば・・」などなど、祈る相手たる神様を描写しつつ「・・申す・宣る」と祈り手の意識・目的・状況を明確化して終わります。


つまり、繰り返しますが神様のいらっしゃる神社なり神棚(百歩譲って御札)等の前で神様に向かって祈らないと意味が有りません・・(少なくとも、伝統的な祝詞形式を準拠し重んじている限りは・・)。

だからこそ、神道呪術ではヒモロギだの、イワクラだのの場合も在りますが、大抵の場合で必ず神様の前で願意を伝える形で実践されます。

言い方を変えれば、神様の前で無い・神様の居ない所で幾ら祝詞なり祭文を唱えても神道の神様の力・加護は無いのですよ・・。
自己暗示的な意味はあっても・・。


また、当たり前ですが祝詞の内容と神様が合わないと無意味ですよ・・。例えば、八幡様に大祓詞は微妙です、国譲りの時に八幡様はまだ日本に居られない・お生まれになって居ないのでしたから・・。

単純に、神道の呪術・祈祷は祝詞を唱えていればオーケー('-^*)/。神様にお願いすれば大丈夫o(^▽^)o。
では無いのですよ・・(^_^;)。


この辺を誤解している方が居らしいので、今回今更感が在りますが、アップしました・・(^_^;)。お役に立てば幸いです。

では、閲覧頂いた方に全ての良き事が雪崩の如く起きますように・・・。
皇悠より。

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2009年11月 1日 (日)

ラーマクリシュナの信仰区分について

御覧頂きまして、有難う御座います。

ソーサラー・エバンジェリスト(?)の皇悠です。

さて、今回もガチ話です。

さてさて、今回は以前取り上げた19世紀インドの聖者ラーマクリシュナのある説です。その説では、信仰者をこのような三段階に区分しています。それは以下のようなモノとしています。

まあ、日本人はインド伝来の多くの(精神的な)モノに価値があることを認めている風土なので、こういう信仰のあり方の階層化・診断もそれなりには日本人(信仰者)にも使える気もしますし、あまり変わらない気もしますので今回アップします・・・。

1.低位の信仰者
「神は在る。あちらの方に、(大空の・西方・東方・海などの・・・)彼方に・・・、と言う。」

基本的に神・仏が、自分の外に存在しつつも、彼方より信仰者を見守ると見做すケースです。

これはある意味で同じ淵源から来ているのにもかかわらず、チベット密教では空性・神性などを自分の中に見つけようとしますが、日本の密教では、本尊・真理などを自分の外に立てるのに似ていますが、基本的には仏教の多くの諸尊、例えば阿弥陀様に観音・文殊・薬師に弥勒なども信仰形式などで同系です。

2.中位の信仰者
「神はあらゆる生物の中に、(内なる導き手・種子・火花などとして)宿っていなさると思っている。」

神は、自分とは別にいるが、自分の中にも存在する・繋がっていると思っているケースです。如来蔵思想やグノーシス教などの基本認識です。

3.高位の信仰者
「神を見た人は、神が(生物)世界になっていなさる事がよく判る。あらゆるモノは、あの御方なのだ。」

「私の解脱はいつのこと、それ、その”私”が消えた時」


神は、あらゆるものの顕れで在る事・人を含め世界の全てが神であると見る・知るレベル(汎神論)です。

勿論、ラーマクリシュナ自身は高位の信仰者ですが、低位だからダメなどとは当然言ってないですし、低位の信仰者以下の乱暴者を町で見かけたら、そいつが神のギラギラした顕れであることを見たと言っています。

ちなみに、個人的には皇悠は、普段は低位の信仰者だと自身を感じつつ思っていますし、高位には絶対に成りたくも無いと感じている口です。

限定的に儀式や祈祷の際には中位の神仏と繋がる・自身の中に神仏の力・存在・恵みを感じる時はありますが・・・。

正直に記述しますと、「自身が神だ!」「この世界は神だ!」などと本気で日々、真摯に感じ、信じ、理解している人間は基地外・狂信者・低脳の物知らずの何れかだと感じます。

戦争や虐殺・差別に暴力性・偏見・・・・、この世界は皇悠自身を含め(ほぼ・多くの)存在するもの自体には邪悪な面や未熟さ、歪みを抱えています。

それを自覚するが故に、至高者・良きモノ・究極的存在を意味するはずの神・仏がこの世界だの、人だの、自身だのとは認めたくないのですよ・・・。この辺は個人的な嗜好ですが・・・。

では、今回も何かの役に立てば幸いです。

では、閲覧頂いた方には全ての良き事が雪崩の如く起きますように・・・。

皇悠拝。

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2009年10月30日 (金)

這う虫の災い・・

御覧頂きまして、有難う御座います。

未だ妖術師・伝道師としては日々未熟さを痛感してます、皇悠ですf^_^;。

さて、今回のネタは表題通り「(這う)虫の災い」です。

この言葉は旧版・古い大祓詞にも「昆虫の災い」等とも表記されて、神々に祓い除く事を期待されている厄災の一つでしたが、本日改めて何故にして敢えて長く神に祈ってこられたか、長い間理解不能でしたが、やっと分かりました・・(≧▽≦)ゞ。

それは、本日10月30日は昼のある経験からでした・・・。

その時は、ちょうど用事があり、東京は丸の内(東京駅と皇居の間)で立っておりましたら、右肩に何かを感じ、見るとそこには親指大のスズメバチが一匹止まっていました~ヽ(゜▽、゜)ノ。

そして、久し振りに命の危険を感じつつも下手に刺激して、例えば叩くなどを為すと刺されると思い、飛び離れるまでじっと耐えましたが・・・今だから記述しますが肝が冷えましたよ・・・(*´Д`)=з。

さて、この件は幸運にも何事も無く終わりましたが、医療体制がまだまだ未熟な近世以前は薬に血清、救急車に医師も少ない・無い時代ですから(毒)虫の災いは確かに恐ろしいモノだったと今回、やっと理解しました。本当に蜂や蛇などの有毒な生き物にやられたら、まさに命に関わりますよ('-^*)/。

まして、ある程度遭遇しにくいはずの現代の日本の10月の末ですらスズメバチは元気に都市を飛び回っているのですから、まさに往古は日常的な災いだったのでしょう・・。

もしかしたら、多分人の住む都市や町・村では獣に襲われるよりも毒虫に襲われる危険性は高かっかも知れ無いですし・・。

そういう意味で昔の人の方が神仏に頼る必要性は高かったのでしょう。

そして、未だにそういう危険性は無くなって無い訳ですから、やはり必要性は未だにある訳です・・。

さて、今回のは本当に色々と考えさせられる件でした。

では、閲覧頂いた方には全ての良き事が雪崩の如く起きますように、祈りつつ、皇悠より。

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