何時も御覧頂きまして、有り難うございます。
どうも、皇悠です。さて、今回は今までお不動さんこと不動明王様の祭文・お経などを記事にしてきましたが、不動明王様自体についてあまり詳細に記述していませんでしたので、初心に帰りまして、今回クドイ位書きますね。
なお、かなりの大長文になりますので、興味の無い方はここでお帰りください。
では、いきますね・・・。
和名、不動明王(ふどうみょうおう)は、日本密教に特有の信仰対象の尊格です。明王部(仏のランク)の一尊。また、日本特有のグループ群の五大明王の中心となる明王。サンスクリット語/梵語 (अचलनाथ [acala naatha])でアチャラ・ナータ。名の「アチャラ」は「動かない」、「ナータ」は「守護者」を意味しており、全体としては「揺るぎなき・不動の守護者」の意味です。密号は常住金剛。
チベット仏教などではこの名・アチャラ・ナータよりもチャンダ・マハーローシャナ(चण्डमहारोषण [caNDamahaaroSaNa])即ち「暴力的な悪しき怒れる神」の意味の暴悪憤怒尊の名でより知られています。ただ、こちらは三眼で毛皮を身に纏い髪が逆立っているなど、日本に伝えられた不動明王とは図像的にやや異なるものですね。
さて、不動明王は日本密教の根本尊である大日如来の化身、あるいはその内証(内心の決意・または誓願)を表現したものであると見なされていて、「お不動さん」の名で親しまれています。なお、その異名には大日大聖不動明王(だいにちだいしょうふどうみょうおう)、無動明王、無動尊、不動尊などとも呼ばれていて、アジアの仏教圏の中でも特に日本において根強い信仰を得ており、造像例も多いです。
また、あまり知られていませんが日蓮宗系各派の本尊(いわゆるひげ文字・十界曼荼羅)にも不動明王が愛染明王と同様に、散々けなした宗派の宗祖の空海によって伝えられた日本密教に特有の尊格でありながら付け加えられていますが、さすがに体裁が悪いためか日蓮以来代々種子で書かれています。(ここに、この尊格の色々な意味で頼りになる力の強さと信仰の広がりを感じるのは私だけでしょうか・・・、さすがの密教嫌いの日蓮も不動は捨てられないという・・・)
なお日蓮の曼荼羅における不動明王は生死即涅槃を表し、これに対し愛染明王は煩悩即菩提を表しているとされています。
三昧耶形(象徴する道具)は利剣(諸刃の剣)、羂索(投げ縄)。種子(象徴する文字)はカーン (haaM)、或いはカンマーン (hmmaaM)。「カン」は、不動堅固の行によって、煩悩の深い者を大空三昧(菩提)へ導く梵字。「カンマン」では「カン」が不動心、「マン」は「柔軟心」を表しています。動物で現すと竜(正確には倶梨伽羅竜)、色ならば金または青黒となります。
真言は、一般には小咒 (しょうしゅ)、とも一字咒 (いちじしゅ)と呼ばれる「ノウマク サンマンダ バザラダン カン」(namaH samanta vajraaNaaM haaM)がよく用いられますね。
また、他の真言(明とも言いますが)には、
大咒 (たいしゅ)こと火界咒 (かかいしゅ)と呼ばれる 「ノウマク サラバタタギャテイビャク サラバボッケイビャク サラバタタラタ センダマカロシャダ ケンギャキギャキ サラバビギナン ウンタラタ カンマン」(namaH sarvatathaagatebhyaH sarvamukhebhyaH, sarvathaa traT caNDamahaaroSaNa khaM khaahi khaahi sarvavighanaM huuM traT haaM maaM)、
中咒 (ちゅうしゅ)こと慈救咒 (じくしゅ)と呼ばれる「ノウマク サンマンダ バサラダン センダンマカロシャダヤ ソハタヤ ウンタラタ カンマン」 (namaH samanta vajraaNaaM, caNDamahaaroSaNa sphoTaya huuM traT haaM maaM)もあり、それなりに知られています。
さて、この尊格は弘法大師こと空海が中国より密教を伝えた際に日本に不動明王の図像と経典が持ち込まれたのが本格的な信仰の始めと言われ、「不動」自体の尊名は、8世紀前半、菩提流志(ぼだいるし)が漢訳した「不空羂索神変真言経」に「不動使者」として現れるのが最初だと言われています。なお、ここの「使者」とは、大日如来の使者という意味です。
さて、日本密教では三輪身といって、一つの「ほとけ」が「自性輪身」(じしょうりんじん)、「正法輪身」(しょうぼうりんじん)、「教令輪身」(きょうりょうりんじん)という三つの姿で現れると考えています。「自性輪身」(如来)は、宇宙の真理、悟りの境地そのものを体現した姿(大抵は瞑想している姿で、あえて例を挙げると功を遂げた修行者・最奥義に行き着いた研究者のイメージです)を指し、「正法輪身」(菩薩)は、宇宙の真理、悟りの境地をそのまま判り易く衆生(全ての生き物)に説く姿(何かの教師やボランティアの災害救助者などのイメージです)を指します。
これらに対し「教令輪身」は、仏法に従わない者を恐ろしげな姿で脅してでも教え諭し、仏法に敵対する事を力ずくでも辞めさせるなど、極めて積極的な介入を行う姿です。(まんま、機動隊や軍隊のイメージですね)
ちなみに、不動明王は大日如来の教令輪身に当たります。煩悩をかかえ、もっとも救いがたい衆生をも力ずくで救うために、忿怒の姿をしているのですね。
また、お釈迦様が成道(悟りを開く為)の修業の末、悟りを開くために「我、悟りを開くまではこの場を立たず」と決心して菩提樹の下に座した時、世界中の魔王が釈迦を挫折させようと押し寄せたところ、釈迦は穏やかな表情のまま降魔の印を静かに結び、魔王群をたちまちに力で降伏したと伝えられていますが、不動明王はその際の釈迦の内証(心の状態)を表現した姿であるとも伝えられています。
因みに、この時にお釈迦様は自身の力だけでは足りなくて地天という大地の神の召喚(呼び出す事)の行い、その神の力で魔王群の妨害を防いだという伝承があります。
さて、この不動の憤怒の姿は、我が子を見つめる父親としての慈しみ=外面は厳しくても内心で慈しむ父愛の姿を表現したもの(外弁慶)であると言われています。
さて、日本に限らず密教の仏像は多面多臂の怪異な姿のモノが多いのですが、日本では不動明王は人と同じ一面二臂(手)で剣と羂索(けんじゃく・ムチ)を持つのを基本としています。(密教の図像集などには多面多臂の不動明王像も説かれていますが、立体像として造形されることはまれで、ほぼ絵画に限定されます)。
では、具体的な姿にいきますね。
まず、その身体は基本的に醜い青黒い色で表現され、これはドブ泥の色とも言われ、煩悩の泥の中において衆生を済度(救う事)をすることを表します。しかし底哩経などには、身体の色は青黒か赤黄とあり、頭頂は七つ髷(マゲ)か八葉蓮華、衣は赤土色、右牙を上に出し左牙を外側に出す、というのが一般的です。勿論、密教は歴史的に他の御姿を作りやすい宗派ですが基本はコレですね。
さて、より詳しく見ていきますとその体型は肥満した童子形につくることが多く(日本密教の根本経典・正典の『大日経』の出典によります)、怒りによって逆巻く髪は活動に支障のないよう弁髪(一つのおさげにすること)でまとめ上げ、法具は極力付けず軽装で、法衣は片袖を破って結び、その装束は古代インドの奴隷ないし従者の姿を基にしたものとされ、修行者に付き従いこれを守る存在であること示します。
右手に降魔の三鈷剣(魔を退散させると同時に人々の煩悩を断ち切る)を持ち、なおその剣には竜(倶利迦羅竜)が巻き付いている場合もあり、この事からこの剣は「倶利迦羅剣」と呼ばれています。左手に羂索(けんじゃく=悪を縛り上げ、また煩悩から抜け出せない人々を救い上げるための投げ縄)を握りしめます
また、背に迦楼羅焔(かるらえん=三毒を喰らい尽くす伝説の火の鳥を「迦楼羅・カルラ」といい、この毒をもつ動物を食べるという伝説上の鳥の姿をした炎ということで、毒になるものを焼きつくすことを表現しています。)を背負う、または不動明王が火焔の中に住まわれるのは ”火生三昧”といって、衆生の煩悩を大智慧の火で焼きつくして、お悟りに導くことを本誓(ねがい)としていられるからともされています。
憤怒の顔で粗岩(磐石(ばんじゃく))または金剛石(ダイヤモンド)の上に座して「一切の人々を救うまではここを動かじ」と決意する姿が一般的です(ただ、日本では何故か坐像の他、立像も数多く存在してます)。
さて、その信仰がインドで起こり、中国を経て日本に伝わった不動明王ですが、インドや中国では、その造像の遺例は非常に少なく信仰自体もほぼ廃れています。
しかし、日本では密教の流行に従い、盛んに造像が行なわれ、日本に現存する不動明王像のうち、平安初期の東寺講堂像、東寺御影堂像などの古い像では、両眼を正面に見開き(平常眼とも言います)、前歯で下唇を噛んで、左右の牙を下向きに出した、現実的な表情で製作されています。
しかし時代が降るにつれ、(右眼を見開き左眼をすがめる、あるいは右眼で天、左眼で地を睨む)天地眼という異形の眼、牙上下出(右の牙を上方、左の牙を下方に向けて出す)という、左右非対称の姿の像が増えるようになりました。これは10世紀、天台僧の安然らが不動明王を観想(思い浮かべる)するために唱えた「不動十九観」の影響によるものであります。
そして、時代をさらに下ると、不動明王像は天地眼による表現がほぼ完全に主流となっていきました、運慶作の静岡・願成就院の不動明王・二童子立像など、一部には両目を見開き、牙が両方とも下を向いて咬んでいる古来の相に倣って刻まれた像が見受けられますので、これから基本的に願主(仏像の製作を依頼した方)の要望で創作されたことが判ります。
さて、これら以外にも特に空海や円珍(天台宗系の大学僧にして大行者)らにより始まる不動法の流行は廃れずに長く継続したために、歴史上に多数の変化像を生み、空海入唐の故事に因んだ波切不動(高野山南院)や円珍の感得による黄・赤・青の三色の身色で表される不動なども生じ、また中国の五行論に絡んだ五色不動として黒・白・赤・青・黄の眼で表される不動像も生じました。なお、この五色不動は現在の東京の地名である目黒や目白の由来の一つとも言われています。
さて、不動明王には眷属というか専属の臣下がいます。
それを、俗に八大童子と呼び、その眷属を従えた形で造像される場合も多くあるります。ただし、実際には八大童子のうちの二名、矜羯羅童子(こんがらどうじ)と制多迦童子(せいたかどうじ)を両脇に従えた三尊の形式で絵画や彫像に表わされることが多い(不動明王二童子像とも言います)。
この三尊形式の場合、不動明王の右(向かって左)に制多迦童子、左(向かって右)に矜羯羅童子を配置するのが普通です。
なお、矜羯羅童子は童顔で、合掌して一心に不動明王を見上げる姿に表わされるものが多く、制多迦童子は対照的に、金剛杵(こんごうしょ)と金剛棒(いずれも武器)を手にしていたずら小僧のように表現されたものが多いですね。(ちなみに、古いドラマにスケバン刑事というモノがありましたが、そのシリーズ三作目にはこの三尊形式の位置関係がヒロイン達の立場に援用されています・・・、閑話休題)
さて、八大童子の残り六名は、慧光(えこう)童子、慧喜(えき)童子、阿耨達(あのくた)童子、指徳(しとく)童子、烏倶婆伽(うぐばが)童子、清浄比丘(しょうじょうびく)です。これら八大童子の彫像の作例としては、高野山金剛峯寺不動堂に伝わった国宝の像がよく知られてますね。
なお、不動明王の眷属として八大童子を配することは、サンスクリット経典には見えないようで、中国で考案されたものと言われ、この他に三十六童子、四十八使者と呼ばれるモノもあります。
また東寺のように五大明王と呼ばれる主要な明王の中央に配されることも多く、その配置は以下の通りです。
中央に不動明王(大日如来)
東方に降三世明王(阿しゅく如来)
西方に大威徳明王(阿弥陀如来)
南方に軍茶利明王(宝生如来)
北方に金剛夜叉明王(不空成就如来)
の位置関係で奉られ、怨敵調伏のときなどに用いられます。
(カッコの中は基本的にはその如来が変じてそれぞれの明王になったとされています)
では、ここで大日経の他、特に修験道において好んで読誦されるものが多いですが、代表的なものを幾つか挙げます。
聖無動尊大威怒王秘密陀羅尼経 (しょうむどうそん だいいぬおう ひみつだらにきょう)
大日如来の大法会で普賢菩薩が文殊菩薩と衆生に向かって自らの感得した不動明王について教えを説き、大日如来がお墨付きを与えるという筋書きです。
仏説聖不動経(ぶっせつ しょうふどうきょう)
前述の経典の教えのエッセンスを短くまとめたもので、日本で成立。不動明王自身が教えを説くという形式を採るモノ。衆生の心の有り方は一様でない(悟りに到る道も個々によって異なる)ので心の中に住み(修行者自身の中に不動明王がいる)、そして各々に合わせて姿を変え願いを叶えるという内容が説かれています。いわゆるメイドイン日本の偽経ですが、内容的にはすばらしく上記の経典の釈(解説書)と考えるのが自然かもしれませんね。
稽首聖無動尊祕密陀羅尼経(けいしゅ しょうむどうそん ひみつだらにきょう)
印を結ぶ動作が加わるなど、密教色の極めて強い経典です。
次の四つは他の尊格や日本の神々をも代表する存在であるとした讃嘆経(仏教版の讃歌集)です。
不動尊劔の文。不動尊祈り経、不動明王利益和讃、五體加持。
これらは他の神仏に優る超越的絶対者としてではなく、衆生の心のあり方は一様でないので悟りに到る道も個々によって異なるという前述の思想を受けたものです。
また、それ以外に大乗仏教の汎用経の般若心経(空海が注を入れた般若心経秘鍵の影響もありますが・・・)もよく真言と共に読誦されていますね。
なお、不動明王は人が死後に出会う十三仏の初七日の本尊・導師に当たります。
ちなみに、不動明王の信仰自体が平安貴族以外にも広まったキッカケの一つは平安時代初期の平将門の乱です。この時になかなか手に負えない平将門を調伏するために京都の高雄山神護寺から不動明王像を「借りて」関東に持って行き、成田の地で調伏の法を行いました。
そして、この像はなぜか京都に戻らず、そのまま現在の新勝寺の本尊として伝わっています。(新勝寺に伝わる伝説では京都に連れて帰ろうとしたがどうしても動かず、夢枕に不動が現れ、自分はこの地に留まって関東の守護者になると言ったということです)
そして不動信仰を決定的に庶民、正確には鎌倉武士に土豪などへ浸透させたのは鎌倉末期の元冦でした。この時は全国各地で敵国退散の呪法が行われ、その主役の一つが不動明王でした。この時面白いことに日本軍を助けに「走って行く」不動明王の絵なども描かれています。これは「走り不動」と呼ばれるものですが、本来動かないはずのお不動さんが走って行くというのはなんとも逆説的ですが、それほど元寇時の危機感が強く不動明王への信任が強かったという事ですね。
また、不動は庶民信仰の中では疫病退散の仏としても信仰を集めています。これは修験道の山伏が里人に頼まれて病気治療の加持の護摩を焚く際などに、しばしば修験道の本尊として御祀りする不動に祈祷した為です。また現代でも病を抱えたお年寄が平癒祈願に行くのに多いのは、不動と薬師如来とも言われています。
さて、それ以外に御利益は不動明王は大威力があって難を除き、魔を降伏し、すべての人にわけ隔てなく利益を与え、念ずる人の願いによって、どんなご利益でも授けられると言われるので幅広いです。
具体的にはまず第一に行者守護が来ます。次に除災招福、そして以下に戦勝、悪魔退散、家内安全、厄除災難除去、開運吉祥、商売繁盛、交通安全、当病平癒、負傷平癒、心願成就、事業繁栄、旅行安全、安産満足、六三除、方災消除、学業成就、開運満足などが来ます。
有名な護摩法要は大願を成就せしめる為に、不動明王の前で焚かれるモノです。
俗に言う守り本尊では、不動明王は酉年生まれの守り本尊です。
さて、歴史的に不動明王は、西方から侵入してきたアーリア族に圧迫され、奴隷となっていたインドの原住民ドラビダ族の象徴です。
その頭髪を束ねて左側に垂らし、目や歯が不揃いで醜いのはその為だといわれます。
更に、ダキニ天に対してその抑えとして不動明王をもってくる法があるのは、ダキニ天自体が同じドラビダ族(今の不可触選民の源流の一つとされる民族)が信仰していた大地母神から来たと言う説があるためです。
なお、不動明王の信仰自体が空海の教化戦略の中に於いて先行する同じ密教系の天台宗を凌ぐ教義として真言密教を為政者に認知させる方針として密授と共に、胎蔵界曼荼羅の持明院の一尊に過ぎない不動明王を重要視し、主役の位置に採用した影響という説もあります。要するに不動明王は胎蔵曼荼羅の象徴尊として表に出して重んじた結果という説です、因みにその伝で金剛界の象徴尊は愛染明王になります。
また、不動明王は明王の中では最低の地位で、逆に最高位を愛染明王(あいぜんみょうおう)とされ、上記の説と合わさりまして、不動&愛染の一対に祀れば、全ての苦しみを救い取れるとされて一対で祀られることも多いですね。
さて、このように多くの故事・経典に支えられ、絶大な験力と曼荼羅の全ての神仏を背負うほどの格の高さ、今なお尽きない利生の発生などが不動明王をして、日本の密教系祈祷の大本尊・大本命にしています。
正直なところ、不動以外は必要ないという方もかなりいますね。
さて、それでは長々と書きましたが今回はここまでです。お役に立てば幸いですが・・・。
では、貴方に全ての良き事が雪崩の如く起きますように・・・。
ではでは、皇悠拝。
最近のコメント