祭礼・術式・行法

2009年11月27日 (金)

祈祷・行の障り、虚空蔵菩薩求聞持法より

御覧頂きまして有難う御座います。

どうも、妖術系神学の伝道師・皇悠です。さて、趣味のネットサーフをしていましたら面白い記事を見つけました・・・。それは虚空蔵菩薩求聞持法のヤツでした。

ちなみにこの行は虚空蔵菩薩のあるマントラを百万回唱えるものでして、大抵は一日一万遍で、百日で百万回で結願(最終)の日を日蝕か月蝕の日に当てます。

なお、日蝕は数年に一回、月蝕は年2回くらいのものでなかなか準備・条件などが大変な行です。

では引用です。

『さて、渓嵐拾葉集(主に天台宗山門派の修行者の記録及び神学論集)に虚空蔵菩薩求聞持法についての記述・記事が幾つかあります。

1.ある行者が虚空蔵菩薩求聞持法に打ち込んでいる時、まず大海の塩水が道場の外にひたひたと満ちてきた。そのうちに潮水は、道場の中に波打って入り込んできて、行者と本尊の他にはことごとく大波が打ち寄せてきた。

驚いた行者は、行をやめてこの場を去って逃げ去った。それから程なくして、帰ってみると水もなく波もなかったそうだ云々。

2.ある行者が虚空蔵菩薩求聞持法に打ち込んでいる時、金星を拝見する窓の間から死人の首が突然現れてきて、だんだん巨大化して道場の中に一杯に充満するほどになった。杖を振り回して追い払おうにも振るだけのスペースがない。

しょうがないので行者はこの場を引き払って逃げ去った。

3.ある行者が虚空蔵菩薩求聞持法の行を積んで、結願の時に当たって露地の儀式を執り行っていたところ、供物の乳製品の入った器の上に肉のついた馬の足が突然出現し、その臭いことは卒倒するほどだった。

行者はやむなく立って、これを取って遠くに捨てたが、このために行を妨げられることになった。

4.ある行者が虚空蔵菩薩求聞持法の行を行っている時、壇上に乾糞の雨が降ってきた。これを取り去るために仏壇を西に寄せたり、北に寄せたりしたが、とても行法の邪魔になった。

5.またある行者が虚空蔵菩薩求聞持法の行を積んで、ようやく結願の時になった。すると、金星を拝見する窓から、突然鳶が飛び込んできた。鳶は壇上でバタバタ羽を打ちつけまくり、肝心の供物の乳製品をこぼして、行の邪魔をしてくれた。

6.またある行者が虚空蔵菩薩求聞持法の行をしていたことろ、黒犬がにわかに走り込んで、乳製品を食ってしまった。 』

以上です。

さて、虚空蔵菩薩求聞持法は大法とも呼ばれ空海さんの成就以来、密門ではそれなりに有名かつ験の著しい法とされました。

ですが、熟練者向けの行ともされてますので、挑んだ方も条件が面倒でなかなか実施出来ない大法の為に充分な準備・用意・訓練をした上で挑み、日本密教徒ならば普通に護身法だの十八道法系の結界だのを儀式前にしているはずですが・・・、それにも関らず魔境・幻覚・障りに引っかかりまして、成就せずに失敗・挫折する方は多く居たようです・・・・ね。

因みに、個人的な経験上ではこういう連続・集中しての呪文・祝詞・真言を唱えると幻覚・霊的障害は噴出しがちで、まず防ぐことはまず出来ません。

さて、今回の虚空蔵菩薩求聞持法に限らず、成功や成就の話はよく書かれたり・残りますが、失敗談や汚点などは関係者が隠し、忘却され埋没し易いので、今回アップしてみました。では、何かのお役に立てば幸いです。

閲覧頂いた方には全ての良き事が雪崩の如く起きますように・・・。

皇悠より。

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2009年11月26日 (木)

大般若転読法要について

御覧頂きまして有難う御座います。

どうも、妖術系神学の伝道師・皇悠です。

さて仏教系の諸尊への感謝を奉げる法要の一つに「大般若転読法要」があります。

この法要(儀式)は、仏法の根幹を示しているともいうべき大乗経典群の原点・般若経典を奉ずる法要で、密門を中心に禅宗などの各地の寺院で営まれています。

さて、この法は諸尊でも如来・菩薩・明王部ではなく特に天・垂迹部の諸尊、例えば聖天様や大黒天尊などの天部の尊をお祀りする奉賛寺院で如法に営まれます。

また、天部の尊はこの法要を特に喜ばれるとお聞きします。例えば、比叡山延暦寺大黒堂では、円壇の周りに般若経典の入った箱がずらりと並べられていますよね・・・。

さて、日本におけるこの法は鎮護国家・除災招福の為に、盛んに営まれていました。例えば古い記述としては、続日本記第三文武天皇大寶3年(703年)3月の条に「四大寺に詔して大般若経を読ましめ、一百人を度す」とあり、この後、大般若経転読の儀式として、規模も回数も次第に広がっていったようです。

なお、この法のメインは僧侶達が大音声で経題・呪を唱えつつ、各巻ををだらだら垂らしてお仕舞いという何というか・・・・なモノを繰り広げる作法で、これには「魔を除く」という意義もあります。なお、ここで云う魔とは、災難・外から押し寄せてくる敵の意味もありますが、魔を払う、調伏するとは、事故や外敵から身を守る事とは必ずしも合致しません。

ある意味ではそうであったとしても、本来は、仏教的には自分の中の魔・煩悩、つまりは不必要な怒りや迷い、限り無い欲望などを除く事を意味します。それが除災・招福に繋がるモノとしています。

では、今回は此処までで、何かのお役に立てば幸いです。

閲覧頂いた方には全ての良き事が雪崩の如く起きますように・・・。
皇悠より。

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2009年11月25日 (水)

油の八功徳とは

御覧頂きまして有難う御座います。

どうも、妖術系神学の伝道師・皇悠です。

さて、聖天尊や双身毘沙門天尊の有名な供養法に浴油供があります。

ちなみに、この法が何故にして聖天尊や双身毘沙門天尊にあるのかは皇悠には不明です。また、似た法に日本酒バージョンの弁財天様の浴酒法に、お粥バージョンの大黒天様の浴粥法などがあります。

さて、何故油を使うのかといのはさておき、ある某天の行記によると、「油は八功徳水也。一度此れに浴すれば、悪業煩悩の苦果の汚身を浄除し、本有の毘盧遮那身を顕じ奉らん。」とありますから、浴油によって天尊は清められ、本体である御仏の功徳が得られるようになるのでしょう・・・。

ちなみに油の八功徳とは、
1、澄浄:油は本来、清く澄み、水などと交わらぬ性質を持つ。
2、清冷:清々しく、冷えざえとした輝きを持つ.
3、甘美:芳しい香りと味わいに深みを併せ持つ。
4、軽軟:すべらかさを持ち、柔軟性がある.                                                                 5、潤沢:潤いがあって、浸透性に富む。
6、安和:良く方円の器に従い、振動に耐える。
7、餓渇を除く:飢えを満たし、渇きを除く。                                   8、諸根を長養す:心身を養い、活力を与える。あふれる生命力・活気。

以上の八功徳です。なかなかに、油も良いですよね・・・女性のダイエットの敵ですが・・・。

では、今回は此処までです、何かのお役に立てば幸いです。

閲覧頂いた方には全ての良き事が雪崩の如く起きますように・・・。
皇悠より。

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信仰について、、『聖天信仰の手引き』等より・・・

御覧頂きまして有難う御座います。

どうも、妖術系神学の伝道師・皇悠です。

さて、今回は聖天尊を信仰する際のポイントとして、有名な『聖天信仰の手引き』等で紹介されているモノをご紹介致します。もしかしたらどこかでご覧頂いたことかもしれませんが・・・。

 1 本当の信仰とは、お聖天様にひたすらおすがりして、一切をあげておまかせすることである。

 2 信仰は、うまず、たゆまず、一生涯続ける事が肝要である。お札は自宅に祀ってもよいが、御尊像は祀らぬ方がよい(←これは聖天様の供養・日々の行/御祭りの難しさから来ているのでしょう・・・)。

 3 身も心も清めて、お詣りしなくてはいけない。また、忌服の時やご婦人の汚れの間は、直接のお詣りは遠慮するほうがよい。

 4 お詣りは、ご利益を少しも疑わず、純真な心持で一心不乱にお祈りすること。

 5 お願いの叶わぬ時は、未だその時期でないのか、誤った願い方をしていたか、または聖天様のお気持に反するような、お詣りの仕方をしていたからであるから、特に反省してみる必要がある。

 6 どんな無理なお願いをしてもよいし、その達成に努力精進することは言うまでもないが、あとの結果は聖天様の思召におまかせするがよい。

 7 熱心に信仰するほかに、自分の力の足りない所は、御祈祷を頼んで行者に、その心願成就をお祈りしてもらう方が早い。

 8 信者の熱心と行者の法力と聖天様の妙智力との、三力冥合の結果、心願が成就するのだから、御祈祷を頼んでおけばよいと安心していてお詣りを怠けていてはいけない。

 9 心願が叶い、御利益を頂けたら、聖天様へ感謝の念を忘れず、御加護を頂いた聖天様のお寺へはもちろん、広くは社会のため、少しでも奉仕の布施行を心がけないと、続いて御加護は頂けない。

 10 いくら熱心でも、いつまでも「我欲」のみの信仰をしていては、聖天様の思召に添わないから、いつかは見離されて、大きな御利益は頂けない。よくよく心すべきである。

 11 お願いには、浴油供か華水供の御祈祷をお願い、また成就の暁、感謝のお礼には大般若経の転読か百味の御供養を奉修してもらうがよい。勿論、浴油供でも差支えない。(←これは聖天様独特の作法ですから、御稲荷様なら幟など諸尊により違います・・・勿論。)

 12 世間では「聖天様は怖い神様」だとか、「子孫の七代までの福を一代にとる」とか色々に言いふらされているが、何の根拠もない、迷信的な伝説ゆえ少しも気にしない方がよい。(←この文章は他の諸天にも当てはまります・・・。)
さて、ご覧頂いたように、内容的には聖天様を信仰する際に限らず全ての神仏に当てはまる事も述べています。特に1、2、9、10は大事ですよ、本当に・・・。
皇悠自身も当ブログで多くの布教をしているのも9・10の布施行、(金毘羅/稲荷)信仰の素晴らしさの伝授・告知の意味もあります。

では、今回は此処までで、何かのお役に立てば幸いです。

閲覧頂いた方には全ての良き事が雪崩の如く起きますように・・・。
皇悠より。

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お粥の勧め・・・?

御覧頂きまして有難う御座います。

どうも、妖術系神学の伝道師・皇悠です。

今回はお粥の話です。

さて、仏教の『僧祇律』というモノによると、粥を食べると10の功徳があると言います。あまり知られていない事ですが・・・。

具体的に以下に、その10功徳を紹介しますよ。

『1 「色」、顔色、肌つやをよくする。
2 「力」、体力をつける。
3 「寿」、寿命を延ばす。
4 「楽」、胃にやさしく体が楽になる。
5 「詩清弁」、頭の働きが良くなって、弁舌も流暢になる。
6 「宿便を除く」、胸につかえない。
7 「風除」、風邪をひかない。
8 「飢消」、空腹を癒す。
9 「渇消」、のどの渇きを癒す。
10 「大小便調適」、大小便の通じが良くなる。』の以上です。

さて、お粥と言いますと禅宗、特に修行寺のイメージをされる方もおられるかと思いますが、実は道教の修行所・道院などでも朝はお粥メインだったりします・・・。

では、今回は此処までで、何かのお役に立てば幸いです。

閲覧頂いた方には全ての良き事が雪崩の如く起きますように・・・。
皇悠より。

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2009年11月15日 (日)

「大威徳明王の怨敵調伏法・大威徳法」の基本

御覧頂きまして、有難う御座います。

道楽・妖術系伝道師、皇悠ッス。

さて、今回は大威徳明王様の調伏法ですよ・・・。

ある方から呪殺法・調伏法をそろそろ一つぐらいは上げても良いのではないかと言われたので、今回アップしてみます。(まあ、ネット上には腐るほど霊的な攻撃術や暴力的な技法はありますので・・・当ブログで書かなくてもそういう方々は別のところで見つけるだけなので、今回アップしてみます)

え・・・と、今更記述するのも何なんで・・(以前かなり詳しく記述してますし・・・)、ざっと記述しますとこの方は死神・魔王を調伏する明王様で、調伏法の本尊とされ、怨敵退散、災難消滅、怨敵調伏、悪夢避けなどの神通力を保持しています。

チベット人は別の名前で信仰していますね。

なお、基本的な作法は長々として煩雑なのですが、基本的には十八道でも護摩法でも出来ますが、今回の怨敵調伏呪法の肝だけ書きます。

『内縛変形にて、真言十唱』をワンセットで、成就するまで折を見て観想・視覚化しつつ反復するだけです。(真言は以前に何度か記述していますし、ググれば幾らでも出てきます)

内縛変形・・・指を内側にして組み、両手親指だけを伸ばし、左手親指を外側にして交差させる印。

ちなみに、色々と口伝とか場所・祭壇の作り方とかありますが、散々ぱらそういう心得る点は記述していますので省きますが、基本的にはこの技法は成就するかどうかは術者の気力(執念)/能力と大威徳明王と術者の関係に拠ります。

ちなみに、呪殺・調伏系の技法は出来ない人は出来ないですし、出来る人は出来る類の技法です。ちょうど、泳げる人は泳げて泳げない人は泳げないのと同じですね。

では、今回は此処までです。

閲覧頂きました方々には全ての良き事が雪崩の如く起きますように祈りつつ、失礼します。

皇悠拝

なお、今回の記事に関しては質問関係は完全にスルーします。充分過ぎるくらいに他の記事の今まで質問された事の答えと以前記述した記事の内容を読めば、納得出来るか否かは別にしてヒントなり、やり様は判りますので・・・。

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2009年11月13日 (金)

術・法・祈祷の基本的な事柄

御覧頂きまして有難う御座います。

ソーサラー系エバンジェリストの皇悠です。

さて、今回は何度か似たような記述しておりますが、祈祷・呪術の基本を記述します。

さてさて、元来は祈祷・呪術の術に法というモノは、各神仏(本尊)あっての術・法です。

また、その各技法を代々守り伝えていくのが、その寺の住職なり行者なり神社の宮司です。

だからこそ、それらは好事家の趣味のようなモノではなく、一応は各々を含め衆生救済の為のモノだとも考えられておりますが、基本的には各神仏に所有権があります・・・。

ですので、自分自身がそれらを許容出来ない・継続するのが辛く・無理があるなどと思われるなら、次の帰依処(導師)・崇敬神仏・祈祷本尊を探すべきでもあります。

ただ、相性といいますか、自分の性格を基本にして、祈る対象物”神仏”を選ぶなんてことはあると思います。事実、お寺なり神社にお参りする際に、その寺院や神社などと縁があってお参りするまでの過程が、やっぱりある訳ですし・・・。

この辺は人によって、選び方は異なり、例えれば仏教ならば僧侶や住職の験力の力を求めて寺院を選ぶ方がおられます。また、あのお寺の住職は偉い人だとか、テレビに出た事がある、有名だから、だれだれも信者だから・・・などといった場合もあります。

次に、親・親戚がお参りしていたお寺で、小さい頃からお参りしていたので、お参りするといった事もあります。

その他、あのお寺のお不動さんが好きなんや・・・といってお参りすることもあります。

それから、自分自身の家のお墓のある菩提寺など、そういった類もあります。

ただ、仏教というのは、非常に膨大な知識・体系的な学問ですので、顕教の勉強が済んだ上での必然として祈祷・密教の勉強をしなければいけません。

例えば有名な大乗経典・顕教たる般若心経や法華経を勉強した後に、天台の修験や懺法を勉強して、その後で理趣経や華厳経などを勉強し、その後に、チベット密教を勉強するといった具合に、段段と、仏教の核心・歴史的な展開にまで探求・勉強すべきです。

また、場所のどの方にしろ、縁があるのは、(自身の前生などの)ある意味では業による報いですので、自然な形で信仰出来るようにするのが一番理想的です。

具体的には、菩提寺との相性がよく無いとか、家族との相性がよく無いとか、そういった根本的な神社仏閣との相性を自分主体で考えるべきでは無く、それよりもそうした場合には、自身の中での落ち度を先に考えるべきでもあります。

また、信仰は他の人にとっても信仰の対象です・・。

お寺にお参りして、あのお守りもこのお守りも欲しいなどといって、お金にモノを言わせて、あれこれ、買って帰ってくるのも良くない事です。

本当にそのお寺なり神社の例えば交通安全のお守りを求めているのに、救いを求めてお参りしてくる方の救いを私利私欲で無くしてしまうのは良くないでしょう・・・。

さて、こういう事を踏まえて、崇敬先を選ばれれば、良いと思っております。

皇悠自身も合計でそれなりに帰依すべき神仏なり先生、信頼すべき師僧(導師)を折々で変えて、やっとこ今の状態に巡り着きましたし・・・。

こういった事も全て、ある意味では前生の業に依るモノ?だとも考えておりますが、諦めず、しっかりと自分自身が信頼できる方・道を探すべきだとも考えています。

ただし、術・法(祭祀の仕方・祈祷の次第)に関しては自分自身で勝手に納得して、祀りを創作するようなモノではなく、また完全なオリジナルにするモノでもなく、しっかりと決められた通りのある種の公式・定型のパターンを尊重すべきです。

それは、何故かと云いますと、例えば、祭祀の仕方一つを取ってしても、現在、その寺なり神社なりの伝統・法統を誰かに伝えるべき一人となっているからこそ学べた訳で、各人が身につけれたのも、それ故に先師、先徳に対しての恩義・厳密に言えば多大な負債が存在するからです。

つまり、まず祈る対象たる神仏に渡りを付けて頂き、更に身につけるまでの試行錯誤の時期に神仏には加減して頂いた上に、導師・先生にある程度の保護・指導を受けていた訳ですので、基本的な祭祀の仕方をマスターされてから、自分自身のアレンジを加えて祀る・祈るのは良いのですが、、まずは、基本的なモノを自身の仏道なり神道の先生・師である方の許可の下で、祈祷先の崇敬する方への通しの許可を得れないと、創作しても神仏が納受して頂けない事になるからです・・・。

また、改変した作法・方法論を受け入れていただけるようにすることもある意味では、重要な修行で実際的な仏道・神道における祈祷の一段階ですが・・・。

特に密教・修験道は、とりわけ先生からの伝授を重んじており、ここが特に他の顕教のそれとは大きく異なる面で、、こうした事を特に気をつける必要があります。

それは、密教の真言・印契自体が大日如来を始め諸仏の大いなる密約された術・法であり、非常に大きく社会や実際の生活に影響を及ぼしうるモノですから、むやみやたらに、誰に対しても法を伝えたりしないというのは、器で無いモノに対してある意味で慈悲であり、大きな神仏への背信をしない礼儀であり、非常に業が大きいからです・・・よ、色々な意味で・・・。

また、本当に個人的に不思議なのは平気で『真言や印を伝授・許可無しで、使用し、記述し、描写する方がいますが、それで神仏から報復を受けない保障を何処に受けているのか?』・・・です。

特にドラマに映画では読みから動作、発声などをかなりオープンに出してますから・・・。

まあ、それも迂闊な本人たちの人生ですからどうでも良い事かも知れないですね・・・。

では、今回は此処までです。

閲覧頂きました方々には全ての良き事が雪崩の如く起きますように祈りつつ、失礼します。

皇悠拝

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2009年11月 2日 (月)

神を見る人の特徴

御覧頂きまして、有難う御座います。

どうも、妖術系エヴァンゲリスト・皇悠です。

さて、前回に引き続き今回も近世のインドの見神者として有名なラーマクリシュナのネタです。さて、彼は、本当に神を見たかどうかの印があるとしています。
その特徴・識別法は次の通りです。

1.いつも楽しそうで、遠慮が無い。
また、海のように表面は波立ったり音を立てたりするが、下の方は底知れぬ海のように、浄不浄の区別・差別が無く、全ての物に接し、食べる。

2.幼児のようである。
無邪気で何も気にかけず、着物を脇にかかえて、裸でぶらついている。
少年のように生き生きとして挑戦的だ。いつまでも青年のように若々しくて、人に何か教える時はライオンのようだ。

3.分別の無い愚者・バカのように見える。
内にも外にも神ばかりだから畏れと畏敬の念から口がきけなくなり無口・無生物のように深い無念夢想に入る訳でじっと黙り座る、また狂人の様にTPO関係なく、笑い泣く。

何というかこれがバクティと言うモノなのでしょうか・・・、それとも神との愛で神を見た場合は、このようなタイプになることが多いのでしょうか・・・。よくわかりませんが・・・。

ただ残念ながら、こんな人が、日本で身近にいたら、直ぐに精神病院行きになるか、奇人変人扱いでしょう・・・。また、多幸症という精神病にも似ています・・・。

まあ、完全な雑談ですが、何かのお役に立てば幸いです。

今回は、ここまでです。

では、閲覧頂いた方には全ての良き事が雪崩の如く起きますように・・。皇悠より

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2009年10月 3日 (土)

位階と呪術・祈祷

御覧頂きまして有難うございます。

今は垂迹部の伝道もやってます妖術師の皇悠です。

さて、今回は位階と呪術・祈祷としまして今では殆ど廃絶した呪術・祈祷における位階制について記述します。

え~~と、位階制と聞きますとグルイズムとか権威主義とか思い浮かべる方もいると思いますが、今回の位階制はある意味登録・免許制と言い換えても良いです。

つまり、例えば「ある技法をマスターし駆使するには特定の基礎的な下位技法を任意に出来なくては成らず、その下位の技法を取得し自在にしたいならある規則・作法を遵守しなければ成らず、その規則・作法を習い身に付けるにはそれを体得した方に指導を受けなければまず身につかない・・・。」等とこのような入り込んだ階層構造が呪術・祈祷の体系には往々にしてあります。

これって大学生に成るのと同じく大学入学には高卒資格が、高卒資格には中卒資格の・・連鎖ですね。

だから、今では儀式の次第や経典などの知識面に関しては師につかないと判らない事はネットや本の流通のお陰でかなり改善されましたが、「じゃあ、ネットや本を基にいざ修得し駆使するには・・・」と言う状況が多いのでは無いでしょうか?

何というか、この界にかぎらず小学校入学レベルから大学卒業までのカリキュラムの全ての内容を書ききったネット記事や本は流石にどの分野・技法にも無いので・・・、もし作ったら何万ページになりますかなぁ~。

だから、実際はネットにしろ本にしろ、断片的なモノが殆どだったりしてます。

因みに皇悠自身も人に学ぶ前にネットが無い時代ですので本・古書経由で(宗派問わずに呪術・祈祷・魔術関係を百は読んでましたが・・)かなり知識は入ってましたがそれが有機的に繋がらす・バラバラになっていて使えねえままでした・・(笑)。
だからこそ、魔術志望だったので団体についてからは訓練に励みました・・(≧▽≦)ゞ。本で判らない実践上の解決策・改善方法を適時・必要な際は惜しみなく教えて下さったから、頑張りました・・('-^*)/。閑話休題。

さて、あれから二十年近く経ちましたが、量は増え、質は向上してますが知識面だけの事態ばかり変わって無いようです・・。

だからと言って、優れた教育者も現れて無いようですし・・。難しいモノです。

では、今回は此処までです。

閲覧者の皆様には全ての良き事が雪崩の如く起きますように・・。皇悠より

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2009年9月29日 (火)

向上の手段、掃除

御覧頂きまして、有難うございます。

どうも、エヴァンジェリスト兼ソーサラーな皇悠です。

さて、今回は向上・変化の手段としての掃除・清掃のお話です。

因みに、神道・仏教等の基礎行・理念としての掃除・清掃は少し前の記事「不可知または土台以前の問題」のコメント欄に散々ぱら記述しましたので、カットします。

さて、閲覧者の方々は掃除・清掃行為は単純に(心地)良い状態の維持活動、または汚い・悪しき状況の予防法とでも考えているのでしょうか?

正直ながら、皇悠は以前はまあ何というか悪く成らない為の習慣と考えていました・・・(*^_^*)(苦笑)。

しかしながら、実体は諸行無常の理の中で最良な状況を見出す行為であり、常に変化・劣化・交代する環境下で解を作り上げる事でも在ります。

具体的には家も家具も劣化して行き、自身の体調は時により、使える装備は限度があり、まして如何に綺麗にしても時と共にまた状況は悪く成ります中で為すからです。

これらを対応するには嫌でも、自身を考え方から振る舞い、生活習慣まで状況の中で変えていく必要性が出て来ます。

例えば、如何に汚さないで暮らすか?
掃除の手間要らずの為に不必要な存在を無くすか?
いずれにしてもやって来る交換・破損時の為に資金・用意を如何に進めるか・・・。

正に掃除をする事(それは死ぬまで続きますが・・)は人に多くの課題・行を与えてくれます。

まあ・・ただし、今回の記事は自らの生活を自らで成す方に取ってであり、基本的に養育・保護されてます存在(殆どの子供、ある種の主婦と年配者など)には掃除・清掃は趣味またはハイリターンな家庭内の仕事ですが・・・、別に本人がやらなくても最悪な場合は同居人にやって貰えば良い・押し付けば良いのですから気楽なモノでは有ります・・・(・_・;)。

本当に自活した一人暮らしの中で掃除・清掃を日常的な行・習慣として考えてやり続けてますと下手なお祓いや浄化法を毎日やるよりも、変化が起きますよ・・(笑)。

また、何というかやる事は幾らでも在り・・・そして、凝れば凝るだけ良くなるから面白さはまたあります。

では、取り敢えず今回はココまでです。何かの役に立てば幸いです。

閲覧者には全ての良き事が雪崩の如く起きますように・・。皇悠より

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