神仏・精霊など

2009年10月 5日 (月)

神仏の御使い信仰

御覧頂きまして、有難うございます。

卑小ながら金毘羅大権現様・正一位稲荷大明神様を崇敬してます皇悠です。

さて、今回は神仏の御使い等についてです(・ω・)/。

えっとですね、まず現在の日本の信仰に於いて皇悠が調べた範囲内では神仏の御使い・(漢字が出ないのでカタカナです)ケン族への信仰はかなり廃れています。

例えば、弁財天様の白蛇様は一部で残ってますが童子の方はまず忘れられていますし、また稲荷大明神様の狐は有名ですが天狗や老翁等はまず知られて無いですし、金毘羅大権現様も鬼神(御霊)・天狗等は崇徳院様と厳魂彦様関連で知られていますが龍蛇系に樹精関連はほとんどマニアしか知ってません。

たまに時々ですが考えるのですが、相手の事を良く知らないままで、何かを頼んだとしても、大抵は失敗します事を理解し避けるのに、具体的には八百屋で魚を買うような事は誰もやらないのに・・。

事が神仏に関わると皆様と言うと語弊がありますが、かなりの圧倒的多数の方々が犯罪者レベルの間違いをやらかしております。時には、そこで神仏に日々奉仕すべき宗教者がやらかした例もありますが・・。

たまに皇悠だったら、まず殴り倒しますレベルで・・・。(例えば、御神木を削って持ってたり、勝手に酒や塩を撒き汚したままの放置で帰る・・。因みに皇悠が今までで見た中で一番酷いモノは多分御神木に硬貨を何万個と刺していたモノでしたが・・・(((゜д゜;)))。)

何と言うか、神仏の加護や験を求めながらも、実際に加護・験をもたらし運ぶ方々を無視し・除外し傷つけて信仰・祈願しているのはどういった神経なのでしょうか?

まあ、多くの神社・寺院が神仏への崇敬の地として信者の教化・育成よりも観光地として有名になり訪れる方が金をより多く落として行ってくれる事を望んでる所が多いので、しょうがない面も多いのですが・・。

だからこそ、時に凄い神や御使いがいる所が寂れていたりします。
圧倒的多数の諸々の罪・穢れにまみれ、為す人を寄せ付けないので・・。

この辺が不思議です・・(^_^;)。

では、閲覧頂いた方には「全ての良き事が雪崩の如く起きますように」祈りつつ・・・、皇悠より。

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2009年8月15日 (土)

不動明王様とダキニ天様

御覧頂きまして、有難うございます。

現在、道教系まで手を広げて勉強してます皇悠です。

さて、今回はセイタカドウジ様の御質問を基に記述しますね。

さて、御不動様は一度その真言を唱え加護を求めれば、生まれ変わっても加護を、正に奴隷が主人に使えるが如く与える方とされてます。

そして、ダキニ天は肉大好き!人をドンドン殺して食べたいし、出来れば捧げてね('-^*)/の夜叉神ですよ!
つまり、お不動さんの信者の敵で、更には自身の信者も死後喰うともされる方です・・・。

つう事は両方を祭り上げ、信じ加護を求めればヤバい事に成りますわな・・・・(^_^;)、片方はオイラをずっと守ってくれ!で片方は命・体やるから助けてくれ!ですから・・、ましてダキニ天様には大日さん(つまりはお不動さん)に恨みらしきモノもアリんすよ♪(*^ ・^)ノ⌒☆!

あの話です!
ダキニ天様が仏教に入ったのは大日さん(実はお不動さんと言う説もありますが・・)が大黒天様に変身して脅してイヤイヤ部下にしたという例の有名な話ですよ(≧▽≦)ゞ!

こんな事されたら、皇悠だったらまず恨むってモノです。

ましてや、天部ですから人と同じように感情も煩悩もありまくりの存在です。

こんな方に死後、体をやるからと言いつつも、踏み倒す気マンマンな奴にはちょっと痛い目に遭わすのが、当然な気が・・・。

人間社会でも、金を借りるクセに踏み倒す気マンマンだったら、嫌がらせ・イヤミぐらいしますよね('-^*)/。

そんな訳で、化身とか垂迹でないマジもんのダキニ天様に対して不動信仰者はお願いしても、藪蛇になりがちです。

(ちなみに、よくセイタカドウジ様は生きていた気がします。多分、タダの参拝で特に大それたお願い事をしなかったのでしょうね(^-^)/。)

まあ、元々関連の無い方々を奉り、加護を求めるのも皇悠はどうかと考えてますし・・・。
(実際、水道橋さんを見つけるまで、悩みましたよ(・ω・)/。お稲荷様どうしようかと・・・閑話休題。)

これで、答えになりましたか?セイタカドウジ様。

では、今回はここまでです。

閲覧頂いている方には全ての良き事が雪崩の如く起きますように・・・。皇悠より

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2009年8月 3日 (月)

両頭明王こと厄神明王

御覧頂きまして、有難うございます。

混合派の行者の皇悠です。

さて、以前かなり詳しく行者の守護者としても、ポピュラーな仏様のお不動様を庶民の願いを叶える万能の明王として紹介しました。

ちなみにそのお体は青黒ですが、それと反対の明王もおられまして、それが愛欲と煩悩を悟りへと変える仏様の愛染明王様です。(この方も以前に紹介しましたよね?そしてお体は燃えるような赤で表わされてます。)

また、お不動様が縄と剣に対して西洋のキューピットの如く弓矢を持っていまして、実に色々な意味で対照的なこのお二方を合体させた尊格が存在しています。

その名を様。人生の最大の障害ともされる災厄の全てを強力に祓うの力をお持ちなのがこの厄神明王様と言われてます。

ちなみに、厄神とは崇り神とも普通は考えられますが、空海さんはこれを抑える為にこの明王様を創造したのでしょうか、由来が実はよくわからない方です。

さて、兵庫県西宮市に門戸厄神(もんどやくじん)と言う駅があるそうですが・・・。(阪急電鉄今津線?)この駅から北西に700m、門戸厄神東光寺というお寺があるそうで、そこに一部では厄除けで有名なこのお寺に両頭愛染とも言われ厄神明王が祀られているのそうです。(残念ながら、参拝した事がないのでこの一段落だけは、伝聞・推量です。ごめんなさいですorz。)

さて、私自身は不動明王様並びに愛染明王様に祈願する事はまずありませんが、祈願の内容は色々ですし、信仰も色々ですから、それぞれを独尊として信仰されている方もいらっしゃるでしょうし、お二方を以前にかなり詳しく紹介しましたので、今回この異形の明王様を紹介しました・・・。すごく異端的な尊格ですし、紹介していいものか悩む所ですし・・・。

しかし、人間関係に経済・政治・学問と多くのモノが複雑化し混在・関連化した現在においては、このような神仏同士が合体した方もある意味では必要なのかもしれません・・・。

そんな訳で今回は多重化・複合化した時代の導き手として少し変わった不動明王(愛染明王?)を紹介してみました。

ちなみに真言は拝み癖がある為ここでは略します。また、縁日は十九日だそうです。

では、閲覧下さいます当ブログを何故かご愛顧頂いてます物好きな皆様には、全ての良き事が雪崩の如く起きますように・・・。

皇悠より。

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2009年7月 1日 (水)

田中大神・・

御覧頂きまして、有難うございます。

近頃、訓練・祈祷などよりもネットに読書、仕事ばかりで妖術師よりもただのインドア派の暇人づいて反省しきりの皇悠です。

さて、今回のネタは田中大神です。

え~と、当ブログの愛好家の方々には御存知かも知れないですが、伏見稲荷は現在5つの神様をお祀りしております。

そして、その内の一柱が(神道では神様を一体ではなく一柱と数え上げます、閑話休題)、この田中大神様です。

しかしながら、由来は不明なので、どんな神様か誰にも判らない状況です。

だからこそ調べてみましたら、全国の田中神社の祭神はやはりと言うか、てんでバラバラでした・・f^_^;。

タケミカズチ様に大国主様、白山菊理姫様、大物主様、大年神様など、色々でした・・・。

ちなみに神仏習合が華やかりし頃の後陽成天皇筆とされる稲荷社本地名号には、稲荷和讃と同じく田中社本地仏・不動明王となっています・・。

しかしながら、こうした不明さをいまだに残し、ミックスを平気でやって来たと云う事実が、伏見稲荷が密教(経典に基づく限りは答え・次第は基本的に一つです)ではなく、修験道・神道(正確には神仏習合系神道)畑の聖地だと分かりますよね('-^*)/。

だからこそ、古来から稲荷関連の祝詞や経典、次第が各種有るわけです・・。
まさに日本版の混沌魔術です・・。

さて、余談・前回書き忘れた事ですが、東京は赤坂の豊川稲荷の信者・参拝者にキムタクがいます。
では、今回はここまでです。何かの役に立ってば幸いです。
(閲覧頂きまして方々には、)全ての良き事が雪崩の如く起きますように・・・。

皇悠より。

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2009年6月17日 (水)

金毘羅大権現様 その7

御覧頂きまして、有難うございます。

どうも、皇悠です。今回は金毘羅大権現様の紹介シリーズのおまけです。

さて、現在の四国内の多くの霊場は、往古に比べてその開基から現代にいたる歴史の中で、その大半の寺院・神社などの多くは廃寺・衰退に近い状態に追い込まれている事が多いです。

そして、その要因の一つは、戦国時代の特に天正年間(1573~92)における長宗我部元親の四国統一による多くの武将の氏神・鎮守・崇敬社の経済的パトロン(檀那)の損失と秀吉の四国攻め・兵火による焼失。そして二つ目は、明治初年の廃仏毀釈による荒廃ですが・・・。

しかし、そのような歴史を物ともせずに香川県琴平町に鎮座する金刀比羅宮、大変な賑わい・盛況を呈しています・・・。

さて、現在金刀比羅宮がある象頭山には、もともと真言宗の松尾寺があり、その守護神(鎮守)の一つとして金毘羅神が祀られていたのは以前書きましたが、実はその由来は今まで書きませんでいたが別の伝があります。

それは大宝年間(701~04)に役行者こと修験道の伝説的開祖の小角(神変大菩薩)が象頭山に登って祈念をしていた際に、岩窟が震動し「我は天竺毘比羅山に住し、常に仏法を守護したりし金毘羅神なり、汝この山を開きて仏法を広むべし。我も亦守護せん」との声をあげ、そのお告げに従い、開山したのが松尾寺の起源であると、当寺の略縁起に述べられている伝があるのです。

そして、功徳・験が広く世の中に広まり、後に空海が渡唐に際して修行の安全を祈り、風波の難をのがれられた事から、帰朝後に山号を奉り真言宗の道場と定め、松尾寺と称したとされるのです。すごいですねぇ・・・。

その為か修験道の特に天狗信仰と関連を深め、終には飯縄権現様の表白・祭文・次第である『飯縄講式』では妙善月光と金毘羅夜叉神との間にできた十八の王子の内で、出家せずに俗に留まった十王子の内の第三番目が飯縄智羅天狗で、これが飯縄山の飯縄明神であるとも語ってしまいます。

また昔日の讃岐の金毘羅宮のお札には「飯綱末代火伏」と横書きしたモノもあり、金毘羅宮と天狗信仰(飯縄信仰)のこういう風に習合・関連性の高さを伺わせますね。

また、飯縄権現様の代表的聖地の東京は高尾山薬王院でも山内に金毘羅大権現様を御祀りしていますし・・・。また、別に高尾山の近くにも近年ある行者が感得し創立された金毘羅様の寺社があります・・・。

意外に金毘羅様の信仰が広く多くの分野に影響を与えつつ受けているのが判りまして面白いですよね。

では、今回はここまでです。

閲覧いただいた方のご多幸と全ての良き事が雪崩の如く起きますように・・・。

皇悠より。

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2009年6月 1日 (月)

金毘羅大権現様 その6

御覧頂きまして有り難うございます。

どうも、皇悠です。
さて、今回は金毘羅大権現様と習合した神仏が何故にして習合されたのかの皇悠による拙い解析です。

まずは、毘沙門天様の場合はお二方とも御釈迦様に対して守った・侍ったなどの深い繋がりがあり、北の神で、多くの夜叉を部下とする上位の夜叉王で、男の武将形態かつ名前が似ていた、更に財宝や商売・富の神様とも考えられた為でしょうか?

午頭天王の場合は両方ともに国々を回った渡来神でかつ海に関わりがあり、薬師如来の化身・部下でインドの祇園舎の守護神であるとされたなどからで、新羅明神の場合は大物主と同じく海上に出現した由来不明ながらも仏教の守護神の為でしょうね?

思いますに「元々、金毘羅大権現様は神道の神様のような生まれ・由来に誰が・どのような方々が連れてきて祀り始めたのか、どのような経緯で讃岐に来られたか不明な為にこのような習合が成されたのでは?」と皇悠は考えています。

つまり、実はこれこれこういう神様だから、大丈夫と云う事ですかね!?

個人的には、箸蔵寺のパクリ・真似説もありな気もしますが・・!?

これは以前に金剛畏怖の記事だったかな?に書いた気もしますが多くの信仰を集める為に改宗者が以前に信仰していた神様の力を奪う・御神徳を内包していった経緯も勿論、ありえます・・ね!?

さて、少しグダグダになりましたが、今回はここまでです。
では、いつものです。
閲覧頂いた方に全ての良き事が雪崩の如く起きますように・・・。

皇悠でした。

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2009年5月31日 (日)

金毘羅大権現様 その5

御覧頂きまして有難うございます。

どうも、皇悠です。
さて、今回は金毘羅大権現様の東京の聖地、虎ノ門金刀比羅宮の紹介です。

この神社は旧称を虎ノ門金毘羅大権現事比羅神社と言いまして、元来は万治3(1660)年に芝・三田にあった讃岐丸亀藩の江戸大名屋敷の鬼門除けに勧請されたのが、延宝7(1679)年に同地へ、そして明治4年に独立・府社へなったモノです。

さて、この一屋敷神が後に東国名社の一つになったのは、江戸時代の金毘羅大権現様への流行で庶民の嘆願に応えて縁日10日に開放した事が縁らしいですね。
なお、本殿の祭神は大物主神・崇徳天皇のお二方です。

御神徳は五穀豊饒、豊漁満帆、海陸安穏、万民太平です。

また、同神社では
金毘羅大権現様は八百万の神様の中で運を司っている神様としてます。
更に自戒し慎む者は天・地・人の運が開くと教え、
金毘羅大権現様は一切貧窮無福の人に大福徳を与え、家内に崇敬すれば八万四千の福徳神を遣わす神様と説きます。
因みに福徳の具体例は悪人には善心、短命者には延命、愚者には知恵、病人には良薬などです。

なお毎月1日に朔月祭、10日に月次祭(金毘羅大権現様の縁日でもありますからか里神楽をやる事もあるらしいですね)、更に20日と9日にもお祭りをやっているそうです。
御朱印は巫女さんが書いてくれたりします。(初穂料はお気持ちとの事ですが、定番で三百円位はだしましょうね!)

境内の摂社は産日社(御神得は縁結びと殖産興業)、喜代住稲荷社(御神得は五穀豊饒と商売繁盛)があります。

ただ、この神社は桂の大木?はありますがあまり境内に木が無く、石畳と二つの手水場と噴水というか湧き水の池?そして神楽殿以外は高層のオフィスビルの一階の社務所に野外喫煙所、缶ジュースの自販機が露骨にありますかなり近代化した神社でして好き嫌いが分かれそう神社です。しかし、さりげなくお百度石や鳥居に四聖獣があったりします。

しかし、藩主が江戸に鬼門除けで祀ったモノが、江戸城の裏鬼門に大名屋敷ごと移転されたのは面白いですね?!

では、今回はここまでです。何かの役に立てば幸いです。

閲覧頂いた方に全ての良き事が雪崩の如く起きますように・・・。

皇悠より。

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2009年5月29日 (金)

金毘羅大権現様 その4

御覧頂きまして有難うございます。

どうも、皇悠です。
さて、今回は金刀比羅宮の実質的な由来について私的考察です。
つまり、今回は仮定の試論です。

さて、現代の金刀比羅宮が実は真言宗の寺院だった事は以前記述してますが、ここで一つ疑問点がでて来ます。

つまり、「何故にして鎮守に金毘羅大権現様を祀ったのか?」という事です。

当時の金刀比羅宮は金毘羅大権現様と関連がある十一面観音とも御釈迦様とも本尊は言われてますが、だからといって金毘羅大権現様でなければいけない理由は無いですよね!?

他の寺院のように真言宗の看板のお不動さんに、よくあるお稲荷様でも、神道系の地元の神様でも良かった訳です。

で、ここでそのヒントに成るのが、同じ宗派でこんぴら奥の院を謳う箸蔵寺です。

さて、このお寺さんは天長5(西暦828)年に弘法大師が創建したと言います古刹(現在は真言宗御室派)で、実は弘法大師が感得し自作の金毘羅大権現様がありまして、しかもよくある大日でも不動でも薬師に観音でも無く天部のその金毘羅大権現様を本尊にしていますお寺さんです!つまり、地元の真言宗関係者ならよく知り得た訳です、金毘羅大権現様を・・・。。

更に、金刀比羅宮と箸蔵寺が今なら車で1~2時間、往時でも徒歩1日圏内に在るそうで、知り得た可能性がまた高まりますよね?!

しかも、ここの金毘羅大権現様は「お箸を挙げれる人なら全て救うよ~」と阿弥陀様以上に気前よく助けると約束したそうですから、金毘羅大権現様について法を知らない方でもお力添えを願える訳で・・・・。
(しかし、ほとんど誰でもOKって事ですから、凄いですよね。)

更に、金刀比較羅宮の最初はある僧の隠居先として始まったという説があり、つまりその方はどちらかに長く修行・奉職した後に金刀比較羅宮の元を開いた訳ですから、じゃあ、その修行・奉職先に箸蔵寺があった可能性が十分ありえます。
だからこそ、こんぴら奥の院と呼ばれる気がしますが・・・、どうでしょうか?
では、今回はここまでです。

それでは、閲覧頂いた方に全ての良き事が雪崩の如く起きますように・・・。

皇悠、合掌。

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2009年5月28日 (木)

金毘羅大権現様 その3

御覧頂きまして有難うございます。

どうも、皇悠です。
さて、今回は金毘羅大権現様のもう一方の主役・崇徳院様の紹介です。

さてさて、この方はググって頂きますと分かりますが日本有数、もしかしたら最大最強の大天狗・御霊・祟り神になった方です。

太平記などでは戦乱だの飢餓だのを起こし、天皇家をどんどん衰退させたと記述してますし、日本国憲法を読みますと分かりますが今の民主主義を遂にはもたらしました方とも考えられます、ある意味では庶民の味方です。

更に、京の都を二度も焼き、天狗から御霊まで様々な魔の支配者にもなりました大魔神ですね。(皇悠が考えますに、これは自作の素晴らしい法華・華厳・涅槃・大集・大品般若と言った日本仏教の大聖典の功徳をよりにも魔道の衆に与えたからだと思います・・ね)

そして日本最大の祭祀者達(歴代の天皇家に王城鎮護を謳う天台宗とか鎮護国家の真言宗とか)が勝てなかった方です。実に長々と戦乱を抑え切れず、京の都を散々衰微させ、挙げ句にどこの馬の骨とも言えない豊臣秀吉が天下統一するまで何も出来なかったですから・・・。

(因みに、あの太平洋戦争時も散々宗門を上げて祈祷したのに負けましたから、よくも未だに伝来の鎮護だの護国の教えだのと謳う彼らの嘘つきさ、恥知らずさはある意味で立派かもしれないですね。閑話休題)

さて、そんな恐ろしい方ですが、実は庇護者としては素晴らしく、ある武将を大名格にしたり(だから細川氏の守護神とされています)、ある皇族を天皇にしたりしてますね。

(因みに崇徳院様の話でよく出ます西行は実は名族の末ではなくてその分家の分家・ある意味ではカスの血統です。)

また、金毘羅大権現様と天狗信仰を考える際に見逃せないのは、金毘羅大権現様を祭祀しておりました戦国時代の別当が神体を守る為に天狗になったと言う伝承もあります。

さて、現在の崇徳院様は悪縁を絶ち良縁を与える神様として信仰を集めています。(ある小説では絶ちモノの神様扱いでした・・・。)

多分、好き嫌いが別れるとは思いますが今回の記事で崇徳院様への興味を持って頂けたら幸いです。

では、閲覧頂いた方には全ての良き事が雪崩の如く起きますように・・。

新米金毘羅大権現様信仰者、本日も雨の中参拝さして頂きました皇悠より。

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2009年5月27日 (水)

金毘羅大権現様 その2

御覧頂きまして有難うございます。

どうも、皇悠です。
さて、今回は前回に書き足り無い分の補足・説明です!

前回はこの国における金毘羅大権現様信仰(の本拠地)の歴史をメインに記述しましたが、今回は金毘羅大権現様の仏教面で記述します。

さて、金毘羅大権現様は仏教的には薬師如来様の部下・十二神将の筆頭・宮毘羅(持物は太刀、象徴色は黄色、種字はユ、本地は弥勒菩薩、滅罪・成仏の功徳もあるとか・・)とされてますが(薬師本願経など)、他に般若経守護の十六善神や千手観音様の二十八部衆の一員だったりします。(どんだけ頼られ参加しているのでしょうね・・?)

因みに、その部下には七千とも六万七千の夜叉がいるともされてます。

更に十二支の内では平安時代は亥でしたが、室町時代以降は始まりの子を司るとされ、十二支で表された全ての年・月・方位の支配者達の長とも目されるようになりました。

漢語上ではコウ(虫ヘンに交わる)竜とされ、魚身に竜尾で宝珠を持つとされています。

なお、金毘羅様を祀る山に象頭山とよく付けるのは、梵名クンビーラの宮殿がある山の名がそうだからですね。

また、前回記述しませんでしたが水の神として火難避けや、風を支配し嵐を鎮め起こす方としての信仰もあり、信仰の本拠地の金刀比羅宮自体が真言宗(善通寺系)の住職が開山した為か金毘羅大権現様は真言宗系の寺院にも大日如来や不動明王を押しのけて、時に本尊として祀られていたりします・・!
更に、御釈迦様を救い助けた幾つかの故事により御釈迦様を教主とする禅宗系の寺院にも鎮守として祀られていたりします。

また、薬師如来様を祀る寺院にも付属扱いで祀る場合が多々あります。

因みに個人的に中世以降の日本が薬師如来様の浄土への(ちょうど、日本はインドから見ても東の外れと言う所から)同一視観の広がりで日本の守護神に金毘羅大権現様が加わりその信仰が加速した気がします。

因みに御真言は、
宮毘羅様ーオン クビラヤ ソワカ
金毘羅大権現様ーオンヒラヒラ(ピラピラ) コンピラコウテイ ソワカ

他に宝号に「南無金毘羅大権現」があります。

さて、とりあえず今回はここまでです。何かのお役に立てば幸いです。

では、閲覧した方には全ての良き事が雪崩の如く起きますように・・。

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2009年5月26日 (火)

金毘羅大権現様

御覧頂きまして、有難うございます。

どうも、皇悠です。

さて、やっと行・祈願・慣らし運転が終わりましたので、今回はお付き合い頂いた金毘羅大権現様を、皇悠が新たに(嫌々ながらですが・・・)メインの祭神・本尊としてお稲荷様を押しのけて御祀りする事になりました御方の本朝での歴史の紹介です。

(何故にして皇悠がこの方を御祭りしなければならないのかなどの経緯は今度にでも書きます。)

まず、一般的には金毘羅大権現(こんぴらだいごんげん)様は海上交通の守り神として「こんぴらさん」の愛称で親しまれています。

元々はヒンドゥー教のガンジス川の神クンビーラ (Kum-bhira) とされ、ガンジス川に生息するワニを神格化したモノとされ、竜神の一種ともされ、主に仏教では薬師如来に従う十二神将のひとり宮毘羅 (くびら) 大将を示しますね。

またクンビーラは、同じくガンジス川を司るガンガー女神の乗り物(船)だったため、船、航海の守り神としても信仰されており、神仏習合によって弥勒菩薩(他に十一面観音菩薩など諸説ありますが・・・)の垂迹神として金毘羅大権現が成立したともされています。

その姿は基本的にはインド・中国・日本の仏教が伝来した三国の衣裳(基本は武将形ですが)と装身具を身につけ、眷属として大小の天狗尊を従えています。

持つ物はよくあるモノで、右手に握る剣は知恵を表し、一切の煩悩・執着・迷いを断する誓願を示し、左手に持つ宝珠は正しい信仰者の苦しみを除き、あらゆる祈願の成就を表していますとされます。

ただし、修験道系では、大天狗形や神道系の御幣を持つ壮年の神職形の本尊もあります。  

ちなみに金毘羅大権現様は琴平山(象頭山)の中腹に鎮まりまして、「玉藻集(たまもしゅう)」(小西可春編・延宝5年<1677年>)や、「讃州府志(さんしゅうふし)」 (菊池武賢編・延享2年<1745年>)などには、それぞれ「この山の鎮座已(すで)に三千年に向(ちか)づく」とあります。

さて、現在は金毘羅大権現様こと金刀比羅神社・琴平神社の総本社である金刀比羅宮の祭神は大物主命様(なお、大物主神様は天照大御神(あまてらすおおみかみ)の弟、建速素盞嗚命(たけはやすさのおのみこと)様の子孫で、大国主神の和魂神(にぎみたまのかみ)とされ農業殖産、漁業航海、医薬、技芸など広汎な神徳を持つ神様)、

並びに崇徳上皇様(なお、この方は永万元年(1165)に琴平神社の相殿に合祀されました。)としますが、これは近世の平田派の神道教学の捏造・押し付けでした。

それは、『金毘羅大権現は大物主命が象頭山に行宮を営んだ跡を祭った琴平神社(古伝によれば、大物主神は、瀬戸内海の海水が深く湾入し、潮が常に山麓を洗う、湾奥に横たわる良き碇泊所であったこの琴平山に行宮を営まれ、表日本経営の本拠地と定めて、中国、四国、九州の統治をされたといわれています)から始まり、中世以降に薬師如来の眷属の金毘羅・宮毘羅大将と習合して金毘羅大権現と称したとするモノ・学説』で・・・。

しかし、元来は金毘羅・金毘羅様自体はインドの土着の神・鎮守神で仏教の伝来時に、仏法の守護神の一尊として祀られ伝えられてきたモノです。

また、古伝によると金毘羅大権現様は『金光明最勝王経に此の神名がありともいわれ、最勝王経流布の国を守護し説法者を擁護し給はんとの本誓也。

又一説に天竺に象頭山金毘羅神の居所ありと。又曰く釈尊出世の時、仏法を守護の為にとて天竺に出現し給ふ。則ち修多羅、所謂耆闍窟山の金毘羅神是なり。

釈尊入滅の後、舎利を分けて此の地へ渡り給ふと。又説に三輪明神、清滝権現、新羅明神、同神の異名なりとも。

或は素盞鳴尊にして三国流転して仏法を守護し給ふ。震旦には武塔天神、牛頭天王と号し、天竺にては摩訶羅神という。

雲石阿闍梨の曰く、我聞く大物主命、天竺にゆきまして彼の土にて金毘羅といひしとかや。伝教大師が神域に通じ、金毘羅三輪一体と釈し給ふことあり。

経の中に演ぶるに釈尊に提婆大磐石を投げし時、神手をさゝへ給ふは此の神なり。即ち祇園精舎の鎮守とし給ふものなりと。尚権現の霊験奇怪は言語の及ぶ所にあらず。権現の御神躰は本社の上の方に巌窟あり、其の中にまします由。 』とも伝えられています。

さて、上記の古伝の本地堂記事などによれば、松尾寺本地堂本尊はまた不動明王であったとも推察されます。

つまりは金毘羅大権現は要するに、諸説紛々・支離滅裂・詳細不詳でよく分からないということを云っているだけで・・・。

また、本地が釈迦如来というのは松尾寺本尊が釈迦如来であったことに拠るものと推測されますが・・・・。

そして、このような由来は不明ながらも絶大な験と加護を持つお方なので讃岐松尾寺の鎮守神の金毘羅様は流行神仏の一つとして多くの信仰を戦国時代頃から集め始め、更には金毘羅大権現と称し全国に勧進されていきました。

よって、日本の所謂「神」とは何の関係も特になく、また金毘羅大権現が神社とされる謂れもあまりないはずですが・・・。

さて、金毘羅大権現の現存する確実な最古の史料として以下があります。
元亀4年(1573)「金毘羅宝殿棟札」(本宮再営棟札):

(表)上棟象頭山松尾寺金毘羅王赤如神御宝殿 当寺別当金光院権僧都宥雅造営焉 于時元亀四年11月27日記之
(裏)金毘羅堂建立本尊鎮座法楽庭儀曼荼羅供師高野山金剛三昧院権大僧都法印良昌勤之

※なお、この時(元亀4年)には確実に金毘羅堂が造営、金毘羅が祀られたものと解釈されています。

さて、金毘羅様が大々的に全国展開しましたのは、太閤こと秀吉の朝鮮出兵頃からで、大漁を与え海難を避ける海・水の神として漁師・船乗りに知られ、更にまた雨乞いを叶え豊作を与える神(農業神)として農民達の信仰も集め、それが象頭山(海からの航海時の目安となる山)への「御山信仰」ととも結びついて、

終には海難を始めとして全ての厄除け・殖産興業・大漁/豊穣の神として本尊の釈迦如来を凌いで信仰を大いに集めていきました。

そして、江戸中期以降には江戸を始め全国に金毘羅講が組織され、金毘羅参りが大流行。

その一方で、支配層である長宗我部氏、生駒氏(高松)、松平氏(高松)などの四国近隣の大名からも庇護を受け、多くの堂宇が建立されます。
 長宗我部氏:三十番神堂修復、仁王門(現賢木門)建立、
 生駒氏:三十番神堂修復、鐘楼など寄進、
 松平氏:三十番神堂修復、大門新築、木馬舎寄進、本社・経蔵・阿弥陀堂など造営。

そして、近世以来は神威・信仰は益々著しくなり、江戸時代中頃の桃園天皇の御字(みよ)宝暦3年(1753)12月、勅願所とすることが仰せ出される。

同10年5月、日本一社の綸旨を賜わり、明治初年に至るまで、毎年春秋の2回、禁中より御撫物(おなでもの)が当宮別当に下賜され宝祚悠久(ほうそゆうきゅう)を祈願されるようになりました。

さて、何度も記述しますが元来の金毘羅神は仏教の伝来とともに 仏教を守護する神仏として入ってきた天部の諸尊の一人であり、日本の所謂「神」とは何の関係も無いものであったのですが、大権現あるいは金毘羅神などと称したために、結果として明治維新の神仏分離の標的にされ、現在の形になります。

まず、明治元年の神仏分離令の発令当時の金毘羅大権現の別当(担当住職or祭祀責任者)は松尾寺金光院の法印宥常と言う方でした。

まず、明治元年3月神仏分離令が執行されます。
同4月に宥常の政府への上申書で:大権現は天竺より飛来、仏法を守護・・・・趣旨は日本古来の神ではないという事でした。
しかし、同5月宥常の嘆願書では:豹変して、大権現は大国主尊(大物主神)と同体であると認めます。
同6月宥常の届け出:松尾寺の堂宇を改廃する。大権現の建物すべてを社殿に改めたと申告。

そして、現在の名称の基の琴平神社と改称。

同6月宥常の復飾改名:金光院を琴陵宥常と改名し、復飾。寺中の僧侶に復飾もしくは退去を命ず。寺中の内、万福院は退身して復飾、神護院は復飾して社人に、真光院は当時欠員、普門院および尊勝院は復飾および神社化に強く反対したと伝えらてます。
  ※普門院は旧地を離れ、松尾寺として現在もなんとか存続してます。

同7月に宥常は完全に軍門に下りまして平田門下へ、大宮司補任を願います。

そして同7月に金刀比羅宮と改称。(現在の名称です)。同8月宥常は社務職に補任。

明治4年に更に事比羅宮に改称。
明治5年裏谷で諸堂の仏像を焼く(観音堂本尊十一面観音、護摩堂本尊不動明王は何とか免れたそうですが・・・)。

明治16年再び金刀比羅宮に名称を変更。
明治19年宥常、宮司に就任。そして、今に繋がります。

時代性を感じさせる話ですね。

ちなみに、金毘羅信仰には実際に参拝出来ない方用の酒樽を海などに流して参詣の意を表す金毘羅樽や犬の代参の風習も見られ、奇異な霊験談も多くあります。

また、あまり知られていませんが般若経典の守護者の十六善神の一人でもあります。

更に薬師如来の眷属の『宮毘羅大将(くびら)』 としては太刀を持つ十二神将形で子の神です。薬師如来の十二願の内で は<第十二願>の『美衣満足、 満足する衣類を得て健全な精神を宿らせる』を司るそうですね。

では、今回はここまでです。

ではいつモノです。

(閲覧頂いている方に)全ての良き事が雪崩の如く起きますように・・・。

そんな訳で、旧稲荷信仰者・現/新米金毘羅信仰者へクラスチェンジしました皇悠及び当ブログを、何卒宜しくお願いいたします・・・。

 

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2009年1月12日 (月)

瓢箪山稲荷大神

御覧頂きましてありがとうございます。

どうも、お久しぶりですね、皇悠です。さて、今回は以前お伺いしたお宅で珍しいお稲荷様に会いましたので、それについてご紹介がてら、つらつら書きます。

さて、そこのお宅で御祭りされていたお稲荷様は瓢山稲生大神(ひょうたんいなり)様でした、現在では瓢箪山稲荷大神(ひょうたんやまいなり)とも呼ばれています方です。この方は東大阪の瓢箪山に鎮座されている独立稲荷系の神様で、辻占の総本社といわれる古社の祭神です。

ちなみに辻占とは辻(交叉点)に立って、通りすがりの人々が話す言葉の内容などを元に占うモノです。この辻占は万葉集などの古典にも登場しています。

さて、この神社は生駒山系の麓に点在する「山畑古墳群」の中でも最大かつ最古とされる、南北50メートルで1500年前の双円墳がちょうど瓢箪の形に見えるところから「瓢箪山」の名が付いたそうです。そして、位置的にはその上に建っているのが瓢箪山稲荷神社です。

由来的には、豊臣秀吉が大阪築城の際、多分伏見稲荷様から鎮護神として招来したモノでしょう。さて、この瓢箪山稲荷神社はいわゆるひさご山の地で鎮り坐す保食大神(ウケチモノオカミ)様の御名で、最も広く世人に親しまれて居られます。なお、同境内の摂社に天照大神や月読様などもおられます。

御神徳は農工商業、産業の開発をはじめ、開運招福、神占、治病等のあらゆる生活の守護神であらせられます。この辺は、ごく普通のお稲荷様の御神徳ですね。

ただ、この瓢箪山稲荷の名を全国に高めたのが、江戸時代の河内名所図絵にも出てくる「辻占」です。これは平安時代から伝わる占いでして、往古は夕方、辻(道の交差点など)に立って道ゆく人の言葉等を聞いて自分の運命を占うモノです、古くは「夕占(ゆうけ)」とも呼ばれていました。これはまた、若い娘たちが恋人の訪れを待ちわびて占ったものだとも言いますね。

さて、現在でも瓢箪山稲荷でこの占いは行われているそうで、やり方はこんな感じです。辻占はまず、おみくじで1~3の数字を出して、番号ごとに鳥居の前に立って、例えば御籤で2が出れば2番目に通った人の姿などを記録します。そして、その内容を社務所へ伝えると宮司さんが宮司家に代々伝わる口伝をもとに神意を伺うというものだそうです。(個人的には実際にはこの占術を知りませんし、体験していないので詳しくは残念ながらもよくわかりませんが・・・)

しかし、世の中には、こういう珍しい祭式・術を保持している稲荷神社もあるんですね。

さて、今回はここまでです。楽しんで頂きまして、何かの参考になれば幸いです。

では、貴方に全ての良き事が雪崩の如く起きますように・・。

皇悠、拝礼。

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2008年12月 4日 (木)

御稲荷様と欲望 多分最終投稿

御覧頂きましてありがとうございます。

どうも、皇悠です。さて、今回はこのブログらしく御稲荷様と欲望について記述します。

さて、皆様の町の小さな祠でも御稲荷様は、正一位稲荷大明神の派手派手の赤い幡を立てているのを見かけることはあると思いますが・・・。以前ちょろっと書きましたが、梅原猛氏によると、827年淳和天皇の御代に、空海が東寺を建てる為に、約24本の巨木を東山の稲荷山と思しき山から切り出した。するとどういう訳か淳和帝が病気になったそうです。

さて、当時の慣例・常識に則りまして天皇はすぐに49人の僧を召して17日間薬師の修法を行なったそうですが、験なく快癒しなかったそうです。そこで、稲荷社にお伺いを立てたところ、東寺を建てる為に稲荷社の木を伐採した祟りであるとのご託宣を得たそうです。つまり、薬師如来より御稲荷様の方が強かった訳ですね。

そこで、後に右大臣にまで昇る従七位下の大中臣雄良を稲荷社に遣わして、稲荷大明神に従五位下の神階を授けたところ、たちまち天皇は快癒されたそうです。

これを教訓としたせいか、空海さんはこの来歴のよくわからない古い神を東寺の鎮守神として取り込んで祀ったらしいですね。

それから約千年以上たった現在では、神社本庁所属の約8万の神社中4万余りが八幡社であり、次いで3万社が稲荷社で、御稲荷様は隠然たる尊崇を勝ち取り続けています。

さて、この御稲荷様は、今では日本最高峰の神社『伊勢神宮』の祭神の豊受大神と同じとされ、動物系では(ホワイト)フォックス系の堂々たる現世利益の大神です。

ただ、本人の一番深いところの本当の願望が判らない・迷いがちな現代人にとって軽々しくこのような善悪の色のつけずらい神を呼び出し、帰依する事は、大概は都合の良い願望を成就させる事に利用しようと祈り、動く事になる訳で危険ではありますが、それこそが人らしさで個人的には好きです。

自滅すると理解してても時に喜んで行うのはある意味、とても美しく尊い人の性ですからね・・・。

また、その結果は、自分勝手な自分を失くす方向ではなく、この現実社会の中で勝手気ままな性質を肥大化させる方向の動きと成り易い場合もありますが、この現代という時代のメイン・ストリームである利己主義・拡大消費主義ではある意味それも正義ですよね。

我儘な欲で自滅しようとそれはそれ、その人の人生です。所属する集団に害を加えない限りは、個人の愚行する権利を認めるのが自由主義・民主主義ですから・・・。

さて、今回はここまでです。楽しんでいただければ幸いです。

では、書き溜めた分も含め今日だけで16ヶ投稿しましたので、これで最後になると思いますが、長々と当ブログを閲覧&ご愛顧頂きましてありがとうございます。

貴方に全ての良き事が雪崩の如く起きますように・・。

皇悠、拝礼。

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2008年11月29日 (土)

深砂大王様or深砂大将様について その2

御覧頂きまして、ありがとうございます。

どうも、皇悠です。

さて、今回は前回書き忘れました、深砂大王様の補足です。

まず、この方には基本的には由来の場所が砂漠・荒地ながらも竜神・水神の一種と考えられいます。

なお、この方には三人の眷属が存在してましてこの眷属(変化神とも言われますが・・・)を得た暁には、水害・火害・兵害の三害と飲食・睡眠・淫欲の三欲を浄化・滅し、更に意のままに天部・夜叉・鬼神の類を使役し成仏させれると伝えられています。

また、仏門では珍しくその由来から求法者・旅人の守護神であり、般若経及び法華経の守護神です。

更に、鬼神・竜神の類ながら信仰する者の煩悩を絶ち悟境に導き、悪業や濯ぎ、あらゆる魔事・外道・凶事・悪人を滅ぼし除くとされています。

なかなか、頼もしい尊格ですよね。

さて、今回はここまでです。参考になれば幸いです。

では、貴方に全ての良き事が雪崩の如く起きますように・・。

皇悠より・・・。

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深砂大王様or深砂大将様について

御覧頂きまして、ありがとうございます。

どうも、皇悠です。

さて、今回は『深砂大王』とも『深砂大将』とも言われます方についてです。

さて、この方はそれなりに有名な話ですのでご存知の方がおられるかもしれませんが、玄奘三蔵が身命を投げ打って(前世から数えて七回目の)天竺に向かう求法の旅の途上、砂漠の砂嵐に巻き込まれて絶命しかかった時、突如出現されて救出されたのが、この深砂大王様です。

このお話は、大般若経の経典請来/護持の霊験譚として、長く伝承されているモノです。その為に般若経守護の十六善神の筆頭に描かれる護法神は、この深砂大王様ですが、それにはこのような故事来歴がある為です。

また、西遊記の沙悟浄はこの尊がモデルと言われています。

また、三蔵様のそれまでの過去生における計六回の旅では、深砂大王様がその都度、障碍神として現れ、取り殺して妨害しました。それでもなお、仏法の真理を得ようと命を賭ける玄奘三蔵の至誠を、嚝野鬼神/深砂大王は最後に納受されたと言われます。

この深砂大王様は、お腹に嬰児の顔をお持ちですが、この嬰児が、修行する者の因業を洗いざらい語るともいわれます。そして、玄奘三蔵の伝と合わせて考えれば、修行者の懈怠を許さず、ウソをつくことを許さずの誓願を象徴するモノであり、『修行者はこの尊に限らず、どんな時も厳粛な気持ちで拝むことをしなくてはならない』と言う事だと思います。

さて、私の知っている限り真言は、
「ナモラニナ・タラヤヤ・マモアリヤバリョキティ・タニヤタ・ジャエイジャエイ・ジャヤ・バケイニジャユタリ・カラカラ・バラバラ・シャラキダ・サバキャラダニ・メイバチソワカ 」と「オン・アフル・アフル・サラサラ・ソワカ」の二つです。

また、普通にお祈りする時に、『表白』という文章を読みますよね。この表白とは、拝む仏さまの来歴を簡潔に記したモノです。これを読み上げることで、行者自身だけでなく、随喜する参拝信徒一同も、これから一緒になって祈る本尊さまに思いを巡らし、信仰を深める大切な銘記と致します。

さて、室町時代後期、15世紀から16世紀前半にかけて、印融大徳という学僧が、今の横浜市北部から川崎北部一帯を中心にして活動されました。この大徳の手になる『諸尊表白集』は、今ある真言宗派の表白文スタイル(慎み敬って真言教主大日…で始まり、乃至法界平等利益…で了る)の原型を成すモノとされています。この表白集の中に深沙大将の項がありまして、ここではたしか『深沙大将=太仙秦君=閻魔大王』の習合に触れていたと思います。

また、実は『央沓摩羅』(おうくつまら)という別なる呼び名を、この深砂大王様がお持ちで、この央沓摩羅とは、釈尊の弟子たちの中にいたアングリマーラの事です。

さて、原始経典(長老偈・中部経など)に記された殺人鬼/アングリマーラの伝説は以下の通りです。

彼は殺人鬼で瓔珞として、花輪(マーラ)の如く首にかける“殺めた人間の指”(アングリ)を繋いだ首飾りをつけていましたのでアングリマーラと呼ばれていました。ある日、襲撃を企てた釈尊その人から説諭を受け、脳天に一撃を受けたような衝撃を受けて仏弟子となる決心をしたと言う人物です。

『尊い方よ、止まれ!』
『私は止まっている』
『いいや、止まっていないではないか!』
『私は心の動きを静止しているから、乱されることがない。だから止まっていると言っている』

この時、二人は信じられないくらいのスピードで移動した―――、仏伝はそのように記しています。駿足で鳴らすアングリマーラが追いつけないくらいのスピード。釈尊はその強靭な神通力を発揮することで、かねてから伝え聞いていた“殺人鬼の待つ村”に出向き、そして彼に“尊き教え”示したのでした。猛烈な移動スピードで移動する“聖者”。『これがかの仏陀釈尊か…』、『私は止まっている』とは…(!)。

ある日…。仏弟子となったアングリマーラが托鉢した先では、石礫と棒切れ、そして拳骨による歓迎が待っていました。かつて酷い目に遭わされた人から、衣をボロボロに引き裂かれ、殴打された体からは血をダラダラ流して、悄然として精舎に帰ってきて立ちすくむバラモン/アングリマーラ。

その姿を目に留めた釈尊は、『バラモンよ、汝は今、ひたすら耐えねばならぬ。その犯した悪業悪果の為に地獄で受けるであろう責め苦の数々を、今生において一身に受けているのである』『雲間に覆われた月の光が、やがて顔を出して静かに天空を照らすように、善なる道に向かう者の心とは、かくあるべし』と、静かに諭しました。

先に玄奘三蔵を深砂大王は“取り殺した”と記しましたが、その為、深砂大王様は、修行者の生殺与奪すらあずかる尊格として、見做されます。『懈怠/増上慢の修行者には妥協ナシだ』ということでしょうか・・・。

深砂大王とは即ち、釈尊のサンガにて修行を許され、石礫/棒切れ、拳骨で殴打されボロボロになった“元殺人鬼”。改心したものの、まさに血反吐を吐くような凄まじい形相で(自らの宿業に)耐え忍ぶバラモンであり、最後に天空を静かに照らす月光の如き、全く清浄な輝きを得たその人なのですね。


ちなみに、この方の聖地は東京都の深大寺(深沙堂)です。ここはその由来から『恋愛成就』の利益があります。お寺の開創/満功上人の縁起からそのように伝承されており、実際若い女性の間で(密かな)人気があるようですね・・・。他に日光山輪王寺、金剛峯寺や横蔵寺猿賀神社(青森県平川市)などがあります。

さて、この方の本邦への請来は小栗栖/常暁(じょうぎょう)阿闍梨<空海の後、入唐して大元帥法を請来した方>の伝によれば、『深沙大将は毘沙門天の夜の姿である』とあります。さて、毘沙門天様も深沙大王様も、どちらも仏法擁護の神さまでありますが、その意味では、深沙大将として姿をとる場合は、『実類の性格を濃厚に残した仏天』とも言えます。

それ故、この方は“秘仏”だとも思っております。実際、深大寺のご住職/T大僧正のご本を拝見したことがありますが、『一度だけ拝観を許された』と記されていました。『もう目が潰れてもいいから…』と思って、『もう決死の覚悟でした』とあったとも記憶します。
さて、一般に天部には、権類と実類の二つの顔があり、前者は、密壇にて供養礼拝を受ける対象として拝むことになっています。後者は供養致しますが、その場合は、(鬼)神供という作法を通じて、別なる場所で、その滅罪得脱を祈ってあげる事を時にします。そして、その場合、毘沙門天を『権(仏が仮に表した姿の)類(グループ)』とすれば、深沙大将は『実(本来的に有する悪性の煩悩に懊悩する)類(たぐい)』として観ることだって可能でしょう。しかしながら、深沙大将が、般若経の布教に命をかけて挑んだ玄奘三蔵を救出した時点で、実類の穢れは清められて、権類としての地位を得たモノとも見る事も出来ます。さて、『魔性』というものも、密教では『一相平等無差別』と観じ、慈悲の心をもって祈るのですが、一方で天部の行法は世間の悉地を祈ることを主眼とすることから、未錬達の行者が、その密教の修法を修め行う・する事を特に戒めています。それは賞罰の厳格さを思い知る瞬間を、行者自身が願主と共に受けるような瞬間があるという意味です。また、それこそが、『成仏の誓願』を戴する仏(如来)・菩薩・明王グループと天部・垂迹・権現のグループの修法・行との間に、明確に引かれる一線と言えますね。

さりながら、密教はどこまでも性善説を信じ、つまり、仏性とはどんな命にも在るものだから、菩提心として尊ぶのだとも、『魔が善に転ずる』という地点から、さらに強く踏み込む形で、それを引っ張り上げることさえ厭わない祈りの作法が、密教/修験道の中核には、またあります。さらに、聖宝が大峯山中にて役行者の導きにより龍樹から授与されたとする当山派修験道の「恵印法流」では深砂大王を篤く信仰し行者の修めるべき加行の内の一尊として、この尊を以って罪障を浄除して正法に至らしめるとしています。

さて、今回はここまでです。参考になれば幸いです。

では、貴方に全ての良き事が雪崩の如く 起きますように・・・。

皇悠より・・・。

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2008年11月22日 (土)

カーリー女神とヨーガ

御覧頂きましてありがとうございます。

どうも、皇悠です。

さて、今回はカーリー女神です。ちなみに私の信仰するお稲荷様のインドでの主人筋とされている女神です。

さて、このカーリー(काली Kālī)女神は、インド神話の女神様。「黒き者・暗黒」とも呼ばれ、大の血と酒と殺戮を好む戦いの女神です。ヨーガの祖、シヴァの妻の一人であり、全身黒色で4本の腕を持ち、その手に血の付いた剣・縄・三叉戟などの武器や、ドクロの付いた棒・生首を持っています。眉間のチャクラを開き、牙をむき出しにした口からは長い舌を垂らし、髑髏をつないだ首飾りをつけ、切り取った手足や虎の皮を腰に巻いた姿で表される勇ましいお方です。また、カーリー・マー(黒い母)とも呼ばれ、シヴァの(正妻の)神妃パールヴァティーの化身とされ、仏教名(漢訳名)は大黒天女。

なお、このカーリーが一度暴れると誰も止める事が出来ないとも言われています。これは、この世は「生があるから死があり」「死があるから生がある」、よって何よりカーリー神の死や破壊の属性は何者も避けれず、その力は悪魔や災いから守ってもらえるとされています。また、ダキニ天と似ていまして、このカーリーには「時間」の意味を持つ「カーラ」の女性系の言葉という説がありますのでそれが彼女を全て・世界を無に帰す「時間・死」の女神・破壊神としても恐れられ、その力が魔除け・厄除けに期待される訳です。よってカーリー神は「時の女神」と「暗黒の女神」の意味を持つので、シヴァ神の暗黒面を司る嫁さんで、シャクティ(性力)としてのシヴァ神のエネルギーの元となる重要な女神とされます。あと、何故か安産の神様でもあります。

この女神の神話による由来では、女神ドゥルガーがシュムバ、ニシュムバという兄弟のアスラ(魔族)の軍と戦った時、怒りによって黒く染まった女神の額から出現し、アスラを殺戮したのがカーリー女神とされます。また、自分の流血から分身を作るアスラ、ラークビーシャとの戦いでは、流血のみならずその血液すべてを吸い尽くして倒した。そして、勝利に酔ったカーリーが踊り始めると、そのあまりの激しさに大地が粉々に砕けそうだったので、シヴァ神がその足元に横たわり、その衝撃を弱めなければならなかった。しばしば、夫シヴァ神の腹の上で踊る姿で描かれるのはこれに由来しています。また、そうして生まれた為に、カーリー神はドゥルガー神よりも残酷さや強さを凝縮した女神であるみたいですね。

さて、実は、この女神は殺戮と破壊の象徴として南インドを中心とする多くの土着の神の性質を習合して出来たモノとも解されますが、インド全体で今では信仰されポピュラーな神の一人ですが、特にベンガル地方での信仰が篤く、インドの宗教家・神秘主義者にも多くの信者がいます。以前書きましたラーマクリシュナはその中でも有名・熱心なカーリーの信奉者の一人です。

そして、カーリー女神の存在は、女神に代表される女性原理が男性原理(シヴァ)に勝っている、というインドの思考の構図を表した神話でもあります。女性原理の女性は子供を生み出す。「生」を司るが一方で すべてを「死」に至らしめる。生命を握っている女性という存在に対する畏怖の念。それがこの「恐い女神様」という信仰対象を作り出したのでしょう・・・・・・。

あと、インドには「タントリズム」という思想がありますが、その中ではカーリー女神はシヴァのシャクティー(性力)として信仰されています。そして、この派の信者・一般の人は寺院などを訪れてそれぞれの女神達へのお経を聞きながらお祈りをします。日本でなら神社や寺院で幸福を幸運を神仏にお願いに行く参拝という訳です。

しかし!この派のヨーガ行者・ヨギの場合はですね・・・・、ある種のヨギにとっては全ての神は自分の中にいるんです。ですから、”神・女神”という別の存在があるのではなく、この宇宙のエネルギーの形として存在していると考えます。だから、寺院に行かなくとも”自分という寺に参る”それが ”サーダナ”(=修行)なるという説も出てきます。

特にタントラ・ヨガではカーリー神は私たちの中のムラダラチャクラに宿る恐れを克服し・全てを変容する力であり、ラクシュミ神は私たちの中のアナハタチャクラに宿るすべてと繋がる愛と豊かさの力であり、サラスヴァティ神は私たちの中のヴィシュッダチャクラに宿る物事の本質を知る知性であるとされます。

だから、そういう考えのヨギは”内なる参拝”をします。チャクラに瞑想することによって目的の神仏の参拝をし、自分が神々の宿る”寺”だと考えるので、お寺は清潔に保ちたいので心身を鍛え清めますし、食事もお寺へのお供え物だと思えば雑には済ませません。

だからこそ、ヨーガでは日々の生活や習慣を重視し大切にします。それが生活=修行=ヨーガというインド特有の修道論に繋がります。ここら辺は他の宗教との大きな違いですね。

どこかにいる神様を信じるのではなく、すべてを備える自分を知り、それを育て生かす事。

また、ヨーガでは多くのマントラを使ったりヒンドゥ神の名前が出てきまして、宗教的な感じがするのですが、事実は完全に逆のようですね。自分に責任を持ち自分で人生を生きていけるようにするのがヨガもある訳なんですからね。この派では”神頼み”とは言い切れませんから・・・。

ま、中には「ボクだけを信じなさい」みたいな宗教じみた自称ヨガ指導者もいるかもしれませんが・・・ご注意を。

この辺の修道論は何故か日本では知られてませんが、何気に独特な体系ですね。

では、今回はここまでです。参考になれば幸いです。

では、貴方に全ての良き事が雪崩の如く起きますように・・・。

皇悠・・・拝礼。

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2008年11月 8日 (土)

天使崇拝?  大天使ハニエルまたはハナエル

何時も御覧頂きましてありがとうございます。

どうも、今日、花園神社でお礼参りの参拝をしていたら見ず知らずの兄ちゃんに何度も写真を取られた皇悠です。私なんか写真にとって楽しいのでしょうか?

さて、まずはじめに書いときますが今回の記事は電波系です。[苦手な人は今回はシカト・スルーの方を願います・・・orz.]

では今回は天使崇拝について書きます。と言いつつも私は基本的に天使達が嫌いです。一応、西洋魔術の小五亡星の儀式や四大精霊の儀式などで四大を司る四人の大天使の力・姿を借りますが・・・、しかし何故か一人の天使にその崇拝or関係を強要され、付き合いがあります。

まず、基本的に私が学び理解する西洋魔術においてはほとんどの天使は個人としての人格と呼ばれるようなモノがない、偉大なる神の部下というよりも奴隷orロボットorエネルギー体といった感じに定義される存在です。故に堕天使達は神より逃げ出し反乱した元奴隷orロボットといった感じになります。

また、基本的に西洋魔術では名を知りはしても使うこともないのが天使というモノです。また、混沌魔術では完全に相手にしてません。(ちなみに、メガも同じく・・・。)東洋系では何それですから関係がありません。勿論、ソロモン系の悪魔と堕天使は違いますよ。ソロモン系の悪魔は基本的にユダヤ・キリスト教に負けた中東及び西欧の神々がその由来ですから、天使・堕天使とは関係が本来はありません。

そんな訳で、私はユダヤ教徒でもクリスチャンでもないですし、これから偉大なる唯一神に膝を折るつもりもなく、イエスキリストを信じ称える気のない私がそういう神の支配集団・統制の上下関係とその付属なぞに興味もありませんでした。また、二人の師も天使や天使関係の術もろくに知りませんでしたし・・・。私にとって彼らと縁を持つはずがありませんでした。

しかし、縁は異なもので私はある天使を眷属(?)で保持しています。そいつは呼んでもいないのにやってきて未だに縁が切れません。しかもそいつの力・担当は私が興味のない分野だから始末に困ります・・・。

ちなみに、そいつの名をハナエル またはハニエルと言います。では以下にこいつの伝統的な説明を書きます。

『 ハニエル (Haniel) は、エノク書などに語られる天使の一人、その名は「神の栄光」又は「神の優雅さ」を意味する。アナエル (Anael)、アニエル (Aniel)、アリエル (Ariel)、アニィエル (Anyel)、アウフィエル (Aufiel)、ハナエル (Hanael) など、数多くの別名があります。

ハニエル自身は愛と美を司る天使とされます。

その肩書きには「権天使(第7位階のネツァクの天使団。キリスト教では国家及びその指導者層の守護。国家の興亡。悪霊からの守護を司るとされる。人間よりも三段階高次の霊的な意識を持っており、時間を司る霊的存在であるとも)と力天使(第五位のゲブラーの天使団の総称。名は「高潔」、「美徳」を意味する。キリスト教では実現象としての奇跡を司り、それをもって英雄に勇気を授けるとされる。またキリストが天に召される時に、付き添ったのも力天使たちであると言う。また、カインの誕生の際に産婆の役目も務めたともされる。)の長」や「十二月の天使」、また「山羊座こと磨羯宮の天使」などがある。

七大天使の一人とされる事が多い天使で、「金星の天使」の肩書きを持つ。そのためか、専らアナエルと同一視される。

アナエルとしての肩書きは、「権天使の長」、「金曜日の天使」、「第二天の長」などが知られる。

ハミエル(Hamiel)ともいわれ、金星(他神話では美や豊饒のはた迷惑な女神達・戦闘娼婦神のイシュタル・トロイ戦争を起こしたビーナスなどと結び付けられる事が多いのだが・・)との関係の為か、美を司るとも言われる。魔術カバラの生命の樹ではそういう繋がりで第七のセフィロト(対応天球は金星)を守り司るとされる。

古代バビロニアでは神官たち(多分イシュタル神の神官)が神々と交信を試みたり癒しの儀式を執り行ったりしていた時、しばしば助けを求めたのが、何故か金星と密接に関係するハニエル。

ユダヤ神秘思想系の文献によると、預言者エノク(後の大天使メタトロン)とモーゼはハニエルに連れられて天界・神の国を訪れたとされる。

さらに、智恵の実を食べたアダムとイブをエデンの園より追い出した天使とも言われ、またイエス・キリストが捕まり処刑されるまでの間、励ました天使の一人と言われる。 』

そして、近年、ニューエイジ系のドリーン・バーチューと言うヒーラー及び彼女の影響を受けた人たちの多作な記述により、何故か女性の天使であるとか、月の天使であるとか、女性の生理・婦人病、女性性を司るなどという見識が広がっています。個人的にはバルキリーとかニケなどの空を飛ぶ戦闘女神のイメージですが・・・。基本的に天使の役割は主たる神を称え、神の意志の下に作り出した世界の維持&その秩序の乱すモノの抹殺ですから・・・。

ちなみに、私は偉大なる先人達・黄金の夜明け団の魔術師の系統の端とは言えどもいるので、先人に敬意を表して、こいつをネツァクの大天使とみなしています。

でもなんで、こんな奴と関係が出来たのか未だに不明です。

奴が現れたのは今からかなり前、専業祈祷師を辞めて、自由にきままに魔術・祈祷の探求をしていた頃でした。

いつものように、当時の日課の混沌魔術系の思考停止の瞑想を終えて、目を開けると奴は目の前にいました。始めはまだトランスから覚めずに幻視状態に移行したのかと思い、更に意識を普段の状態に戻そうと呼吸を整え、幾つか戻す手順をしましたが奴は消えません。

さて、どうしようもないので気分を変えるために外に食事に行き、忘れて戻ると奴はまだいました。一気に気分が台無しになったのを覚えています。

さて、とにもかくにもしょうがないので、奴に聞きました。

私「てめえ、誰だ(こちらからお呼びしたわけでもない化け物・変な奴にはこんなもんです)」

奴「ハナエル」

私「花得る?(←笑わないでくださいね。この時、本当にこう聞こえたんです) てめえ、俺を舐めてんのか!ちゃんと言えや」(この時、何故普段使わない変な似非方言を使用していたのかは今でも不明)

奴、首を振り「じゃあ、ハ二エル」

私「ハ二エルね・・・。下にエルという事はてめえ神か天使か?」(勿論、こいつには六枚の羽が背から生えていましたが、こういう奴が偽装するのはありがちなので姿だけで判断はしません。)

奴「そう、主(しゅ)に言われて来た」

私「主ねぇ・・・。俺はお前らに供物もやらんし、崇拝もせんぞ。それと、てめえの何か知ってる神の名があるなら吐けや!」

奴「エロヒム、(数秒あけて、ポツリと)とベニ・エロヒム」

私「エロヒムとベニ・エロヒムだな、まってろ!」(この時点で奴がかなりの存在と知り、少しビビったのは内緒です。というのは伝統的にユダヤ・キリスト教系の神の名IHVHという真の名を呼ぶこと自体を尊び忌避した為に、当て嵌められた神名の中でエロヒムとベニ・エロヒムがあり、しかもかなり正統系だったりしたからです。また、キリスト教の説話ではよほどの格がないと天使も神の名をいえないという話があります)

さて、そう、捨て台詞を吐きつつ、(いっしょにいたくないので)外に出て少し気を落ち着けながら持ち出した本(神秘のカバラーと石榴の園)を開けて調べると、ハニエルがネツァクの天使団エロヒムを統制する大天使と判明、何度も読んでいても天使系の儀式や瞑想などはまずやりませんから覚えてませんでした。また、ネツァクから流出し作られたホドの天使団天ベニ・エロヒムも力関係から理解(基本的に上位の球・セフィロットは下位のそれをほぼ一方的に影響を与える力関係があり、これはその球に所属する大天使・天使団なども関連すると習っていました)、しかし、ハナエルは出ていません。

それから本屋に図書館と走り、天使関係の辞典だのを色々探して読みを繰り返し、ハナエルがハニエルの別名と判明。(これを調べるのに約2時間半、今ならネットカフェに行ったでしょうね。当時はそう言うモノはなく漫画喫茶の時代でした・・・)

そして、奴が変な者でないと確認が出来たので、自宅に戻りその来訪目的や持物などをを聞き出してから契約を結びました。ちなみに代価は、ある祈りを定期的に祈ること(安っ!)でした。この辺の内容はつまらないのでカットします。

さて、変な魔術だの呪術などを常用・学んでいるとこういう事もあるという事で・・・。

ちなみに、奴の姿はドリーン・バーチュー女史の有名なカードの姿ではありません。途中、今まで何度か衣装を微妙に変えてきましたが・・・、基本装備は不変でいます。

それでは、今回はここまです。変なはなしですいませんでした。

では、貴方に全ての良きことが雪崩の如く起きますように・・。

皇悠拝。

つうか、ハニエルっ!てめえ、こんな記事を書かすな・・・。今までのこのブログのトーンがグチャグチャだよ・・涙。

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2008年11月 4日 (火)

始原の存在、究極・超越的に位置するものについて

何時も、御覧頂きましてありがとうございます。

どうも、皇悠です。

さて、今回は究極・超越的に位置するものについて・始原に位置するモノについて考察しようかと思います。

さて、あらゆる祈祷宗教、魔術、呪術には必ずこの世界・宇宙を作り出した存在や超越的な究極存在が確認・想定されています。

混沌魔術ならば混沌とかバフォメットにドラゴンイーグルと呼ぶものですし、魔術カバラではアインまたはケテル、イスラム教ではアラー、ユダヤ・キリスト教系ならば主とか神、道教のタオや天帝、カスタネダならばイーグルとかナワール/精霊と記述した存在です。そして、日本密教では、大日如来が教主にして根源にして究極的存在です.

ちなみに、インド仏教の最終形態のインド後期密教・およびその後継者としてもたらされた・伝承されたチベット密教では、法身普賢(ダルマカーヤ・サマンタ・バドゥラ)と呼ばれるのが最高的存在で、全ての仏の父母たる親であり、根源であり存在、意識の根源(の光)、心の本質的輝き・源とされます。ちなみに法身普賢は仏性そのものであり、基本的に具体的な形・姿がないとされますが、方便(一応の表現形態)として結跏趺坐形の如来で、表され后である普賢母と歓喜座(対面性交の坐位の姿)をしています。また、普賢王如来とも呼ばれます。

さらに、これを受け歴史的には大日如来を五仏(五智如来)の中心的存在としつつ、更に発展させたモノとして、インド・チベットの後期仏(密)教ではそれを超える根源的な存在(本初仏。アーディーブッダ)が設定され、主要なものとして金剛薩埵(金剛手)や金剛総持も本初仏とされ、これらの尊格の誰を特に尊崇するのかがチベット密教の宗派によって異なるという特徴があります。この法身普賢を二ンマ派では崇敬し、金剛総持はカギュ派で、それぞれ本初仏として同定・尊崇されますが、更に法身普賢ほかの本初仏と同時に、「本初仏母」や「本初守護尊」、「本初守護女性尊」とでも呼ぶべき存在も考えられ、代表的なモノとして金剛自在母(マハーシュリーへールカ)、忿怒自在母(クローデシュヴァリー)などや以前書きました金剛畏怖(ヴァジュラバイラヴャ)などもそれに当たります。

この辺の宗派・個人により究極・根源的な存在の形容・定義付けが色々あり、個人的に非常に興味深く好きですね・・・。

ちなみに我が魔術の師は自らの見識・経験から重要視したそれをアギンと呼び、当時所属した団体の創立者の一人にしてメガ上の伯父弟子はタオ、団の先輩はたしかアザ・トースなどと読んでいたのを聞いた覚えがあります。

また、神仏習合系の古い神道を伝承していた私の師は天之御中主神(アメノミナカヌシ)か国常立尊(クニトコタチノミコト)と考えていたらしいですが、あまり、詳しくは気にしていなく自宅兼祈祷所の御祀りする鎮守の神仏の方を大事にしていましたが・・・、これぞ正しい信仰なのかも知れませんが・・・。

さて、これらの存在は観測者の経験・そのときの知識量、護持する体系そして表現力などによりその名前や姿は変化し主観に左右されるので呼称その他の多くの属性自体が違いますが、大筋でその形容・特徴は何故か良く似ています。

曰く、『全ての起源、創造主、始原の闇と大いなる光or炎、偉大なる王、万物の始まりに在りしもの、始めから最後まで在る者、未熟な存在には危険極まりなき存在、自在自由なるモノ、恐るべきもの、神々の神、無(形)にして無限、測定できないモノ(それがゆえに虚無)、理解できないがゆえに狂えるモノ、何者も勝らないがゆえに絶対者・・・』

私が、それらの超越者を強く認識・(の一柱に)接触したのは、自己の存在を始原に戻しゼロから現在までの流れ・規定を消去・一時停止し全ての根源というか自己の原型とも呼べる状況へ戻り知るという一連の瞑想&儀式の実験時に起きました。(ちなみに魔術の師のオリジナルの技の更に改良版の技法なので、普通の魔術書などにはない技法です。)

さて、この試みは結果的には当初の予想された目的には行き着きませんが、そこである存在を知りました。

それは大いなるパンとギリシア人ならば呼称しただろう全てを歪め破壊し喰らいながらも多くのモノを生み出す存在でした。一番近いイメージは近世ならばシュブ=ニグラスShub-Niggurath、シュブ=ニグラースシュブ=ニグラートシュブ=ニググラトフとも呼称される存在でしょうか・・・、それは多くのモノを無目的に破壊しつつ、作り変え戯れていました。

当時は知りませんでしたが、このシュブ=ニグラス、小説などでその描写・表現を後に知りました時に、あまりに私が体験した存在に似ていたので驚きましたが・・・。

群青・暗いコバルトブルーにルビーのような透明な緋色の不定形の歪みを混在させた空の中で、そこに存在するだけで周囲を変質させるとてつもなく巨大な独立した何かが蠢き轟くように咆えるように有角のそれはいました。今でも克明にその情景が浮かびます。

そして、それは私の見るところでは人が契約や取引できる存在ではなく、その一部を騙し利用するか巻き込まれて狂い破滅するしかないような存在でした。それはちょうど人が自らの体内に飼う細菌を普段意識しないようにそれは他の存在の事を何とも感じず、しかし我々はそれなしには存在できないだろう存在でした。そして、恐ろしいことにそれが私の見るところ我々の創造主でした、少なくとも私はそれの作り出したモノが始まりにあると確信させられました。

なお、何かあるといけないので、この存在についてのより具体的な色や姿の描写はしません。

ただ、この体験(あの存在が真実、我々の創造者なのかそれとも私にはこのように見えた別の何かなのか、それとも私の心の中にいる化け物なのかは不明ですが・・・)以後、私は以前は理解出来ませんでしたが多くの神話で語られている恐るべき豊穣神、血まみれの大地母神や女神、狂える変化の起こし手、笑う道化神などと定義される多くの神やその存在を理解し、体得できました。私自身に・自己の一部に狂気or病or変質を抱えながらもですが・・・。

しかし、これらの神群(の知識・祈祷の技術群)は本当に現代ではあまり使い道がなく忘れ去られ埋没した類のことなのがまたネックですが・・・。こうゆう探検・実験が出来るのも西洋魔術、特に混沌魔術系の体系などの面白さの一つです。

さて、今回は、魔術・呪術・祈祷の目的はただ単に古伝の知識の習得とその訓練、日々の供養と現世利益ための祈祷だけではないという事で、私の探求した事の一部を書いてみましたが・・・。どうでしょう?御役に立てば幸いですが・・・、ならないかな?

では、貴方/皆様に全ての良き事が雪崩の如く起きますように・・・。

皇悠より。

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2008年10月29日 (水)

愛染明王について

何時も御覧頂きまして、ありがとうございます。

どうも、皇悠です。なんとなく書きたい気分でしたので、三連続でアップしました。

さて、今回は日本密教特有の尊格である明王の1つである愛染明王(あいぜんみょうおう)様の紹介です。これで不動・大威徳・六字・大元帥と来て明王部の仏尊は五人目の記述ですね。

さて、梵名でラーガ・ラージャ(Ragaraja)は、インドなどの仏典にその名は見られず、また、インドでの作例もまずない不思議な忿怒形(怒り顔)の仏尊です。

なお、サンスクリット語では「ラーガ」、「ラーガラージャ」、「マハーラーガ」などとも呼ばれ、「ラーガ」とは赤、愛欲の意味で、古代インドの神の名前です。よって愛染明王との関連をいう人も多いですね。また、元来ラーガという言葉は、染付け、色つけなど染色の意味もあり、やがて愛着とか、執着とかを意味するようになりました。

加えて、ラーガの漢訳語として、もっとも頻繁に用いられるのが貧、貪欲ですが、愛着と染付けを合体しますと、愛染という言葉も出来上がりそれが和名になりました。 また、ラーガというのは、色の中で赤色を意味します。この為、愛染明王様の尊像は、身体の色が赤いものが多く、さらに光背は日輪を表す円形をしていますが、これもまた、赤い色が塗られています。まあ、元来密教では愛欲関係・敬愛関係を赤で彩色・象徴するので当然といえば当然の配色ですね。

さてまた、胎蔵・金剛界の両部曼荼羅にもその姿は何故かこの愛染明王様は描かれていませんが、金剛王と大日如来を本地として弘法大師が唐から伝来させた「金剛峯楼閣一切喩伽喩祗経」(喩祗経)の所説にもとづき出た正当な明王様です。

なお、『金剛峯楼閣一切瑜伽瑜祇経(こんごうぶろうかくいっさいゆがゆぎきょう)』では、愛染王品第五に「三世三界中一切無能越 此名金剛王頂中最勝名 金剛薩捶定一切諸佛母」とあり、つまり「すべての世界でこの明王を越えることができない。 この明王の名は金剛王の中で最高である。金剛薩捶は、(この方を)すべての仏の母である(と定めました)。」と記述されています。なんとも、すごい賞賛です。ちなみに全ての仏の母とこのように表現される方は他に仏眼仏母尊や文殊菩薩様などがいます。

また、別の説で愛染明王様の起源を学説的には不明ですが、愛染明王の真言の一つの「フーン タッキ フーン ジャハ フーン」から、後期密教における十忿怒尊のタッキ・ラージャ(カーマ・ラージャ)と関連あるとし、タッキは正確な語源は不明ですが愛とか死を意味するとも言われ、また、タッキをダーキニー(茶枳尼天)に求める説もあります。また、ダーキニーはしばしば魔女とされることから、タッキ・ラージャを邦訳するならば魔女の王といったところですね。タッキはあるいは失われた神・仏格か俗語なのかもしれないですが・・、それに関連して、愛染明王様の前身をダーキニーとする考えもあります。つまり、ダーキニー→クラスチェンジで愛染明王ということです。

なお、同じように弓持つギリシャ神話のエロス(ローマ神話のキューピッド)と同じルーツという説もあります。

では、具体的なお姿を見ていきましょう。

まず、目が三つあり、それは三界(あらゆる世界)を見通す事を示してます。この三つの目には三徳、仏部(如来)蓮華部(菩薩)金剛部(明王)の仏の威徳の全てをこの身体の中に有している事を表しているそうです。また、額に第三の目を持ちますが、俗にこれを女性器を表したものだという説があります。しかしその出典は不明で、真偽も不明の俗信です。

その頭に被っている獅子冠・忿怒眼は仏敵を降伏させる事を表し、頂上にある五鈷は衆生の五智を成就させる事を表し、天帯(頭に巻いた帯)は何も聞かずに如来自身の持つ清らかな欲望の心を知る事が出来るほどの帝王である証である事を表しています。

また、その腕は六本、これは地獄道、餓鬼道、畜生道、修羅道、人道、天道の六道の全てを救う意味です。その持ち物の順番は右手には手前から順に五鈷杵(ごこしょ)・矢・蓮華、左手は五鈷鈴・弓・握りこぶしです。

ちなみに五鈷杵と五鈷鈴は健康や息災、時には恋いのライバルや、嘘、不純なモノなどから守るため。矢と弓は恋愛を叶えるため。蓮華と握りこぶしは、女性の優しさと男性の力強さを表わします。蓮台の下の壷は宝瓶(ほうびょう)といって真理、智慧、悟り、の三つの徳の宝石がはいっています。また、握りこぶし内に祈祷の目的毎に願いを書いた紙・象徴の描かれた紙を持たせ祈祷する方法・説もあります。

それ以外にも、天に向かって弓を引く容姿で描かれた姿(高野山に伝えられる「天弓愛染明王像」等)や、双頭の不動明王と合体したモノなど異形の容姿で描かれた絵図も現存してます。

さらに、日本密教では伝法の系譜で大日如来---金剛薩捶---愛染明王という流れがあり、太陽に縁が深いので日輪のなかに坐っています。

さて、弘法大師によって日本に伝えられた愛染明王は、特に鎌倉時代以降に広く信仰されるようになりました

この愛染明王は広く本尊として息災、増益、降伏で修法されますが、特に敬愛を祈るのを愛染明王法といい、敬愛法=愛染明王というイメージがありました。また、愛染という字義からか、特に女性の信仰の対象になりました。ちなみに、わが国における信仰は、12世紀ころ、白川・鳥羽院政期に真言宗の広沢流(仁和寺)系の僧侶によって、もっとも華やかに展開をみたとされています。(ちなみによく言われる源氏の八幡信仰、平家は厳島と来るなら愛染明王は春日と並ぶ藤原氏の歴代の長などが頼りました守り神・本尊の一つです。さすが、天皇家に自分の娘をどんどん嫁がせて子作りさせ、血縁関係で権勢を確保した一族と長ですね、崇め頼る方も愛欲と子授けの仏です・・・。閑話休題)

また、この愛染明王には「煩悩と愛欲は人間の本能でありこれを断ずることは出来ない、むしろこの本能そのものを向上心に変換して仏道を歩ませる」とする功徳も持っているそうです。

さて、この愛染明王様はとてもご利益がある代わりに、とても恐ろしい仏様で、仏像を専門に彫っている仏師の人達の一部では『愛染明王を彫ったら命を取られる。』と言われるほどです。

ちなみに具体的な御利益は有名な愛染明王の十二誓願で判ります。では、以下に上げてみますと、

『智慧の弓、方便の矢を以って愛敬を与え幸運を授けよう。
悪心を加持して善果を得せしめよう。
三毒の煩悩を破って浄い心を起こさしめよう。
諸々の邪見驕慢の心を離れて正しい心に住せしめよう。
諸人との争いの縁を断って一生平和に送らせよう。
諸々の病苦と天災の難を去って天寿を全うさせよう。
貧弱飢渇の苦を除いて無量の福徳を与えよう。
悪鬼邪神の厄を払って安穏快楽ならしめよう。
子孫の繁栄と家運の増長を守って福緑を断たせまい。
前世の悪業の報いを清めて後生は浄土に生まれしめよう。
女人には愛を与えて良縁を結ばしめ善児を授けん。
女人にはお産の苦しみを免れしめ、生まれた子には福徳愛敬を授けん。』

の以上です。

さて、この愛染明王は日本では教理的に金剛愛菩薩がもっとも尊格としては近く、インド伝来の愛の弓を引く弓をもつ愛の神を取り入れ、密教の菩薩として解釈されたのが金剛愛菩薩であり、その憤怒尊が愛染明王ではないかという説もあります。

また、真言宗の常用経典の理趣経を表す仏が愛染明王という説もあります。

なお、愛染明王信仰は、また「愛染=藍染」と解釈し、染物・織物職人の守護神としても信仰されてもいます。さらに愛欲を否定しないことから、古くは遊女、現在では水商売の女性の信仰対象にもなっています。

さて、以前に不動明王様の記事でも書きましたが日蓮系各派の本尊(髭曼荼羅)にも不動明王と相対して愛染明王が書かれ、空海によって伝えられた真言密教の尊格であることから日蓮以来代々梵字で書かれてますが・・・。なお日蓮の曼荼羅における不動明王は生死即涅槃を表し、これに対し愛染明王は煩悩即菩提を表しているとされます。

では、ここで愛染明王様を理解し易いようにある愛染敬愛法をされる祈祷師の方の考えを引用・紹介しますね。

『神仏は人の持つさまざまな感情面を示したものだと考えられる。人間そのものは大日如来であり大日如来から派生した諸仏の側面をもつ。よってこの派生した諸仏は人のそれぞれの面を表したものである。世で一般に信じられているような、どこかに偉い神仏が鎮座していて、我々はお願いするということではない。

仏は人の一面をあらわしており、その一面をコントロールし易くする為の方法論が密教であるという方法論です。

つまり、例えば愛染明王が対人関係を支配するのではなく、我々の人の対人関係を表した姿が愛染明王だ、と考え、愛染明王の存在意義が、自己愛から成る他者への愛からスタートし、すべてを自己のごとく慈しむことができるようにというのは人間の辿るべき理想を示している。

愛染明王に祈るということは、自己という小宇宙の中で、愛染明王である部分をクローズアップすることで、それにより小宇宙から外界という大宇宙へ影響をつむぎだすことに繋がります。

古来、密教のみならず宗教ではあやまったアプローチを神仏にすると罰があたるという。しかし、上記のように考えると、自己の内面を変えたところで罰のあたりようもない。例外があるとすれば、願望により自己もしくは関係する相手の不利になる場合だろう。

愛染明王にお働きいただくには、愛染明王像を見ながら入我我入(にゅうががにゅう)の瞑想をします。

密教では身口意(しんくい)が一致していることが必要。よって愛染明王の画・像を見つめ(身)、真言を唱えながら(口)、愛染明王の特質を語り、愛染明王の精神(意)を思いと同化し、自分と愛染明王の境界がない状態、つまり自分の愛染明王の部分に集中します。

その状態で、明王(自分)のもつ弓から放たれた矢が、一筋の光となり、自分と相手の心をつなぐ糸に変化する様を瞑想します。そして相手が見事、想いを受け入れ、同じように光り輝く状態(互いに尊敬しあう状況)を瞑想するのです。』

以上です。

さすが、現役の祈祷僧ですね、なかなか含蓄のある教えです。

ちなみに敬愛法とは人と人との争いをなくし、多くは夫婦間、異性間、上司と部下間などの全ての対人関係を良くするための法です。

ちなみに根本愛染明王真言は

『オン マカラギャ バサラ ウシュニシャ バサラ サトバ ジャクウン バンコク (ウン タキウン シャ)』

訳:オーム・大愛染金剛最勝尊よ、金剛薩捶よ、弱吽鑁斛

よく、十万遍唱えると大臣になれるとか(正確には王の師とか帝の友人などと表現されますが・・・)、万人に敬愛されるとか次第書に書かれてますね。

さて、基本的に仏教では特に男女間の敬愛・恋愛や性愛などを神聖なモノというよりも、煩悩・欲の最たるモノと考え、穢れた忌避すべきモノと考えています。よって、タイなどでは僧は女性に触れただけでそれまで積み上げた全ての功徳を失うという考えすらあります。また、女性の僧・尼を認めない仏教の宗派もあります。

ですから、日本のように僧が尼僧と共に修行したり、妻帯するのはかなりの異端の習慣です。そういう意味でも性愛を肯定する愛染明王信仰が日本にしかまずないのも日本人の精神性を表しており、興味深いです。

それでは、今回は此処までです。今回も長々とお読み頂きまして、ありがとうございます。お役に立てば幸いです・・・。

では、いつもの『貴方に全ての良き事が雪崩の如く起きますように・・・』

なお、現在、愛染明王様の祈祷僧として有名な方に、吉野山人でネットでは知られる金峯山修験本宗宗務総長・金峯山執行長の田中利典師がおられます。師はもう20年以上、自坊の愛染明王様に月供養等で願掛けし、見事に宗門と自坊の復興を成し遂げられました。さらに、師は吉野を含む熊野地域を世界遺産にした影の功労者の一人です。

師は修験道の代表・宣伝マンと自認するように多くの活躍をされるのでご存知の方も多いと思いますが、師の著作は平淡な中に伝統と体験に裏付けされた真実があります。修験道の信仰者・宗教者としての飾らない話を知りたい方には、お勧めです!

では、皇悠より・・・orz。

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大元帥明王について

何時も、御覧頂きましてありがとうございます。

どうも、皇悠です。

さて、今回は、かなり過激な戦闘仏の大元帥明王様、(東密では伝統的に「たいげん」と読みます)の紹介です。

この方は、古代インド神話に登場する非アーリアンの鬼神アータヴァカ(Āṭavaka)直訳すると「林に住む者」、「林の主」で漢訳ですと「広野鬼神大将」です。元は 毘沙門天の眷属である八大夜叉王の一人でアタバク夜叉大将ともアタバカ鬼神元帥とも記述されます。

さて、このアータヴァカとは本来、辺境を守護する屈強な山岳民族アータヴァカ族のことで、インドの支配階層・アーリア人にとって彼らは慰撫しがたい戦闘民族であったが、逆に手を結び国境の警護に当たらせることで国を安定させる者たちへと変化したと言われてます。これは中国や日本でもたびたび行われた蛮族・異族を形式的にでも従属させ他の蛮族に利用したということっすね。故事に曰く「夷を持って、夷を制す」です。

また日本の御霊信仰のように、弾圧・迫害した彼ら・彼らの祖先を祀ることでその霊の復讐・災難を抑えようとしてアータヴァカという夜叉神が生まれたのではないかという見方もあります。

さて、このようにアータヴァカは、インド神話において弱者・子供を襲って喰らう悪鬼神とされましたが、密教においては毎度お馴染みの大日如来の教化・功徳により善神へと変じたとさrてます。なお、別の伝ではお釈迦様に出会い佛法に帰依し勇猛果敢な軍神となるとされてます・・・。さて、その慰撫しがたい大いなる力は中国・日本では個人の願いに留まらず、国家をも守護する護法の力へと転化させられます。この辺の流れは某ダキ〇天様が日本の宮中で尊崇された経緯と被る気がするのは私の気のせいでしょうか・・・?

なお、大元帥明王は大元帥の名が示すとおり、明王の最高尊である不動明王・愛染明王などに匹敵する霊験を有するともされ、一説には「全ての明王の総帥であることから大元帥の名を冠する」とすら記述されます。

まお、日本への伝来は、『続日本後紀』によれば空海の弟子で小栗栖の常暁によって請来され、常暁は栖霊寺・文祭から太元法を受けて、諸尊像や経軌を書写して持ち帰り、840年(承和7年)に法琳寺(江戸時代に廃寺になりました)に安置されて以降、宮中で修法されるようになりました。なお、鎮護国家・戦勝・外敵降伏の呪力を持つ明王とされたこの尊の「太元御修法」(たいげんのみしほ)は極秘とされていた。以後、日本においては「太元御修法」の本尊とした禁裏・宮中に於いてのみ重用され19世紀まで国家の大法として脈々と秘術が行われます。

ただ、常暁以後入唐し秘術を習得した僧侶もいましたが、まず帰国は出来ずに五大山などで殺害され、また中国での密教の没落後は、この法は日本でのみ存在するとも伝えられます。

さて、大元帥明王は国土を護り敵や悪霊の降伏に絶大な功徳を発揮すると言われ、「戦勝祈願」・「怨敵粉砕」「領土防衛」の祈願として宮中では古くから大元帥明王の秘法(大元帥法)が盛んに厳修されましたが、この辺の動きは、チベットにて大威徳明王こと金剛畏怖の修法が流行り使われた歴史とほぼ同じ動きですね。ただ、日本では僧侶と権力者が別人で分離していますが、かの国でほぼ同一人物が多いというのが違いといえば違いですが、所変われども人のやることは変わらない証拠がここにあります。

なお、古い大元帥明王の仏像は奈良市は秋篠寺に日本で唯一の像がありますが、秋篠寺では秘仏として安置され、時代的にも多分・最古のこの尊像は鎌倉時代の作ですね。また、そのお姿は絵巻や掛軸等は全国に残りますがその数は多くはなく、描かれた姿も一面六臂からその姿は四面八臂、四面四臂、六面六臂、八面十六臂、十八面三十六臂などまで様々です。

さて、この秋篠寺に残る大元帥明王像では一面六臂(手)の憤怒相であり、東大寺の仁王像を彷彿とさせる筋骨隆々たる逞しい体つきで六本の腕に武器を構え、軍荼利明王と同様、身体に蛇を巻き付けている。顔はもはや憤怒相を通り越してまさに鬼神そのものとも言うべき恐ろしい相であり、髪は怒りによって天を衝くように逆立ちます。(なお、某少女小説・〇殺鬼シリーズでは、この方の姿をTVや映画で有名な大魔神と形容しています・・・「上手い!」と驚き、この記述を始めて読んだ時は吹き出しました。)

なお、軍組織における大元帥や元帥の呼称は、この大元帥明王から取られているという説もあります。

ちなみに大元帥明王様の真言は「ノウボウ タリツ タボリツ ハラボリツ シャキンメイ シャキンメイ タラサンダン オエンビ ソワカ」
 
さて、次にこの恐ろしい忿怒の仏様のその縁起を少し転記しますね。

「「たいげんみょうおう」とは、大聖無辺自在元帥明王といって、宮中においてのみ修せられるべく御治定の鎮護国家の大法大元帥御修法(たいげんのみしほ)の本尊として重んじられて、何地においても勅許を得ざる修法、尊像の造顕奉置も禁じられ、その結果日本で唯一の像として、奈良の秋篠寺のみに伝えられている」そうです。

ちなみに、儀軌・次第書・経典などではこのように記述されてます。

『阿娑(?)薄倶元帥大将上陀羅尼経修行儀軌』
『我信じ我礼し我帰し奉る元帥大明王、此れは此れ大毘慮遮那の化、釈迦と諸仏の変、如来の肝心衆生の父母にして不動愛染等の諸々の威徳身、観音無尽意虚空蔵等の諸々の菩薩身、聖天十二天等諸々の功徳心等一切を摂して衆徳荘厳せり。

或は金剛忿怒の相を現じ、或は菩薩大慈悲相を現じて類に随って擁護したまう。今願力の故に以って大元帥明王となし、諸尊中、最尊最上第一の威徳身を顕現す。

若し一切世間有情の類、宝呪を持し宝号を称せんに、内外諸障を除きて、必ず世間出世間の願にこたえん。菩提心を成ぜんと願じ、乃至金剛心無畏心に住せん等の出世間の大願を発せんに正法護持の故に悉く願成就せん。

又衆生あって、正因縁に住し、災を息めんものは即ち願成就し、栄福を求めんものは即ち願成就し、勝利を為さんものは即ち願成就し、横病を離れんものは即ち願成就せん。明王の名を聞いて一度讃嘆せんものは、世間の宝果悉く円成す。』

さて、では歴史にどのようにこの戦勝の大元帥明王様が関わったかを見てみますね。

まず、有名な所で西暦939年、朝廷に反旗を翻した平将門は勝手に天皇に即位して、「新皇」と名乗ります。この反乱・将門の乱にあわてた朝廷の意を受けて、京都・東寺の高僧泰舜は、将門調伏の秘法を執り行いました。そして、修法のさなかに壇上にはおびただしい血がしたたり、さらに秘印を結ぶと、独鈷杵(とっこしょ)という法具が半分に折れてはるか東に飛んでいくではありませんか。まさにこの瞬間、平将門は藤原秀郷、平貞盛らにより討伐されたといわれています(東寺文書『真言伝』による)。では、いったい、将門を討ち取ったこの「秘法」とは何でしょうか?

これこそ「大元帥法」(たいげんのほう。「帥」は発音せず、大元明王の法とも書くモノもあります)で、我が国の最高の密教秘術とされてきたこの法の私の知る限りで、一番古い日本の政治/歴史での活躍の記述です。

なお、この秘術は請来以来、毎年の正月8日から14日までの7日間、宮中の治部省で、国家鎮護のために行われていましたが、国の最高の法なので、朝廷以外で行われること自体が固く禁じられていましたが、ところが995年、藤原伊周がひそかに執り行い、大事件となりました。

これが世にいう長徳の変(ちょうとくのへん)と呼ばれる政変で、これをきっかけに藤原伊周を排除した藤原道長が大権勢を振るう事になりました。

この時、どうして大元帥法が問題になったかというと、この法は正月以外に臨時で行われる事もありますが、それは基本的に当時の政権の戦争時の敵への戦勝などのためにやるのです。つまり国家の敵を潰すため・・・。要は、藤原伊周の行為は、大げさでなく当時の政権・天皇家への革命と見なされたわけですね。 

さて、この敵国降伏の秘術が次に大々的に行われたのが、元寇時でした。ここで元寇について詳しくは書きませんが、2回あったのはご承知の通りですね。

☆文永の役(1274年10月)と弘安の役(1281年5月~7月)です。

そして、ほぼ有史以来初めての外国(正確には日本の政権担当者が別の国家・政権)からの侵略・宣戦布告された事に対して、当時の最高権力者たち、鎌倉幕府・亀山上皇などはなり振りかまわずに伊勢神宮や春日神社、日吉神社などに参拝し、多くの寺社に祈祷を依頼、勿論大元帥法も大々的に執り行いました。この時、上皇は「我が身をもって国を救え」と宸筆(直筆)の願文を書いたほど・・・。同時に日本中で有志による「敵国降伏」の祈願が数多く行いました。これらの記録は尾張の性海寺や阿蘇の宮原両神社など、当時の記録はいくつもの社寺で残っています。

そして、その挙国一体の大祈祷の御蔭で神風が吹いたわけですね。台風で元国の約6万艘が沈んだというんだから、これはすごい神風です。

ちなみに、最近の研究では、文永の役では神風は吹かなかったとされています。今の暦では11月の終わりにあたり、台風が吹くわけがないからだそうです。事実は単純に偵察のため、最初からすぐに引きあげる予定だったというわけですね。また、弘安の役ではたしかに台風が来たようです。ただ、日本側は石の要塞を約20キロにわたって作っていたため、蒙古軍はなかなか上陸できなかったのでかなり運が絡んでいたそうです。つまり、彼らの得意な騎馬・陸上による戦いではなく、海戦で上陸できずに慣れない海に停泊していた所に台風が来たという訳ですね。

さて、近世では、日清、日露戦争では大元帥法の記録はありませんが、実は太平洋戦争では大元帥法が執り行われたと言われています。高野山で護摩を焚き続け、フランクリン・ルーズベルト大統領を暗殺したというんですね(1945年4月12日に死亡)

ただ、これはネットや一部の書籍上ではよく見る記述なんですが、公的な資料で確認が取れないので、多分後世作られた伝説でしょうか・・・。そういえば、某mu-で記事を見た記憶がありますが・・・。

さて、現代の大元帥明王法の使い手としては真言密教僧の観蔵院和田住職が有名ですね。師は同法などによりさまざまな難病患者を癒し、また世間のいわゆる超能力・オカルトブームを痛烈に批判しながら、密教の教えや加持祈祷の原理などを判り易く説かれています。

さて、今回はここまでです。御役に立てば幸いですが・・・。

では、貴方に全ての良き事が雪崩の如く起きますように・・・。

近頃、長文書き気味の皇悠より・





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2008年10月27日 (月)

六字明王について

何時も、御覧頂きましてありがとうございます。

どうも、皇悠です。さて、今回はメディアで大活躍の某〇モ女史が自らの祈祷本尊・守護仏にして有名な六字明王の紹介です。

さて、この明王でありながら菩薩形で表される特異な明王様、六字天・黒仏・黒六字とも呼ばれる事もあります。六観音の修法や六字経法の本尊ですが、特に関係教典などに全く像の姿は説かれず、古来より典拠不明という怪しいお方です。

陰陽道との関係のなかで生まれたのか、そのお姿を描かれた曼荼羅などを見ますと暦の十二支に似た魔神・鬼神が周囲を侍っています。

さて、その姿を詳しく見ますと一面六臂の菩薩形[青年のインド貴族風]で、頭部に猿猴冠をいただき、腹前で左右第一手で陰陽反閇印を結び、四手で日・月・戟・剣を持ち、右足を引き下げて左足で蓮華座に片足立ちしているのですぐに判ります。

その御真言は

『オン ギャチギャチ ギャビチ カンジュカンジュ タチバナ ソワカ』 

この真言を唱えれば、伝統的に『除災(祓い)、それと特に呪い返しによる怨敵降伏』の効果があるとされます。

さて、この六字明王様はたしかに調伏法の本尊として修法が昔はおこなわれていたのですが 、この尊格は本来、そんなに分からない尊格ではないです。『荘厳實経』では如意輪観自在菩薩 の真言である「オン(帰命)マニ(宝珠)ハンドマ(蓮華)ウン」という六字大明
を特に尊格化したのが六字明王であり如意輪観音の変化身と考える事ができます。

さて、基本的にここまで記述して何ですが、明王にしろ観音・菩薩にしろもっと使い勝手の良く、更に多くの面・分野に応用が聞く仏尊はいるので私としては、啓示・夢告などの向こうからの思し召し(と偶然)でもないとお付き合いしない方の一人で、お勧めもしません。

ただ、本当のこの方の代表的な往古の儀式は、水辺(時に船上)で行うモノなので、使い勝手の悪さとあまりに権能が限定的なため、廃れ忘れられて当然の神仏の一人です。正直なところ、幾つか経文・次第書を見ましたがとても現在では出来ない大掛かりなモノでした・・・。

さて、此処から悪口です。正直、某女史は六字明王の使い手として名を馳せますが、私が見るところで術師としては二流です。彼女は修験・真言宗系の出と名乗り、その背景の下に行うような感じでいいますが、基本的な知識・教理を知らずにその術式・発言・記述をしてますので私としては彼女を評価してません。

これは尊敬する中村師のサイト(このブログからもリンクさせて頂いてます)に出ていた松山の記事を読み改めて、女史の評価は私の中で暴落しました・・。

だから、女史が独立・一派を立てたのも当然と考えています。あまりに、ズレた行為をしているので本山としても互いを切れざるをえないでしょう・・・。

正直、TVで除霊に一度目は失敗をしながらも全額、規定通りにその回の分も徴収していた姿を見て情けなくなりました。そこは普通はその分はタダか必要経費分だけだろうと思うからです。(逆に前に約束・契約していればその一回で成功すればいくら頂こうと構わないと私は考えますが・・・。)皆様はどうお考えですか?

また、女史の相談・祈祷料は聞いた話では案件に関わらず最低30万~というのも気に入りませんね。

まあ、女史を信じる方には馬に念仏ですし、僻みみたいなので今回はここまでにいたします。

それでは、長々とお読み頂きまして、ありがとうございます。お役に立てば幸いです・・・。

では、いつもの『貴方に全ての良き事が雪崩の如く起きますように・・・』

皇悠より。

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2008年9月28日 (日)

ヤマーンタカ/ヴァジュラ・バァイラヴァ   大威徳/金剛畏怖

何時も御覧頂きまして、有り難うございます。

どうも、皇悠です。さて、今回はヤマーンタカこと別名ヴァジュラ・ヴ(バ)ァイラヴァと言う戦闘と呪術闘争に特化した仏を題材に幾つか記述しようと思います。

さて、このヤマーンタカとは梵名でして、閻魔を倒す者の意味です。

日本では大威徳明王と言われます。別名で六面尊、六足明王、降閻魔尊とも。

基本的なお姿は青黒色の憤怒神。六面六臂六足で三面十六眼を持ち、火炎を纏い、水牛に座した姿で描かれます。

各手には、鉾(槍)、宝棒、利剣、龍索(頭に竜の頭の飾りの付いた投げ縄)、宝輪を持ち、檀陀印という特殊な印を結びます。

また、六つの顔は六道(地獄界、餓鬼界、畜生界、修羅界、人間界、天上界)をくまなく見渡す役目を表現したもので、六つの腕は矛や長剣等の武器を把持して法を守護し、六本の足は六波羅蜜の行(つまり布施、自戒、忍辱、精進、禅定、智慧)を怠らず行い、六道を巡り歩み救済を続ける決意を表していると言われます。

また日本密教の五大明王の一人で西方を守護しており、阿弥陀さんor文殊菩薩の化身または使いであるとされます。

主に、悪毒龍や人魔(怨敵)を降伏する修法の本尊とされ、特に呪殺の本尊として用いられました。

三昧耶形は宝棒(仏敵を打ち据える護法の棍棒)。種字はキリーク (hriiH)。真言は「オン シュチリ キャラロハ ウン ケン ソワカ」(oM STriiH kaala ruupa huuM khaM svaahaa)など。
水牛に座する尊像が特徴で、この水牛は煩悩・万物流転。・六道の暴流を渡る力を表すとも言われます。

ヴァジュラ・ヴァイラヴァとは多面多臂多足(その顔・足・手の数は色々あります・・)で中央の顔は牛面で角を生やしています。また、ある姿では頭頂には本地仏である文殊菩薩の顔を乗せています。日本では怖畏金剛or金剛畏怖(阿シュク如来と同じ密教の尊名でもありますが・・・)とも言います。各手には頭骸骨、曲刀、戟などの各種武器や仏具を持ちますが、基本は人の頭蓋骨で出来たお椀と小さな曲刀です。

単身像もありますが、二臂の淡青色の明妃(女性仏)と合体している像もあります。また足元には他の同種のグループ(憤怒尊と言います・・・)と同じく、様々の動物や異教の神々を踏み敷くのもあります。また、台座の前には血の入った三個のカパーラ(髑髏杯)が飾られている図もあります。

さて、この仏はチベット仏教最大の学僧であり、代々のダライ・ラマの所属するゲルク派(黄帽派)の開祖。本名はロサン・タクパ(blo bzang grags pa)ことツォンカパ(「ツォンカの人」という意味)の守護尊(イダム)がヴァジュラバイラヴァであり、同派の守護者であることでも有名です。

チベットのヤマーンタカの由来にはこういう話があります。

ある修行僧が悟りを開く直前に盗賊達に襲われ、共にいたスイギュウ共々に首を刎ねられて殺された。

悟りの境地に至る直前にその望みを絶たれた修行僧の怒りは凄まじく、そばに落ちていたスイギュウの首を拾って自分の胴体に繋げ、盗賊達を皆殺しにするが、彼はそれだけでは飽き足らず、ついに関係のない人々をも無差別に殺す悪鬼・死神に成り果ててしまった。

これに困った人々は文殊菩薩に助けを求め、文殊菩薩はその悪鬼と同じような牛面で、しかも悪鬼以上の武器をもった姿に変化して戦い、ついに悪鬼を倒した。この姿が大威徳明王/畏怖金剛なのだという話です。

さて、このヴァジュラバイラヴァはヤマーンタカと同じに考えられ、両者ともに文殊菩薩の忿怒形で、ダライラマの属する宗派ではグヒヤサマージャ(秘密集会)、チャクラサンヴァラ(勝楽)、と並んで三大密教経典・三大守護尊に数えられています。

ちなみに、グヒヤサマージャは方便(男性原理)に重きをおいた教えで、チャクラサンヴァラは慈悲(女性原理)に重きをおいた教えで、ヴァジュラバイラヴァ(ヤマーンタカ)はこの両方のメリットを兼ね備えたものとも考えられています。

さて、旧約聖書のエリヤの時代はすさまじい霊能力合戦の時代であって、霊能力で劣った方は完膚なきまでにやられまし」た。

11世紀のチベットもまた、すさまじい霊能力合戦の時代であったらしく、聖性というもの抜きに、問答無用に相手との生存競争を勝ち抜く手段として霊能力をどんどん磨けば、霊能力合戦になり、様々な勢力が相手を殺し合って行く中で、最後は最強の勢力が最強の勢力をつぶし合う流れだったそうです。

今の時代も、気づきや願望実現と称して、チャクラ開発や、深層意識におけるイメージ定着による願望実現指導を行っているケースが多いですが、まず指導者自らの聖性、善性というものが確かなものでない限り、そうした安易な霊能力・超能力開発は、最後には奪い合い、殺し合いに発展して行きがちで、もともと現代社会の通念とは相容れないのかもしれません、

さて、チベットにこのヴァジュラバイラヴァ(ヤマーンタカ)の教えを輸入した方がいまして、彼は11世紀チベットの最南部の村にニンマ派の密教行者の息子として生れたドルジェタクという方です。因みに彼のその一生を概観すると次のようなものになります。

1.ドルジェタクは、10歳の頃から祈祷師の父親にキーラの法と呼ばれる観想により相手を不慮の死に陥れる呪術を学んでいた。もともと粗暴な性格であったともいう。また、婚姻し妻を相手に当時の慣例に従い性魔術系の訓練を積んだらしい。

2.ドルジェタクは、16歳頃当時の呪術・宗教の聖地カトマンズに行き、呪術師バローに師事。

3.カトマンズでドルジェタクは、ヒンズー教徒で霊能力にすぐれ多くの仏教徒を呪殺したが当時、評判のプールナ・ナクポとの争い、ドルジェタクはキーラの法を食らい、その結果ドルジェタクは瀕死の状態になる。

そして、瀕死のドルジェタクは、師のバローに大金を積んで,さるドル(度脱・呪殺)の呪法の一種としてヴァジュラバイラヴァの伝授を受け、プールナ・ナクポを逆に殺す。

4.更に当時有数の大仏教僧院で正式に得度し、学識・行などを数年積み、故郷に凱旋するが、土地の有力者ディキムパが、ドルジェタクの妻を奪い、兄弟を投獄し、財産を奪っていた。これに対してバローから伝授されたドルの呪法をかけ、ディキムパの町や村は微塵に粉砕され、彼らの身体も瞬時に浄土に導引された(殺された)という。

5.ドルジェタクは、これを手始めに、以後次々に敵対する勢力や呪術者を呪殺。晩年の述懐によると、呪殺したのは、悪人や外道(ヒンズーなど他宗派のこと)の他、密教行者だけでも13人に上るという。ちなみに彼らの守護仏・使った術は観音、毘沙門天、秘密集会、呼金剛、勝楽、金剛手(金剛サッタのことです)など強力な仏ばかり。

しかし、皮肉なことに大学僧/行者として盛名があがるほど、彼には敵対者が次から次ぎへと出現し、その度にドルの法で呪殺した。(まるで、デス・ノート状態で)最後はドルジェタクを非難しただけでも、呪殺した例もある。

俯瞰しただけで、仏教の命に対する慈悲は、ドルジェタクの一生には無く、およそ大慈大悲などというものとは全く違う世界を彼は生きました。

しかし、恐るべきことに彼は大学僧・仏典の翻訳者・大教育者、そして多くの寺院の復興者(中興の祖)として名を残しているのです。実のところで、彼をどう判断してよいのか私には判りません。

では、チベットのお話はここまでとして、中国大陸にもヤマーンタカの話があります。

さて、有名な大乗経典の『華厳経』に基づくと、この世界の東北方には文殊菩薩が法を説く清涼山という山があるそうです。

そして、この清涼山はかなり昔から、アジアの民に、中国の山西省にある五台山と同一視されてきました。なお、この五台山は日本仏教の様々な宗派のゆりかごの地であり、天台宗の円仁や成尋なども巡礼してます。

そして、17世紀に満洲人が中国を征服すると満洲人は敬虔な仏教徒であったため、中国を手にするといちはやく五台山を聖地として保護し、寺を建立し、三代目皇帝順治帝は死んだのではなく、子供に位をゆずって出家して五台山に入ったという伝説があるくらい大事にしました。

また以後の康煕帝も乾隆帝も折に触れ、この山に登頂・巡礼しては文殊のパワーを充電・加護を受けにいきます。そんな訳で、清朝の皇帝はモンゴル人・チベット人などからは文殊菩薩皇帝(マンジュシュリハーン)と呼ばれていたそうな・・・。そう、彼らの民族名「満洲」は「文殊」から本とか嘘か来ているという説すらあるのです。

さて、ヤマーンタカです。ヤマーンタカは文殊の忿怒形なので、文殊好きの清朝及び歴代皇帝は護国のポイント・場所にこの仏を祀りました。そして、清朝最大のライバル、西方の遊牧民ジュンガルと闘う際も、北海の瓊夏島の頂上にヤマーンタカの仏像を建立して戦勝を祈願し、そして、勿論、霊験があらたかに勝ったという話です。

さて、冥土の神ヤマを倒したヤマーンタカ/ヴァジュラバイラヴァなどはヤマを踏みつけ、ヤマの象徴の牛に乗りますがこれには明確な理由があります。

詳しくは『仏教の受容と変容3 チベットネパール編(平3) 166頁参照』を見てもらうとして、簡単に言いますとこうなります。

「ヤマーンタカなどの憤怒尊は仏教内部のある尊格が特定のヒンディ教神を調伏するために憤怒形を示現したものです。つまり、憤怒尊はヒンディ教の神の敵であるが,調伏した・踏みつけた神の力を引き継ぐ為に生まれたということを忘れてはならない。」という事です。けじめ(力関係)をはっきりさせるために、仏教で作られた憤怒尊は強さを強調し(最強神シヴァなどの)ある神よりも強いと判りやすくする為に踏みつけ乗ることで見せつつ、仏教の神であることを明示する為に踏みつけ・乗るその神とは異なる姿をとり、そして、そのヒンディ教の特定の神を打倒すだけでなく、その神の持つ機能を引継いで取って代わる役割を担うということですね。これは、インド亜大陸では仏教に転向した当時の最大のライバルの元ヒンディの信者にとって、前の教えにあった機能・力と同じものが仏教にも一式揃っていてもらわないと困るという事ですね。「ある新聞から別の新聞に切り替えたら,TV欄と天気予報欄がないので困った」というのというのと同じ話です。仏教側では次の素朴な質問に対する答えを用意しておく必要がありました。「私は今までヤマを信仰し日夜拝んでご利益を得て来ました。仏教に転向したあとヤマの代わりに何を拝めばいいのですか。」という事です。つまり、このような神を踏み、乗る仏教の憤怒像は何を踏みつけ・乗るのかでその機能・御利益が類推できます。さて、こう記述しますとインド・チベット仏教、特に密教などは暴力的に思われますがどっこい日本も同じようなもんです。では、歴史のおさらいをしましょう。

まず、日本に仏教が入って来る際に、神道派の物部氏と仏教派の蘇我氏が争いまして、物部氏は滅び、蘇我氏と聖徳太子連合で仏教の優勢が固まりました。

ところが蘇我氏は神道派の巻き返しに逢い、やがて中臣氏(後の藤原氏)の神道が権力を握ります(692年:持統帝の伊勢行幸など)。

その後、仏教派が捲土重来して、聖武天皇の発願で752年奈良に国家事業で大仏を開眼供養。

更に、空海・最澄による密教の伝来により仏教の高度化と統合化を図ります。

そして、この7~8世紀には既に、神々の方が諸仏の方にすりよる仏が主で神が従であるタイプの教え・神仏習合が始まります。この流れは、鎌倉時代の本地垂迹説を一つのピークとして、結局江戸時代末期までこの流れは変わりませんでした。

しかし、神道派もさるもの明治維新と共に、廃仏毀釈の嵐を起こし、全国の神仏習合という隷属状態を破壊、その上で国家神道というスーパー神道を作りだし、全国の仏教どころかキリスト教を含む日本中の全ての宗教の上に立ちます。

しかし、戦後、敗戦と共にこのスーパー神道は崩壊し、統制はなくなり分裂と乱立の今の混在状態に至ります。

どうですか・・・、あまり変わりません気がしませんか・・・?昔も今も宗教・呪術・祈祷・霊能の世界は一面で同業他派との競争・殺し合いの世界です。

また、現在ではソロで学び術を学ぶ事が余りに容易になっているので、危険度は日本の歴史上ないほどです。自己防御の必要性はかつてないほどです。

このサイトがその一助になれば幸いです。

さて、以下に本記事の元ネタを紹介しますので、興味があればどうぞ・・・。

インド後期密教〈上〉方便・父タントラ系の密教チベット密教。

図説マンダラ瞑想法 (実践講座)。

性と呪殺の密教―怪僧ドルジェタクの闇と光 (講談社選書メチエ)の三冊です。

また、面白い論考がネットにありまして、魔術団体のIOSのサイトの記事「寒えーの論争」にヤマーンタカ/ヴァジュラバイラヴァの行法とその解説が伝統的カバラとの対比で考察されています。よろしければどうぞ・・・。

さて、それでは長々と書きましたが今回はここまでです。お役に立てば幸いですが・・・。

では、貴方に全ての良き事が雪崩の如く起きますように・・・。

ではでは、皇悠拝。

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2008年9月27日 (土)

テスカトリポカという神・修行とその危険

何時も御覧頂きまして、有り難うございます。

どうも、皇悠です。

さて、今回は少し目線を変えて、あまり知られていない中南米のオーディンことテスカトリポカについて幾つか記述します。

この神は海外では混沌魔術の代表作『無の書』の中にある神の別表現の例として、この神の祭儀が出ていることで知られています。

日本では、本当にマイナーですが・・・。

ちなみに、この神が所属するアステカ神話では神々の最高権力者(アステカ神話では太陽がその地位・象徴です)、つまり主神が交代(そして、その旧支配者の統治した世界の破壊と世界の再創造)が何度も行われますのが大きな特徴です。

通常ではテスカトリポカは、身体は黒く、複数の槍と羽&布付きの飾り鎧で武装し、顔に黒と黄色の縞模様を塗った姿として描かれ、しばしば右足が黒曜石の鏡か蛇に置き換わった姿で表現されています。

これは右足を原初のエネルギー・混乱の象徴たるワニ・怪物に食わせて、大地を創造したという話にもとずいて描かれます。また、世界中の出来事をその鏡の中に見る事が出来、人間の所業を鏡を通して見守りつつ、人の罪を罰し、復讐を行うという話も伝わっています。善と悪・創造と破壊という矛盾した性格を持ち主です。

さて、テスカトリポカの名前の意味は『煙を吐く鏡、煙る鏡』です。(名前も支えの鏡の両方ともに)鏡の素材は金属ではなく、黒曜石とされ、アステカの呪術者は、この鏡を覗き込んでトランスに入り、部族の将来や神の意図を占うのに使用されていたともいわれます。

基本的に神話学では鏡は月・夜のシンボルであり、現世的なものを象徴するのが本筋ですから、テスカトリポカがそのシンボルとして鏡を用いるのに違和感は余りありませんね。主神が太陽・そのライバル/使いが月というのもよくあるパターンです。

ただ、アステカ神話の主要な神の1柱であり、神々の中で最も大きな力を持つともされるこの神をキリスト教の宣教師たちは悪魔としました。

さて、基本的にこのテスカトリポカは、魔術をあやつる力の源、現世・現象を成り立たせているエネルギーの支配者で、つまりどちらかと言えばこの世的な、物質的な事象をカバーする神です。また、その為に呪術師の守護神でもあります。

また、この神は、「夜の空、夜の翼、北の方角、大地、黒曜石、敵意、不和、支配、泥棒、予言、誘惑、魔術、美、戦争や争い」といった幅広い概念・権能とも関連付けられ、大熊座の星を表すこともあり、永遠に年を取らない若者とも言われます。

しかし、基本的には古くはトルテカ族の軍神で戦士・呪術の守護神、様々な姿で現われる全能・遍在する神です。

おまけ、1950年6月19日に、アルバート・ウィルソンとオーケ・バールレンクイストが発見された星に、このアステカ神話のテスカトリポカに因んで命名された小惑星があります・・・・。

なお、アステカ神話の有力な文化的な英雄神のケツァルコアトルのライバル的な存在で、後のアステカ時代ではウィツィロポチトリの敵でもあります。

この中南米のティオティワカン文化由来のケツァルコアトル、またアステカ族の民族神ウィツィロポチトリ、トルテカ族起源の神テスカトリポカの関係には複数の民族が共存した当時の社会の複雑さがあらわれていますね。

さて、この神は夜の神でもあるので、月や星また破壊をもたらす邪悪な闇の怪物(蝕のことです)に力を貸し、また古代メキシコでよく見られた神性の象徴、豹に変身します。それは豹の皮の斑点が夜空の星々になぞられたのもあるそうです。

また、様々な多くの別名を持ちます。

ヨアリ・エヘカトル(夜の風の意。)、チャルチウトトリン(美しい七面鳥)、イツトリ(黒曜石のナイフ)、ネサワルピリ(断食する王子)、テルポチトリ(若者)など・・・。

また更にアステカの神話では、アステカ族の宇宙創造の男神オメテクトリ(またはトナカテクトリ)と宇宙創造の女神オメシワトルの間に生まれた4人の子供の一人。あるいは4人の色分けされたテスカトリポカとしてあります。

これは4つの方位と色に神学的意味を持つプレ古代メキシコ諸文化をアステカでも継承・統合したことにより、また様々な神々がアステカ族の元に融合された結果ですね。

以下に色分けされたテスカトリポカ、方位、(その化身の)4人の子供の関係を記述します。

南-青いテスカトリポカ(ウィツィロポチトリもしくはトラロック)
東-赤いテスカトリポカ(金銀細工師と春の雨と自然の再生を司るシペ・トテク、もしくはアステカの太陽神トナティウ、チチメカ族伝来の狩人の守護神ミシュコアトル)
西-白いテスカトリポカ(ケツァルコアトル)
北-黒いテスカトリポカ(テスカポリトカ)

つまり、テスカポリトカがあまりに広大にして多様性を得たことで、ちょうど由来も信仰集団も背景も異なる密門の両界曼荼羅の全ての神仏が今では大日如来の化身であると統合・整理されたように、テスカポリトカも多くの神々と世界の源・本体とされた訳です。このような例は世界中で多くあります。

さて、この神には面白い話があります。

それは、ある試練の成就(人間がテスカトリポカに格闘を挑みそれを挫くこと)が出来たなら、どんな願いも叶えてもらえると云われます。しかし負けた場合は、確実に命を失うとされています。

さて、今回この神を取り上げた理由の一つは、この神の試練が古くはシャーマニズムから始まる、そして今では小はおまじない・礼拝・瞑想などから大は加持祈祷・呪術・祈祷・ヒーリング・ライトワークなどにいたるまでのあらゆる霊的な行・術の危険を表しているからです。

つまり、ある段階以上になりますと霊的な術・行は確実に、

『何度もこの恐ろしく強大・複雑なテスカトリポカに試練を挑むこと』と同じになるからです。

同じような事をユングはシャドウ(≒無意識)との対決についての記述に見ることが出来ます・・・。

さて、具体的には術・行に失敗してしまったら、本人の生命・人生・肉体だけでなく財産、家族、社会的地位、恋人、弟子なども同時に恐るべき運命的な偶然の発生と共に、巻き込まれ傷つき病み失われることになります。

つまり、そうした世俗的・この世的なあらゆるものへの愛着がいつでも捨てられる状態にまで魂・精神・意志などの熟成がある程度進んだ人間でないと、ある段階以上の術・行は出来るものではないという事です。

その為、お釈迦様・イエスキリストなどの最高度の覚者と呼ばれる方達は、この世の全てを捨てろ・無視しろと弟子・修行者に命令していましたね。現代では忘れられかけていますが・・・・。

さて、今回は、現代ではあまり論ぜられませんが、重要な事をあえて私の好きな神の一柱・テスカトリポカと絡めて取り上げてみました。お役に立てば幸いです。

それでは、『貴方に全ての良き事が雪崩のごとく起きますように・・・』。

では、皇悠拝。

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不動明王について

何時も御覧頂きまして、有り難うございます。

どうも、皇悠です。さて、今回は今までお不動さんこと不動明王様の祭文・お経などを記事にしてきましたが、不動明王様自体についてあまり詳細に記述していませんでしたので、初心に帰りまして、今回クドイ位書きますね。

なお、かなりの大長文になりますので、興味の無い方はここでお帰りください。

では、いきますね・・・。

和名、不動明王(ふどうみょうおう)は、日本密教に特有の信仰対象の尊格です。明王部(仏のランク)の一尊。また、日本特有のグループ群の五大明王の中心となる明王。サンスクリット語/梵語 (अचलनाथ [acala naatha])でアチャラ・ナータ。名の「アチャラ」は「動かない」、「ナータ」は「守護者」を意味しており、全体としては「揺るぎなき・不動の守護者」の意味です。密号は常住金剛。

チベット仏教などではこの名・アチャラ・ナータよりもチャンダ・マハーローシャナ(चण्डमहारोषण [caNDamahaaroSaNa])即ち「暴力的な悪しき怒れる神」の意味の暴悪憤怒尊の名でより知られています。ただ、こちらは三眼で毛皮を身に纏い髪が逆立っているなど、日本に伝えられた不動明王とは図像的にやや異なるものですね。

さて、不動明王は日本密教の根本尊である大日如来の化身、あるいはその内証(内心の決意・または誓願)を表現したものであると見なされていて、「お不動さん」の名で親しまれています。なお、その異名には大日大聖不動明王(だいにちだいしょうふどうみょうおう)、無動明王、無動尊、不動尊などとも呼ばれていて、アジアの仏教圏の中でも特に日本において根強い信仰を得ており、造像例も多いです。

また、あまり知られていませんが日蓮宗系各派の本尊(いわゆるひげ文字・十界曼荼羅)にも不動明王が愛染明王と同様に、散々けなした宗派の宗祖の空海によって伝えられた日本密教に特有の尊格でありながら付け加えられていますが、さすがに体裁が悪いためか日蓮以来代々種子で書かれています。(ここに、この尊格の色々な意味で頼りになる力の強さと信仰の広がりを感じるのは私だけでしょうか・・・、さすがの密教嫌いの日蓮も不動は捨てられないという・・・)

なお日蓮の曼荼羅における不動明王は生死即涅槃を表し、これに対し愛染明王は煩悩即菩提を表しているとされています。

三昧耶形(象徴する道具)は利剣(諸刃の剣)、羂索(投げ縄)。種子(象徴する文字)はカーン (haaM)、或いはカンマーン (hmmaaM)。「カン」は、不動堅固の行によって、煩悩の深い者を大空三昧(菩提)へ導く梵字。「カンマン」では「カン」が不動心、「マン」は「柔軟心」を表しています。動物で現すと竜(正確には倶梨伽羅竜)、色ならば金または青黒となります。

真言は、一般には小咒 (しょうしゅ)、とも一字咒 (いちじしゅ)と呼ばれる「ノウマク サンマンダ バザラダン カン」(namaH samanta vajraaNaaM haaM)がよく用いられますね。

また、他の真言(明とも言いますが)には、

大咒 (たいしゅ)こと火界咒 (かかいしゅ)と呼ばれる 「ノウマク サラバタタギャテイビャク サラバボッケイビャク サラバタタラタ センダマカロシャダ ケンギャキギャキ サラバビギナン ウンタラタ カンマン」(namaH sarvatathaagatebhyaH sarvamukhebhyaH, sarvathaa traT caNDamahaaroSaNa khaM khaahi khaahi sarvavighanaM huuM traT haaM maaM)、

中咒 (ちゅうしゅ)こと慈救咒 (じくしゅ)と呼ばれる「ノウマク サンマンダ バサラダン センダンマカロシャダヤ ソハタヤ ウンタラタ カンマン」 (namaH samanta vajraaNaaM, caNDamahaaroSaNa sphoTaya huuM traT haaM maaM)もあり、それなりに知られています。

さて、この尊格は弘法大師こと空海が中国より密教を伝えた際に日本に不動明王の図像と経典が持ち込まれたのが本格的な信仰の始めと言われ、「不動」自体の尊名は、8世紀前半、菩提流志(ぼだいるし)が漢訳した「不空羂索神変真言経」に「不動使者」として現れるのが最初だと言われています。なお、ここの「使者」とは、大日如来の使者という意味です。

さて、日本密教では三輪身といって、一つの「ほとけ」が「自性輪身」(じしょうりんじん)、「正法輪身」(しょうぼうりんじん)、「教令輪身」(きょうりょうりんじん)という三つの姿で現れると考えています。「自性輪身」(如来)は、宇宙の真理、悟りの境地そのものを体現した姿(大抵は瞑想している姿で、あえて例を挙げると功を遂げた修行者・最奥義に行き着いた研究者のイメージです)を指し、「正法輪身」(菩薩)は、宇宙の真理、悟りの境地をそのまま判り易く衆生(全ての生き物)に説く姿(何かの教師やボランティアの災害救助者などのイメージです)を指します。

これらに対し「教令輪身」は、仏法に従わない者を恐ろしげな姿で脅してでも教え諭し、仏法に敵対する事を力ずくでも辞めさせるなど、極めて積極的な介入を行う姿です。(まんま、機動隊や軍隊のイメージですね)

ちなみに、不動明王は大日如来の教令輪身に当たります。煩悩をかかえ、もっとも救いがたい衆生をも力ずくで救うために、忿怒の姿をしているのですね。

また、お釈迦様が成道(悟りを開く為)の修業の末、悟りを開くために「我、悟りを開くまではこの場を立たず」と決心して菩提樹の下に座した時、世界中の魔王が釈迦を挫折させようと押し寄せたところ、釈迦は穏やかな表情のまま降魔の印を静かに結び、魔王群をたちまちに力で降伏したと伝えられていますが、不動明王はその際の釈迦の内証(心の状態)を表現した姿であるとも伝えられています。

因みに、この時にお釈迦様は自身の力だけでは足りなくて地天という大地の神の召喚(呼び出す事)の行い、その神の力で魔王群の妨害を防いだという伝承があります。

さて、この不動の憤怒の姿は、我が子を見つめる父親としての慈しみ=外面は厳しくても内心で慈しむ父愛の姿を表現したもの(外弁慶)であると言われています。

さて、日本に限らず密教の仏像は多面多臂の怪異な姿のモノが多いのですが、日本では不動明王は人と同じ一面二臂(手)で剣と羂索(けんじゃく・ムチ)を持つのを基本としています。(密教の図像集などには多面多臂の不動明王像も説かれていますが、立体像として造形されることはまれで、ほぼ絵画に限定されます)。

では、具体的な姿にいきますね。

まず、その身体は基本的に醜い青黒い色で表現され、これはドブ泥の色とも言われ、煩悩の泥の中において衆生を済度(救う事)をすることを表します。しかし底哩経などには、身体の色は青黒か赤黄とあり、頭頂は七つ髷(マゲ)か八葉蓮華、衣は赤土色、右牙を上に出し左牙を外側に出す、というのが一般的です。勿論、密教は歴史的に他の御姿を作りやすい宗派ですが基本はコレですね。

さて、より詳しく見ていきますとその体型は肥満した童子形につくることが多く(日本密教の根本経典・正典の『大日経』の出典によります)、怒りによって逆巻く髪は活動に支障のないよう弁髪(一つのおさげにすること)でまとめ上げ、法具は極力付けず軽装で、法衣は片袖を破って結び、その装束は古代インドの奴隷ないし従者の姿を基にしたものとされ、修行者に付き従いこれを守る存在であること示します。

右手に降魔の三鈷剣(魔を退散させると同時に人々の煩悩を断ち切る)を持ち、なおその剣には竜(倶利迦羅竜)が巻き付いている場合もあり、この事からこの剣は「倶利迦羅剣」と呼ばれています。左手に羂索(けんじゃく=悪を縛り上げ、また煩悩から抜け出せない人々を救い上げるための投げ縄)を握りしめます

また、背に迦楼羅焔(かるらえん=三毒を喰らい尽くす伝説の火の鳥を「迦楼羅・カルラ」といい、この毒をもつ動物を食べるという伝説上の鳥の姿をした炎ということで、毒になるものを焼きつくすことを表現しています。)を背負う、または不動明王が火焔の中に住まわれるのは ”火生三昧”といって、衆生の煩悩を大智慧の火で焼きつくして、お悟りに導くことを本誓(ねがい)としていられるからともされています。

憤怒の顔で粗岩(磐石(ばんじゃく))または金剛石(ダイヤモンド)の上に座して「一切の人々を救うまではここを動かじ」と決意する姿が一般的です(ただ、日本では何故か坐像の他、立像も数多く存在してます)。

さて、その信仰がインドで起こり、中国を経て日本に伝わった不動明王ですが、インドや中国では、その造像の遺例は非常に少なく信仰自体もほぼ廃れています。

しかし、日本では密教の流行に従い、盛んに造像が行なわれ、日本に現存する不動明王像のうち、平安初期の東寺講堂像、東寺御影堂像などの古い像では、両眼を正面に見開き(平常眼とも言います)、前歯で下唇を噛んで、左右の牙を下向きに出した、現実的な表情で製作されています。

しかし時代が降るにつれ、(右眼を見開き左眼をすがめる、あるいは右眼で天、左眼で地を睨む)天地眼という異形の眼、牙上下出(右の牙を上方、左の牙を下方に向けて出す)という、左右非対称の姿の像が増えるようになりました。これは10世紀、天台僧の安然らが不動明王を観想(思い浮かべる)するために唱えた「不動十九観」の影響によるものであります。

そして、時代をさらに下ると、不動明王像は天地眼による表現がほぼ完全に主流となっていきました、運慶作の静岡・願成就院の不動明王・二童子立像など、一部には両目を見開き、牙が両方とも下を向いて咬んでいる古来の相に倣って刻まれた像が見受けられますので、これから基本的に願主(仏像の製作を依頼した方)の要望で創作されたことが判ります。

さて、これら以外にも特に空海や円珍(天台宗系の大学僧にして大行者)らにより始まる不動法の流行は廃れずに長く継続したために、歴史上に多数の変化像を生み、空海入唐の故事に因んだ波切不動(高野山南院)や円珍の感得による黄・赤・青の三色の身色で表される不動なども生じ、また中国の五行論に絡んだ五色不動として黒・白・赤・青・黄の眼で表される不動像も生じました。なお、この五色不動は現在の東京の地名である目黒や目白の由来の一つとも言われています。

さて、不動明王には眷属というか専属の臣下がいます。

それを、俗に八大童子と呼び、その眷属を従えた形で造像される場合も多くあるります。ただし、実際には八大童子のうちの二名、矜羯羅童子(こんがらどうじ)と制多迦童子(せいたかどうじ)を両脇に従えた三尊の形式で絵画や彫像に表わされることが多い(不動明王二童子像とも言います)。

この三尊形式の場合、不動明王の右(向かって左)に制多迦童子、左(向かって右)に矜羯羅童子を配置するのが普通です。

なお、矜羯羅童子は童顔で、合掌して一心に不動明王を見上げる姿に表わされるものが多く、制多迦童子は対照的に、金剛杵(こんごうしょ)と金剛棒(いずれも武器)を手にしていたずら小僧のように表現されたものが多いですね。(ちなみに、古いドラマにスケバン刑事というモノがありましたが、そのシリーズ三作目にはこの三尊形式の位置関係がヒロイン達の立場に援用されています・・・、閑話休題)

さて、八大童子の残り六名は、慧光(えこう)童子、慧喜(えき)童子、阿耨達(あのくた)童子、指徳(しとく)童子、烏倶婆伽(うぐばが)童子、清浄比丘(しょうじょうびく)です。これら八大童子の彫像の作例としては、高野山金剛峯寺不動堂に伝わった国宝の像がよく知られてますね。

なお、不動明王の眷属として八大童子を配することは、サンスクリット経典には見えないようで、中国で考案されたものと言われ、この他に三十六童子、四十八使者と呼ばれるモノもあります。

また東寺のように五大明王と呼ばれる主要な明王の中央に配されることも多く、その配置は以下の通りです。

中央に不動明王(大日如来)
東方に降三世明王(阿しゅく如来)
西方に大威徳明王(阿弥陀如来)
南方に軍茶利明王(宝生如来)
北方に金剛夜叉明王(不空成就如来)
の位置関係で奉られ、怨敵調伏のときなどに用いられます。
(カッコの中は基本的にはその如来が変じてそれぞれの明王になったとされています)

では、ここで大日経の他、特に修験道において好んで読誦されるものが多いですが、代表的なものを幾つか挙げます。

聖無動尊大威怒王秘密陀羅尼経 (しょうむどうそん だいいぬおう ひみつだらにきょう)

大日如来の大法会で普賢菩薩が文殊菩薩と衆生に向かって自らの感得した不動明王について教えを説き、大日如来がお墨付きを与えるという筋書きです。

仏説聖不動経(ぶっせつ しょうふどうきょう)

前述の経典の教えのエッセンスを短くまとめたもので、日本で成立。不動明王自身が教えを説くという形式を採るモノ。衆生の心の有り方は一様でない(悟りに到る道も個々によって異なる)ので心の中に住み(修行者自身の中に不動明王がいる)、そして各々に合わせて姿を変え願いを叶えるという内容が説かれています。いわゆるメイドイン日本の偽経ですが、内容的にはすばらしく上記の経典の釈(解説書)と考えるのが自然かもしれませんね。

稽首聖無動尊祕密陀羅尼経(けいしゅ しょうむどうそん ひみつだらにきょう)

印を結ぶ動作が加わるなど、密教色の極めて強い経典です。

次の四つは他の尊格や日本の神々をも代表する存在であるとした讃嘆経(仏教版の讃歌集)です。

不動尊劔の文。不動尊祈り経、不動明王利益和讃、五體加持。

これらは他の神仏に優る超越的絶対者としてではなく、衆生の心のあり方は一様でないので悟りに到る道も個々によって異なるという前述の思想を受けたものです。

また、それ以外に大乗仏教の汎用経の般若心経(空海が注を入れた般若心経秘鍵の影響もありますが・・・)もよく真言と共に読誦されていますね。

なお、不動明王は人が死後に出会う十三仏の初七日の本尊・導師に当たります。

ちなみに、不動明王の信仰自体が平安貴族以外にも広まったキッカケの一つは平安時代初期の平将門の乱です。この時になかなか手に負えない平将門を調伏するために京都の高雄山神護寺から不動明王像を「借りて」関東に持って行き、成田の地で調伏の法を行いました。

そして、この像はなぜか京都に戻らず、そのまま現在の新勝寺の本尊として伝わっています。(新勝寺に伝わる伝説では京都に連れて帰ろうとしたがどうしても動かず、夢枕に不動が現れ、自分はこの地に留まって関東の守護者になると言ったということです)

そして不動信仰を決定的に庶民、正確には鎌倉武士に土豪などへ浸透させたのは鎌倉末期の元冦でした。この時は全国各地で敵国退散の呪法が行われ、その主役の一つが不動明王でした。この時面白いことに日本軍を助けに「走って行く」不動明王の絵なども描かれています。これは「走り不動」と呼ばれるものですが、本来動かないはずのお不動さんが走って行くというのはなんとも逆説的ですが、それほど元寇時の危機感が強く不動明王への信任が強かったという事ですね。

また、不動は庶民信仰の中では疫病退散の仏としても信仰を集めています。これは修験道の山伏が里人に頼まれて病気治療の加持の護摩を焚く際などに、しばしば修験道の本尊として御祀りする不動に祈祷した為です。また現代でも病を抱えたお年寄が平癒祈願に行くのに多いのは、不動と薬師如来とも言われています。

さて、それ以外に御利益は不動明王は大威力があって難を除き、魔を降伏し、すべての人にわけ隔てなく利益を与え、念ずる人の願いによって、どんなご利益でも授けられると言われるので幅広いです。

具体的にはまず第一に行者守護が来ます。次に除災招福、そして以下に戦勝、悪魔退散、家内安全、厄除災難除去、開運吉祥、商売繁盛、交通安全、当病平癒、負傷平癒、心願成就、事業繁栄、旅行安全、安産満足、六三除、方災消除、学業成就、開運満足などが来ます。

有名な護摩法要は大願を成就せしめる為に、不動明王の前で焚かれるモノです。

俗に言う守り本尊では、不動明王は酉年生まれの守り本尊です。

さて、歴史的に不動明王は、西方から侵入してきたアーリア族に圧迫され、奴隷となっていたインドの原住民ドラビダ族の象徴です。
その頭髪を束ねて左側に垂らし、目や歯が不揃いで醜いのはその為だといわれます。

更に、ダキニ天に対してその抑えとして不動明王をもってくる法があるのは、ダキニ天自体が同じドラビダ族(今の不可触選民の源流の一つとされる民族)が信仰していた大地母神から来たと言う説があるためです。

なお、不動明王の信仰自体が空海の教化戦略の中に於いて先行する同じ密教系の天台宗を凌ぐ教義として真言密教を為政者に認知させる方針として密授と共に、胎蔵界曼荼羅の持明院の一尊に過ぎない不動明王を重要視し、主役の位置に採用した影響という説もあります。要するに不動明王は胎蔵曼荼羅の象徴尊として表に出して重んじた結果という説です、因みにその伝で金剛界の象徴尊は愛染明王になります。

また、不動明王は明王の中では最低の地位で、逆に最高位を愛染明王(あいぜんみょうおう)とされ、上記の説と合わさりまして、不動&愛染の一対に祀れば、全ての苦しみを救い取れるとされて一対で祀られることも多いですね。

さて、このように多くの故事・経典に支えられ、絶大な験力と曼荼羅の全ての神仏を背負うほどの格の高さ、今なお尽きない利生の発生などが不動明王をして、日本の密教系祈祷の大本尊・大本命にしています。

正直なところ、不動以外は必要ないという方もかなりいますね。

さて、それでは長々と書きましたが今回はここまでです。お役に立てば幸いですが・・・。

では、貴方に全ての良き事が雪崩の如く起きますように・・・。

ではでは、皇悠拝。

 

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2008年9月12日 (金)

弥勒菩薩様について

何時も御覧頂きまして、有り難うございます。

どうも、お久しぶりです、少し時間が出来たので書いております・・・皇悠です。

さて、今回は以前に桃様のご要望にお答えしまして弥勒菩薩様について書きます。今回も長くなりますよ・・・、ではいきますね。

弥勒菩薩、梵名マイトレーヤ・意訳して慈氏菩薩とも、また他に弥勒仏とか、弥勒如来ということもあります。字は阿逸多 Ajita といい、無勝等とも訳します。インドの波羅奈(パラナシー)国の生まれで釈迦の化導を受け、未来に成仏するという記を与えられた方。

弥勒菩薩様の象徴は蓮華上の塔、賢瓶(水瓶)。種(種字)はユ(yu)

死後に人を化導する十三仏の導師の一人。半跏思惟像(はんかしゆいぞう)の弥勒菩薩が有名で、その微笑みは「アルカイク・スマイル」としても知られ、五仏の付いている冠をよくかぶります。

さて、弥勒菩薩はゴータマ・シッダールタ(お釈迦様、現在仏)の次に仏となることが約束された菩薩で、ゴータマ・シッダールタの入滅後56億7千万年後の未来に姿をあらわし(下生信仰)、多くの人々を救済するとされます。現在は、兜率天で修行(あるいは説法・瞑想)しているといわれ、中国・朝鮮半島・日本では、弥勒菩薩の兜率天に往生しようと願う信仰(上生信仰)&自殺が流行しました。

さて、一般に弥勒の下生は56億7千万年後とされているので、この気の遠くなる年数は、弥勒の兜卒天での寿命は4000年であり、兜卒天の1日は地上の400年に匹敵するという説からですので、下生までに4000×400×360=5億7600万年かかるという計算に由来します(後代に5億7600万年が56億7000万年に入れ替わったとも考えられてます)。

そして、我々はその時には過去のお釈迦様の弟子たちのように説法を聞き悟りを開くチャンスがあるという思想もありますが・・・。

しかし、こんなに先・かかるとその間に輪廻転生を繰り返し、その願いを忘れる・失う可能性が出てくるので、阿弥陀様の死後すぐにいけると言う極楽浄土への往生思想などに負けましたが・・・。

しかし、他の古い仏教経典では3000年後という説もあり、その未来仏の出現する時代は厳密には定かではなく「遠い未来」の比喩ではないかとの説もあります。もしその説によりますとそろそろ下生されますね・・・。

また、弥勒菩薩はバラモンとしてこの世に現れて、シッダールタ同様に出家したのち竜華樹下(りゅうげじゅ)で悟りを得て、三度にわたり説法を行い多くの人々を救うという説もあります(これを竜華三会という)。『弥勒下生経』には、初会96億、二会94億、三会92億の衆生を済度すると説いています。

さて、弥勒信仰は、上生信仰と共に、下生信仰(この世に現れるという、いわゆる救世主・メシア思想の一つですね)も存在してますが、特に中国においては何故かこっちのメシア信仰の方が流行しました。

ちなみに下生信仰には、弥勒菩薩の兜率天に上生を願う上生信仰(つまり、弥勒菩薩様版の往生思想)に対し、弥勒如来の下生が56億7千万年の未来ではなく現に「今」なされるからそれに備えなければならない・そのために(わが教団員になり・・・)動こうという信仰のパターンもあります。

さて、その為か上生信仰に対して下生信仰の方は、弥勒下生に合わせて現世を変革しなければならないという終末論とそれに付随する救世主待望論的な要素が強くて、反体制の集団に利用される場合や下生信仰の集団が反体制化するという場合が数多く見られ、多くの騒乱がおきました。特に特に歴史的には北魏の大乗の乱がその代表です。

ちなみに、日本でも戦国時代に弥勒仏がこの世に出現するという信仰が流行してユートピアである「弥勒仏の世」の現世への出現が期待されました。一種のメシアニズムですが、弥勒を穀霊とし、弥勒の世を稲の豊熟した平和な世界であるとする農耕民族的観念も強く。この観念を軸とし、東方海上から弥勒船の到来するという信仰が、弥勒踊りなどの形で太平洋沿岸部で何故か展開しました。

また、江戸期には富士信仰とも融合し、元禄年間に富士講の行者、食行身禄が活動してます。

その他にも多くの世直し思想・一揆の中に弥勒思想が強い影響があることが指摘され、近世にも大本教の出口王仁三郎(彼も弥勒菩薩の使い・化身などと呼称・伝えられ、革命・世直し運動などを行い時の政府に大弾圧を受けました)などにも受け継がれています。

さて、仏教の中にこの弥勒菩薩が登場するのはかなり早く、この仏の概念は過去七仏から発展して生まれたものと考えられています。

ちなみに、マイトレーヤというインドの瑜伽行唯識学派の論師として唯識説を説く開祖の一人が後世の伝説によって、前述の未来仏としての弥勒菩薩と同一視されてもいます。なお、彼の著作には『瑜伽師地論』、『大乗荘厳経論』、『中弁分別論』、『現観荘厳論』、『法法性弁別論』などがあります。

チベットでは、瑜伽師地論は無着菩薩造となっており、究竟一乗宝性論が弥勒菩薩造となっていますが、漢訳では堅慧造としてます。

さて、弥勒菩薩には西アジアで主に崇められていました太陽神ミスラorミトラが仏教に取り入れられ、菩薩として信仰されたものとする説もあり、その救世主的性格はここに由来すると考えられています。

これは私が以前書きました、あの大笑いし封印した「弥勒=ミカエル=ミトラ=メタトロン=布袋説」のあの繋がりです。

このミスラはインド神話におけるアーディティヤ神群の一柱ミトラと起源を同じで、古くは古代アーリアにおいて信仰されていた契約の神です。ゾロアスター教においては中級神ヤザタの一柱とされ、英雄神、太陽神として重要な役割をあたえられ、また、古代ギリシャ・ローマにおいてはミトラースとも呼ばれ当時の大宗教の主神格として崇められました。

また、ミスラはクシャーナ朝ではバクトリア語形のミイロ(Miiro)と呼ばれ、この語形が弥勒の語源になったと考えられていて、ミイロの神格は太陽神であるということ以外不明ですが、定方晟という方はマニ教の影響なども考慮して、救世主的側面があったのではないかと推測しています。

さて、弥勒の梵名「マイトレーヤ」は、ミスラ神の名と語源を同じで、「mitra/miθra」は本来「契約」というほどの意味ですが、後に転じて契約によって結ばれた親密な関係にある「盟友」も意味するようになり、マイトレーヤはその派生形容詞/名詞で「友好的な、友情に厚い、慈悲深い(者)」の意味に繋がります。

また、弥勒菩薩の像形はインドでは水瓶を手にする像として造形されましたが、中国においては、唐までは足を交差させ椅子に座る像として造像され、元・明時代以降は弥勒の化身とされた布袋さんの肥満形になりました。

しかし、飛鳥時代からの日本に仏教伝来した時から半跏思惟像として造像が行なわれたました。あの有名な椅子に坐して左足を下ろし、右足を上げて左膝上に置き、右手で頬づえを付いて瞑想する姿ですね。

ちなみに、大阪・野中寺の金銅像(重文)が「弥勒菩薩」という銘文をもつ最古の半跏思惟像で、他に京都の広隆寺の弥勒菩薩像(木像)は特によく知られ国宝に指定されています。ただ、平安・鎌倉時代頃には、半跏思惟像は見られなくなり、立像や坐像として表されるようになり、京都・醍醐寺の快慶作の木像などはその代表例です。

弥勒如来像としては、前述の奈良の東大寺の木像(通称「試みの大仏」)(重文)や、当麻寺金堂の塑像(奈良時代、国宝)、興福寺北円堂の運慶一門作の木像(国宝)などが知られてますね。

基本・根本真言は『 オン・マイタレイヤ・ソワカ 』

印相は右手は施無畏印(手のひらを相手にむける)ですが、左手は掌を下にして膝を軽くo抑えるような格好が特徴です

さて、この弥勒菩薩は慈悲・救済系の教化担当の仏菩薩ですが以前「人格と魔術」という題のこのブログの記事に書きましたが、おもしろい逸話があります。

以下の通りです

『 浄土真宗の第二祖世親、彼は南都六宗の倶舎宗・法相宗の祖でもあり、倶舎論を書き、真言・天台・禅宗などにも後世大きく影響を与えた仏教の二大哲学にして思想、唯識の大成者の一人です。

さて、彼の逸話にこういうのがあります。

世親ことヴァスバンドゥは10年間以上、洞窟にてマイトレーヤ、和名弥勒菩薩・ミトラ神の修行をしていましたが、終にその示現、つまり弥勒菩薩の幻視・来迎は起きず、諦めて洞窟より出てしまいました。

さて、修行を辞めた世親はそれから少しして、ある犬をみて不意に慈悲心、哀れみ・優しさが湧き上がりました。そしてその時、あれほど逢いたく焦がれ修行した弥勒菩薩が眼前に不意に出現してしました。

そして、すぐに世親は弥勒菩薩に尋ねたそうです。

「なぜ、貴方は今まで顕れてくれなかったのですか・・・。」

弥勒菩薩は答えました。

「私は貴方の傍にずっといた。しかしあなたは私に菩提心・慈悲の心がないために気付かなかった、いま菩提心が貴方に宿り、やっと私に気付きました・・・」

という逸話です。 』

さて、此処までは普通の知識的な話なので此処からマニヤ・業界的な話を書きますね・・・。

まず、弥勒信仰は、19世紀末の欧米で興った近代オカルト運動にも波及していて、史上最大の霊媒・ペテン師とも言われるロシア出身のブラヴァツキー夫人が興した神智学協会においてもその影響を及ぼしました。

そして、それはついには、西洋人のありがちなメシア信仰運動の変形として、二代目会長のアニー・ベサント夫人が、十代の少年だったインドの少年、ジドゥ・クリシュナムルティを“ロード(導師)・マイトレーヤ(弥勒菩薩)”の化身であるという騒動に繫がりました。

さて、それに対して、神智学協会ドイツ支部の幹部・書記長であったルドルフ・シュタイナーが反撥し、「クリシュナムルティがロード・マイトレーヤであるか否か」を巡る対立が起き、シュタイナーの神智学協会からの離脱、および新たに人智学という流派の誕生とその組織・協会の設立を招く結果にいきあたります。

 このいきさつについては、「釈迦・観音・弥勒とは誰か」(水声社/シュタイナー他、共著)において西川隆範氏が「弥勒問題」で詳しく触れているので、これを主たる典拠・論拠にしながら述べて行きます。

***

 さて、ベサント夫人の片腕的存在であり、当時から稀代の透視能力者としても名を知られていたリードビーター師が、“その身に驚くべきオーラを帯びた”インド人の少年を発見したのは、1909年、インドのマドラス近郊、アディアル近くの海岸であった。当時クリシュナムルティは14歳。同年にはシュタイナーは48歳になろうとしていた。

 稀代の美少年だったという若きクリシュナムルティ(海にいたということは、多分半裸or全裸でいた可能性もありますが・・・)を目のあたりにし、同性愛者との噂もあったリードビーター師がいかに感激したのかは想像にかたくないですね(下賎な言い方をすれば、発情し夢中になったわけですよ・・・、この辺を書いていますとなんかサイババの暴露本・裸のサイババのサイババの同性愛・少年愛シーンを思い出します・・・、閑話休題)。

さて、それはともかくリードビーター師はベサント夫人にクリシュナムルティを引き合わせました。そしてあろうことかベサント夫人が「この少年こそロード・マイトレーヤ(つまりは弥勒菩薩)の化身である」と確信してしまったから、大変です。

この時から“弥勒菩薩”を巡る、神智学協会のトップとシュタイナーの軋轢が始まり、最後は分裂騒動に向かいます。

さて、当のクリシュナムルティ自身はどうだったのでしょうか?

彼の伝記を著したメアリー・ルティエンス夫人によると、弥勒菩薩(を受け入れる器)となる為に、何回かイニシエーションが行われたといわれてます。

 「夜、身体を離れたとき、私(=クリシュナムルティ)はすぐさま大師たちの家に行き、M大師とジュアルカル大師のなかに彼を見出した。……それから、私はロード・マイトレーヤの家に行き、多くの大師たち、ヴェネツィアの大師、マイスター・イエス、サン・ジェルマン大師、ヒラリオン大師に出会った」 ~『クリシュナムルティ 覚醒の年』メアリー・ルティエンス著より~

 上述のは、1910年1月10日に行われたものであり、第二のイニシエーションは、シチリア・タオルミナのホテルで、同年4月30日から5月1日にかけての満月の夜に行われたという。また、クリシュナムルティは、瞑想の中で弥勒菩薩に出会ったとも言っている。

 「私のまえに私の身体があり、私の頭のうえに明るい星が見えた。そして、私はロード・マイトレーヤのバイブレーションを感じた。私はロード・マイトレーヤとKH大師を見た」 ~『クリシュナムルティ 覚醒の年』より~

 このようにクリシュナムルティ自身は、一時は弥勒菩薩としての役割を受け入れようとしていたようであり、神智学協会創設50周年大会(1925年)の席では、彼を通して弥勒菩薩が語ったともされている。

しかしクリシュナムルティもまた、シュタイナーと同様に神智学協会を去ることになるのである。

1929年8月3日、クリシュナムルティは自ら「東方の星の教団」を解散し、メシアとしての生活に終止符を打った。それ以後、クリシュナムルティは弥勒菩薩にはならなかったのですが、その後の活動を見れば、確かに類を見ない世界的な“マスター”の一人になったとは言えますね・・・。

では、片一方の当事者のシュタイナーはどうかと言いますと、最後までクリシュナムルティが弥勒菩薩であることを認めなかったのですが、しかし実際のところはシュタイナー自身はその教学において「弥勒菩薩」自体に言及することが多く、しかも高評価をしています。

シュタイナーは弥勒菩薩を称して「言葉を通して善をもたらす者」「善き心の仏」などと呼び、観音についてはごく僅かにしか語っていないのに反し、弥勒への言及が多かったことから、シュタイナーが弥勒菩薩を重視していたことは間違いないようです。

ただ、弥勒菩薩とマイトレーヤ=ミトラの同一視はまだしも、歴史的教学的には対立・血の闘争・論争を繰り返したキリストとミトラを同種というかある種の仲間・師弟関係とみなす間違いを犯しているので、かなり歪な点がありますが・・・。

さて、少し話を戻しまして弥勒菩薩自身の性格を現すものとして、修験道系の説話で面白いものがありますので、紹介しますね。

このお話は役行者が修験道の・自らの守護神を祈りだした・召喚したという話です。(どことなく、アブラメリンの聖守護天使の召喚に似ていますが・・) 

さて、この感得・出現譚について金峯山秘密伝では次のように伝えています。
「昔役優婆塞。天智天王御宇白鳳年中。開金山大峰而勤求佛道。祈末代相応佛尋濁世降魔尊。于時大聖釈尊忽然現前。示護法相。行者白言。邊土衆生不堪見佛身。強強衆生所不応也。願示所応身。時釈尊忽然不現。更千眼大悲尊自然即涌現。行者亦白。今尊五部具成佛大悲拔苦尊。雖為無双柔軟形體故尚所不応悪世也。于時大聖化滅亦彌勒大悲尊自然影現。行者亦白言。大聖此釈尊補處大悲與楽尊也。此土縁深。雖爾末代尚不応。願現降魔身。其時寶石振動。從盤石中金剛蔵王青黒忿怒像忽然涌出。即住盤石上。于時行者大歓喜敬重奉崇。」

この秘密伝の伝承が基本となって金峯山寺の寺伝では「役行者は金峯山上に於いて一千日の修行に入られ、衆生救済の道を求められて、濁れた世の中に最もふさわしいご本尊仏の出現を祈られたところ、最初に釈迦如来が出現されました。

行者は、世の中は乱れており、この日本の人々には釈迦如来の本当のお姿は見ることが出来ないと考えられて、更に祈りを続けられていると、次に柔和なお姿の観世音菩薩が出現されました。

しかし行者は、末法悪世の人々にはなおふさわしくないとして、また祈りを続けられると、今度は弥勒菩薩は出現されたのですが、

行者は、願わくば悪魔を降伏させる御姿を示して頂きたいと、なおも祈られたところ、天地がにわかに揺れ動き、ものすごい雷鳴と共に大地の間から、忿怒の相もすさまじい金剛蔵王権現が出現されたのであります。行者は、これこそ末世の民衆を救うために求めていた守護仏だと、そのお姿を桜の木で刻まれたのであります。」と伝えています。

以後、吉野山が桜の名所となるのも、この寺伝によって蔵王権現のご神木が桜の木であるという信仰から植林が広まったためとか・・・。また釈迦・観音・弥勒の本地仏は、それぞれ過去現在未来の三世救済を示しているとも考えられていますね。

お釈迦様や観音様ではなく、お地蔵さんや弁財天が出てきたという伝承もあります。また、この逸話は、術者に神を選ぶ可能性も示唆していますが・・・。

さて、近年のこの日本で弥勒菩薩ことマイタレーヤ関連で有名になった方といえば、元オウム・アレフの大幹部、現ひかりの輪代表の上祐氏(オウムにて法名・ホーリーネームでマイトレーヤと名乗っていたそうです)でしょうか・・・。

また、マイトレーヤを大評価していたシュタイナー自身も時のナチスドイツ政権に弾圧されたりしましたね。

さて、このような事例を考えますと弥勒菩薩には、穏やかなイメージとともに革命(大本教の出口氏も自身を弥勒の化身/使いと称してましたし、オウムもオウム流の理想社会・神政を目指してもいましたが・・・)と政府からの弾圧・騒乱のイメージもあります

さて、私が知る弥勒菩薩様の知識は以上くらいです。

基本的には弥勒菩薩様は現世利益や障害除去、修行者守護の神仏ではなく来世/往生、悟り/求法の為の仏尊と私は考えています。

また、弥勒菩薩様を対象とした法、術式は私は残念ながら知りません、供養・息災の法があるとは聞いたことはありますが・・・、今回はその辺はご勘弁ください。

かなり書きなぐりましたが桃様・皆様、お役に立ちましたか・・・?お役に立てば幸いです。

それでは、お読みの皆様/貴方に全ての良き事が雪崩の如く起きますように・・・。

皇悠より。

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2008年9月 8日 (月)

文殊菩薩様について その2

何時も御覧頂きまして、有り難うございます。

どうも、皇悠です。

さて、今回も前回に引き続きまして私の好きな神仏の文殊様について幾つか語ろうかと思います。

さて、一時期暴走して話題になりました原子炉こと高速増殖炉「もんじゅ」は文殊菩薩のような智恵により、この荒れ狂う核エネルギーを制御したい、という願いを込めて命名されたものですが・・・。

前回、以下のように書きましたが、覚えておられますか?

『 ・・・・ちなみに、現代的に文殊菩薩様の力・頭のよさを言うのならば、

『ディベートに勝つような瞬時に物事を的確に判断し、正しく処理するような頭の良さ・力』です。

なんせ、アー言えばコー言う(そういえば、現アレフ・旧オウムの上祐氏は「アー言えば上祐」と言われていましたね・・・閑話休題)ので誰も仏弟子・神仏達がその悪く言えば屁理屈or言いがかり、よく言えば問答・議論では誰もかなわない維摩居士を論破し、当意即妙の機転の才で渡り合うような方ですから、文殊菩薩様の知恵は大変なものです。

また、そういう訳で今では、宗教家・僧侶同士の問答や討論はまずありませんが、往古はそれぞれの宗派・護持する法による議論はよくありましたので文殊信仰が大流行しました。

そんな訳で、文殊様の知恵は事件・問題解決などの巧妙な処理法の案出に近く、参謀や商人の知恵とも言われます。

またその御加護を得ますと、行者は大智を得て弁舌が巧みになり、更には一切の罪障を消滅させ、求めるところの全てを成就できて、空中を飛ぶことすら出来るようになるとされています。・・・・』

さて、このような仏尊なので、問題が起きたときに活躍する方=問題が多発するモノが頼る神仏です。そう考えると文殊の名前を付けた理由は公表されたモノなのでしょうか・・・、実は原子炉はよく故障や問題が起きるので頼りたいという事ではないでしょうか・・・?

深読みしますとこわいですね。

さて、文殊菩薩様はお釈迦様の弟子としては慈悲では観音・地蔵などが並び称されていますが、お釈迦様によく付き従ったその姿から、戒律の師としての信仰も厚く、僧侶の日常生活の理想像であるともされて、よく修行した普賢菩薩様と共に、よく学び智慧を得た菩薩としてお釈迦様の脇に三尊形式でその姿をした像も多く作られました。

また、前回文殊菩薩様の異称や道具を幾つか上げましたが、その説明がなかったので、書きますね。

まず文殊菩薩様は「妙吉祥/妙音」とも訳します。「妙吉祥」は、一切の智慧の徳を備えているからです。「妙音」は、大慈悲の力を持って、妙法を説法(音)するからです。

また片手に持つ梵篋(ぼんきょう)・経典は智慧・知識の象徴であり、だからこそ「三人寄れば文殊の智慧」の語源になるほど文殊菩薩様はその智慧が優れています。

さらに、この教本が意味するのは過去の先師大徳の教え・警告・説話などです。つまり何度も経典を読み返し、教えを復習し学び返して常に間違わないように、より深く学徳を深めることをも意味します。

では仏様の智慧とはどんなものでしょうか。その一つは「無分別」です。私達の生活では、分別のある人が良い人で、無分別な人が困った人と言いますが、しかし仏様の世界では、分別しない・自在に物事を多角的に見れるのが良いとされています。つまり、物差しが一つではなく、いくらでも物差しがあって、どれもこれもがそれなりに役立つからです。総てのモノに価値があり、この世につまらぬ物は一つもない、いずれも皆尊い真理の現れであるという意味があります。

勿論、呪術的な意味もありまして、物質的な世界の見方・知覚だけでなく、霊的な・非有機的な存在・世界も知覚が出来る、そしてそういう技能があるからこそ問題や困難に対して常識や枠を超えた案・解決法が得られるという考えです。

また、もう一方に持つ剣は智慧を磨いて光らそうとするのを、妨げるモノを排除するためにあります。それは外には修行を邪魔する全てのモノを、内には心の中にある我欲・穢れ・愚かさなどです。

さて、我々の中の欲望のエネルギーは大切です、更に向上し前進し人のためにつくす(悟りを求める心・菩提心、多くのモノを救い助ける心・慈悲心)にはエネルギーがないと働けませんからね。でもそのエネルギーが時々あらぬ方向に向くことがあります。その時、軌道修正するのが、手に持っている剣と経典つまりは時に敵を障害を殺し滅ぼし傷つけるほどの智慧と的確な知識・先師大徳の教えです。

また、このお持ちの経典は般若心経に代表される般若系の経典及び教えとされています

また、基本的には文殊菩薩様はすべての人々に智恵を授けて、何時でもどこでも、何からでも学び心安らかに、より良い人生を送ることが出来るようにと導いてくれる菩薩様です。

さて、文殊菩薩様を本尊とするお寺ですと日本三大文殊・安部清明(この人も文殊菩薩の化身という説がありますが・・・)で有名な安部文殊院などが有名ですが、それ以外にも幾つかあります。

例えば、上杉景勝(卯年生まれ)の母親である仙桃院(上杉謙信の姉)が文殊菩薩に深く帰依していたので、景勝の合戦勝利・武運長久を願い守護仏である文殊菩薩を龍澤寺「あやの文殊」(新潟県南魚沼市・禅宗の臨済宗の古刹)に奉安され以後本尊とされている例があります。

また、文殊信仰の偉人をあげますと鎌倉中期に戒律を復興し、元寇時には神風を起こしたという真言僧にして真言律宗の開祖、西大寺の叡尊があげられます。

彼は、文殊菩薩を自らの念持仏とし、何万という人に文殊信仰をもとに僧俗に菩薩戒を授け、橋を架け、窮民に食料・治療などの慈善行動をしました。

また、中国では五台山をその霊地としますが、日本では葛城山を当てる説があり、お釈迦様の法をよく知るところから仏教(法)の王をお釈迦様とするのに対して、文殊菩薩様を法の王子とみなして「法王子」という呼称もあります。

ちなみに安部文殊院にも御詠歌がありまして、以下に書きます。

御詠歌「あさしよの ひとをば すくう めぐみにて くらべ あそさば ちかいとうとし」

また、和讃もあります。

「智恵の利剣をふりかざし 無明の闇を切り開き 三世の覚母と仰がるる 文殊菩薩はありがたや。」

さて、今回もまたまた長々とした記事になりました、すみませんです・・・orz.

最後に、文殊菩薩様の英語表記と読み・マントラ/真言表記をしてみましょう。

文殊菩薩
Monju-bosatsu (Manjusri ) 英語表記です。
Mantra/Om a ra pa ca na 梵語・サンスクリットに近いアルファべット表記です。
 
(真言宗真言読み)おんあらはしゃのう
(天台宗真言読み)おん。あらはしゃな

さて、明日から以前告知しました修行が予定より始まるのが遅れましたが、面倒な行ですが始まるので昨日・今日とたまっていた記事やアイデアを急いで推敲&作成して、このブログに投稿/UPをしました。

さて、この行が何時終わるか未定で判りませんが、よりバージョンアップした皇悠にご期待ください・・・。

それでは、皆様/貴方に全ての良き事が雪崩の如く起きますように・・・。

皇悠より・・・再見。

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文殊菩薩様について

何時も御覧頂きまして、有り難うございます。

どうも、皇悠です。

さて、今回は私の好きな神仏の文殊様について語ろうかと思います。

今回は忠告しますが長いですよ・・・・・・。

では、いきます、この方は、大乗仏教の崇拝の対象である観音・菩薩部(仏様のランクで大日・阿弥陀様の如来部の下になります)の一尊で一般に知恵を司る仏尊とされています。

文殊は文殊(または文珠)師利(もんじゅしゅり)の略称、妙吉祥(みょうきっしょう)等とも言われ、曼殊室利等とも音写し、妙吉祥、妙徳、妙首などとも訳され、 象徴は青い水蓮の華、利剣(諸刃の剣)、梵篋(椰子の葉に書かれた経典)などがあります。種字はマン(maM)。

『文殊師利般涅槃経』によると、舎衛国の多羅聚落の梵徳というバラモン家に生まれたとされますが、また一説にはお釈迦様の十大弟子とも親しく仏典結集時にも関わったとされます。

あるお経には、在家の菩薩・維摩に問答でかなう者がいなかった際、居士の病床をお釈迦様の代理として見舞った文殊菩薩のみが対等に問答を交えたと記され、智慧の菩薩としての性格を際立っていますね。

さて、文殊菩薩はやがてこの上記の『維摩経』に描かれたような現実的な姿から離れ、後の経典では徐々に神格化されて、釈迦の教化を助力するために菩薩の地位にあるが、かつては成仏して龍種如来、大身仏、神仙仏などであったと言われ、また未来には再度成仏して普見如来になるともいわれてます。

あるいは現在、北方の常喜世界に在って歓喜蔵摩尼宝積如来と名づけられ、その名前を聞けば四重禁等の罪を滅すといわてます。

更には現に中国山西省の清涼山(五台山)に一万の菩薩と共に住しているともいわれてます。

また『法華経』では、過去世に日月燈明仏が涅槃した後に、その弟子であった妙光菩薩の再誕が文殊であると説かれてもいます。

なお、これらはすべて大乗経典における記述によるものであり、文殊菩薩が実在したという事実はないのですが、しかし文殊は観世音菩薩などとは異なり、モデルとされた人物が存在していたと考えられ、仏教教団内部で生まれた信仰・菩薩であると考えられています。

また文殊菩薩が登場するのは初期の大乗経典、特に般若経典からで、ここでは釈迦仏に代って般若の「空(くう)」を説いていたりします。また文殊菩薩を「三世の仏母(さんぜのぶつも)」と称える経典も多く、『華厳経』では善財童子を仏法求道の旅へ誘う重要な役で描かれるなど、これらのことからも判るように、文殊菩薩の徳性・力は悟りへ到る重要な要素、般若=智慧です。

尚、本来悟りへ到るための智慧という側面の延長線上として、一般的な知恵(頭の良さや知識が優れること)の象徴ともなり、これが後に「三人寄れば文殊の智恵」ということわざを生むことになり、またこの文殊菩薩の智慧は純粋に理性的なもので、ものごとを全く主観を交えないで判断することができる、いわゆる悟りの智慧ともされます。

余談ですが、中国の娯楽小説『封神演義』にて普賢真人、文殊広法天尊という仙人が登場しており、彼等が後に仏門に帰依しそれぞれ普賢菩薩、文殊菩薩となったという設定になっていますが、これは後世の全くの創作でしょう。

なお、人の死後においては文殊菩薩は三七日忌の本尊であり 、不動尊と釈迦如来により、魔障や煩悩を退けて、成仏を自覚し、更に正しい道の修行に導かれた死者は、仏としての智慧を修めるべく、文殊菩薩の道場に入ります。

このような伝承により文殊菩薩の陀羅尼(真言)の功徳は、一遍唱えれば修行者の苦難を除き、二遍で死に代わりの重罪を滅除し、三遍で仏の境地が現前し、四遍で憶いを堅持して忘れず、五遍で無上の菩提を成就し、正しい智慧の三密の説法を聴聞することを得るといも言われます。

基本的には普賢菩薩とともに釈迦如来の脇侍として従う造形が多いですね。

文殊菩薩は歴史的には2世紀頃より信仰され始めています。

また、法華経で文殊菩薩が竜宮で法華経を説き、八歳の龍女が成仏する女人成仏の教えを説いてもいたりします。

では造形の特徴は以下の通りです。

髻を結い、瓔珞(ようらく)/ネックレス、腕釧(わんせん)/腕輪、臂釧(ひせん)/上腕につける腕輪等の装身具で飾り、条帛を着け、獅子にまたがり、右手に剣、左手に経巻を持つのが一般的とされていますが、必ずしも一定しません。

元々は結跏趺坐像であったのが、「陀羅尼集経(だらにじっきょう)に「身は皆白色ーー獅子に乗ず」とあり、平安時代頃より、獅子に乗る姿が一般的な文殊菩薩の像になりました。


なお、この経巻は智慧の象徴、剣はその智慧が鋭く研ぎ澄まされている様を、獅子はその智慧の勢いが盛んであること、獅子は百獣の王で文殊菩薩の智慧が秀抜であること表現しています。
この獅子にまたがる像は、平安中期に特に盛んに作られ、それ以降の模範となりました。

また密教では、右手に梵篋(ぼんきょう=多羅樹という木の葉に経文を刻んだもの)、左手に金剛杵などを持ちます。密教では通常、清純さを示す童子形に表わし、髻(もとどり)を真言の数だけ結う一字文殊、五、六、八字文殊があります。

さて髪は、一つ、または五つ、六つ、八つのまげを結っていますが、これは密教では陀羅尼(だらに=一種の呪文)を唱えることによって、ある特定の御利益を得ようとしますがこの陀羅尼は一文字から数文字の短い文句ですので、この文字数と文殊菩薩のまげの数とが一致させて、造形してます。

つまり一文字の陀羅尼を唱えるときは、まげが一つの文殊菩薩を本尊とし(これを一文字文殊または一髷(いっけい)文殊とよぶます)、五文字、六文字、八文字の陀羅尼を唱えるときは、それぞれまげが五つ(五文字文殊、五髷文殊)、六つ(六文字文殊、六髷文殊)、八つ(八文字文殊、八髷文殊)の文殊菩薩を本尊とします。

なお、髪(髻=もとどり)には特徴・意味があり、その数によって智慧の本誓を表していまして、
   一髻(増益=幸せの増進)、
   五髻(敬愛=和合・親睦)、
   六髻(調伏=魔障や怨敵の摧破、つまり戦・勝負事に勝つ)
   八髻(息災=病気や災難など障りを除く、また天変地異を抑え領地を守る)
の文殊といわれ、無執無我の般若の妙慧で、説法して人々を救済しています。

また、他の造形としては以下のような意味・モノがあります。


【稚児(ちご)文殊】
稚児のような純粋無垢で執着のない智慧であることから、子供の姿に作られる例も多く、
これを特に童形(どうぎょう)文殊または稚児文殊と呼んでいます。

【僧形文殊】
僧侶の日常生活の手本とされたことから、僧の形に似せる例もあり、僧形文殊といわれます。

【五台山文殊】
眷属として善財(ぜんざい)童子や優でん王(うでんおう、「でん」は土へんに眞)、仏陀波利三蔵(ぶつだはりさんぞう)、最勝老人(さいしょうろうじん)を従える、五尊形式の作例で、五台山文殊といわれます。

この五台山とは、中国山西省にある地名で、文殊菩薩の聖地とされる「清涼山」とも比定され信仰された場所です。五台山信仰は天台宗を中心に盛んになり円仁によって日本にも伝えられました。高知竹林寺の五尊像(重要文化財)、奈良安倍文殊院なども作例として残っています。

【渡海(とかい)文殊】
五台山信仰が発展し、雲に乗って海を渡り五台山に向かうとされていますモノです。

さて、日本には三大文殊と言うモノがありますが、以下のとおりです。
安倍文殊院(奈良桜井市・快慶作、重要文化財)、切戸文殊(京都天橋立(知恩寺))、黒谷文殊堂(京都東山金戒光明寺)

【眷属】
文殊様にはやはり眷属・部下がいます。五台山文殊の場合では、善財(ぜんざい)童子、優でん王(うでんおう、「でん」は土へんに眞)、仏陀波利三蔵(ぶつだはりさんぞう)、最勝老人(さいしょうろうじん)。
また、八大童子として、光網(こうもう)童子、宝冠童子、無垢光(むくこう)童子、髷設尼(けしに)童子、烏波髷設尼(うばけしに)童子、質多羅(しったら)童子、地慧幢(ちえとう)童子、請召(しょうじょう)童子などがいます。

また中国天台宗系の史書である『仏祖統紀』巻29には、「文殊は今、終南山に住み給えり。杜順和上はこれなり」と、中国華厳宗の祖である杜順を文殊菩薩の生まれ変わりであるとする信仰があります。

なお、日本においても、奈良時代の僧行基が文殊菩薩の生まれ変わりだという伝説があります。

また禅宗においては、修行僧の完全な姿を表す聖僧(しょうそう)として僧堂に安置され、剃髪し坐禅を組む僧形があります。この場合、文殊もまた修行の途上であるとの観点から、菩薩の呼称を避て大士(だいし)とも呼ぶことがあります。

なお日本における作例としては、他に奈良の興福寺東金堂の坐像(定慶作、国宝)が見られます。

さて、ここまでは一般的な知識ですね。

ここからが、マニヤ・術師の領域です。

さて、日本には神仏習合・権現信仰があります。つまりある神仏が別の神仏に変身する・時や状況において衣装を変えるように別の側面を出すというモノです。

勿論、文殊菩薩様にもありまして、それはかの立川流で有名なダキ二天(稲荷明神)と龍神どころか六道の全て・いかなる存在も殺生し覆滅する戦闘専門の大威徳明王(チベット仏教でいうとヤマーンタカ・バジュラヴァイラヴァ)やチベット仏教・ゲルク派(ダライラマのいる宗派です)の密門部門の本尊・秘密集会がいます。

その為、この尊をもってダキニ信仰の本尊にする例や呪殺に使う例があります。

また、この尊格が仏教に邪魔な性欲を封じ修行に励ますという信仰と知恵によって障害を打破するつまりは敵を滅ぼす事=殺生に絶大な利生があるということで、対象・相手の子孫を生ませない/女色を封じる(つまり女縁自体を封じたり・インポにする)呪法が生まれました。

また、敵を殺す・生死を決める=運命を動かすという事と途轍もない知恵者という事で仏教版の占星術・宿曜道の本尊ともされています。

ちなみに、基本的な真言は『オン アラハシャナ(ノウ)』です。『五字の真言ですが、この真言が基本・根本真言とされます』

また、四国のお遍路の31番竹林寺の本尊は文殊菩薩様ですが、御詠歌がありますのであげますね。

『南無文殊 三世諸仏の 母と聞く 吾も子ごころ(我も子なれば) 乳こそ欲しけれ 』というものです。

また、空海が行い有名な真言宗の大法に一度で何でも暗記でき理解し忘れないという虚空蔵菩薩の求聞持法(真言を100万回となえる法)がありますが、なんとこの文殊菩薩にも文殊バージョンであります。

さて、空海がらみでもう一つあげますと、皆様ご存知の般若心経は文殊菩薩様のお経でもあるとされ、空海は『諸戯を断つ・諸々の惑わすモノを滅ぼす』とも書いています。

さて、文殊菩薩さまは基本的には何かを叶える・もたらすというよりも知識・ヒントなどを与え信徒・術者の能力/技能を向上させる方面の神仏とされてます。

そういう意味で、あまり学ぶこと・学問以外には使い道がないという見方もありますが、なかなかどうして侮れない神仏です。

ちなみに、現代的に文殊菩薩様の力・頭のよさを言うのならば、

『ディベートに勝つような瞬時に物事を的確に判断し、正しく処理するような頭の良さ・力』です。

なんせ、アー言えばコー言う(そういえば、現アレフ・旧オウムの上祐氏は「アー言えば上祐」と言われていましたね・・・閑話休題)ので誰も仏弟子・神仏達がその悪く言えば屁理屈or言いがかり、よく言えば問答・議論では誰もかなわない維摩居士を論破し、当意即妙の機転の才で渡り合うような方ですから、文殊菩薩様の知恵は大変なものです。

また、そういう訳で今では、宗教家・僧侶同士の問答や討論はまずありませんが、往古はそれぞれの宗派・護持する法による議論はよくありましたので文殊信仰が大流行しました。

そんな訳で、文殊様の知恵は事件・問題解決などの巧妙な処理法の案出に近く、参謀や商人の知恵とも言われます。

またその御加護を得ますと、行者は大智を得て弁舌が巧みになり、更には一切の罪障を消滅させ、求めるところの全てを成就できて、空中を飛ぶことすら出来るようになるとされています。

とてつもないですね・・・。

さて、本当に長々と書きましたので、お読み頂きまして、お疲れ様です。

今回はここ迄ですが、お役に立てば幸いです。

では、貴方に全ての良き事が雪崩の如く起きますように・・・。

皇悠より・・・。

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2008年9月 7日 (日)

三宝荒神様について・・・

何時も御覧頂きまして、有り難うございます。

どうも、皇悠です。

さて、今回はあまり経典や正式な儀礼には出てきませんが、民間信仰において重要な荒神様こと、三宝荒神様について幾つか書こうと思います。

まず三宝荒神様は「火の神」としては火産神 (ほむすびのかみ) と「かまどの神」奥津比古 (おくつひこ) 、奥津比売 (おくつひめ) の三つの神が習合し、また三宝とは仏教の3つの尊いもの.仏・法・僧を表わす神仏です。

元来は、インド由来の仏教の尊格ではなく、日本仏教の信仰の中で独自に発展した尊の一つで、三宝荒神様はその代表的なモノです。

日本古来の荒(あらみたま)魂に、古代インドに源泉をもつ鬼神の形態が取り入れられ、古神道・修験道・密教などのさまざまな要素が混交して成立しました。

より具体的には、日本の古来からの霊魂観・荒魂と和魂の2種の概念の内で、前者は害悪をなす悪しき神であり、これを祀るモノは本来なかったのですが、仏教の伝来とともにインドにて行われた羅刹・夜叉・鬼神などの悪神を祀り、これを以って守護神とする風習が伝り、古来からいう荒魂を祀って荒神としました。

すなわちヒンドゥー教での悪神が仏教に帰依した後に守護神・護法神とされた風習が、日本の風土でも同じようにされたのです。

さて、荒神を祀る社寺は日本全国に約300社ほどあります。

また、三宝荒神の像容は基本的に三面六臂または八面六臂(三面像の頭上に5つの小面を持つ)が一般的で、頭髪を逆立て、眼を吊り上げた憤怒の表情を示し、密教の明王像に共通する点が多くあります。

この方は不浄や災難を除去する神、また火と竈の神として特に信仰され、かまど神として祭られることが多く、仏像としての作例は近世以降のものが多いのも特徴です。

基本・根本真言は『おん けんばや けんばや そわか』

邦訳すれば、「オーム(聖なる音)、剣婆よ 剣婆よ 成就せよ。」という意味になります。三宝荒神は、習合説のもとでは大日経疏巻五に説かれる日天の眷属である地震を司る神である剣婆(けんばや)と同一視されました。

基本的な性格としては大変に清浄を好まれ、聖天とも不動明王の化身とも言われます。

さて、火が単に熱源・光源という効用だけでなく,あるものの形を変える媒介者としての性格を持つ事から火が神聖視され,更には浄化・除魔・転換といった意味を見出して、竃はその象徴・領地であり,火と同様に神聖視され民間信仰においては家の神として,荒神信仰が生まれたのでしょう。

さて、今回はここまでです。お役に立てば幸いですが・・・。

それでは、貴方に全ての良き事が雪崩の如く起きますように・・・。

それではまた・・・、皇悠拝。

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2008年5月18日 (日)

ある神仏について  大黒天

いつもご覧いただきまして、ありがとうございます。

どうも、皇悠です。

さて、今回は久々に神仏と行法について幾つか書きます。

さて、一部の神道系の新興宗教が盛んに喧伝している尊格に三面大黒様こと大黒様がいらっしゃいます。

大黒様、正式には摩訶迦羅大黒天神「読みはマカキャラダイコクテンジン」といいます。だから大黒天とか摩訶迦羅天とかも言われますが全部略称です、そういい意味では失礼な呼び方になりますね。

基本・根本真言/陀羅尼は「ノウマク・サンマンダ・ボダナン・オン・マカキャラヤ・ソワカ」

この方は台密こと天台宗の伝教大師最澄が大変重視してお祀りしたことから天台宗の特に山門派比叡山系で今も厚く信仰されてます。そしてこの方は天台宗の秘事法門「天台の宗門の中でも特異な信仰・修法を研鑽・開発した人たち」の守り神でもありました。

この法門については詳しくは山本ひろ子先生の『異神「ちくま学芸文庫他・・・」』などに出ています。ちなみにこの本は現在信仰されている天部尊の内で大人気の弁財天についても圧巻の研究論文が出ています、またこの本を熟読し読んだことも私が稲荷信仰に進んだ理由「詳しい理由はまたいつか」の一つです。

さてこの尊については根本経典といえる経典があります。つまり大黒天信仰をする方ならお抑えておくべき経典があります。その名を大黒天神経こと仏説摩訶迦羅大黒天神大福徳自在円満菩薩陀羅尼経です。そして、この短い経典をもとに多くの修法・信仰が生まれました。実際天台宗以外にも日蓮宗に臨済宗・曹洞宗・真言宗など阿弥陀信仰の浄土宗・浄土真宗以外のほぼ全ての宗派で信仰されてますね。

ちなみにこの大黒天様をヒンディ教のシヴァ神と同じモノであると言う方やそう記述する書物も多々ありますが正確には同じ淵源を持つ信仰・尊格と考えることが正しいです。同じカレーでもシーフードカレーとビーフカレーは違います。

ここでつまらない話を一つ、インドの方は牛を大変大事な神の使いと考えているので牛を食うという事はしません、よってインドにはビーフカレーはありません。閑話休題。

さて、この経典、ネットでも訓読のみとか漢文だけという形でなら公開されてますのでそれも紹介しときます、このブログを読んだ後でもググってください。

漢文のみでは「聖地巡礼の会」様の「教本を作ろう!」のコーナーに出ています。

訓読のみならYahoo!ブログの『済世利人 法華一乗[円融庵」』の寂光様の2007年6月10日のブログに出ています。

さて、それではこの大黒様の功徳を書きます。主な功徳は三つです。

一つ目は、福徳、その中でも特に食の安定供給と様々な財物の取得。

二つ目は苦厄の除去、その中でも特に病気の治癒と争いの勝利。

三つ目は神霊系の障害の抑え、その中でも特にダキニ天系の抑え。

以上の三つが主な功徳です。

さて、大黒様、元来死者にまつわる神であり鬼神の王であるという事、出雲大社で有名な大国主命『オオクニヌシノミコト』の大国がダイコクとも読めることなどが絡み合い神道の大国主命が大黒天の同格・同体異名とされています。まあ、大国主命自体の御神徳がほとんど大黒天と同じというのもありますが・・・。

また、その尊像から肥えて福福しいおじさんのイメージがあり、笑みを浮かべている神画も多い大黒様ですが元来の基本的なイメージ・お姿は骨や肉片が散乱している死体の捨てる場所・密林/ジャングルに住む牙をむき三つ目六手の武装した鬼神の黒人王のイメージです。

さて、この尊像の変化は古来よりインド亜大陸で多く見られる肌はより白いほうが美しいと言う美的感覚、太るのは動く・働く必要がない位に豊かである証拠、手が少ないのは自らはやる必要が無く部下・他人にやらせるだけの権力者の証「だから如来は手が他の菩薩・明王・天部などの神仏と違い手は二本だけです」という見解の影響などから変化していき今日の姿になりました。

そのため、戦勝など荒々しい目的には以前の恐ろしい姿で書かれ、財物の取得など温和な目的では福福しい姿の尊像が使われます。

ちなみに、大黒様の尊像は比叡山延暦寺大国堂で正式にミタマ入れされて¥15000からお分けされてます。

ご縁があり、御祀りしたい方はどうぞ・・・。

なお、この尊は光を好む神仏とされる方なのでお祀りをする場合、灯明があるほうが良いですね。また、光明真言を聞くことを喜ぶという口伝もあります。

さて、この大黒様もそうですが天部・垂迹部「当家のお稲荷さんはここに入ります」の神仏には基本的に塩・水・米の基本セット以外に果物やお酒に菓子など供物を捧げることが供養「主に経を読むこと」より大事とよくいわれます。

名より実と言うか、我々に近い方々なので、「経を聞くより何か食わせろ!」と言うことなんでしょうか・・・?

さて、このような天部・垂迹部の神仏には珍しい修法が多々あります。例えば聖天様の浴油法・弁財天様の浴酒法そして大黒天様の浴粥法などですね。これはつまり真言を唱えながら油・お酒・お粥を何度も尊像にかけるという修法です。珍しいぶんかなり有名な修法ですがなかなか面倒な決まりや口伝があり出来る方はあまりいませんが・・・。

ちなみに在家で出来る修法で有名なものに旧暦で甲子の日にひたすら尊像の前で真言を唱えるというモノがあります。大黒様を祀る寺院ではたまにお堂を一般に解放して行われていたりしますね。

さて、今回はここまでです。お役に立ち、楽しんでいただけたら幸いですが、どうでしょうか・・・?

では、貴方に全ての良き事が雪崩の如く起きますように・・・。

それでは、また・・・。

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2008年5月 4日 (日)

神仏同士の関係

いつも、ご覧いただきましてありがとうございます。

どうも、皇悠です。

今回は久しぶりに神仏について書きます。

私もこの界に入りましてもう干支どころか20年近くになりますが、未だに私より経歴が上のベテランが百年前の考えで基礎的な学術的知見として否定されつつある考えで祈祷していたり、一昔前の人間なら当たり前にできる作法がほぼ死滅して出来ない事例を見るたびに驚きと共に時の流れによる形骸化、損失を感じます。

さて、そのような今では忘れられがちな知識の一つに神仏同士の相性関係があります。

例えば成田山と神田明神、大黒天&お不動さんとダキニ天、軍茶利明王と三宝荒神・聖天さん、大威徳明王と閻魔様、降三世明王と大自在天、春日・鹿島明神と諏訪明神、カルラ天・孔雀明王と龍神などの関係はまだよく知られていますが、しかし大自在天と天照大神、金剛夜叉と金比羅さん、稲荷明神と北野天神などはあまり知られてません・・・・・。

このような敵対・反発・上下関係などは説話・神話・経文などに出ていますがあくまで自ら学び検証するしかないので一概にこうだと断定は出来ませんが確かにある種の相性の悪さがあります。

さて、私がこのことに興味を持ったのは日々の勤行の稲荷明神への祈祷・供養をある女性が来たときに限り、感覚的にある種の通りの悪さを感じたことでした。

それが何度もアリ、不思議に思っていました。ノリというか興というかどうもシックリ来ません。

そして何度目の時かは忘れましたが茶飲み話に彼女の家が本人は別に信仰してませんでしたが、不動明王と大黒天の像を家族が先祖代々の守護神として祀り、親たちが大事に日々供養しているということ、そして彼女が菩提寺の不動明王のお守りを日々身に着けていることを知り、「この影響/せいか・・・・?!」とやっと納得・了解しました。

私にとって、意外にこうゆう昔からの神仏の相性の定義や説話の内容も馬鹿に出来ないという出来事でした。

稲荷明神をダキニ天とは私は当時はまったく考えていませんでしたが、この一件より稲荷とダキニ天は近い尊格と考えるようになりました。   いい勉強になりました。

さて、今回はここまでです。

貴方に良き事が雪崩の如く起きますように・・・。

それでは、また・・・。

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2008年3月 5日 (水)

牧神パン

どうも、皇悠です。今回もご覧いただきありがとうございます。

本日二度目の投稿になります。皆様はお元気ですか・・・・。

さて、本稿・今回は少し趣向を変えまして、西洋系の神格の牧神パンについて書きます。

この神はGD・黄金の夜明け団の儀式などにおいては、ほとんど評価・活用されていないにも関わらず、何故かA・クロウリーのテレマ系やOTO系の団体、新異教主義のウィッカやペイガン、またIOTなどの混沌魔術系の術者や儀式において重視・利用されています。

多分、推測ですがA・クロウリーがその著書「魔術」などにおいてパン神への讃歌や自らの術式にパンの力を利用したことに影響されたクロウリー以後の術者たちが真似をしたのだと考えています。

さて、この神、パンは元来はギリシアはアルカディアの地の牧畜の神です。また、牧畜に関連して森林・大地・生殖・風/大気の神格も有します。

また、幾つかの神話から全てを笑す者、猟犬と予言の才の与え手とも、管楽器を中心とした音楽の神、混乱と狂気をもたらす者、全てを造り壊すモノなどとされています。

さらに西洋オカルトにおいて牧神パンは、占星術の黄道十二宮は山羊座の姿、上半身は雄山羊・下半身は魚の姿が怪物から逃げた時の牧神パンの姿であるという話でも有名です。

ただ、有名な割りにこの神パンの出生は実のところは不明です。オルフェウス教の元始の一者・創造神とも、母はニンフ・妖精で父はヘルメスまたはゼウスであるとも言われていますが、しかし、オリンポスの十二神ーゼウスやアポロンにヘルメス、アフロディテ、アテナなどよりも古い祭祀の痕跡もありその信仰・始まりなどはやはり不明です。

さて、造形的な特徴としては、下半身は山羊の足と尾で、頭に同じく山羊の角を持つ少年または髭の生えた老人とされています。

ローマの神格だとファウヌスにあたります。D・フーチュンは生命の木のうちでマルクトに対応さしています。また、あまり知られていませんが、W・ディズニーのピーターパンの元ネタがこの神パンであるという学説があります。

さて、パン自体の語意は牧夫、全てなどの意味があります。

ただ、現代の魔術においてこの神パンの重要性は、人類の歴史上で最古参レベルの生命の神格・元型的イメージである有角神群の一種であり、この神が狂気ー笑いー変化を司る数少ない神格であるという点です。

前者はエコロジーに繋がりますが人類史と生命力を重んじる魔女術において、後者は人間の感情の内で笑いの効用を重視する混沌魔術師において見逃せない大事な点です。

さて、以下は個人的な感想なのですが、笑うことで免疫力が向上し、各種の病ー特に治療が難しい膠原病や癌、にさえある程度の効果が笑うことで起きるという研究を知ってから、あえて笑いの神を造り祀った古代ギリシアの人々は人間にとって笑うことの重要性を知っていたすごい人々だったのだと感じます。

近世の武士道あたりの影響であまり笑うのは、特に声を出して哄笑することを慎む風潮が現代でも一部に残る日本に生活をし、中世のヨーロッパのキリスト教の中では笑うことは下等・下品であり忌避すべき徳目の一つにしていました事を知ると本当にそう思います。

さて、今回は欧米では重視されながらもあまり日本では重視されない神、パンにスポットを当ててみました。

今回も長々とお読みいただきありがとうございます、愉しんでいただけたら幸いです。

それでは、また・・・。

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2008年2月18日 (月)

観音さま

眼前に、雲ひとつない抜けるような晴天が広がり、とても気持ちがいい紅の夕方ですが、皆様は、どうですか・・・。

どうも、皇悠です。

さて、本日のお題・テーマは「観音さま」です。

観音様、多分日本の仏教の中で、知名度・霊験譚の数・寺院内のシェア率・その守備範囲の広さ・そしてその付き合いの易さ等では、ナンバーワンでしょう。

真言、天台、日蓮、曹洞、臨済、黄檗、浄土に真宗と名だたる仏教の諸派において寺院の本尊またはその脇において必ずと言っていいほどにお祀りされていたりします。

観音様の所依の経典は般若心経、法華経の観音菩薩普門品第二十五こと観音経が有名です。

この日本人が大好きな二大経典があるからこそ、観音さまの人気は歴史上、一度として消えないのかも知れませんが、この人気ぶりは私には本当に不思議なことの一つです。

同じくらいに、ネームバリューのあるお地蔵さんの経典はまず読まれない・知られていないのと好対照です。

本当に人気の経典なんですよ・・・。

これらの経典は大きめなダイソウやSHOP99など百均のお店にすら、売っている事もありますし、見つけた時は本当に驚きました、「こんなに人気があるのか・・・。」と。

また、ちょっと大きめの書店の仏教コーナーにもこの二つの経典の解説書はごろごろあります。

まるで、仏教というより観音教と勘違いし易いほどに、お釈迦さまより観音さま関連の経典・仏像・仏画などが何故か多いんですよね。

さて、その観音様の主な功徳はまず第一に除災、次に福徳・救済です。

ただ、その霊験の現れ方を見る限りは何かを増やすというよりも、不要・邪魔なモノを取り除き、足りないものを与えるという霊験が多いです。

卑俗な例ですが、借金がある人に宝くじなどで大金をあたえるよりも、

返済の手立てになる新たな仕事を与えたり、あえて破産させて再スタートさせるような、

生活・人生などその人自体を変えてしまうような感じです。

さて、観音さまの特徴としてその御姿が幾つもある事があげらます。変化身「へんげしん」ともいいます。

よく知られているものとして、競馬場などにも祀られる馬頭観音、手の多い千手観音、宝珠を持つ如意輪観音などでしょうか・・・。

ただ、それ以外にも呆れるほどありまして、龍に魔物、女性に僧侶、子供に王様、行者に役人と・・・。

そのため、稲荷をはじめとして天照大神や聖天なども実は観音様であるという説すらあります。

正にあらゆるモノをあらゆる場所で救うためにあらゆる姿をとる大慈悲の救済仏です。

また特に信仰する際の難しい決まりなどがなく、相性というか拝みこむ・祈りこむの際に障害が少ないのがいいですね、まず間違いなく気に入る観音様があるので・・・。

意外に、見た目やそのお姿から生理的に拒否感・違和感・嫌悪感が出てきて祈れない・拝めないということもありますので・・・。

さて、感触というか、乏しい経験上においては観音様は劇的・急激な変化をもたらさずに、まるで漢方薬のように少しずつ穏やかに功徳やお救いをお与え頂く場合が多いです。

下手に急激に短期間に変化が起きますと、本人も含め周囲の負担・苦労は慶事でも色々ありますので、多分その辺も配慮戴けるのでしょう・・・。

また、観音さまは基本的に善事・平和的な形の願いしか受け入れてくれない傾向があるのもすばらしいです。

間違えても、呪詛や争い事にむいている仏尊でないのもすばらしいですね。

お不動さまや龍神さまに天狗、それにお稲荷さまは場合によっては神罰・仏罰を下すというか、祈願の成就時にかなり荒い・怖い振る舞いなどをも起こされるので祈る時に気を使います。

私の若気の至りですが、ある当時たしか小学三年生の男の子のいじめ対策で、三週間ほど毎日お稲荷様に祈願しましたら、こちらのミスかもしれませんが、満願日にいじめっ子のグループのリーダー格の子が交通事故に遭いまして約一ヶ月ほど入院され、その子へのいじめが自然消滅した事例・経験があります。

この時は、お稲荷さんの霊験が怖くなりましたが・・・。

さて、観音様の真言は本当に色々ありまして、しかも各観音様の御姿ごとに違います、また全ての観音様に使用できます普遍的な共用のモノがないので、今回はブログ上にUPすることは出来ません。

ただ、観音経および般若心経はどの御姿の観音様でも納受してくれますので、かなり手に入り易い経典ですのでどちらか一つぐらいは持っていても損はないということはお伝えしときます。

では、今回も長々とお付き合いいただきありがとうございました。

お役に立っていれば幸いです。

それでは、また・・・。

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2008年2月 6日 (水)

弁財天とその真言

どうも、皇悠です。

まだまだ、寒い日が続きますが、皆様はご機嫌はいかがですか・・・。

さて、前回のブログにて異端系マイナーな神仏の真言を書くと記述しましたが、あまりにアレというかマイナーなモノしか護持していないので、その中でも比較的メジャーな弁才天or弁財天の真言を今日は幾つか発表しようと思います。

さて、その弁財天の真言ですが幾つかパターン・形式があります。

根本的な陀羅尼・真言であるものですら読み・様式が数種ありまして、

「オン・ソラソバテイ・ソワカ」  「オン・ソラソバテイエイ・ソワカ」  「オン・ソラスバテイエイ・ソワカ」  「ノウマク・サンマンダ・ボダナン・ソラソバテイ・ソワカ」などです。

これらは宗派や伝承者同士の伝言ゲーム、根拠とする経典・伝書などの違いで生まれました。

基本的に真言は連唱するモノなので、こう多すぎるというか、実用面でははなはだ使い勝手が悪いので上記の真言の全部は使っていません。幾つもあるとやりずらいモノですので・・・。

さらに、これのヒンディー読みの「オーム・サラスバティー・スヴァーハ」なんかもあります。

それ以外に各種用法・修法ごとにも真言があり、

離別・縁切りの「タチタ・アンラケイ・ダヤニキャレイ・ミレイ・キレイ・キキライ・ソバカ」

鎮護の「タニヤタ・オン・マカダイバ・フチラキャ・チボカ・カシッタエイ・ソバカ」

音楽用の「オン・サラサバチエイ・ソバカ」などがあります。

他に御詠歌ー神仏を讃える歌として「弾く琵琶の、みょうなる音にも、似たるかな、福を呼ぶ、もろ人の声」なんかもあります。

一応、伝授は受けましたが元来あまり弁財天にたいして興味が無いので、実のところ神社や寺院でお参り時ぐらいしか唱えていません・・・。

さて、弁財天の功徳といいますとまずは、弁舌に音楽などの言葉・芸能面、五穀豊穣や財運・金運などの増益面があります。

これらは弁財天が元もとインドの水・川の神であるところから来ました。

川や水の音から発話・音楽が、農耕・水運から増益が生まれ、それらの功徳と守護を担う・司るようになりました。

また、水・川の障害物や不純物を清め押し流す関連から除災・戦勝・厄払いの徳もあります。

ちなみに、雑学的なトリビアですが歴史の不思議で、平清盛の信じた厳島神社と源頼朝が信じた江ノ島の弁財天は実は同じ神仏を祀る所です。

往時から今に至るまで両社共にほぼ同じ神格を変わらずにお祀りしていますので、敵同士がおなじ神仏に祈っていたと言う訳で、皮肉ですね・・・。

さて、弁財天の種字は梵字の「ソ」になります。

二手の尊像ですと琵琶とバチ、八手の尊像ですと宝珠、宝棒、矛、宝笈、宝箭「矢のことです」、鉄輪、索「投げ縄のことです」を持ちます。

由来的には梵天ことブラフマーの妻にして娘だとされて、バラモン・ヒンディー教から仏教に取り入れられました。

日本では、水や川の神ということで龍や蛇の主、または化身とされています。

また、縁日は巳の日や巳巳の日があり、特殊な祈祷法として尊像に酒をかけながら祈る浴酒法というのがあります。

この祈祷法は験があるとされますが作法が難しいのであまり出来るひとはいませんね。

在家のお祀りの仕方としては、真言宗系の大弁財天勤行集などが代表例として挙げときます。通販でも販売しているのでググってみてください。

さて、本日は七福神の紅一点として、よく知られる弁財天をあげてみました。

箇条書きになりましたが、お楽しみいただけましたか・・・。

それでは、また・・・。

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2007年11月25日 (日)

お不動さん

今晩は、皇悠です。

皆様のご機嫌はいかがですか・・・。

さて、本日のお題は「お不動さん」です。正式には不動明王さまについてです。

真言宗・天台宗・修験道が不動明王の信仰の本家本元ですが、実は畑違いの阿弥陀信仰のはずの浄土宗のお寺でお不動さんの石像が祀られているのを見た事があります。そう言った意味でも不動信仰は広くこの日本で宗派問わずされているのがうかがえます。

さて、皇悠のような西洋系のパートタイムというか兼業魔術師も実はお不動様のお力を借りる時があります。まあ、お師さんなどがそうゆう事にまったく気にしない方だっので、私も右に倣えでそうなりました。

ただ、流儀というか、本格的に難しい案件時に初めてお力を戴く場合に必ず前行があります。これを「渡りをつける」といいます。大体の流れで言うと三段階あります。

まず、希望・目的の神仏について調べます。最低、5から10冊は読破しないといけません。

次に、その神仏の関連の経文、讃歌、真言の唱えこみ、祈りこみが始まります。

最後に示現と契約をもって終わります。

文章にすると簡潔にして簡単そうですが、やるとなると大変です。

なんといっても、資料が揃わない、長時間唱えこめない、何よりも示現されない・降臨・行幸を得られないと意味がありませんからね。

しかも、期限があります。百日間以内です。この期間内に契約を終えませんと今生・今の人生では縁がないと言う事で、諦めることになります。

ですから,必死です。関連の聖地の巡礼、祀られている行場へ泊まり込み、もう渡りのついている方からも渡りをつけたい方への取り成し祈願などなどやれる事は何でもします。

ただ、幸いというかここまでの行が必要なことはまずないです。守り手、イダムを持つ時位でしょうか・・・。

さて、話を戻しまして、お不動さんは観音さまと並ぶこの国の救済者の代表なので、他の神仏に比べて験が戴き易い面があります。

ちなみに、代表的な御真言は「ノウマク・サンマンダー・バーサラダン・センダ・マカロシャナー・ソワタヤ・ウンタラタ・カンマン」です。

ただ、繰り返し唱えるだけで元気に爽快になる好いものです。

ぜひ、折に触れ、唱えてみてください。本日はここまでです、それでは、また・・・。

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2007年10月 5日 (金)

稲荷神について

今晩は、皇悠です。

今日もまた、当家に現在祭祀させて頂いてます、お稲荷さんについて、書いてみようかと思います。

お稲荷さん、正式名称は「正一位稲荷大明神」様です。

神社によっては、お祭りしている神格のズレはありますが、基本は三人の方を合わせて稲荷としています。丁度、カクテルと同じでして、大体の組み合わせが同じならば同じということ似ていますね。

さてそのお三方は、

宇迦御魂大神・ウカノミタマノオオカミ、別称として倉稲魂、粟島、大気津姫、豊宇気姫、豊受大神、宇賀神。食物・生産・商売の神様です。

佐田彦大神・サタヒコノオオカミ、別称として猿田彦大神、精大明神、賽の神、道祖神、天狗。交通・旅行・開拓・方位除けの神様です。

大宮能売大神・オオミヤノメノオオカミ、別称として天宇受売命、猿女君、天細女命。舞踏・芸能・鎮魂・縁結びの神様です。

以上のお三方に、その各神社の由来にもとずいて、他の神様をお祭りしている場合が稲荷神社の大体のパターンです。

さて、稲荷というと狐のイメージですが、狐は代表的な眷族・お使いです。

他にも、天狗、龍神、老爺、童子、美女、青年などがいます。

この辺の意味付け、由来は物凄く長いので、書くと原稿用紙100枚級ですので、省略します。ごめんなさい。

ただ、もし稲荷社の前で祈っている時に、狐以外のモノが出てきても上記の天狗などであれば、正しい眷属の姿です。ご安心ください・・・。

それでは、今日もマニアックに書きましたが、楽しんで頂ければ、とても幸いです。

それでは、また・・・。

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2007年9月26日 (水)

天使について

こんにちは皇悠です。

悪魔召喚について、何度か書いてきましたが今日は天使について書きます。

天使、個人的には天使はどうしても、苦笑いとともに弥勒菩薩という仏教の尊格のイメージが浮かび上がります。

皆様はどうですか・・・、やはり、すこし小太りな裸の弓と矢を持った幼児ですか、それとも、とても美しい中性的な輝く羽を持つ若者のイメージですか・・・・。

さて、日本では、あまり知られていませんが、悪魔王ルシファー/サタンを地獄に落とした天使がいまして、その名をミカエルと言います。

この天使は正義や守護の天使としてキリスト教圏では天使のなかで、絶大なネームバリュー・強い信仰があります。

西洋魔術では火の元素の天使としていますね。

そして、この天使は実はユダヤ/キリスト教以前よりミトラという名前でユダヤ/キリスト教の揺籃の地である、地中海沿岸や中東で信仰されていました。

キリスト教以前のローマ帝国の国教の主神・守護者だったりした事もあります。

さて、このミトラ、実は仏教にも取り入れられて、弥勒・弥勒菩薩と言う名前で主に中国で信仰されるようになっていきました。

皆様はこの弥勒菩薩の名をどこかで聞いたことがありませんか・・・。

そして、実はまた、この弥勒は慈氏とか、七福神の布袋とかとも呼ばれ、日本にも中国からその信仰が伝わりました。

しかし、このミトラ信仰はとても仏教に合ったようで、しまいには弥勒とは日本密教の教主、大日如来の事である、いや浄土・浄土真宗の阿弥陀如来とは実は弥勒と同身とか言う始末。

つまり、同じ方をユダヤ・キリスト・中国仏教・日本密教などで別々の姿・名前・性格として信仰しているのです。

このズレ・おかしさを、

真面目に信仰して来た先人達はその歴史を知らなかったが故かもしれませんが、この馬っ鹿っぷり・トンチンカンぶりを始めて悟った時、

                   私は大笑いしました。

勿論、皇悠は何度かミカエル自身の名前などを術式に使用していましたがそれ以来、このミカエルは封印しました。

湧き上がる苦笑い・苦笑、そして特に西洋魔術やキリスト教のミカエルと仏教の弥勒はイメージ・性格が大違いなのに同一存在という矛盾でまともに儀式が出来なくなりました。

そう、まるで、虫の蟻と鳥のカラスが実は魚の鮭と同一生物であると言われみたいで、可笑しくなるのです。

さて、皆さんは、思い出すだけで苦笑がでることがありますか・・・。

そして、無知ゆえの失敗はありますか・・・。

気を付けたいものです。

それでは、本日のブログはここまでです、それではまた・・・。

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2007年9月25日 (火)

祭祀している神仏について、稲荷 そのⅡ

本日、何故か、ある神主で同業者ー彼も祈祷・呪術を縁のある方にしてあげています-に、恥ずかしながらも・今更ながらによく知っているある神仏について教えられ、こんなことも知らなかったのかと、落ち込んだ皇悠です。

人生で学びの種は尽きないですね。まだまだです・・・。

さて、気を取り直して、本日のブログです。

さて、何故か今まで何人かの方より、稲荷は危険・ヤバイと耳にタコが出来るくらいに言われ聞いてきましたが、そうゆう人に限って、お稲荷さまを過去にお祀りしたことも、現在・お祀りもしていません。

そして、では何故危険と考えるかと聞きますと大体、ある特定の宗派の本やそれ以外にも一般書籍・雑誌の記事を読んだこと、見知らぬ他人の話に行き着きます。

つまり、本人が経験してもいない伝聞・噂レベルで多くの方が判断しているのです。

そして、そんな現状に声を大にして言いたい、

そんなに稲荷がヤバイ・危険なら、

なんでこんなに日本中に稲荷神社が多いんじゃーーーーーーー!!!!!

しかも、宗教家でもない凡人がいくら現世利益があり、験が強くても命を含めとても危険なモノをこんなに祀るかぁーーーーーー。こんなに良い神いないぞ、お祀りしてからいえーーー。

                    と言う事です。

そして、こうゆう人に限ってお参りの仕方が出鱈目、我流の適当派だったりします。

また例外的に、ちゃんと神社の前に作法が書いてあっても、有名新興宗派系の祈り方・御参り方法ををどこでも突き通す人もいますが・・・。

ちなみに、皇悠自身はこうゆう方も我流と考えています。自分の流儀一辺倒なので。

そして、こうゆう方々のこうゆう振る舞いは、おかしいと思いますがいかがでしょうか・・・・。

喩えば、海外にいる時に英語圏の人に、日本語や知ってる英単語をならべて話しかけても相手は相手をしてくれません。

下手をすると、狂人扱いで、人によっては銃を抜かれ、打たれます。

これって当たり前の事ですよね。

まして、神仏は我々より上位・強大です。(少なくてもそう言われ考えられています)

だからこそ、昔から信仰しお祀りしている訳ですし、

何より、神仏は人ではありません。

ですから普通の人・友達・親のように礼儀に外れて振舞うのは可笑しくないですか・・・・。

再度、当たり前の事ですが、仲の良い人や同格の相手には許される事も目上、上位者には許されないですし、下手をしたら相応の罰を受けます。

また、自分のテリトリーでないのに好き勝手振舞うのが個性の証と意う風潮もありますが、しかし、無礼は無礼です。

上位者に楯突けば、傷つけられても自業自得、馬鹿なだけですよね。

ましてや、神仏は人間より遥かに上ですから・・・。

よく考えて対応すべきではないのではないかと考えますが・・・・。どうでしょう・・・?

何故か、今回はキツイ物言いが多くなりましたが、それでは、今回はここまでです。では・・・。

追伸、個人的な経験から言いますと、お稲荷様は本っ当ーーーーに、クダラナイ事でも叶えてくれます親切な方です。

ただし、寛容な方ではありますが、礼儀を忘れるとその無礼の分だけ罰をあたえる、公正な方でもあります。

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