祭礼・術式・行法

2009年11月 2日 (月)

神を見る人の特徴

御覧頂きまして、有難う御座います。

どうも、妖術系エヴァンゲリスト・皇悠です。

さて、前回に引き続き今回も近世のインドの見神者として有名なラーマクリシュナのネタです。さて、彼は、本当に神を見たかどうかの印があるとしています。
その特徴・識別法は次の通りです。

1.いつも楽しそうで、遠慮が無い。
また、海のように表面は波立ったり音を立てたりするが、下の方は底知れぬ海のように、浄不浄の区別・差別が無く、全ての物に接し、食べる。

2.幼児のようである。
無邪気で何も気にかけず、着物を脇にかかえて、裸でぶらついている。
少年のように生き生きとして挑戦的だ。いつまでも青年のように若々しくて、人に何か教える時はライオンのようだ。

3.分別の無い愚者・バカのように見える。
内にも外にも神ばかりだから畏れと畏敬の念から口がきけなくなり無口・無生物のように深い無念夢想に入る訳でじっと黙り座る、また狂人の様にTPO関係なく、笑い泣く。

何というかこれがバクティと言うモノなのでしょうか・・・、それとも神との愛で神を見た場合は、このようなタイプになることが多いのでしょうか・・・。よくわかりませんが・・・。

ただ残念ながら、こんな人が、日本で身近にいたら、直ぐに精神病院行きになるか、奇人変人扱いでしょう・・・。また、多幸症という精神病にも似ています・・・。

まあ、完全な雑談ですが、何かのお役に立てば幸いです。

今回は、ここまでです。

では、閲覧頂いた方には全ての良き事が雪崩の如く起きますように・・。皇悠より

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2009年10月 3日 (土)

位階と呪術・祈祷

御覧頂きまして有難うございます。

今は垂迹部の伝道もやってます妖術師の皇悠です。

さて、今回は位階と呪術・祈祷としまして今では殆ど廃絶した呪術・祈祷における位階制について記述します。

え~~と、位階制と聞きますとグルイズムとか権威主義とか思い浮かべる方もいると思いますが、今回の位階制はある意味登録・免許制と言い換えても良いです。

つまり、例えば「ある技法をマスターし駆使するには特定の基礎的な下位技法を任意に出来なくては成らず、その下位の技法を取得し自在にしたいならある規則・作法を遵守しなければ成らず、その規則・作法を習い身に付けるにはそれを体得した方に指導を受けなければまず身につかない・・・。」等とこのような入り込んだ階層構造が呪術・祈祷の体系には往々にしてあります。

これって大学生に成るのと同じく大学入学には高卒資格が、高卒資格には中卒資格の・・連鎖ですね。

だから、今では儀式の次第や経典などの知識面に関しては師につかないと判らない事はネットや本の流通のお陰でかなり改善されましたが、「じゃあ、ネットや本を基にいざ修得し駆使するには・・・」と言う状況が多いのでは無いでしょうか?

何というか、この界にかぎらず小学校入学レベルから大学卒業までのカリキュラムの全ての内容を書ききったネット記事や本は流石にどの分野・技法にも無いので・・・、もし作ったら何万ページになりますかなぁ~。

だから、実際はネットにしろ本にしろ、断片的なモノが殆どだったりしてます。

因みに皇悠自身も人に学ぶ前にネットが無い時代ですので本・古書経由で(宗派問わずに呪術・祈祷・魔術関係を百は読んでましたが・・)かなり知識は入ってましたがそれが有機的に繋がらす・バラバラになっていて使えねえままでした・・(笑)。
だからこそ、魔術志望だったので団体についてからは訓練に励みました・・(≧▽≦)ゞ。本で判らない実践上の解決策・改善方法を適時・必要な際は惜しみなく教えて下さったから、頑張りました・・('-^*)/。閑話休題。

さて、あれから二十年近く経ちましたが、量は増え、質は向上してますが知識面だけの事態ばかり変わって無いようです・・。

だからと言って、優れた教育者も現れて無いようですし・・。難しいモノです。

では、今回は此処までです。

閲覧者の皆様には全ての良き事が雪崩の如く起きますように・・。皇悠より

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2009年9月29日 (火)

向上の手段、掃除

御覧頂きまして、有難うございます。

どうも、エヴァンジェリスト兼ソーサラーな皇悠です。

さて、今回は向上・変化の手段としての掃除・清掃のお話です。

因みに、神道・仏教等の基礎行・理念としての掃除・清掃は少し前の記事「不可知または土台以前の問題」のコメント欄に散々ぱら記述しましたので、カットします。

さて、閲覧者の方々は掃除・清掃行為は単純に(心地)良い状態の維持活動、または汚い・悪しき状況の予防法とでも考えているのでしょうか?

正直ながら、皇悠は以前はまあ何というか悪く成らない為の習慣と考えていました・・・(*^_^*)(苦笑)。

しかしながら、実体は諸行無常の理の中で最良な状況を見出す行為であり、常に変化・劣化・交代する環境下で解を作り上げる事でも在ります。

具体的には家も家具も劣化して行き、自身の体調は時により、使える装備は限度があり、まして如何に綺麗にしても時と共にまた状況は悪く成ります中で為すからです。

これらを対応するには嫌でも、自身を考え方から振る舞い、生活習慣まで状況の中で変えていく必要性が出て来ます。

例えば、如何に汚さないで暮らすか?
掃除の手間要らずの為に不必要な存在を無くすか?
いずれにしてもやって来る交換・破損時の為に資金・用意を如何に進めるか・・・。

正に掃除をする事(それは死ぬまで続きますが・・)は人に多くの課題・行を与えてくれます。

まあ・・ただし、今回の記事は自らの生活を自らで成す方に取ってであり、基本的に養育・保護されてます存在(殆どの子供、ある種の主婦と年配者など)には掃除・清掃は趣味またはハイリターンな家庭内の仕事ですが・・・、別に本人がやらなくても最悪な場合は同居人にやって貰えば良い・押し付けば良いのですから気楽なモノでは有ります・・・(・_・;)。

本当に自活した一人暮らしの中で掃除・清掃を日常的な行・習慣として考えてやり続けてますと下手なお祓いや浄化法を毎日やるよりも、変化が起きますよ・・(笑)。

また、何というかやる事は幾らでも在り・・・そして、凝れば凝るだけ良くなるから面白さはまたあります。

では、取り敢えず今回はココまでです。何かの役に立てば幸いです。

閲覧者には全ての良き事が雪崩の如く起きますように・・。皇悠より

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2009年9月17日 (木)

埋鎮の法

御覧頂きまして、有難うございます。

リミックス系妖術師の皇悠です。

さて、今回はいささか普段の当ブログの記事から離れて、尊敬してます中村師の直近の記事に出てきた呪術の説明です。


さて、今回の師のブログの記事の内容的には師の霊媒(?)が御祭神様より神籤を受けて(こういう関係が神仏と呪術師の理想ですな・・神仏は祭られ祭司たる呪術師は守れる!羨ましいモノですよね('-^*)/)、啓示の場所を調べると地面より呪物が出てくると云う内容ですが・・・。

実はこの技法は古くは平安時代からあるのですが、あまり知れて無い呪術の一つで出て来てびっくりしました・・・色々な意味で・・(・ω・)/。

てっ云うか・・未だにこの辺の技法をやる方々がいるなんて・・・(^_^;)。

さて、皆様は家の新築時の地鎮祭等で大地にモノを埋めたり、また祭典で何かを撒いたりするのを見た事はありませんか?
コレも今回説明します埋鎮の法と同系列の技法でして、意味的には大地の神様に贈り物をして祝福を頂く。
または大地に力のあるモノを与えて環境を良くすると云う技法です。

因みに、多分ですが中村師達が発見した五寸釘の場合は大地を汚す・鎮守する神仏の力を削ぐで害悪を意図した逆バージョンですね。風水系での危険信号でお馴染みの鋭物を使用してますし・・・。

ただ、確か安倍晴明の説話にある通り、万が一にもその呪術がバレる・発見されると何倍にもなって返りますので、もう廃れたモノと思ってました・・・(^_^;)。

だから、今では万が一バレても良いように祝福や環境向上系でしか大地に呪物を撒く・埋めるはしないですし、作法はあって詳しくはまず教えてない技法ですが・・・、いやぁ~世の中は広いのですね。

本当にびっくりしました・・・よ(≧▽≦)ゞ!

バレてしまったからには、呪術を為した方々は可哀想ですが・・・。

久し振りに埋鎮系の法を見物しまして、色々と盲が晴れました・・(=^▽^=)。

しかしながら、こういうビビッドと言うか現場の現在進行系の情報をどんどん公開・公表してます中村師は本当に凄いですね、尊敬してます('-^*)/。

何故か、今回は説明だかミーハーなのか判らない記事を書いてしまいましたが、何かのお役に立てば幸いです。

では、閲覧頂いております方々には全ての良き事が雪崩の如く起きますように・・・。
皇悠より愛を込めて・・。

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2009年8月24日 (月)

対人祈祷のコツ・盲点

御覧頂きまして、有難うございます。

さて、今回は対人祈祷において何故か誰もまず書かない先祖への依頼・祈祷・供養の話です。

コレ、実は呪殺にしろ恋愛成就にしろ必要な場合があります。

相手を殺すのなら相手の守りを削ぐ・またはその人から利益/供養を受けてます霊のバックアップを遮る必要性が有ります。

また、誰かと結婚するのなら、特に女性なら将来的には確実に相手のお墓・仏壇・先祖として入りますし、結婚後に死ぬまでの何十年かは毎日の勤行・供養・給仕をする可能性は大ですから、御先祖様方には熱烈歓迎とはいかなくても最低限度は受け入れて貰えないと何とか入籍しても別居離婚のコンボ、浮気別居状態なんかをしがちで・・・、何度となくみましたよ、こんな嫁さんはイランイランと排除に動いている方々を・・・(^_^;)。

ちなみに、皇悠は信仰は自由主義・放任です。(間違って苦労するとしても・死ぬのが分かっても、代価(具体的には気に入った人ならジュースの一本)無しではアドバイス・解決策は教えません('-^*)/、当ブログも返信もヒント・参考だけで、具体的に何処の神社にどう参拝しろとか、代価に何をしろとかは記述してませんし、それらは同門・師弟間の幸せに成る為の宝ですから部外者にはまず教える訳無いですよね・・(・ω・)/)

さて、話を戻しますがだからこそ、大人気の出雲大社で幽界の主の大国主命様に縁結びを願うと上手くいき易い訳ですね。

相手方の先祖達を何とか上手く捌いて頂け、場合によっては自身の先祖達(あまり記述すべき事では無いのですが、祖先が供養して欲しい方がその方しか居ない為に結婚を邪魔されている場合があります・・、)も片付けて頂ける場合もあります。

まあ、普通の参拝様式ではまず大国主命様は動かれないので、記述していて何ですが、恋愛成就で出雲大社に行ってもまず無駄ですよ('-^*)/。

大抵の方は、勿論ですが皇悠も勿論含みますが、出雲大社の氏子でも講員で無いので、お願いしてもまず無理ってモノです・・・、よほどの事が無いと神棚・仏壇にお祀りしていない方々の加護は貰えないのが日本の神仏ですから・・・。

では、今回はここまでです。

閲覧頂いております方には全ての良き事が起きますように・・・。皇悠より

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2009年8月22日 (土)

ちょっと、変わった真言・呪文 その2の2

御覧頂きまして、有難うございます。

相変わらずの異端派(妖術師)街道を走る皇悠です。

さて、今回は以前記述しました金剛起真言の解説、その2をしますよ('-^*)/。

さてさて、この真言は前回の記事のコメント欄での新発意様との記述で十八道に出て来ると記述しましたが、何故か「何故入っているの?」と言った問い直しが誰からも有りませんでした・・・(?_?)。十八道法にこの真言並びに印を組み込まれてます理由を当ブログの閲覧者には常識的なモノなのでしょうか?
それとも、あまり閲覧頂いてます方々を侮辱したくないですが、無知故に疑問すら出来ない程度の方々ばかりなのでしょうか?
それとも、当時の師の言葉、尊大心に捕まり小暴君ばかりで気づけないモノでしょうかね?
て人に興味の無い皇悠には、判りませんが・・・。不思議です・・・(^_^;)。


さて、話を戻しますが、この真言、実は神仏に祈願の際にかなりな重要性があります。

つまり、仏教、特に密教では仏様は仏国土・浄土で常に修行中であるとしています。

そして、仮に祭壇にお呼びし来て頂いても修行中・特に三昧に入っている場合があります。(特に如来部は瞑想が修行で・・・、俗例ならお車で接待先にお偉いさんを連れてきたら、お偉いさんはぐっすりと寝て到着状態に近いです・・ね(≧▽≦)ゞ)

よって、万が一にも三昧・修行中でもこちらに気付いて頂きますように、この真言を唱えて、覚醒・注意させる訳ですよ・・('-^*)/。

良く出来てます。

密教(特に真言宗)は、空海さんでは無いですが、一字・一印に幾つもの意味・価値を組み込んでますので、ちゃんと解析・理解していないとタダの真似になり・・大変です(≧▽≦)ゞ。

この辺は本当にファイルの圧縮みたいなモノでやり方・理由を知らない・体得済でないと幾らやっても効果が発揮し難く、ロスが多い体系で、しかも伝統をかなり失いましたからどんどん分派や拡散・変質したんでしょうね!特に天台宗は・・・(・ω・)/。

では、今回は此処までです。
閲覧頂いてます方々には全ての良き事が雪崩の如く起きますように・・。
皇悠より。

追伸、そう言えば呪殺・攻撃系の術(やり方)を真面目にアップした事が無いですが、知りたい方はいるのでしょうか?
複雑&ハードな(単純に読経を何万回とかで無く、幾つものイメージ・思考・象徴を並列・起動しつつ行います)モノですが・・・?

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2009年7月30日 (木)

神道の次第例(明治神宮 春の大祭より)

御覧頂きまして、有難うございます。

皇悠です。

さて、今回は以前に紹介しました明治神宮の祭典式次第が手に入れので、その紹介ですよ('-^*)/。


明治神宮祭典式次第
一、報鼓

一、祭主一拝

一、開扉(大祭当日のみ)

一、献餞

一、崇敬会幣を奉る
一、祝詞奏上

一、神楽「浦安の舞」奉奏

一、国家斉唱

一、玉串拝礼

一、崇敬会幣を撤す
一、撤餞

一、閉扉(大祭当日のみ)

一、祭主一拝

一、祭主挨拶

一、報鼓 以上です。

さて、色々な面で追加は在りますが、基本的にはやはり普通の神道の儀式次第準拠でしたね('-^*)/。

神を呼び、供物を捧げ、お願いして、お帰り頂く形式ですからねo(^-^)o(笑)。

勿論、神様が常駐している事になっております神社内なので、呼び出し/お帰り頂くパートが無いですが・・・・・(^_^;)。面白いです。


さて、今回はあまり世の中に出回らない神道の式次第を上げてみました。これが神仏を祀る方々の日々の儀式次第等の参考にお役立て頂ければ幸いです。

では、閲覧頂いた方々には全ての良き事が雪崩の如く起きますように・・・。

皇悠より。

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霊水の作成法 道教式(神仙道)

御覧頂きまして、有難うございます。

呪術関連の収集者、皇悠です。

さて、今回は神仙/道教系の霊水の作成法ですよ('-^*)/。

え~と、ですね。前回・前前回の密教式で記述しませんでしたが(あまりに基本的な事ですが・・)、密教式の霊水は基本的に特殊な専用の井戸水か香を入れた清水を加持して使用します。つまりは塩素入りの水道水はダメって事です。

それで、今回の紹介します霊水は、一ひねりしてありますが、水道水でも意味合い的にオーケーなモノです。

さて、その名を陰陽水または和合水とも言いまして、作り方は簡単で沸騰した水に同量の水(冷水)を入れるだけです。

つまり、意味合い的には熱い(陽)水と冷たい(陰)水を合わせた陰陽のバランスの取れた水は普通の水よりも価値が有ると言う考え方・次第ですね(・ω・)/。

勿論、コレだけで終わりでは無く、儀式等では更に呪文や御札に、気を加え(開光し)、更に神仙への供養等をやり込みますが、こっから先は気功系なら小周天(採薬・小薬)位は達し、幾つかの神仙との渡り付け等が終えて無いと実用性が無いのですので、カットします。(ちなみに周天法は気功系の本に良く出てきます、また神仙・神仏への関係作りはかなり前に記述しております・・。)

では、今回は此処までです、何かのお役に立てば幸いです。

では、閲覧頂いた方々には全ての良き事が雪崩の如く起きますように・・・。

皇悠より

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2009年7月23日 (木)

霊水の作成法 密教式 その2

御覧頂きまして、有難うございます。

ミックス系妖術師の皇悠です。

さて、今回は前回の記事の別バージョンです。

まあ、密教徒なら基本的作法の(漢字は色々あるのでカタカナ表記します)グンダリ明王様の真言を使用する奴です。

さて、グンダリ明王様は密教の守護者、正確には密教行法の守護者であり、不動並びに大日如来様の部下・仲間なので日本密教徒はお力添えを願える訳です('-^*)/。

因みに真言は甘露化するとして「オン・アミリテイ・ウンハッタ」か、一切の魔・障害を除くとされます「オン・キリキリ・バサラ・ウンハッタ」等が使われますね。

ただ、個人的には明王のボス格の不動・愛染・大元帥等か、グンダリ明王様への渡りがついて無いと意味がない気がします・・・。

つまり、出家得度に個人伝授、基礎前行位はしているのが前提条件なんですよね('-^*)/。

例えば不動真言を十万回とか、十八道伝授済とか・・・です。

さて、密教の作法は文書や資料が多く個人が学び易いモノの一つですが、残念な事に実践的な事は体得した方々に習わないとタダのオママゴトで、かつまたその教理はかなり難しいので深奥を学ぶのはかなりな困難が在ります。

事実、未だにもう千年以上経つのに弘法大師以上の方が出てきてなく、弟子達は大師の死後離散し高野山自体も一時は廃れ、多くの失伝・改変・他派の混入をやらかし、ある意味で堕落化した事実が(それらをして優るならまだしも、弘法大師の事績を超えていないのですから堕落でしょう)あります。

だからこそ、個人的には皇悠は密教の作法はまず使用してません。

この辺は、個人の好きずきかも知れないですが・・。

では、閲覧頂いてくれます方々には全ての良き事が雪崩の如く起きますように・・。
皇悠より。

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2009年7月21日 (火)

霊水の作成法 密教式

御覧頂きまして、有難うございます。

術マニアの皇悠です。

さて、今回は密教式の霊水の作り方です。

閲覧頂いている方々の中には御存知の方もいらっしゃるでしょう・・・、ランバン加持です。

やり方は龍手相印(右手のグーから人差し指・中指・薬指のみを伸ばす印)か散杖で容器内の清水を攪拌しつつ始めにランと唱え、次にバンと唱えて終わります。

形式的にはランと連唱しつつ、ラン=火の梵語の力で浄化(煮沸消毒?)し、次に唱えるバン=仏様・大日如来の力を注入(ミネラル投下?)と言った感じですね!

さて、この作法はかなり簡便な作法なので、多くの宗派・次第に入っており、効果は折り紙付きで、加持した水を撒いて場所を浄めたり、飲んで身を養ったりと色んな場合に使えますので、是非御利用下さい(^_^)v。

では、閲覧頂いている方々には全ての良き事が雪崩の如く起きますように・・・。

皇悠より。

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2009年7月15日 (水)

ちょっと、変わった真言・呪文 その2

御覧頂きまして、有難うございます。

どうも、皇悠です。
さて、今回は日常作法で使う真言の紹介です。

では、あまりに使わない真言、起床時に使用しますモノです。

名を金剛起または覚眠真言と言います
「オン・バサラ(バソロ)・チシュタ・ウン」

意味は「オーム、金剛(仏性・如来蔵)よ立ち上がれ(覚醒せよ)、ウーン」です。
多分、仏教徒としての自覚&覚醒を促す為にするみたいですね('-^*)/!

ちなみに、似た技術に守護尊のマントラが鳴り響き周囲(天女等)が唱えている状況をイメージしつつ起床するイダム系のチベット密教の技もありますが、個人的にはこっちの方法が好きです・・・ね('-^*)/!

では、閲覧頂いてます方々には全ての良き事が雪崩の如く起きますように・・・。

実は守護尊・崇敬神は複数ある皇悠より。

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2009年7月 2日 (木)

視覚化 霊視化 その3

御覧覧頂きまして、有難うございます。
実に気紛れで非情なのに、師の指示で日々礼儀正しさを心掛けてます皇悠です。
さて、今回は今から約二年前に記事にしました視覚化・霊視化の話の続きです。

え~と、ですね。前回の記事では視覚化等は基本的には危険性があり、まともな状態ではまずは発現しなく、しても初期段階ではまずはタダの個人の記録の再生、脳内幻覚であると記述しました。

まあ、事実だからあれから一年以上経っていながら批判・否定のコメントすら無いわけですが、しかしこのような能力を実は生来的に持っている方々がいます。
俗に云う共感覚能力者です。
音楽を聞くと映像が見える、触るとそれが絵になる、特定の匂い毎に色合いがある等と形容・認識し知覚するあの方々です。

つまりは、霊視はある種の風景や状況、力に雰囲気などを神や死者などの霊的な存在として把握する訳ですな・・・。
だから、敢えて身も蓋もなく言えば物理的には音を鳴らす・振動を作り上げるだけの読経、光と熱と香りと音の複合物の護摩等でその場の雰囲気・状況を変わる事を霊的存在の変化として把握していると説明出来ます(^_^;)。

まあ、こうした説明が出来、聞いたからと言っても、それで納得する・しないは人それぞれです!

正直な話で、初めの師から教えられた人が持つ性質上の孤独を理解したので批判・否定・賛美も等価になり確認癖が付き、こうした事はドライな立場です・・。

さて、少し話がズレましたが、視覚化・霊視が共感覚である/近い機能等の見解はある意味では、視覚化・霊視を得るヒントになります。

そういうメソッドは色々ありますし・・・。当ブログにも具体的な訓練方法は過去に散々書いてます、まあ当たり前の訓練・方法論ですが・・。

ちなみに二人の師から習いやった個性的・奇抜なヤバい(色々な意味でも)方法は当ブログでは記述してません。勿論、監督者無しでは発狂&衰弱必至だからです('-^*)/。

また何故か今回もグダグダになりましたが何かの役に立てば幸いです。

では、全ての良き事が雪崩の如く起きますように・・・。
今回は勢いで記述しました皇悠より

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2009年6月27日 (土)

ちょっと変わった真言・呪文 その1

御覧頂きまして、有難うございます。

術マニアの皇悠です。

さて、今回から何度かはちょっと変わった真言・呪文(シリーズ予定)として、皇悠自身はまず使用しませんが、ある種の人には役には立ちそうな真言などを紹介しようかと思います。

では、まず一回目として、以前にベジタリアンの否定記事に書くつもりでカットした修験道系の真言・呪文で肉食の罪を贖う/清める真言です。

「タニヤタ・アダマ・アジバタアジバタ・ノウシャノウシャ・ダカダカ・バホツバホツ・ソウギャリタシ・ソワカ」

以上ですが、一部では知られていても、こうしたあまりにマイナーな日常的な作法・真言は腐るほどにありますので、これからは少しずつですが、アップしていこうかと思います。
やはり、何故だか皇悠的には理解出来ないのですが、肉食に罪の意識を持った人もいるので、今回上げてみました。

さて、どんどん一部の記事はマイナー&マニアックになるかもしれませんが、此からも宜しくお願い致します(≧▽≦)ゞ。

では、全ての良き事が、雪崩の如く起きますように・・・。
皇悠より

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2009年6月22日 (月)

簡単な護摩法・・・香護摩

御覧頂きまして、有難うございます。

どうも、皇悠です。
さて、今回は久しぶりにこのサイトの名物の簡単な行法の紹介です。

その名を香護摩と言いまして、線香等の御香を焚く際に信仰する神仏の御真言を少し改良して唱えると、その方の護摩を焚いたのと同じ功徳が得られるとする法です。(安直ですね('-^*)/)

さて、この真言の改良自体はお手軽・簡単で、崇敬し唱える神仏の真言の最後に「〇○・アク・ソワカ」形にして唱えます。
因みにアクというのは、金剛香菩薩を表す梵字で、金剛香菩薩とは香の功徳を表す女性形の方で、香炉を乗せた蓮華の茎を両手で保持した姿で表現されてますね。

そして、この方のお力をお借りして御香を神仏に供養・捧げる訳ですね。

例えば、ダキニ天様の真言は『オン・キリカク』なので、香護摩では『オン・キリカク・アク・ソワカ』として唱えます。

また唱える真言の回数は、基本は定番の三回、七回、二十一回、百八回などを一区切りとしますが、気がすむまで唱えるのも良いですね。

基本的には部屋を清める為に香を焚いて神仏の力をお借りする際などに使うのも良いかもしれませんね。

以前、書いたかもしれませんが、御香は世界の清め、多くの益をもたらしますからその効果を高める際にでも、御利用頂けましたら幸いです。

では、閲覧して頂いた人に全ての良き事が雪崩の如く起きますように・・。

皇悠、拝礼合掌。

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2009年6月19日 (金)

パワー・ストーンの充電法

御覧頂きまして有難うございます。

どうも、皇悠です。

さて、今回は久しぶりにこのサイトらしく簡単な作法・術の紹介です。

さて、西洋風に/今風に言いますとパワー・ストーン(お守りの石)の力は、何事もそうですが使用すれば自然に失われますので、時々はチカラの充電・西洋魔術的に言いますとチャージをしないといけない訳です・・・。

良くあるのが自分で気を込めたり、誰かに込めてもらったり、神社仏閣や霊山といった聖域に持っていったり、清流に浸す、力を頂いた神仏に祈るなど色々と作法はありますが、一番に楽・横着なのは、太陽や月の光に当ててその力を注ぎ込む事ではないでしょうか・・・・?。

石の中には直射日光が良く無いモノ(強い光に当たると退色したり・変色したりしますモノが・・・)もありますから、月の光の方が基本的には良いようですね。また、密門では神仏は月に住むという観念もありますし・・・。

ただ勿論の事ですが、石の性質や、その利用・願望・目的によって充電方法を変えるべきだとは思いますが・・・。ただ取り敢えずの簡便な手段として、『月光を浴びせる』というのが、やはり一番手軽な方法だとは思います。また、パワーストーンの浄化は新月、チャージは満月が最善という考え方もありますが、そうすると、一番月の影響力のある満月の日というのはうってつけな訳ですよね。

月の光が差し込む窓に置いとくだけなので、お役立て下さいませ・・・。

では、閲覧いただいた方に、全ての良き事が雪崩の如く起きますように・・・。

皇悠より。

 

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2009年6月18日 (木)

自縛霊の成仏の作法

御覧頂きまして有難うございます。

どうも、皇悠です。

さて、今回は雑談です。

さて、よく自殺をすると、その霊はその場に囚われてしまう『自縛霊』に成るとも言われていますよね。また、不意の事故で亡くなると、自分が死んだ事に気がつかずに自縛霊に成るとも言いますし、また自分が死んだ事を認めない霊も、自縛霊になるとも・・・。

で、そういうセオリーとしては、霊に『自分が死んだ事を自覚させる』と、行くべき世界に行くとされてます。

だから、一生懸命に説得する人、有無を言わさずにあちら側に送り出す、あるいは迎えを呼ぶという方法を取る人がいますが、中には『念入りに殺してあげなさい』という人もいます(汗

まあ、幾つか方法がある訳ですが、密教には『生かして殺す』というか、そんな作法があったりします。純密というより、修験道系の雑密の作法になりますが、つまりは表現は凄いですが、つまりは『まともな思考能力を取り戻させた上で、自分の死を認識させる』訳ですね。

やり方も簡単でして、蘇生の功があるとする孔雀明王の真言『オン マユキラティ ソワカ』を三度唱えます。すると、死者は一度甦り=正気を取り戻すので、そこで僧侶は『引導』を渡す=成仏させる訳です。

まあ、あまり役に立つ技法ではありませんが、こういう作法もあると言うことで今回上げてみました。楽しんで頂ければ幸いです。

では、閲覧いただいた方に、全ての良き事が雪崩の如く起きますように・・・。

皇悠より

 

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2009年6月16日 (火)

發遣作法

御覧頂きまして有難うございます。

どうも、皇悠です。

さて、今回は簡単な發遣作法の紹介です。

えっと、日本の密教系の儀式では、大体が神仏を結界内に招きまして、供物を捧げて接待たる供養をしてから祈願する形式を採ります。ですから、儀式が終わって神仏を送り出す作法がありまして、それを『發遣(はっけん)』と言います。

そして、それが転じて、魂が入っている仏像や霊符から魂を抜く作法、または簡単な除霊を『發遣』と言う人もいます。

丁寧な發遣は、樒の葉や、花弁に神仏を乗せて送り出しますが、略式では、右手のコブシから人差し指を三度弾くようにして鳴らす作法(弾指ともいいます)で済まします。

なお、神仏を送り出す時は上向きに弾き、天部や低位神や霊を送り出す時には下向きに弾く伝もあります。

ただ、神仏に向けて直接指を弾くのは非礼にあたるとされてますが、今その場にいる悪神・悪霊・邪気を祓い呪詛を返す効力を発揮するとする応用的な作法もあります。

ただ、何も無いのに人に向けて弾指すると、その人の魂や守護者が弾き飛ばされるので良くないともされています。(事実上の呪いですからね・・・)

更には、死者(の霊)は耳が遠いので、七回指を鳴らすべしという伝もありますが、だとすると、これは音を使った呪術ですよね。

中華街などでは爆竹を鳴らしますが、実はその音で邪を驚かして祓うとも言いますし、古神道では音の力を音魂として重要視する事もありますからね・・・。

因みには弾指の發遣作法は以下の通りです。

まず、右手を握り、人差し指を親指で押さえつけます。次に發遣の真言を唱えつつ、人差し指を弾きます。この時、親指と中指で人差し指を強く挟んでいると、音が出易いですね。

真言は幾つかあり、伝によって異なりますが『オンバザラ・ボキシャ・ボク』や『オン・ゲッシャ・ゲッシャ・ボク』などがありますが、唱えない作法もあります。

まあ、雑学ですが何かのお役に立てば幸いです。

では、全ての良き事が雪崩の如く起きますように・・。

皇悠より。

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2009年1月 9日 (金)

日本呪術の源流の一つ 呪禁道を元に日本の呪術・作法について

御覧、頂きましてありがとうございます。

どうも、皇悠です。さて今回は日本の呪術の源流の一つ、呪禁道をベースに日本の呪術・祈祷の基本・技法についてです。

内容自体は以前に書きました記事の改訂版ですよ。

また、今回もとても長いので呪術・呪禁道などに興味のない方は、今回は避けてください・・・orz。

では、まず呪術の歴史からです。

まず、私達の日本という土地に住み着いた先祖が神々の単純・素朴な呪術行為を試行錯誤しながら継承していた古代神道に六世紀末頃・新羅(朝鮮)の百済王が、天文科学、その他の先進技術、仏教経典等と共に、呪禁師(ジュゴンシ・ジュキンシ)達を、我が国の朝廷に献上した事から混交がおき次第に隆盛となった呪法(道教仙術=民間の呪術信仰)が呪禁道(ジュゴンドウ・ジュキンドウ)です。

そして始めは、時の政府は呪禁師を典薬療の医療期間の治療師(医者)として優遇しましたが彼等・呪禁師達に委ねた専門の仕事は神秘的で不可解な出来事(事件)に対する原因と対策を究明検討して、それを治療する治療師・解決業者としてであったようですね。

ただ、彼等はその仕事に飽き足らずに、徐々に時の政府の要請を利用して、予防学、予知学としての占術部門(巫術、巫占、仙術等)へ、更に原型の道教仙術等を媒体として、攻撃的な武器(体術・武術幻術・経絡気孔・鍼灸等を原型とした技術群)としての呪術を発展させ、次第にその勢力を拡大して行ったのであったようです。ちょうど呪禁師版の僧兵ですね。

さて、元来が妖怪に霊の祟り、呪詛に憑依、天災・人災などの異常気象、その他の生活全般に至る相談者、医者、予防治療学等の権威者であった呪禁師達はその地位を利用し、政治・行政・軍事等へとその勢力を拡げ、終には軍事顧問の地位を確保するに到ったみたいですね。

(なお、中国の道教では教団道教と民衆道教とがあり、教団道教は[老子、荘子]を開祖として、自然に即応した無為自然な生き方(仙人になる事)等を理想とした教理を基礎として、更に養生法、錬丹法、房中法等が加味され組織体系化された宗教です。それに対して民衆道教とは民間の俗信に古来の神仙説が加わり、一般民衆の信仰対称としての信仰が加わり自然発生的に出来たので、教団道教のような理論も組織体系を持たない旧来の俗信仰をそのまま受け継ぎ継承しています。なお、民衆道教の代表的な神々は関帝、〇〇娘娘(ニャンニャン)などの多くの土地神でありますが、一応は民間道教の主神は「玉皇大帝」と云われています。)

さて、彼等の呪法は、未だ対一人用ではありましたが、防衛に優れ敵を排除する上では、距離を無視し攻撃出来る術を兼備していた為に、当時としては「戦闘武器としての呪いのスペシャリスト」としての地位を確保する必要にして十分な条件を満たしていたようです。今で言うボディガードのような存在でした。

それでは、彼等の呪法がどのようなもので有ったかと言いますと、「大宝律令、続日本書紀、神明経、日本霊異記・・・」等から推測すると、凡そ、次の様なモノらしいですね。

まず、武術or呪術的な一種の護身術(バリヤー)と呼べるモノです。

多くの文献によれば、呪禁道の呪術/仙術を身に付けると、熱湯、火、刀剣等にも損傷される事が無い強靭な肉体と、猛獣、虎狼、毒虫、精魅(物怪)、怨敵、盗賊等々、如何なるモノも襲い来たる事も進入する事も出来ない強力な結界(バリヤ)を張り巡らす事が出来るとされ、当時としては画期的で斬新な呪術であったようです。つまり、不死身で無敵の人間になれると云う売り込みですね。これはどうやら、現代で言う硬気功系のそうとう過酷な身体の鍛錬に依ってのみ身に付ける事が可能な武術的仙術で、現在の気功法、太極拳等の原型らしいですね。

また、呪禁道の法はこれ以外にも、怨敵が如何なる場所や遠隔地に隠れようとも、呪い殺す事が出来ると云う「厭魅(エンミ)の法」がありました。

これ以外にも動物の魂魄(全ての霊魂・動物や虫・人間まで)を操り外敵/害敵を呪い殺すと言う「蠱毒(コドク)の法」と言うモノもあります。

なお、併せた厭魅蠱毒法と云う恐ろしき呪法も存在していたらしいですね。

さて、始めに、まず厭魅法の「厭」とは、魘とか嫌悪とかと同意義の襲われる意味があり、厭+土=圧(アツの旧字体)とも云われ、その字義の通りに悪魔等に襲われる意味やそれ等を(悪魔や悪霊等)を抑え込み・鎮める意味があります。

又、厭魅法の魅は物怪、化生、妖怪、病魔、睡魔、夢魔等の邪悪なモノ達のことで、池や沼に住む精霊達・不快な者達や障りあるモノ・邪気等の人を害するモノ等の魔性全てを指す言葉の意味もあったみたいですね。

そして、これらの上記の意味から厭魅の法にて呪詛をされると、遠隔地や如何なる場所に潜み隠れようと関係なく何か邪悪な者に憑依され、圧迫され金縛りの状態で操られているような状態となり、更に毎夜・一定の時間になると悪夢などに襲われ、その恐怖から不眠不休の状態となり、終には体は衰弱し、次第に精神が錯乱狂乱して行き死に至らしめる事を目的として考案された呪法らしいです。今で言う呪詛・呪いのイメージはほぼこれから来ています。

つまり人が鬼と化して行う現代のオーソドックスな呪詛の〈丑の刻参り〉の原型がこの時代に既に出来ていた事になります。

また、厭魅法の中には呪う相手を人形に見立てた〈呪い人形(形代・カタシロ)を作る事から始まる一連の法があります。この人形の材質は千差万別で、板、布、粘土、飾身具、骸骨等の何でも良く、人に作る所を見られない条件の他は、何等特別な条件は無かったみたいです。更に色彩、形状にも拘りがなく曲がりなりにも人形と目鼻を書き入れれば良かったようです。

(ただ、平安朝の厄払いであった雛人形〈流し雛〉もこの風習の流れで、密教や陰陽道が盛んになると、少々不気味な様相を持ちます。形代も、葦、藁が多くなり、形代に変わるものも、頭髪、陰毛、櫛、絵像、下着、所持品、粘土等々も追加され、生年月日、生命、名前等も大いに利用されました。加えて呪術師の衣類の色にも拘りが出来、向かう方角、時刻、日、期間、月の満ち欠け等々にも規定が設けられました。勿論、一般人と呪術師が行うモノの形式には随分差異があったようですが・・・。)

こうして、人形が出来上がると、深夜の一定の時間と期間を定め、法に則り、寺社、墓他、深山、大木等にて、人形(形代)の顔、胸、腹、陰部等々の急所に、針や、釘等を金槌にて、恨みの怨念を込めて打ち込んで、規定の満願となったなら、逆さに貼り付け、刀やハサミにて、切り刻み、火で焼く、川に流す、神社(寺院)の縁の下、道路に捨てる等々恨みの強弱に依り千差万別方法があったみたいですね。

勿論、その効能も千差万別であったようです。形代を紐等で縛ったり、針、釘を打ち付けたりする行為は紐、釘、針・・等に魂を封じる力があると解釈されていたからで・・・。逆に刀や挟み等はそれを「切断したり、削除したり、開放追放したり」する力があると考えられたのでしょう。

更に形代等を切断したり、壊したり、流したり、土に埋める等々の行為は魂の「悪霊部分・魔性部分」等を特定の場所に送る為の転移、再生、転生・変易変容等の儀式等と考えられる一面もありました。

これらが今に残る慣習としては厄払いの節句の雛祭りの人形・流し雛・灯篭流し・盆の送り火・正月の締飾りの釘止め・丑の刻参り等がありますね。

又、神仏の像に針や釘を刺し願望成就の祈願の奇習、更らには神仏像(神仏像の額に針や釘等を刺してあるのは、神魂・佛魂を神仏像に封じる為のもの) に針や釘、刀等を刺す等の奇習をしたり、願望成就を完璧しようとして神仏像を熱湯等に入れたりする鉤召法の秘儀も伝承されています。

これらは主に密教・神道・陰陽道が行う鉤召法の一つでもあり、その中に飯網法(茶吉尼天法)等々も継承されています。故に、悪法のみに利用されたのではなく、汚れを封じ、穢れを拭い去る、祓い清める等の意味から、浮気封じ、厄払い、家出人の足止め、病気追い出し・・・等種々応用範囲の広いものであったようです。しかし反面人を呪う呪詛法にも様変わり出来るものでもあったようですね。

さて、前述の神々の呪詛は、言霊と同じくその他のモノにも霊魂が宿るとの信仰から始まったようです。厭法はこれに〈文学〉にも霊魂が宿ると云う思想を併せて呪符(祈祷札)を作った所にその特性があると思われ、そこに後述する邪霊を操る魅法が加わり厭魅法と云われる恐ろしき呪詛法が完成されるに至ったみたいです。

だが、この厭法の呪詛を解く方法はそんなに難しい方法ではないようで・・・。相手(敵対する者等)を赦そうとするなら、呪う行為を中途で止めれば良く、逆なら、呪う者の呪い方法を探り、形代等を取り除くか、当事者が和解すれば良く、又、呪う者の能力にも大いに関係が有りました。又、厭法は神仏に捧げる生贄の儀式や蘇生の儀式等に使われる生贄や殉死、人柱などを人形(形代)に変え形骸化したと云う歴史的な意義も大きく、日本の墓相形式「殉死・順死・葬儀方法・人柱・・・」等にも多大な影響を与えたのであったようです。

次に厭魅法の「魅法」について説明すると、魅法の呪詛法は呪いの為に所定の呪い文字を書いた札(呪符)を作成する事から始まります。つまり、これは言葉だけでなく象形的な文字にも霊力が宿るとの思想があってのことで・・・。また、札の材質は、木切れ、木葉、布、紙、金属、骸骨、動直物の革や繊維等々色々で、札の中央部を縛る覆いや全体を隠すもの等は他の呪者との区別の為のものであり、自分の呪法を他に知られ盗まれる事を危惧して使われ出したようです。それも始めは布きれ・縄・糸・藁・蔦、藤・植物の繊維・・・等と種々雑多であった。呪字を書く筆具も血、墨、葉汁の他、釘、先の尖った者、妖しげな物の筆状のモノとか、手の指に浸けて書いたモノも多かったです。

なお、札の形状は菱形・円形・方形など種々雑多で次第に搭形・燈形となり、現在の上部を三角形の細長の長方形が一般的となり、また誇張や権威を込めた自らの符牒を印した呪符をも作り出して行ったようです。こうして準備したもので、多少の呪文もあり・・・それを唱えながら、人に見られない様に注意を払い、人知れず密かに呪字を書き、作法も行い一定期間、早くて三日間か七日間。通常は二十一日間。長くて百ヶ日~一ヶ年に渡り怨念を凝らす事もあったようであるみたいですね。

さて、一連の全てが終れば呪符は恨みの強弱にて、燃やして灰とし、土中に埋めたり、川に流したり、切り裂いたり、墓場に棄てたり・・・等の色々な工夫が凝らされたみたいです。つまり厭法と似た事を行い、呪いのある者、敵対する者、怨霊・・等々害する者を呪い殺そうとする呪詛法であったみたいです。またその反面、前述の神道の魔性を祓い清める(大祓)等に類似する呪法でもありました。 

さて、魅とは前述の如く「化物、妖怪、物怪」等々の意味で、精霊に通ずる意であるので、つまり、魅法とは人型以外の形状の「札状」のモノに呪文や呪字にて、邪悪なものの妖力を封じた呪符(魔呪+マジナイ札)を作り、相手を滅す道具(武器)として利用、応用した所に厭法と違った特性が有ったようだ。

(厭法も魅法も考え方によっては素晴らしきモノで、本来は共に悪魔封じや災難除等のマジナイ札で有ったようです、魅法はこれより一歩前進し、邪霊、物怪、妖怪等を鎮める方法「淨霊・除霊・鎮魂」等から、特定の〈もの〉に封じる方法「霊封じ・神封じ・悪魔封じ」等となり、更には、邪悪な者を駆使する方法「霊寄せ・神寄せ・興神・生贄・供養」等を考案し、他に転移させる方法「神移し・霊移し・霊祓等を考案した事に特徴があります。魅法に良く見られる文字に後で説明する陰陽道でも利用される「霊、宿、動の字・合成文字・呪い用の特殊文字シッタン文字・サンスクリット・梵字(仏の種字を示す為に考案されたもの)」等もあるのであったようですね。)

そして、この魅法と厭法が合体して、より強力となった呪詛法が厭魅法です。

故に、呪禁道の呪禁師達は「呪禁道を修業すれば、何物にも害される事のない強靭な肉体、無敵の肉体と結界(バリヤ)を手に入れる事が出来、更に、形代、呪文、呪符に依り、如何なる場所に敵が隠れ潜もうと、怨敵を滅す事も排除する事も撲滅する事も出来る。」と豪語したのでしょう。この事は次の蠱毒法を説明すれば、如何に妖しげで、陰湿な呪術であるかが更に明確になります。

このように自らの身心を過酷なまでに鍛錬し、身を護る為の護身法を体得した超人間的存在の彼等の働く道が、人を害する武器として一部の権力者に利用されるのは、昔も今も軍隊において特殊部隊などがある種のエリート教育を受け、超人化するように変わりは無いですね。

さて厭魅法は、これ位にして、以下蠱毒法を紹介します。本来、蠱の意味は蠢めくものを指す意味であったので、穀物に付く虫 人を害するモノ、人の腹の虫、悪気、邪気、毒蠱、巫蠱(マジナイ用に使う虫)、妖蠱(人を殺傷するなどの邪悪な用途で恨みを晴らす為の専用の虫)等に拡大解釈されて、総じて呪いに用いられる虫や動物を意味する言葉となったらしいですね。

また、蠱毒の「毒」とは御存知の通り、損なう病毒・害毒、災いあるもの、悪いもの、怨毒等の意味があります。だとすると、蠱毒法は前述の意味から、毒薬、毒虫、その他の邪悪、不気味なものを用いて、隠密裡に、怨敵、邪魔者等を排除抹殺する事を目的とした呪詛の法であると定義出来そうですね。

では、その呪詛法はというと次の如くであったらしいです。

一、主に毒蠱と呼ばれるものですが、異種雑多な虫を、数十匹程を一つの容器(檻)に入れ餌を与えないで一定期間放置。その間に虫達は生き残る為に「共食い」を始める。そして最後に残った虫、それが毒虫なら毒蠱、蜘蛛なら蜘蠱等と呼び、次第に妖しげな妖蠱(マジナイ専用の虫に特別に品種改良したもの、異国の虫も多く名も不明な虫も多かったようです)を使うようになったと云われます。こうして生き残った虫を育て飼い慣らし、直接人を襲わせたり、人を呪う為に使ったり、殺して燃やして灰とし、間接的に怨霊悪霊等と戦わせたり・・・、相手の呪術師の蠱毒等と戦わせたりしたらしいです。

宗教的表現を借りるなら、生き残るだけの生命力と人を怨み憎み呪う力を併せ持つように訓練され育成した虫=蠱毒にて邪魔者を排除する為に人等を襲わせると言う方法と、虫(虫の魂と虫の体に寄生する邪霊=宿魂)を殺す事に依って、宿魂(邪霊)を怒らせ応用し敵に宿主に憑依をするように、虫自体の怨霊と怒らせた宿魂との両者を怨敵に憑ける間接的な方法とがあったようです。

また、呪術師自身が、自ら飼い慣らし製造した、蠱毒、妖蠱等にて、自ら命を落した話も多く伝わっています。

次に動物を使った蠱毒を紹介しますと、先ず、異種雑多な動物を一つの檻に入れ、餌を与えないで「共食い」させます。そして、生き残った動物が蠱毒となり、恨みの念が吹き込ませて、使用します。その方法は飼い慣らし直接人を襲わせるか、生き残った動物を殺して、霊媒に憑依させる。或いは、死骸の一部(主に頭部)を手厚く埋葬し、他は燃やして灰とする。埋葬する場合は何かの神として祭祀するのが通例であったようですね。

また、生き残った動物が蛇なら蛇蠱、狐なら狐蠱等と呼び、蛇なら「・・・大明神、・・・龍神」 狐なら「・・・稲荷大明神」 犬なら「・・・犬神」等と称され祭祀するやり方もあったらしいです。この行為が現代に続くあまりに雑多な稲荷信仰・龍神信仰の源泉の一つでもあります。ただ、その地位・力・影響は余程の妖力や魔力が無い限りは神々の眷属、使い魔としての地位と性格とを兼ねていた様ですね。

さて、この灰は非常に利用価値が高く貴重な物として珍重されたらしく。怨敵に送っても、怨敵の居る家に撒いても、怨敵に飲ませても良く、その相手は霊に憑依された状態となって、苦しみ抜き、骨と皮となり、恐怖の余り精神が錯乱狂乱して、自ら死に至るとされる類の空恐ろしい呪詛法だったらしいです。

又、間接的に呪う相手以外の者や動物等にこの蠱毒の灰を飲ますと、その者は奴隷や使い魔の如くとなり、呪術師の言う通りに命令に服従し、催眠術を掛けられた如く記憶無いままに役目を果すとも言われてます。更に、この蠱毒法は人の秘密を探り出すスパイ的な役目は勿論、財を盗む事、財を護る事、鉱山等を探し出す事等にも駆使され、実に広範囲に渡り珍重された様であったみたいですね。

しかし、人を呪う為の呪詛術が財を豊かにする呪詛であるとは何とも皮肉な訳で、俗に言うゾンビ・パウダーみたいなモノですね。

なお、この呪術は何故か後世の縁者、血族に受け継がれ血脈相承になると言われてます。つまり、修業も何もしなくとも子孫の誰かにその能力が血脈として、遺伝として、継承伝承されて行くと言う事らしいです。更により多くの蠱毒法をマスターした者が、より強力で強大な霊能力、呪術力等を有す者として、尊敬され重視され人々から支持されるに至ったらしいです。この真偽は不明ですが、現代にもこの血統血脈は密かに受け継がれているとの噂もありまして、犬神伝説や飯網伝説(茶吉尼伝説(狐))、竜神(蛇)伝説等があり、人間が犬の遠吠えや狼鳴きする家系等々も珍しくないらしいですね。

ちなみに、稲荷行者で活躍中の中村雅彦師自体が元来が代々稲荷を祀る家の方であるなど、今でもこの蠱毒・筋とまではいかなくてもその家系による特性はやはりあります。

皇悠自身もある経典を使う際は確実にその効果が飛躍的に向上する特性がありますが、それが実は父・母共に宗旨が違いますが代々ある経典を護持・重視する宗派を渡り歩いてきた家系だったと知り、驚いた経験があります。

さて、これらの不思議で不可解な呪法に対して、時の政府(奈良朝)でさえ、時が立つにつれて、この厭魅・蠱毒法が、外敵害敵に広まる事を恐れたり、その怪異性に恐怖してか、再三に渡り厳しく規制したり・罰したりして弾圧しましたが、逆効果となり、次第に地方の貴族や豪族達に広まり、その時代時代の政治や個人の野心、野望、私腹を肥やす欲望の道具として利用されていきました。

こうなれば憎悪に満ちた者同士の呪詛合戦は言うに及ばず、各地で謀略等による泥試合の様相を始めて、時の政府自体にも、その勢力を押さえる事が出来無くなり、終には民族部族間紛争の末、京都へと都を移す事を余儀なくされたみたいですね。しかし、一度拡散した知識・技術は後世まであとを残し、多くの後継宗派・技術の基幹技術・思想として組み込まれていきました。

さて、長々と書きましたが記述された呪禁道系の呪法は、終には後世の宗教的呪詛の根幹となり、現代に於いても、この類の宗教的行為をそのまま継承していると思われる宗教が結構多く、類似の呪術自体は多くの文献で記述されていますので、ご存知の方も多いでしょう。

では、今回はここまでです。今回・私の長年の研究を書きました。長文・乱文気味ですが参考になれば、幸いです。

では、貴方に全ての良き事が雪崩の如く起きますように・・・。

皇悠より・・・。

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2008年12月 4日 (木)

真言(の効率化・強化)の法

御覧頂きましてありがとうございます。

どうも、皇悠です。さて、今回は真言の追加法です。

よく落語や説話で「嫌い嫌いも好きのうち…」とは申しますが、なんですか、嫌いとハッキリ言われたなら、それは本当に嫌われているって事なんですよね。でも、それに気がつかない・受け入れない人が何時の世も多い訳ですから『縁切りの呪術』というのは何時の時代にでも求められるモノです。今でも、縁切りを祈祷の看板にしているお寺や神社はそれなりにありますし・・・。

現代もストーカー殺人とかがシャレにならない時代です。恋愛関係だけでなく、DV問題で別れたいけど相手が納得してくれないとか、たかって来る相手と『縁を切りたい』という事柄は年々増加しているらしいですし・・・。

さて、通常仏様の真言は多くの場合で、基本形態として『オン ○○○ ソワカ』や『ノウマク サマンダボダナン ○○○ ソワカ』という形を取ります。この最後の『ソワカ(またはソバカ)』は、『めでたし』『成就』と言った意味を持ちます。○○○には、仏様の名前とか、その性質を表す言葉とか、仏様を讃える言葉が入ります。この真言は一応『○○という仏様に、すべてをお任せします。めでたし』あるいは『○○という仏様にすべてをお任せしますので、(願い事を)成就してください』といった意味を持ちます(厳密には、違いますが)。

例えば以前書きました弥勒菩薩様・マイトレーヤの真言は『 オン・マイタレイヤ・ソワカ』で『マイトレーヤにすべてをお任せします。めでたし』という意味です。フーテンの寅さんで有名な柴又は帝釈天・インドラ様の真言は『ナウマク サマンダボダナン・インダラヤ・ソワカ』は『インドラに帰依し奉る。めでたし』という意味(厳密には違いますが)になります。

で、日本の密教呪術では『ソワカ』の前に、願いに応じた言葉を入れる場合があります。どの願いに何という言葉を入れるかはある程度決っていますが、たとえば『一切の災厄を無くす』ことを願うときは『センジキャ』という言葉を入れます。

そうすると、例えば帝釈天・インドラ様の真言に入れると『ナウマク サマンダボダナン・インダラヤ・センジキャ・ソワカ』になり『インドラに帰依し奉る。一切の災厄が無くなることを成就させたまえ』という意味になります。弥勒菩薩に願う時には『オン・マイタレイヤ・センジキャ・ソワカ』になりますね。

縁を切りたい時には『ビギャマ』ないし『ビギャタ』という語を入れます。これは『離す・除く・遠くに離す・既に除かれている・断絶して除く・永遠に離れる』といった意味を持ちます。つまり『(相手と)縁を切って、遠くに離す』と言う事ですね。

これを帝釈天・インドラ様の真言に入れると『ナウマク サマンダボダナン・インダラヤ・ビギャマ・ソワカ』という感じになります。また、特に元恋人とか、一方的に恋愛感情を持っている相手と縁を切るときは『アラキャ』と入れると・・・。これは『離愛・情欲が無い・愛情、愛着が無い』といった意味です。これも帝釈天・インドラ様の真言に入れると『ナウマク サマンダボダナン・インダラヤ・アラキャ・ソワカ』になります。

ただ、真言は必ずしも『ソワカ』で終わるわけではなくて、例えば御釈迦様の場合は『ノウマクサマンダ・ボダナン・バク』で『釈迦如来にすべてをお任せします(バクはお釈迦様を意味する)』と成る訳です。

また、一番人間にチカラを貸してくださりそうな不動明王サマの真言も『ノウマク サマンダ・バザラダン・カン 』や『ノウマク サマンダ・バザラダン・センダマカロ・ シャダ・ソワタヤ・ウン・タラタ・カン・マン』で最後にソワカがつきませんね。

こういう時には、最後に『 ビギャマ・ソワカ』『アラキャ・ソワカ』を付けると良いと。つまりは、『ノウマク サマンダ バザラダン カン ・ビギャマ・ソワカ』や『ノウマク・サマンダ・バザラダン・センダマカロ・ シャダ・ソワタヤ・ウン・タラタ・カン・マン・アラキャ・ソワカ』という風になります。

この辺は、本人が特に信仰する仏様に御願いしたい時の使用時は、今は本でもネットでも、真言は割と調べやすいので、頑張って探すのも良い事・経験です。

ただ、一応断っておきますと、実践したいというのなら、ここまでならバラシテも大丈夫かなという範囲で書いていますので。全部公開しているという訳ではないので、そこら辺は、まぁ、察して頂きたいと思います。ただ、真言に追加すれば良い訳ではありません。具体的には他の発声法や観想法に護摩の炉や道具も変更の必要性が、勿論ありますからね。

勿論、上記の事を注意し次第書や文献通りに、やれば今までよりも効果が増すとは限りませんし、逆に半減する場合もあります。また、神仏には得手・専門がありますからその辺の判断も重要です。

さて、今回はここまでです。楽しんで頂きまして、参考になれば幸いです。

では、貴方に全ての良き事が雪崩の如く起きますように・・。

皇悠、拝礼。

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2008年12月 3日 (水)

供物の作法

御覧頂きまして、ありがとうございます。

どうも、皇悠です。

さて、今回は供物の作法です。

さて、僧侶が仏様にお供物をお供えする時に、色々と印を結んだり真言を唱えたりする流派があります。

これは人間の世界の食べ物は、仏様の国の食物に比べて栄養価が低いのか、美味しくないかもしれないのか、また浄・不浄で言う事か、仏界の食べ物よりかは清らかではないか、量も少ないかもしれないのですが、とにかくそういう作法が一部の門派ではあります。また、調理に使う火も水も清らかなモノを撰び、それを更に印と呪によって浄化し、栄養価を高めるたりの質以外に、観想法で量を増やしたりする法もあります。

また、これは仏門に限らずに神社などでも大祭時や古い大社などでは特別な作法・祈祷を併用して火を起こし、水を用意し調理したりする所もあります。有名なのは伊勢神宮ですね。

全ての神仏がそういった味とか、浄・不浄とかに拘るとは思いはしませんが、祈り祀る私たちの誠実さの表れ…というか貴人に対する礼儀なのか・・・、よくわかりませんがそういう作法・祈祷などがあります。

ただ、各教義・宗教的な理由は他にもあるでしょうが、個人的には信仰や呪術的な理由として『良いモノを神仏にお供えして喜んで頂きたい』というのはすばらしい事ですね。
 
さて、お供物を清めるのに僧侶は印と真言を使いますが、在家の我々は普通にお香の煙にくぐらせたり、清めの祝詞で清めればよいかと思います。

俗に「香の煙りには遍至の徳あり」と言いまして、「《お供物》は香の煙りと風に乗って世界の隅々にまで行き渡り、自分が祈願する神仏だけでなく、他の神仏やその眷属、更には祖霊や魔物の類にまで行き渡り、皆を満足させる」と言われます。また、これにより「祟りを為すモノの怒れる心を和ませ、餓えて渇える死者を満足させ、その災いを鎮める事すら出来る」ともされます。

ただ、こういう作法も何故か今では埋没・忘却されていますが・・・。

さて、今回はここまでです。お役に立てば幸いです。

では、貴方に全ての良き事が雪崩の如く起きますように・・。

皇悠、一礼。

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2008年11月30日 (日)

呪いの処理の仕方

御覧頂きまして、ありがとうございます。

どうも、皇悠です。

さて、今回は呪いの処理の仕方です。

さて、呪いというのは何故か日本では「引き絞られた弓矢のようなモノで、放つしかなく、途中で止めることが出来ない」とも言われていますね。しかし、一度矢が放たれれば、相手もまた矢を射返してくるという神道系では『返し矢』という考え方もありまして、『相手が射って来た矢を射返すと、必ず相手に当たる』ともされています。

そうなると終には憎しみが続く限り矢の応酬は続く訳で、ドンドン被害は拡大、憎しみも増していき、更に呪いの力自体が相手に返すと倍の威力を持ち、それを返されるとさらに倍の威力で戻ってくという風に、反復されることにより、その呪力が増幅されるとされています。

こうなると、どちらかが一歩引いて攻撃を止めるしかない訳ですが・・・。まぁ、こちらが止めたからっていって、相手が止めるとは限らないのは、現実世界でも同じな訳でそうならないために、やり取りされている『呪い』をどこか別のところに遣ってしまうのが一番良いとされます。

神道で言うところの、あらゆる穢れを祓い捨てる大祓詞にも出てきます『根の国・底の国』が、いざなぎ流では日本とインドの間に、そういった呪いを集めて捨てる『呪詛(すそ)の社』があるとされています。密教系ですと、仏様の広大無辺の慈悲の中に呪いという憎しみの心を捨てて浄化すると言う考え方もあります。

割と有名なのが、全てのモノには仏性があり、呪いのこもった『悪い気』や悪鬼魍魎にも仏の心があるとしたうえで、『仏母』…仏の母であるとされる文殊菩薩に、それを『返し遣る』という作法・理屈です。

ちなみにその時に唱える、呪歌は以下の通り。
 
『文殊(もんじゅ)をば三世諸佛(さんぜしょぶつ)の母(はは)と聞(き)く、悪気邪霊(あっきじゃれい)よ返(かえ)れ文殊(もんじゅ)に』

また、似た教理が私の好きな魔界句の魔物も仏も同じモノという平等観で浄化するモノなんかもありますね。

この辺は、本当に色々ありまして面白く宗派により色々ですね・・・。さて、今回はここまでです。楽しんで頂けたら幸いです。

では、貴方に全ての良き事が雪崩の如く 起きますように・・・。

皇悠拝礼。

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2008年11月29日 (土)

樒について

御覧頂きまして、ありがとうございます。

どうも、皇悠です。

さて、今回は樒についてです。

よくニューエイジ系のパワーストーンの浄化に、薬草のセージに火をつけて、その煙りにくぐらす…というのが一般的ですが、これはネイティヴ・アメリカン流です。日本では、御香の煙に御札や数珠をくぐらして浄化するという作法が仏教には昔からあり、この二つが混ざり合った形で定着しつつあるようですね。

そして、外国の『セージ』に相応するモノといえば『樒(しきみ)』があげられます。

樒は木欄科の常緑樹で、葉や茎を折ると良い香りがします。また、この香りは心身を清め、ケガレを浄化するとも言われていまして、線香の材料にもされています。更にこの香りは、人に禍をなす動物の侵入を阻むともいわれていて、転じて、魔を退ける霊木ともされています。

ただ、けっこう強い毒を有していまして、樒の枝の束を池に漬けて置いたら、一晩で池の鯉が全滅したというエピソードを聞いた事があります。
 
ちなみに仏前草という別名があるように、仏教では神棚にあげる榊のように、仏様にお供えしたりします。また、樒の葉は、形が蓮の花弁に似ているとされ、密教では蓮華のかわりに仏前にお供えしたりします。

ちなみに、これを乾燥させて、セージと同じようにして使う場合ですが。セージに比べて、葉が肉厚の為に、本当によ~く乾燥させないと燃えづらいですね。香炭とかを使うと良いかもしれませんが・・・。また、燃やすと、くどくない香りがします。

この樒は榊と同様に、御花屋さんでも販売されていますので、自分が信仰している神仏にお供えした後に、乾燥させて使うと言うのも良いかもしれませんね。

また、仏様を拝むのに使った樒を押して、紙に包んで御守りにする行者さんも一部で居られます。

さて、今回はここまでです。参考になれば幸いです。

では、貴方に全ての良き事が雪崩の如く起きますように・・。

皇悠より・・・。

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2008年11月28日 (金)

五芒星の追儺魔術

御覧頂きまして、ありがとうございます。

どうも、皇悠です。

さて、今回は私も一応、以前は西洋魔術師だったので、今回久しぶりに西洋魔術の術を書きます。ただ、書いてある物を読むと楽なのですが、いざやるには視覚化だの訓練しないと出来ない特殊能力や、馴染みのない西洋の象徴だのを暗記して貰わないと無駄なので書きたくないのですが・・・。

まず、最も手っ取り早く簡単な術は五芒星の魔術で、『地の追儺五芒星』を使ったモノですね。

使い方は簡単、退去したい不浄な力の方向に向かって、『地の追儺五芒星』を描くだけです。その際、注意に従って描いてください(五芒星の角を閉じるのと視覚化を忘れずに)。

描く時は、剣印(指を二本そろえて立てて刀身に見立てたモノ)か、魔術用の短剣or剣でお願いします。例えば地の追儺であれば、一筆書きで五芒星の地の角(左下)から霊の角(上)へ線を引き五芒星を空中に書くという意味ですね。

また、何故にして最初の二個しか書いてないのかは、一筆書きするための最初の二個を知れば、後は書き順が確定する為です(地の追儺:地→霊→火→風→水→地の順に五芒星を描きます)。

ただ、気を付ける事は、きちんと書き始めと書き終わりの角を閉じる事。閉じていなければ五芒星でなくただの線になり、力が生まれません。

また、術などで空中に書く場合は、自分の描いた図形が蒼白や黄金などの強烈な光を放って燃え上がっている様子を視覚化(妄想)しながら描いてください。自分が手を動かすたびに、光の線が残像として残っていく感じですね。

※使用上の注意。火の召喚五芒星とかを書いても、火はたぶん出ません。プロだったらわかりませんが、駆け出しのうちにがっかりしないように(笑)。

なお、五芒星は図を書けないので、インターネットで検索すれば出てきますので調べてください。

注意:全ての魔術的なマークは『太陽の道』にそって、できるだけ左から右に書いていきます。……南向いたら太陽は左(東)から生まれて右(西)へ沈む為です。円:最上の頂点から右回り。

そして、五芒星の中央に、占星術の金牛宮のマーク(○の上に、Uまたは半円に近い『角』を付けたマーク)を描きます。その際、太陽の道に従って、角、円、と描いていってください。

そして、中央にびしっと剣印を指して(当てて)、神名『アドナイ・ハ・アーレッツ』を声を出来るだけ振動させながら唱えます。大きな声で、ゆっくり言霊を込めて(気持ちを込めて)発音してください。アドナイ・ハ~は強大な地の主の名前です(この世界、地属性の、マルクト、を司っています)。さらに、神名を唱えた瞬間、五芒星が強く光り輝き、対象を光で焼き尽くす様を視覚化(妄想)してください。これで追儺・空間の浄化は完了です。

※注意:人は倒せません(笑)。悪霊や不浄な力の固まり、悪い影響力や悪いイメージなどは、ほぼ一撃必殺です(術者の実力と想像力などによりけりですが・・・)。

一度、私が司祭である神を兄弟弟子に寄り代に召喚・憑依儀礼をした際、どうしても退去・追儺が出来ず、見かねた師が気合一閃、神名『アドナイ・ハ・アーレッツ』で退去させた事があります。当時の私は笑うくらい未熟でしたが、良い思い出です。閑話休題・・・。


<コメント>

ばばっと剣印で五芒星を切って、神聖な名を朗々と唱えれば、見た目的にも九字に負けないくらい格好いいので良かったら悪霊退治や術の排除、邪な諸力の浄化などにも使ってみてくださいね・・・。(笑)

ちなみに、『エコエコアザラク』という映画でも主人公の魔女が、相手の呪いを打ち破るためにこの術を使っていました。

ところで「何故、霊的なものの退治に『霊の追儺』ではなく『地の追儺』を使うのか?」というの疑問の答えは以下の通りです。 

ここに疑問を抱いた方もいらっしゃるでしょうが、それは昔からの慣習、と言うか、この世界=マルクト=地での邪悪な存在退治には『地の追儺』が一番効果的だからでしょう。この世界には、地の主の影響力が強いと思われ定義されてます。我々は地球の上に住み、術者も対象も全ては大地の上に乗っていますし・・。

ちなみに、個人的には一番手っ取り早く、わりと万能な破邪の術がこの『地の五芒星追儺』ですね。

さて、今回はここまでです。参考になれば幸いです。

では、貴方に全ての良き事が雪崩の如く起きますように・・。

Fra,SOSNこと皇悠より・・・。

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2008年11月17日 (月)

花園神社/皇悠式参拝の概略

御覧頂きまして、ありがとうございます。

どうも、皇悠です。

さて、今回はかなり前の記事ですが、花園(稲荷)神社(なお、この神社の現在の本殿の祭神は倉稲魂神、日本武尊、受持神です。二人の豊穣神と一人の武神のご神徳により、開運招福、商売繁盛などのご利益があると言われ、それなりに盛況な信仰を集めている神社です。)にお礼参りに行った記事を書きましたが、その続きです。皆さん、リベンジですよ、リベンジ。

前回は、一の市の混雑した時間で参拝客が多くゆっくりとやるor行うスペースがなく、とても集中・祈祷出来ないので、少し軽めに参拝して、後日の参拝に本格的な感謝の祈り・祈祷をすると約束して帰りました。

さて、前回の失敗を反省していたのですが、どうしても今日・この日までの間は(平日・祝日共に)行けず、またまた酉の市になりました。しかし、今回は抜かりがありません。

始発に乗り、朝の七時半に現地訪着です。何考えているんでしょうか・・・・!

朝露と初冬で寒いです。誰もいません・・・orz.そして、他にいるのはカラスだけ。寂しく、少し眠いです・・・。

しかし、私はめげません。まずは、鳥居の前で鳥居の払いを詠唱。(これは私の意識を調節する癖です。基本的には密門の入壇儀礼や日蓮宗の祈祷時の心がけと同じですね。つまり祈祷モードに入ります)

次に如獅子王の如く(この辺の意味・理由がわかる人は日蓮宗の祈祷師かエクソシストだけですが、今回は説明をカットします・・・)、ゆっくりと視点はオープンフォーカス気味で、参道を進みます。(勿論、中央は神仏の通り道という伝承を重んじ、端を歩きますが・・・)

まず、境内では手水場に行き、手及び口を清めます。(この辺の作法は基本の左手・右手・口の順です)

それから参拝ですが私は基本的に伝統通りの本殿→摂社→末社の順です。

『 なお、このような境内で幾つも社がある場合は、格式的には本社(本殿)・摂社・末社の順とされますが、場合によっては本殿の神様より格上だったり、強力だったりする事も多いので注意してください・・・。なお、この辺の裁量は参拝時の祝詞・祭文・経典の量(何回読むか・・・)と数(何種類唱えるか・・・)などで調節します。表に出る代表者・社長=本殿の神様よりも、意外に内部の小さな部署の長・会長とか顧問とか隠居した創設者など=摂社・末社の方が偉い場合があるのは神仏の世界も人間社会も同じですね。

また、摂社については、本社の祭神の后神・御子神など本殿の神様の家族を祀る神社 /祭神が現在地に遷座する前にその地に祀られていた神・地主神を祀る神社/本社の祭神の荒魂を祀る神社/その他、特別の由諸がある神社と普通は規定されますが、気をつけてください。本当に、社の見た目で騙されてはいけません。この辺は境内の看板や由来書きなどを、こまめに拝見すれば大丈夫ですが基本的な神仏の知識や関係を知らないと無駄ですね。(ただ、それを知らない人がすごく多いので幾ら願掛け・長時間祈ろうと徒労に終わりがちです。これは営業職や管理職の方だとすぐ御理解頂けると思いますが、組織や上司などキーマンの許可がないと動かない人がいるのと同じで神仏も意外に関係者の影響を受けます。この場合は摂・末社の神仏ですね。閑話休題)

また、本社(本殿)の境内にあるものを「境内摂社」(けいだいせっしゃ)または境内社、境外に独立の敷地を持つものを「境外摂社」(けいがいせっしゃ)とも言います。

そして、それ以外を末社とされています。 』

ちなみに、この花園神社は、元来は真言宗系修験道(当山派ー京都伏見区の古義真言宗醍醐派)系の神仏習合系の十一面観音を御祀りする寺社でした。一説によると、徳川家康が江戸に幕府を開くより前に、奈良の吉野山にある金峰山寺(現在の天台宗系の金峯山修験本宗の総本山)は蔵王堂境内の導稲荷(このお稲荷様は当然伏見稲荷からです。)を勧請したとされる新宿地区の総鎮守です。しかし、稲荷が総鎮守というのは珍しいですね。基本的に、稲荷神は屋敷神や城守神などの個人信仰の神様なので土地神が少ないのですから・・・。

さて、この神社の歴史は明治維新以前には、四谷南寺町十股山愛染院の末寺、稲荷山三光院(新義真言宗)が別当として奉仕していました。それ故にか、江戸時代は「三光院稲荷」や「四谷追分稲荷」とも称されていました。しかし、明治維新における神仏習合の廃止により、三光院は廃絶することになり、本尊は本寺へ、「村社稲荷神社」が正式名称とされます。さらに、青梅街道と甲州街道の分岐点にあった「子安稲荷」が、明治二十七年(1894年)頃に合祀。新宿四丁目の「雷電稲荷神社」は昭和三年(1928年)に合祀され、世に「花園雷電稲荷両社」と称しましたが、さらに、昭和四十年(1965年)六月、社殿の老朽化に伴い、現在の鉄筋コンクリート製の御社殿を造営。また、これに伴い、それまで末社だった大鳥神社を本社に合祀したことから、「花園神社」と改称し現在に至ります。

実に、花園神社の歴史は武蔵野国の王権の移動などに翻弄された合祀と改名の歴史でもありますね。

さて、花園神社の現在の御祭神は上記の三神ですが、何故か神社の家紋・社紋・神紋が統一されずに三つあります。まず、倉稲魂神様で(宇迦之御魂神とも書きますが、)ご存知の通りの伏見稲荷大社の御祭神と同神ですので御紋も同じく「稲穂」。そして、日本武尊様を祀る大鳥神社の御紋は「鳳凰の丸」。また、受持神を祀る雷電神社の御紋は三つ巴です。ちなみに、これは以下の由緒によります。実は後三年の役(1083~1087)で清原氏討伐のために奥州へ向った源義家を追って東進した弟・源新羅三郎義光が、小さな祠で雨宿りをしていたところ、どこからともなく白狐が現れ、踊り始めた。すると、雨は止み、空は青く晴れてきました。この奇瑞に武運戦勝を確信した義光は、兜と弓矢を祠に奉納し念願を成就したという故事によります。この由来により、稲荷神(狐が使い)である受持神(豊穣の神)を御祭神として祀りながら、源氏の氏神である八幡神の三つ巴を御紋としています。また、この故事から見ますと雷電稲荷様は天候を動かし、歌舞音曲を好み自ら踊りを舞う、戦勝を司る複雑な神格・神徳が判りますね。また、この神紋が統一されていないことからあくまで本殿の三神が同格ということが判ります。

さて、このような由来の神々を祀る本殿以外に、境内の末社として木花咲夜姫を祀る芸能浅間神社と威徳稲荷神社(祭神不明)、そして納め大明神の三社があり、合計で境内に四社あります。(ただ、この内、納め大明神は古い神符・熊手などを納め・一年の感謝と別れを告げる所・神様なので、普段は特に祈願は必要がないかも知れませんが・・・?)

さて、基本的に私がこのような神仏習合系の神社を参拝する際は神道の基本の祝詞、禊詞・大祓詞などに加えて心経奉賛文と般若心経、懺悔文、魔界句、天狗経などを使用します。また、御稲荷様がいるので稲荷信仰者として更に稲荷祝詞や稲荷心経、稲荷祭文などの稲荷系のモノを適時加えて朗誦します。だから、私の祈りは長くなります。

ただ、これらは、今では忘却された作法です。当たり前の話ですが人にはその人の嗜好・癖があるように各御祭神にも好み・作法が元来あるので、各季節の供物や祭りの装飾を換える様に祭文・祝詞・経典を換え祈ります。しかし、今ではほとんどの神社・寺院で規格化が進み、どの神もどの場所も同じモノを読み、飾り、捧げるようになりましたが、私は出来る限り各御祭神の好みに合わせて唱え・祈るようにしています。

さて、何とか約1時間半かけて全ての社を参拝を終えますと少し疲れます・ました。あまり、話題になりませんが基本的に祈祷・魔術を行いますと生命エネルギー・体力/精神力を消費するのである程度の体力がないと魔術が出来ません。。(そういえば、何故混沌魔術・西洋魔術を修めた私が神仏習合系の神道や密教などを学習し始め、現在はどのような経緯で稲荷信仰者になったかなどは書いた事がないですね。何時か書くこともあるでしょう・・・。閑話休題)

ちなみに私は疲れが目に良く来ます。たしかこのような疲弊・注意は無の書にも、日本でもIOSの秋端氏・鏡氏などが幾つかの書物で記述しているのでご存知かもしれませんが・・・?

さて、このような感謝と更なる加護を願いつつ行う祈祷は良いモノですが、少し汗をかいたので、帰りにコーラを飲みつつ、駅に向かい帰宅しました。

何故か参拝の概略よりも脇道の神社紹介になりましたが、さて、今回はここまでです。楽しんで頂き、参考に為れば幸いですが・・・。

では、貴方に全ての良き事が雪崩の如く起きますように・・・。

皇悠より・・・。

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2008年11月 9日 (日)

埋没した神仏の復活・礼拝の一助

何時も、御覧頂きましてありがとうございます。

どうも、皇悠です。

さて、今回はクロウリーがかの「魔術」で取り上げました、埋没した神格の礼拝、廃れ滅んだ神の祭礼について考察しようと思います。

ちなみに今回のやり方は、基本的に日本で廃れた神仏習合の尊格・神仏を対象に組まれた術式の概要です。

さて、往古以来日本には多くの神仏が存在し、多くの験・利益を与えてくれて来ました。しかし、もう廃れ祀るところがない上に信仰者達も見当たらない神仏も多々います。よってある神仏の加護・験は欲しいがあてになる寺社・祈祷師がいない場合は、自分で祀るしか手がありません。

しかし、やはりそうは言っても素人・未経験者がいきなりもう事実上、絶滅した神仏の崇拝・信仰を、日本ではこのような廃れた神仏は往々にして神仏習合の神仏が多く、その祭礼をやるのも無理があります。

ですので、さらに次善の策ですがまずは出来れば気に入る所を、最低でも何とか妥協できるレベルの目的の神仏を別の方として御祀りする関連の寺院・神社を探し出し見つけ、そこでの今の祭礼の仕方や道具の特徴・意味などを学ぶの方法が良いと思います。

そうして、御神体としては現在は別の方として、かつては目的の方として御祀りしている神社やお寺から御影や御札などを頂きまして、それを現在の様式の多分仏式なり神式なりでしょうがその祭礼様式を学び行い体得します。

勿論、常にそれはやはり仮の姿、周囲に合わせているモノ、本当はかの方は別の本来の姿・作法があるという意識を忘れずに持つのが重要ですね。

さて、また色々な事情で自宅では御祀り出来ない場合もありますよね。

この問題を避けるには更に次点の策として自宅での御祀りは諦め、そのお寺・神社への参拝という信仰にするのが良いと思います。勿論、これ以外にも幾つか困難や問題が出てくると思いますが・・・。

そうして、そこのやり方を十分に学んだ後で、色々な問題などが解決・折り合いがついてから皆様が相応しいと思う形の信仰・祭礼様式に戻し・変えていくのが良いと思います。

ちなみに私、皇悠が考えますに信仰・礼拝に最低限必要なモノは二点だけです。

一つは日々崇める存在・・・具体的には御祭神・本尊を表す像や絵などです。

次に、その神仏に捧げる特別な祈り・・・具体的には祭文・経典・祝詞集ですね。

事実、キリスト教では本尊たる十字架またはイコン(キリストや聖母マリアなど聖者が書かれた宗教画)、経典たる聖書または祈祷書だけで信仰をしている人が多々いますからね。

また、神式仏式のどちらにしても今では埋没し廃れた神仏に相応しい特別な祈りは事実上、日々朗誦すべき適切な祭文・経典はまず流通していないので、まず改変するとしたらここでしょう・・。

例えば、以前取り上げました神仏習合の方・廃れ埋没した方として牛頭天王様を取り上げますと、この方は代表的な大乗経の般若経(般若心経)を破り、鬼神を釈迦を殺し天照大神をも脅したという由来・伝説を持つ疫病神・荒ぶる尊格なので、下手なモノを使い祈り,崇め唱えるのもどうかと考えられますから注意が要りますね。

それらを考慮にいれてヒントとしては、まず牛頭天王様は薬師如来様の化身とも部下とも長年考えられてきたので薬師如来様の薬師経は大丈夫で良いでしょうし・・。

また、ご存知の方もいると思いますが牛頭天王祭文という牛頭天王様への固有の祭文があるので、この方の信仰者としては仏式・神式問わずにこれを日々朗誦した方が良いとという考えもあります。

なお、上記の二つとも現在ではまず朗誦・使用されていないので改変時の考慮に十分に使え、あります。

さらに、よくありますがどうしても目的の方の本来の像や神絵が良い・変えたい場合は、あまり造形は良くない場合があるのですが通信販売などで復刻した尊像を求めたり、または往古の本来の姿の古い尊像などの御写真や御影、またそのコピーを本尊にするという手もあります。

この方法は下手な今の出来合いの御神体や御札よりもそちらのほうが造形的にすばらしくすごく納得できて信仰が出来て良い場合もありますし、私も何度か御写真を別の方ですが本尊にして祈祷をしたことがありますね。

さて、まだまだ、語りたい事はありますが、これより先は専門的なマニア&熟練の技能がいるので、今回はここまでです。御役に立てば幸いですが・・・。

では、貴方に全ての良き事が雪崩の如く起きますように・・・。

皇悠拝。

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2008年11月 8日 (土)

空中戦ー霊的戦の別面・裏面

何時も御覧頂きまして、有り難うございます。

どうも、皇悠です。

今まで、いくつか呪術戦・霊的戦いの話を書いたので、今回は祈祷・儀式を使わない呪術戦について記述しようと思います。

さて、この形の戦いはある種の瞑想行や観想行には付きモノです。その発展形と言えます。イギリスの魔術師D・フォーチュンの心霊的自己防衛や朝松健氏の小説・魔術戦士シリーズなどによく出ていますアレです。

小は自己のコンプレックス・無意識内の寄生虫から大は他者の使い魔・眷属などの駆除に環境的な影響/エネルギー体との交渉まで対応するものは多いですね。

形式的には術者は半眼または瞑目で半睡眠・夢見状態になり、意識下に日常意識では認識されない情報(または物質世界で行動する際に邪魔になるためにサイコセンサー及び生存本能による精神のフィルターによって無視され除外されるモノ・・・)にアクセスし、対処する事が技法の肝になります。

この技法は、古来より多々記述されていますが、あまりに見栄えをせず基本的には日本では忘れられた技法の一つです。ちなみに、仏天に行き教えを受けたとか、仙界で色々と習うと言うのも同系の技法です。

単純にいえばアストラル界に行き、霊的存在と会話・交渉するということです。

ただ、私が習い身につけたモノは基本的に情報収集と整理、そして前哨戦としてのものでしたが・・・。

丁度、我々が夜の就寝中に夢を見ることの機能・意義の一つに睡眠中の夢を通して活動中に五感を通して集めた情報を整理・系統化するのがありますが、それを更に進めた技法です。

ただ、西洋魔術は基本的にある程度は決まった内容・シナリオにそって旅をするのに対して、あえて無意識の出てくるモノ・その場の流れに任せるのが違いがあり、基本的には原始的・暴力的な形になりがちなのが大きな違いです。

ある程度はルールを決めて交渉するか、それを無し/ゼロでするかという事ですね。ルールを決めればある程度の安心とラクさがありますが、固定化とマンネリは否めません。

これは丁度、日本の国内だけで商売をするのなら既存の商取引上の慣習や既知の日本国の法律で守られますが、海外で商取引する場合は慣習や場合によっては法(国際法を含む)すら無視されますようにです。ただし、基本的に日本国内での流通がなく海外でだけ手に入るモノが多いように基本的にはノールールの方が得るモノは多いですが・・・。

では、今回は此処までです。

それでは、皆様/貴方に全ての良き事が雪崩の如く起きますように・・・。

皇悠より・・・再見。

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2008年11月 4日 (火)

基本理念としての勧請、勧請と眷属使用法の意味、その2

何時も、御覧頂きまして、ありがとうございます。

どうも、皇悠です。

さて、今回は前回の記事についてコメント頂いた楓様、伽羅様の疑問に対して、お答えしたいと思います。

まず、お二人の疑問は私が見るところ、つまりはクリスチャンや浄土真宗などが代表的ですが「家の宗旨で他の神仏の勧請=祭壇が自宅で出来ない・置けない場合はどうすればよいのですか?」ということだと思いますが・・・。

簡単に言えば、ここできつい言葉ですが以前同じような質問をして、怒られましたが・・・、私の東洋呪術の師の言葉をお伝えします。

「ふざけるな、諦めてしまえ!」です。初めて、そう一喝された時、少しチビったのは師匠には秘密です・・・。

さて、正直な話で、自分で自活・一人暮らしも出来ない人に自分の好みで神仏を選び、祀る資格はありません。これは、一人暮らしが法律上まず出来ない未成年にも当てはまりますが・・・。基本的に、自活などしていない限りはその人は個人とは見做されずに、親権者・旦那さん・親方などに保護されて間借りしているうちは、勧請どころか個人の信仰はいざ知らず祀りは出来ません。これは勧請は基本的に個人が祀るのではなく神仏に家にきて頂くという形をとるからです。そして、当たり前ですが家族のなかで一人でも反対者がいるのに来訪していただくのは礼儀に反します。

また、自分で自分を喰わせられない人は、後々必要になりますが・・・、例えば日々の供養用の食物や祭壇・本尊を飾る多くの祭器などを用意する最低限度の金銭も用意出来ませんし、家族の反対も押さえ込めないよう軟弱な気概では、ちょっと様子・具合が悪くなるだけで日々の供養・勤行をサボるので行う資格がないんだそうです・・。

勿論、祭壇・社・仏壇などがなくても修験・神道系の榊などの樹木に御幣や宝石・奇石、鏡などを寄りしろにする技法、ロシア正教や仏教系の写真・絵画などを本尊・イコンにする技法などがありますが、これらは完全に専門の信仰者としての祈祷師・呪術師専用の技法です。

正直な話、ただの絵や石に紙切れを信仰の対象と験を得るには、その人に強力な信仰心や具体的な呪術知識、そして第二の天性と化した祈祷力などが要ります。勿論、家に神仏画や石、紙切れに鏡などを置けない人は論外ですが・・・、そういう場合はお守りやお札などを本尊にする手もありますが・・・。この辺は、指導がいるので今回はカットします。出来る人を見つけて弟子入りしてください・・・orz。

ただ、やはり自宅で勧請できない場合は、西洋魔術などが代表的ですが隠れて各回の儀式・祭儀でお呼びしてお祭りするか、希望の神仏の祀られている神社・寺院に参拝・巡礼という手段しかありませんね。

さて、今だから話しますが、実は私の家は今は脱会していますが親族含め両親共にあのバリバリの排他的信仰集団の創価学会員でした。脱会後の今でもバリバリの日蓮至上主義の他宗派蔑視の人達です。毎日、何時間も正座して勤行させられました、今なら児童虐待ですね・・・。

そのため、神仏や呪術・祈祷に興味をもった10代、つまり始めから私にとって呪術とは本ぐらいはまだしも儀式をするにも隠れて行い、道具どころか榊にお香も揃えられず置けず買えずの状況、神仏画や祭壇はいうに及ばず法華経以外の経典・祝詞集にお守りすらも家に置くことすら出来ないのが当然ということが基本的条件になりました。そして、そういう家庭ですから普通の呪術・祈祷の修行、つまり道具を各種使い祭壇・本尊の前で供養や勤行(日々の経典・祝詞の朗誦など)は出来ず、それどころか当たり前の暗記した祝詞や経典の朗誦すらするのに気を使うような修行状況でした.

そういう意味で、勧請・自宅祀りが出来ない悔しさや苦労は分かります。

そのような環境だった為、私の訓練時代はほとんど月に何回か何とかやりくりした末に行う寺社への参拝・巡礼と祈願/勤行、道具はいりませんが精神的にハードな難しい幻視系の観想法、それに呼吸法やヨーガのような肉体的な呪術訓練位しか出来ない状況でした。また、そのような状況だからこそ道具が少なく観想や幻視法に特化した西洋・混沌魔術に興味が私は向かったのも無理がない・しょうがないのですが・・・。

さて、話を戻しまして、二つ目のお二人のご質問を要約しますと「勧請・自宅に祭壇なしで良い眷属を得られないか?」ですが・・・。

それは可能です。ただし、その場合は幻視・霊視を伴いつつ勤行&気功法系の外気で養うという手段か、何かを普通にあるモノに寄りしろとして憑依させ祀るという2つのやり方がありますが・・・。詳しいやり方は勿論秘密ですが、ちゃんと視覚化なり小周天なりが出来ればこれはそう難しくありません。

ちなみに、良い眷属を得ると言う事ですがこれは西洋魔術いや妖術・シャーマニズム系の精霊狩りの技法などもありますが、基本的には個人の実力プラス運です。よくいう個人の霊性の良さとか霊格に性格とかはあまり関係ありません。大体、古い格式のある神社や寺院などではかなり力のある眷属がいますが、相性や器の問題がありますので・・・。

ちなみに、大体の人は無理でしょうが基本的に祈願には最低1時間以上祈り・祈祷が必要です。しかし、人が見ている中で本殿の前で1時間以上集中して祝詞・経典を唱えられるだけの実力・気概がないとまず無理ですが、難しいですね・・・。(基本的に多くの人がやられる参拝方法・祈り方は時間もやり方も滅茶苦茶な上に省きすぎ短すぎます・・・。閑話休題)

ちなみに、現在のところお勧めな神社として、本日酉の市が行われてます、内藤新宿は花園稲荷神社および摂社の威徳稲荷大明神が上げさして頂きます。よく願掛けに行きますが大体7から8割は成就・叶えてくださいます。

また、危惧されてます旅行などで勤行・朗誦が自宅で出来ない場合ですが、その場合もケースバイケースですね。ごく普通に家に残られる他の家族の方に代行してもらう手もありますし、先に断りを入れて多く唱えこむ手もありますし、呪術系の遠距離から供養する術もありますが・・・。ただ、この辺は勧請した寺社でお聞きするのが一番です、基本的に勧請先のやり方が基本的に本筋ですからね。

さて、これでご質問の答えになりましたでしょうか・・・?では、今回はここまでです。

『貴方に全ての良き事が雪崩の如く起きますように・・・。』

それでは、皇悠、一礼。

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2008年10月31日 (金)

般若心経千座の法

何時も御覧頂きまして、有り難うございます。

どうも、お久しぶりですね、皇悠です。今回は久しぶりに祈祷法を紹介します。

さて、般若心経の祈祷法は色々なモノが伝承されていますが、ここに書いたのは一例ですが、実際やってみて絶大な霊験のある方法です。

きちんとした指導者についてするのが、当然ですが一番良いですが、比較的安全な方法ですので紹介します。参考になれば幸いです。

やることはきわめてシンプル。

『 

まず本尊「祈る対象ですね。」を決め、日を限って、般若心経を1000巻分唱えます

一日10巻なら100日間、50巻なら20日間、途中切れ目無くやります。 マッチ棒やお数珠などで数を数えるのも可です。

1000巻ワンクールで、三回もやれば、なんらかの手応えがありますし、望んだとおりのことにならなくても、自分自身が納得する、なにかの示唆が、必ずあります。

本尊との約束ですから、途中で霊験のあった時も、かならず1000巻分を全て唱えます。

本尊は大本山や札所など、500年以上の歴史ある祈願所の方がお薦めですが、自分が頼りたい方・所でもいいですね。ただ、その場合は一回以上はお参りにいって、丁寧に、「これから祈願を初めます・中ですのでお願いします」と頼んできて、また最初の一巻目あるいは最後の一巻はそこの本尊の前で唱える事。

また、どのような御供えをするかは何日も行うと心に浮かびますが、普通は、最初に一回、お菓子や、野菜などを本尊に御供えします。また、お参りにいく場合は、こころばかりの賽銭ですね。

さて、静かな邪魔の入らない綺麗な部屋で、香を焚いて拝み、なるべく正座(長時間になりますので、不自然な姿勢は腰を痛めます)が良いのですが、この辺は状況・場合に依ります。

修法中は身体の調子が悪くなったり、時間がどうしても取れなかったり、忘れてしまったり、障害が起きますが、出来る限り、頑張ってください。

どうしても続けられなかったら、本尊に理由を丁寧に述べて、日にちをズラすなりして、工夫しても、結願の日だけは守ってください。基本的には本尊との約束・契約ですからね、守らなかったら、しばらくは加護は無いものとお考えてください。

さて、おやりになればわかりますが、実際、かなり大変です。拝んで奇蹟を起こすのですから、大変で当たり前。
ぐったり疲れたり、激しい眠気や頭痛に関節痛などに襲われたり、お経が堂々巡りして終わらなかったり、色々な事が起こります。

これは行試し・本尊の神仏からその真摯さ・本気さを見られている場合もありますので、本尊を信じて、頑張って下さい。

では千巻心経の次第です。

まずは本尊に三回拝礼、出来れば五体投地。 

次に懺悔文を三唱。

我昔所造諸悪業     がしゃくしょぞうしょあくごう
皆由無始貪瞋痴     かいゆうむしとんじんち
従身口意之所生     じゅうしんくいししょしょう
一切我今皆懺悔     いっさいがこんかいさんげ

次に祈願・お願いをします。

小さな声で、祈願を一つだけ、本尊に具体的に伝えます。

 例 「本尊観世音菩薩様、****(名前)当病平癒・・・」

最初の日だけは「ただいまより、**(結願の日付)日までに、一日最低*(一日に唱える巻数)巻、全部で1000巻、般若心経をお唱えして祈願いたします」とはっきり宣言します。もちろん期日より先に終わらせても良いですよ。

コツとしては「願います、とか、祈願したてまつる」とかの頼むような言葉でなく、祈願が成就した状態を表現します。
    例えば、家内安全、身体健全、試験合格、恋愛成就、心願成就、心身健康 などです。

そして、本題の読経です。慣れれば、一巻一分位で唱えることが出来る様になります。

そして、最後・またはその日の規定の数を唱え終わりますと感謝を込めて御礼をします。

「以上です、ありがとうございました。(また)どうぞよろしくお願いします・・・」とか、

以下の回向文を唱えるのも良いですね。

願以此功徳      がんにしくどく
普及於一切      ふぎゅうおいっさい
我等與衆生      がとうよしゅじょう
皆共成佛道      かいぐじょうぶつどう

そして、改めてご本尊に三礼をして終了です。     』

ちなみに、まさか私の当ブログで知らない方はいないと思いますが、一応,,般若心経の全文も上げときます。

『 般若心経

観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時、照見五蘊皆空、度一切苦厄。

舎利子。色不異空、空不異色、色即是空、空即是色。受・想・行・識 亦復如是。

舎利子。是諸法空相、不生不滅、不垢不浄、不増不減。是故空中、無色、無受・想・行・識、無眼・耳・鼻・舌・身・意、無色・声・香・味・触・法。無眼界、乃至、無意識界。無無明、亦無無明尽、乃至、無老死、亦無老死尽。無苦・集・滅・道。無智亦無得。

以無所得故、菩提薩埵、依般若波羅蜜多故、心無罣礙、無罣礙故、無有恐怖、遠離一切顛倒夢想、究竟涅槃。

三世諸仏、依般若波羅蜜多故、得阿耨多羅三藐三菩提。故知、般若波羅蜜多、是大神呪、是大明呪、是無上呪、是無等等呪、能除一切苦、真実不虚。

故説、般若波羅蜜多呪。即説呪曰、羯諦 羯諦 波羅羯諦  波羅僧羯諦 菩提薩婆訶。般若心経。 』

 

なお、この法は先祖供養や慰霊にも効果・功徳があります。

供養の場合は、本尊とは別に霊分として、期間中毎日、お茶やお菓子を御供えをしてください。その場合、霊分のお下がりは食べないという考えもありますがこの辺は好みでどうぞ・・・。

また、施餓鬼にするのなら・略式ですがそれを「餓鬼さんへ」と念じながら水辺などに散じ捨てます。

では、今回は以上です。貴方に全ての良き事が雪崩のごとく起きますように・・・。

それでは、皇悠より。

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2008年10月 2日 (木)

十言の神咒

何時も御覧頂きまして、有り難うございます。

どうも、皇悠です。さて、今回は天照大御神様の御名を唱えることにより、言霊の力で邪気を祓い、自己と周囲を清め高める方法の紹介です。

遣り方は単純に以下の

 『ア・マ・テ・ラ・ス・オ・ホ・ミ・カ・ミ』

この言葉を、ただ、虚心に短い言葉ですが、唱えることです。このような神様の名前を唱えることを、ちなみに神咒(カジリ)といいます。


神道天行居の創始者、友清歓真(ともきよよしさね)[彼は晩年は完全な引きこもり生活者になった珍しいタイプの教祖です・・]が最高神界の天照大御神の神法として一般向けの公開したものの一つです。初心者でもすぐに出来る良い行法です。

さて、友清歓真の「古神道秘説」によると

『一切の先入主を思想を去って素直に、清明の一心を住し、一決不疑の地に立ってアマテラスオホミカミの十言を繰返し繰返し毎日三十分以上唱えて御らんなさい。声の緩急大小は其の場合と其の人の体質便宜に随えばよいので彼れ此れ拘泥を要しません。至誠を以ってこの神咒の修行を怠らざるに於いては早くも一ヶ月ばかりにして必ずや相当の道交神会するところもあるもので、あらゆる悩みも悶えも解消種々無量の神徳を授けられるもので念仏で後生を願うが如き類にあらず。神道は幽玄不二の大道でありまして、この十言の神咒の神秘は筆舌の講釈し得る限りでないのであります。』

と言うのが友清自身のお言葉です。また、彼の弟子筋がこの十言の神咒の奉唱で病を癒し、霊障を祓い、霊光/神の示現を得たという話もあります。

また、武田信玄の武田家に伝わる「乙中甲大事の秘事」(おっちゅうこうだいじのひじ)の中ににも、十言の神咒を十回唱えよという教えが記載されているそうです。

ある逸話には本当か嘘か楠木正成も平生のときでも、自分の心に邪心が起こったときもこの神咒を唱えたようです。

さて、このようなシンプルにあるフレーズを繰り返す方法は、広く使われています。

同じように密教では真実の言葉という意味のマントラを唱え、阿弥陀経では仏様のお名前である南無阿弥陀仏と唱え、法華経なら南無妙法蓮華経と経典の名前を唱えます。仏教は、これらを神呪(じんじゅ)ともいいますね。


さて、シンプルだけど力強い十言の神咒は、今はあまり使いませんがかなり助けられました。

では、今回はここまでです。お役にたてば幸いですね・・・。

それでは、貴方に全ての良き事が雪崩のごとく起きますように・・・。

皇悠拝。

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2008年9月28日 (日)

呪詛・呪いなどについて・・・

何時も御覧頂きまして、有り難うございます。

どうも、皇悠です。

さて、今回は祈祷の・呪術の一面・暗黒面について書きます。そう、呪詛・呪いです。

ここで書かなくても、それなりに力のある霊能者や方術に精通している人、或いは密教を代表とするに仏門などに精通している人であるならば人を呪う方法は知っているか、教えられなくとも気が付いているはずではありますが・・・。

また、本当に力のある霊能者や祈祷師などは除霊などをお願いしたとしても二十万から五十万位は交通費などの雑費を含めて、覚悟していただけなければならないですから知られていないのかもしれませんね。色々な意味で・・・、これは占いの世界でも似たようなもので第一人者と呼ばれる著名な占い師は一回に付き最低でも五万、人によっては十万は覚悟していただかなければなりません、ほんの一時間ぐらいで・・・。

さて、一般的な除霊/占断などでもこれだけの金額ですので、誰も引き受けたがらない呪いなどとなればこの程度の金額ですむはずもありません。

大抵は、成功報酬だとしても、その何十・何百倍ですね。また仮にそれだけの金額を用意したとしてもそれなりの人脈がなければ巡り会うことすら不可能ですが・・・・。

さて、祈祷・呪術、簡単に言えば呪いや呪い返しは基本的に殴り合いの喧嘩と同じです。相手を倒すか、倒されるかの二つに一つであり、余程力の差がない限りは呪った人も無事では済みません。

そして相手を呪った事で何の被害も受けなかったとしても最終的には呪ったことの報いを受けなければならないようですね。

その為、呪いを引き受けている行者は例外なく非業の死を遂げているか、死の断末魔を体験することはこの世界に身を置く者ならば常識です。その為か本当に力のある人であればあるほどその恐ろしさを知っていますので簡単には引き受けないので、大体は相手の事情を聞き、そしてそれ相応の謝礼(半端な金額ではありませんが・・・)を受け取った後にしか引き受けません。

また一部の書籍などにおいては人の呪い方などが安易に紹介されていることもありますが、本来の呪いとは相手を倒すだけで自分が何も被害を受けないと考えるべきではないことが何故か書かれていません。

売れないからでしょうか・・・・。

昔から「人を呪わば穴二つ」と言いますが呪いとは自分の心が恐るべき所へと通じる場合のみその効力が発揮されるからで、つまり自分自身がその世界の住人、大抵は鬼や夜叉になったときにだけ呪いが成功するので、呪いの方法とはある意味で自分が鬼や夜叉になるための方法であるとも言えますね。

その為か、呪術に特化した密教や日蓮系は鬼神だの夜叉に羅刹、その由来が暴悪で異形のモノを祈祷の本尊にしていますね。明王部の幾つかの仏、鬼子母神に十羅刹女、毘沙門、大黒、ダキニに人食い竜王、聖天・・・・。


さて、一般知識として、一応は神仏は基本的にはどんな極悪人であるとしても救済の対象であり、逆にどんなに暴悪な形相の神仏であるとしても慈悲の姿ともされています。

その為か、呪詛折伏の祈願であるとしてもそれは相手の悪行を止めるための祈願であって相手の不幸を願う祈願ではなく、真っ当な宗教であるならば降魔伏敵の祈願はあっても普通に言うところの呪い・呪詛・呪殺ではないとしています。

そんな訳で呪殺・折伏の祈願で相手が辛い経験をしたとしてもそれは本人の学びであるとされています。またその試練も本人が蒔いた種が原因であるともです。

また、相手の不幸を願う心が僅かでもあるならば呪詛折伏の願いが届くことは難しくなると説く教えもあります。

一応、建前はこのようになっています。

個人的には疲れますし精神的にハードなので遠距離攻撃系の技法などの個人的に好きではない事はどうしても批判的な乱文になりますね・・・いけないいけない・・・。気をつけます。

さて、更に難しいのは神仏の働きは多くの人々が考えるほど単純ではありませんので、過去の事例や条件・環境があまり当てにならないということです。このことはこの界の人間ならば当たり前すぎる事ですが、ご理解いただけたらと思います。

では、今回はここまでです。お役にたてば幸いですが・・・。

それでは、貴方に全ての良き事が雪崩のごとく起きますように・・・。

皇悠拝。

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2008年9月 7日 (日)

仏教的なお香・アロマ論

何時も御覧頂きましてありがとうございます。

どうも、皇悠です。

さて、今回は仏教には特に欠かせませんお香について色々と書こうと思います。まず、代表的なのが勤行時に使うほかに、塗香として野外などに使用する際に携帯してよく使用します。また種類も線香をはじめ、刻み香、練香、塗香など多くの形の違う何種類かを用いて使い倒します。

 一般にはリラクゼーションのためにお香を使うことが多いようですが、昔からお香には10の徳があるとも言われています。そういう訳で本日はそれもご紹介したいと思います。

ちなみに香之十徳は一休禅師作という言い伝えがあります。

1.感格鬼神=感覚が研ぎ澄まされる。
2.清浄心身=心身を清浄にする。
3.能払汚穢=よく汚穢を払う。
4.能覚睡眠=よく睡眠を覚ます。
5.静中成友=静かな中で友となる。
6.塵裏愉閑=仕事中に一息つける。
7.多而不厭=多く使っても嫌にならない。
8.募而知足=少なくても足りる。
9.久蔵不朽=永い間貯蔵しても朽ちない。
10.常用無障=常に用いても害がない。

また、華厳経には、以下のように説かれています。

1.精気を増益する。
2.身体を芳潔にする。
3.身体の温涼を調節する。
4.寿命を延ばす。
5.顔色をひきたてる。
6.精神を爽快にする。
7.耳目を鋭くする。
8.健康にする。
9.媚態と愛嬌を増す。
10.品位を高める。   以上です。

まるで、御香だけでかなりのことが出来るような効能の書き方ですね。ただ、日常は定番のモノを使えばいいですが、本当は神仏ごとに好まれる御香や修法ごとに使うべき御香の種類や組み合わせ、量などが決まってありますので、御香の法を完全にマスターしている方は実はあまりいません。神仏は何万と存在いておられますし、モノによってはもう手に入らない非合法なものや絶滅・希少化したものがあるのでしかたがないのですが・・・。

さて、今回はまたちょっと変ったトリビアを上げてみました、楽しんでいただき、お役に立てば幸いですが・・・・。

では、いつものヤツを、『貴方に全ての良き事が雪崩の如く起きますように・・・。』

またです、・・・皇悠より。

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縁日・神仏との繋がり易い日

何時もごらんいただきましてありがとうございます。

どうも、皇悠です。

さて、今回は皆様も何度かお聞きになったことがあると思いますが、縁日について書こうと思います。

さて、この縁日は、平安時代にはあったと言われています。会日とも言いますね。会日の訛りが縁日で、恒例的に催される仏会の日(地蔵講など)が本来の姿です。特別に霊験あらたかな神仏が現れ、この世に縁をもつ「有縁(うえん)の日」とされ、特定の神仏と人々が縁を結ぶ・結び易い日「結縁(けちえん)の日」でもあります。

ちなみに、これに似たものに法華30番神や十二支の守り本尊などがありますが、勿論違いますよ。

 寺院では、神仏の降誕・示現・誓願・社堂創建などのゆかりのある日を選んで、祭典・供養が行われる日であり、この日に参詣して神仏を念ずれば、普段にまさるご加護があると一般に信じられており、市販の運勢暦にも多く記載されています。

 もともと縁日は、神仏の縁起伝説によるものや、さらに忌み日をあてたもの(元三大師など)、単に十二支・六十干支によって示し、数で日を示さないもの(大黒天や弁財天など)などがあり、年一回であったが、参詣人の増加につれて月ごととなり、さらに鬼子母神のように、各月の八日・十八日・二十八日となった例もあります。
さて、以下に代表的なモノを書きます。

【毎月ある縁日】
 1日  妙見菩薩、歓喜天、水天
 5日  水天
 8日  薬師如来、鬼子母神
13日  虚空蔵菩薩
15日  妙見菩薩、水天
16日  閻魔大王、歓喜天
18日  観世音菩薩、鬼子母神
21日  弘法大師
24日  地蔵菩薩
28日  不動明王、鬼子母神

【毎月ではない縁日】
甲子の日  大黒天
1月,5月,9月の最初の寅の日 毘沙門天
己巳の日  弁才天
亥の日   摩利支天
庚申の日  帝釈天
1月3日  元三大師
初午・二午   稲荷

以上です。お役に立てば幸いです。

では、また貴方に全ての良き事が雪崩の如く起きますように・・・。

皇悠より。

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2008年8月28日 (木)

死者の儀式または上位者の必要性

何時も御覧いただきまして、ありがとうございます。

どうも、皇悠です。

さて、今回は最終の儀式こと死者の儀式について書こうかと思います・・・。

さてこの分野は、西洋魔術の分野ですと混沌魔術の創始者or公的な定義者のピート・キャロルの終油の儀式「たしか白・赤・黒の儀式がありましたね・・・」ぐらいしかありません。

東洋ですと主にチベット系の転生の業、仙道系の屍解・仙化系の業などがあります。

ちなみに何故かヒンディ系だかニューエイジの安直思想のせいで誰でも転生し、それぞれに相応しいところに往くという考えが、よくテレビや雑誌に出ていますが、私が知る限りではよほど本人が行を積み任意で「つまり自殺形式で・・・」、亡くなった場合だけ本人が行くべき所、相応しい所に行くようです・・・。

大抵は天国にも地獄にも行かず、この世の誰にも転生もせずにただ拡散・消滅するようです・・・。

だから、大抵の場合で故人の降霊・特に死後100年以上たった方の呼び出しが難しいのは、そういう理由です。

つまり、降霊すべき存在が何もしなければ事実上ほとんど時とともにどんどん消えていくからです。

そのため、あらゆる宗派・霊的体系では死者に対して供物だ、法要だ、供養だ何だかんだと消えないように力・エネルギーを与え維持・強化に努めます。

ただ別に、これは人の霊だけに限りません・・・。

神仏のかなりの部分が人々からの積み立てによる贈与なしに力が発揮されることはまずありませんから・・・、我が東洋の師はそれを「神仏を手なずける・口説き落とす」とよく称していました。

よって、西洋魔術でのあくまで霊的存在は自然界の力・ある種の法則/原理と考え定義しているので誰でも理解し学べばどんな神仏・存在の力も利用or使用出来るように記述しがちですが、それは嘘・誤りだと私は自分の経験から考えています。

だから、クロウリーやスペアよりももし仮に、彼らよりもより訓練し、よい道具を使いさらにすばらしい供物を捧げ、生来的な素質や才能がある方がいたとしても、その現象なり行なりを成就し頼るべき神仏との相性が悪い・口説き落とせていないと何にもならない事はあまり語られませんが事実としてあります。

スペアの精霊や黒鷲、クロウリーのホルス・ヌイト・エイワズ、フォーチュンのマスターにマサースのアデプト、どんな体系の術者にも霊的上位の守護者なり指導者の加護の下で、行を積み作業しています。

というよりも、彼らとの共同作業としての呪術・祈祷になります。

逆に言えば、そういうモノが存在していない術者はただの自己暗示・自己欺瞞の輩でしかないのかもしれません・・・。しかし、そうなるとかなりのニューエイジ系やクロウリー系に多くのGD系に魔女・混沌魔術師たちもあてはまり・・・、難しいものです・・・。

ただ、定形の儀式・祈祷を演じているだけですからね・・・・。

さて、私自身、自分の眷属・守護者と渡りを付け、口説き落としてやっとそれなりのことが出来るようになりましたから、このことは今まで何度か書いてきましたが重要なことなので今回もまた書いてしまいました。

それでは、今回はここまでです。

貴方に、全ての良き事が雪崩のごとく起きますように・・・。

ではまた、皇悠より・・・。

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2008年6月29日 (日)

口伝その1

いつも、ご覧いただきまして、ありがとうございます。

どうも、皇悠です。

さて、今回は呪的な視点です。

まず、あらゆるモノはそれ自身に存在論的な限界があります。水が丁度、摂氏百度で嫌でも沸騰し、人体の耐用年数がまず百年しかないようにです。

そして、いかにすぐれた人物・呪術師も基本的にはその時代の子です。

よって、当時に存在していないモノを持ち込むとまずは対応出来ないという事です、怖いですね。

それでは、貴方に全ての良き事が雪崩の如く起きますように・・・。

皇悠拝。

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2008年5月25日 (日)

船霊のつくりかた・・・

いつもご覧いただきまして、ありがとうございます。

どうも、皇悠です。

さて、今回は珍しい船の守り神、船霊「の御神体」の作り方を書きます。

フナダマは地域で色々ありますが私が習ったのは以下のようなモノです。

まず用意するモノ。これらは地鎮祭で言えば鎮物にも相当します。

人形(ひとがた)・・・手先が器用なら折り紙で作るのも良いですが、お人形さん(必ず男女一対)です。

銭・コインを12枚・・・安上がりに5円玉12枚。それを糸に通せばバラけずOK。百円玉とか500円玉とかでバラエティを多くするのなら和紙・半紙に包みます。

女性の髪の毛・・・理想を言えば、船主と相性がいい方角の、寅年の妊婦のモノです。寅年なのは、寅は「千里行って千里戻る」つまり無事に帰ってくることを祈願してです。妊婦は体内に子供、つまり人を子宮という水の中に包んで守り養うのでその力にあやかり。

サイコロ2個・・・今は、¥100均で売ってますから、勿論御利用します。それで、サイコロは、[表(おもて)三合(みあ)わせ船尾(とも)に四合(しあ)わせ舵(とりかじ)二(に)なおし面舵(おもかじ)五(ぐっしゃり)上(てんじょう)一一(ぴんぴん)下(した)六六(ろくろく)]に置きます。要するに、正面・船首側に3がきて船尾側に4、で、上が1って置くんです。また、中のサイコロが動かないように箱内に釘止めや強力接着剤で固定しなければなりません。

五穀・・・お米、粟、麦、大豆、小豆をそれぞれ数粒あれば十分です。勿論、箱の中で散乱しないように和紙などで包みます。

箱・・・出来れば船形にして、一応は四角形でも可。出来れば、船室の柱にピタリと納まるように作り、寅の刻に、船の帆柱(ほばしら)に穴を穿いたスペースに全てを収めた箱をご神体として柱に納めます。それか、このご神体を進水式の時に帆柱の元に納めます。

さて、このご神体となるものを改めてみると、なんの脈絡も関連性もないですね。それでも伝統的な御神体です。また箱を一度締めたら二度と開けることはしないです。

そして、これに霊力込める時は神前に挙げて、「○○大神の御心依させ給ひて・・・」とか「何とぞ、この船霊に00の大神のご加護を宿りて・・・」と祝詞を挙げればいいんです。これも入魂・聖別の祈祷ですね。

大体、雰囲気でも御理解いただけましたか・・・?

では、今回はここまでです、お役に立ち楽しんでいただけたら幸いです。

それでは、貴方に全ての良き事が雪崩の如く起きますように・・・。

それでは、また・・・。

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伏見稲荷式供物

いつもご覧いただきまして、ありがとうございます。

どうも、皇悠です。

さて、今回は少し専門的ですが、稲荷式の供物について書こうかと思います。

さて、稲荷といいますと供物として何故か油揚げやお稲荷さんを定番・限定のようにお供えとして差し上げる方が多いですが、実はあれは根拠のろくにない風習だったりします。今ではコンビニでも売っているので、やる方は楽だから誤解がそのままになっているのでしょうか・・・?

そういえば、某少女小説「マリア様が00いる」でも出てましたが・・・。orz

さてそれでは正式に伏見稲荷大社講務本庁系の祭式の定義によります上位・良いものから書いていきます。

まず、和稲「ねごしね」ー白米・脱穀したお米、

次に荒稲「あらしね」−玄米・脱穀前のお米、

酒ー勿論、日本酒です、駄目ですよ、自分の好きなビールとかワインとかは・・・

お餅ー鏡餅です、切り餅ではありません

海魚ー和食の魚の王様の鯛です

川魚「せんぎょ」−鯉

野鳥ー雉「きじ」・鶉「うずら」の全体・そのままがベストですな

水鳥「すいちょう」−鴨です、これも野鳥と同じく羽も毛もついたままが最良とされますね

海采「かいさい」−若布「わかめ」・昆布などの海藻類です、おなじ「かいそう」海草のアマモやイトモは駄目です

野菜ー大根とか人参などですね、加工しやすいので根菜を使うことが多いですが白菜とか春菊とかの葉采も勿論入ります

菓子ー和菓子・砂糖菓子です、基本的には果物や洋菓子やスナック類は入りません

塩ー勿論、古来からの海産の荒塩「にがり分を含む塩」

水ー清水・飲料水ですね、雨水とか朝露とか結露水など仙道でよくある特殊なモノではありません

そして最後に、その他が来ます。

さて、見ていただいて判るとおり種類も多くなかなか手にしにくいモノが多いので、大抵はよほどの大社でない限りは年に数度の大祭以外は、米・塩・水・酒が殆どです。それと、季節のモノやもらい物などぐらいでしょうか・・・。

ちなみに各神社により水鳥や野鳥は今は狩猟期間や時期・土地柄・運などの関係で手に入りずらいので、ニワトリの卵で代用する例が多いですね。

また、基本的に神道の供物は伝統的に調理前の状態が基本です、だから火をとおす前の生か乾物が基本ですので、仏教式の炊いたご飯を捧げるのは、最下位のその他になります。ちなみに油揚げやお稲荷さんもその他ですね。

さて、この形式が出来たのは大体江戸末期から明治の頃です。丁度、神道が日本で大きくクローズアップされて全国的に文書や各社のやり方が広がった頃です・・・。そして、そんな訳で今の神社本庁系の神社でもこの祭式・供物定義を受け継いでいる所が多いです。

『ちなみに伏見稲荷大社およびその系列の神社は神社本庁とは別組織・別系の団体です、よってそんな訳で伏見稲荷系列で稲荷勧請をしますと自宅など祀る場所がもう氏神様や神宮のお伊勢さんなどを先に神棚やお社があって御祀りしていても、そこに相祭りをしないで、わざわざ別に専用のお社を作るんですね。

また、伏見稲荷系の別社・講社などの神主さんは伏見稲荷系の所で修行して、有名な国学院や皇学院などの神道系大学の卒業・神社本庁指定の講習会に参加して神主になるのではなく伏見稲荷の講員・信者がそのまま伏見系の稲荷神社の神主になる場合があります。』 閑話休題

さて、今回は少し詳しい供物のことを書きました。

これ以外にも供物の飾り方・切り細工などもありますが、これは各神社の流儀みたいなモノも有り、また祭儀・大祭ごとに変えていたりするので、とても説明しにくいモノで文章と写真でけではとても把握出来ない・理解しにくいので今回はここまでで勘弁してください・・・。orz

さてそれでは、貴方に全ての良き事が雪崩の如く起きますように・・・。

それでは、また・・・。

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2008年5月24日 (土)

集団祈祷と憑依

いつも、ご覧いただきまして、ありがとうございます。

どうも、皇悠です。

まず感謝を、無名の読者様、二回も続けてコメントいただきまして、ありがとうございました。

さて、それでは今回は「集団祈祷と憑依」と題しまして、色々と可否・長短などを書いてみようかと思います。

さて、この分野の集団的儀礼は東洋の文献・説話などに良く出ていますが実際のところは集団読経がまず主流になります。

皆様も葬式や法要で坊さんが何人、有名人とかお偉いさんだと何十人単位で読経したりしているものを見たことがあると思います。

やはり、皆で同じものを霊視するとか、同じ動きをするよりも同じ言葉を唱えるのが遥かに楽なので、合唱形式になりがちで、基本的に日本の集団祈祷は仏教の影響が強いので、葬式が代表的ですが仏教の伝統的様式の読経が祈祷のメインになります。

基本的に坊さん・男性が漢訳経典を唱えて節回しで雰囲気が違いますが、やってることはキリスト教徒が賛美歌を集団で歌うのとあまり代わりがありませんが・・・。

しかし、このやり方には欠点が多々あります。例えば合同・集団で節をつけて何かを歌う・唱えると分かりますがある程度暗記して、発声してますと周囲の事が気になりリズムを合わせることに気がいったり、逆に自動的に音を出すマシーンになりがちで、詩や経典の内容なんぞ二の次、三の次で実のところは場を盛り上げたり、人によっては興奮して気分が良くなりますが集団の意識統一などの意味もないことが殆どです。

だから、実のところ読経の集団祈祷自体は憑依者を迫力で大声で脅す、場・状況を作る、「こんなに豪華にしてもらいありがたい・・・」という観客の気持ちを得る為のパフォーマンス的意味位しかありません。後は、自分一人でやるよりも読経に熱が入りやすいぐらいでしょうか・・・?

意図こそ違えカラオケと対して変わりがありません。

残念ながら、神仏を見たり、その声・啓示を聞くには個人で黙々と祈る・唱えるほうが良いです。それが出来るようになってやっと衆人看視の中でも幻視・霊視・啓示が得られるようになります。

例外は、憑依体質の人や良い被暗示性性の人を誘導して、神仏を憑けたりする場合ぐらいでしょうか・・・。

ちなみに完全にちゃんと霊が憑依しているか判断する簡単な方法は手のひらに100円ライターで20秒以上火にかざして平気でいる「手を引っこめない・嫌がらない・逃げない・主に顔に油汗が出てこない・悲鳴/うめき声をもらさないなどの」場合のみです。それ以外は本人の演技か振りですね、それか自分で好きで任意で憑霊状態でいるか・・・、この場合は放置しても大丈夫です、いずれ気が済むか、馬鹿馬鹿しくなり止めます。

この方法はかなり、乱暴な判別法ですが効果的です、特に振りで憑依の真似をする人は生理的防衛本能までは支配してないのでこの方法でばれます。熱さ・痛みに耐えられませんから・・・。

ちなみに、大本教系の鎮魂帰神法の帰神・憑依や西洋魔術の特に魔女術系の憑依儀礼、修験道の寄り加持の憑神などはどちらかと言うと対象者の無意識・内界の人格/存在を呼び出すという感覚に近いです。

これはなぜかと言うともしある神なり仏が出てきた場合、憑いている人が知らない・勿論私からテレパシー・読唇術などで知ることがないように私も名前でしか知らないようなその神仏が説いたという教典の朗誦・口述筆記をすると後で調べると大体間違えているからです。

真面目な信仰者なら不敬の極みの行為ですね。

ただ、日本語が書けて読める人なら子供だろうと経典「今の経典はまずルビが振っています」が読める・内容を理解できるのに、神仏が自ら説いた内容・言葉を間違えているというのはおかしい・整合性が合わないので、それから私は基本的に儀式憑依で憑くもの・出てくるものは基本的に本人の中の別の存在/人格・統合されていないシャドウ/コンプレックス体であると考えています。

このような事実があるからこそ、過去から今にいたるまで多重人格症状を起こしている人が悪魔祓い・憑き物落としで改善する例があるのでしょう・・・。

変に霊が取りつかれたと考えるよりも、自分の中に何か別のモノを宿してしまったと考えたほうが役に立つこともあります。我々は女性の子宮内に胎児、大腸にビフィズス菌などの体内菌・寄生虫と色々なものを宿していて、それが普通ですので、後はそれとどう付き合うかという損得判断になります。

下手に憑依と考えると気が重いですが、寄生虫のようなモノが居ると思えば遥かに気が楽になりますよね。

さて、今回はここまでです。

では、貴方に全ての良き事が雪崩の如く起きますように・・・。

それでは、また・・・。

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2008年5月19日 (月)

稲荷勧請・出雲屋敷できる神社など

いつも、ご覧いただきましてありがとうございます。

どうも、皇悠です。

さて、今回は前回予告しました稲荷勧請できる神社と大黒様「この場合は神道の大国主様」を勧請出来る神社などを紹介します。

なお、一部古い資料『5年位前です』を元にしてますので、勧請する際はその神社にて確認ください。・・・orz

では稲荷勧請できる神社から行きます。

まず、稲荷信仰の大元、伏見稲荷大社ー京都府京都市伏見区

竹駒神社ー宮城県池沼市稲荷町、

笠間稲荷神社ー茨城県笠間市笠間

東伏見神社ー東京都西東京市東伏見  当家鎮守のお稲荷さんはこちらから来られました。

豊川稲荷ー愛知県豊川市豊川    曹洞宗のお寺で禅宗系のダキニ真天というお稲荷さんをお祀りしてます。

玉造稲荷神社ー大阪府大阪市中央区玉造

最上稲荷ー岡山県岡山市高松稲荷  日蓮宗系のお寺で最上位経王菩薩と言うお稲荷さんをお祀りしています。

太鼓谷稲成神社ー島根県鹿足郡津和野町

祐徳稲荷神社ー佐賀県鹿島市古枝

以上ですが、勿論これ以外にも私の知らない稲荷勧請をしてくださる寺社はあると思います。

何より、上記の寺社にこだわらず納得の出来る所から勧請した方良いので、やはり死ぬまでお付き合いいただくお稲荷様を選ぶからには、色々なお稲荷様を伺うのがベストですね。近いとか、歴史がとか勢いでなく・・・・。

それでは、次に大黒様こと大国主命・出雲の大神を勧請できる神社を紹介します。「なおこの勧請の場合は、出雲大社を中心とする出雲大社教の信徒・氏子になることを意味します。」

さて、この出雲勧請は正式には出雲屋敷、または出雲屋敷地鎮祭・出雲屋敷祭などと呼ばれるモノです。

主に家相で言うところの凶相や方位の障り、不吉な土地などに住む場合に自らの家・屋敷ごと日本国土を主宰し数々の御神徳を持つ大国主様を御祀りすることで、大黒様の屋敷に吉祥の土地・屋敷にしてしまい、日々の守護・御神徳をいただくというモノです。

大抵は、家を立てるときや改築時、たまに建立後に行われます。

基本的には家の敷地の東西南北の隅・四方及び中央の土の一部を出雲大社の土と取替え・祀り代えをしてから埋めて、家の建築・改築後は神棚にて出雲大社の御祭神をお祀りを日々していきます。なお、以後は出雲大社には氏子として毎年いくらかの日々のご加護に感謝の御礼をする関係になります。

そして出雲大社では出雲大社教という信徒・講員団体があり、出雲大社の別院・分詞・教会など会社で言うところの支店のようなものが全国にありますので、出雲大社のサイトや出雲大社別院のサイトから連絡できます。ググってみてください。

それでは、今回はここまでです。お役に立ち、楽しんでいただければ幸いですが・・・?

貴方に全ての良き事が雪崩の如く起きますように・・・。

それでは、また・・・。

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2008年5月18日 (日)

勧請と大黒様・・・。

いつも、ご覧いただきましてありがとうございます。

どうも、皇悠です。

今日は何故か興がノってるので、三度目の投稿になります。

さて今回は本日の二つの投稿の補足を書きます。

まず、大黒様関連の文献の紹介がなかったので、幾つか上げますね。

まず一つ目は、大森義成氏の「現世利益のお経 除災招福・家内安全編」-大黒天神経が出ています。漢文・訓読共にあります。

二つ目は、青山社の「天部華水供略次第」-定価で9000円近くしてかなり高いですがお経以外に珍しい華水供の方法も出ています。専門家向きかな・・・?

三つ目は、三浦あかね氏の「三面大黒天信仰」雄山閣ー珍しい三面大黒天に絞りました書籍です。在家でも出来ます修法も詳しく出ています。ちなみに大黒様は三面六手三目が元来のお姿です。

また、関西の比叡山大黒堂を紹介したので、私の地元関東は東京の大黒様のお寺を二ヶ所紹介します。

まず、上野・谷中の寛永寺は護国院です。ここは基本的に毎月三日に護摩供養をしています。

それと、目黒の大園寺、ここは甲子の日に大黒天様の法要をしてます。

最後に大黒様の簡単な修法を紹介しますね。

大黒天神法ー

『大黒様の祀られている本殿か尊像「勿論、開眼供養済みか正式に勧請したもの」の前で、

旧暦で子の日、子の刻「深夜23時から1時までの間」に、

内縛印または大黒天印を組み「勿論これは正式に得度し伝法を正式に受けた方のみ使用、もし受けてない人が行うのは偽造紙幣や他人のカードを勝手に使うようなものですので、ここは万能にして最強の印の一つ、在家でもできる印の合掌を使います」

大黒天さまの根本真言を1080回唱える。そして、これを同じように子の日のみで7日間で結願・終了。』というものです。かなり在家でも出来る簡単な法ですがなかなかにその験・効果は侮れないものがありますね。何人か行じた方を知るだけに・・・。

さて、次に前回は勧請について書きましたがそれと対になる開眼・閉眼法要について書きませんでしたので、ここで書きます。

基本的に勧請とはある寺なり神社の決まった形式のミタマシロ「神道の本尊の事です」や尊像・神仏画を本尊としてお分けいただくことをいいます。自作せずにパソコンを買うということに似ていますね。

しかし、パソコンに自作機があるように自分で彫り書いたモノを、または好きな創作者・会社のモノを正式に本尊・ミタマシロとして使うための設定し稼動させる技法・修法がありまして、それを開眼供養といいます。ちなみにその設定・稼動を止める技法・修法を閉眼供養といいます。

ちなみに、この修法を使えば原理的にはどんなモノでもどんな神仏でもミタマシロ・本尊に出来ます。ただ、勧請にしても正式に修法・祈祷しても確実に神仏が宿る・繋げる人はまずいないので、実のところは信仰者・祭祀者が日々祈り倒し拝み倒してやっと神仏が居られる・宿るようになるのが実情ですね。

例えば私自身、自宅のお稲荷さんに常駐して居られるように感じたのは恥ずかしながらも1年ぐらいしてからですね。

さて、勧請といいますと稲荷系の稲荷勧請が有名ですが出雲大社系の神社では大国主さまを勧請する出雲勧請と言うものがあります。

ちなみに稲荷勧請ができる神社・寺院は全国にありますが、これは次回上げます。

では、今回はここまでです、かなり箇条書きのそっけないモノになりましたが、楽しんでいただきお役に立てば幸いです。

貴方に全ての良き事が雪崩の如く起きますように・・・。

それでは、また・・・。

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2008年4月30日 (水)

土地の相性と枷、その4または汎用護身

いつも、ご覧いただきまして有難うございます。

どうも、皇悠です。

さて、今回は当方の最奥儀・かなり困難な技法自体はさすがに公に公開は出来ませんが、問題が無い範囲で幾つか寺社に残存する呪いを含めて、汎用性のある呪術的な護身法を一つ記述します。

ただ、この技法はある程度の訓練が必要であること、呪殺を視野に入れた霊能者/術者など現時点で生きている専門家からの攻撃にはまず対応・効果の期待は出来無いこと、最終的には個々人の練度・実力に左右されることを先に明記さいていただきます。

また、ここからはあくまでテクニカルな話になりますので基本的にその人の信仰心の有無や知識量の多少、霊能の有無は初期段階ではほとんど関係がありません。訓練・行自体をヤルかヤラナイかだけになります。

まず、

特に密教系に多いモノなので密教立てで記述します。「神を纏う技法」を・・・、西洋魔術ならば「聖守護天使との対話」に近いものですが・・・

1、まず自らの守り本尊や結縁仏など自分にとって馴染みの神仏から戦闘仏・武闘派尊格を選びます。あくまで自分の守護者にするのですから戦闘力のある親しい方でないと意味がありません。       日本ですと大体において歴史的に不動明王が多いので、ここでは不動明王を例にして以下は書きます。

2、不動明王の御姿・特徴・持つ道具などを暗記します。      現在ですと写真・カラーコピーした絵などを流用して本尊にして凝視しつつ念誦の行を繰り返して脳内に映像・音声などを焼き付けます。目をつぶればの絵が浮かぶように・・・また、具体的な特徴をすらすら言えるように、何度も暗唱し条件付け、更に折をみて深めます。

3、そして、危険な場所を感じたら、魂に焼き付けた・信と功徳と行で鍛え上げた不動明王を自らに被せます。つまりは擬似的憑依です。      形式的には自分が不動明王になる、不動明王の中にいる、不動明王の絵・本尊の前に訓練時ならば訓練生が消えて其処に立体/三次元体の不動明王がいるように感覚上において変化身化・幻化します。

具体的には両手で印を組んでいるはずが片方に剣・もう一方に索・投げ縄の重さを感じ、体表はカルラ炎の揺らめきと熱で暑くなり、内心は不動明王は憤怒尊の為に自然に怒り・闘争心などが湧き上がつつも仏教として三毒・三障としての怒りを否定するのでそれを悪しき利己ではなく衆生への慈悲による義憤へと変換することに気を配り、高揚する活力を統制し、服の重みが消え不動尊と同じく半裸の様に感じます・・・。

さて、この節で「信仰の有無はいらない」と書きつつも「信・・・により鍛えられた」と矛盾した表現が出てきますがこれに気付かれましたか・・・・?

始め、師からこの技法を学んだに説明を聞きましたが、私は何がなんだか・どういうことかまったく、これぽっちも判りませんでした・・・馬鹿ですね。orz

さて、この術・行を修練していきますと必ず色々な疑念・むなしさ・不安が沸き起こります。それを除去するには自分から不動なら不動について調べ、過去の信仰者の業績、不動尊の経典について考察する必要が出てきます。よくわかりませんからね。勿論、更に行を深めつつ、自らが腑に落ちるために、何故にして験・妙が発動しないのか、どうしたらより加護・信頼を深められるか・・・と考え始め試行錯誤と挑戦を必ず始めていきます。師や周囲が何も言わなくてもやってしまうのです。

そして、それらの行為によって小さくとも確かな多くの妙・験を経験して行きます。

例えば、知り行う上で必要な知識・技法を探し悩んでいると何故か偶然的に見つかる。夢や他人の口などからヒントを貰うなどから始まり、苦闘の先に加護・験などなど信ずるに値する体験を積みか兼ねていくのです。

まれに行幸・示現・感応同交の境地に至る事もあります。

その結果が強い信頼と加護、行による行徳、学習による学徳、積み重ねた試行錯誤による熟練さにより不意の状況にすら対応できるモノになります。たとえ道具が無くても危険を感知したらシステム上のスパイ・バグ対策用のプログラムのように作用します。

そして、それらの境地に任意に入れるようになりますとテストが出来ます。簡単なモノで蝋燭の火に手をかざし、接触させ一分以上耐えられたら、平気ならば合格です。

うめき声や脂汗などが出たら不合格です。いくら慣れていてもその妙に入るのに10から20分は最低かかりますが出来るものです・・・、人によっては火ぶくれすらしません。

ちなみに、お清めと称して酒や塩に清水などを手に吹きつけ火に対する防護膜や気化熱で体温を下げ感覚を麻痺させる行為は不正行為になります。

まあ、何も知らない人、疑心暗鬼の人、信仰の浅い人をすぐに納得させる為の便法として、また相手の知力・能力を測るために行うことはどこの宗派でも多々やりますが・・・。

また、このような技能のテストは密教系に限らずとも古くからあります。火消し以外にも千里眼とかで課題のものを手に入れろとか、見つけろとか・・・、なにか決められた小動物を睨んだだけでとか呪いで殺せとか、テレパシーを送るから答えろとか、色々ありますね。

師が励ましていただいたとうりでしたが、合格しなければ、さらに行を積み、学習に励めばいいだけで必ず誰でも夜に夢が見れる人なら誰でも出来るモノです・・・・。

さて、今回はかなり踏み込んだ内容を書きました。勿論、この内容だけで今回の技法が出来るとは思えませんが、基本的なアウトラインは充分に書いてあります。お役に立てば最良です。

では、貴方に全ての良き事が雪崩の如く起きますように・・・。

それでは、また・・・・。

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2008年4月13日 (日)

呪術・魔術の基本、声の力・・・

いつも、ご覧いただきましてありがとうございます。

どうも、皇悠です。

本日は一日中曇り空に時々小雨と弱い風が吹き、肌寒い一日でした。

さて、今回は魔術・呪術・祈祷の基本の一つ、声の力について書きます。

多くの次第書や儀記、魔術書などにはまず書かれませんが、基本的に誰がなんと定義しようとも呪術の基本的行為は、傍からは単純に見えます呪文・祭文の連唱、繰り返しつつも何度も何度も手を変え品を変えつつ朗誦しうる力があることです。

よく明確なイメージ力とか、儀式時のトランス・変性意識状態の幻視の質、供物の質や量、次第の構成、術者の経験、導師の実力などを重要視する方がいますが、それらも長時間・最低1時間は経文・祭文・祝詞に呪句を連唱し、場合に応じてアドリブで適時に構成・意味を組み変えれる力がないと意味がありません。

突然の憑依現象や金縛り、神仏の諭し・啓示、ラップ音などに対応するにはただ繰り返しレコードやCDのようにリピートすればよいわけではありません。

唱える経文・祝詞の反応を見つつ、時には中断して別の法文や祭文を取る判断力と知識、憑依した霊や示現した神仏と交渉する話者の力が要ります。

特に寄り加持などの憑依を扱う技術群においては状況の判断力も大事ですが、それよりも唱える経文・祝詞の魔力としかいえない朗誦者の質が大事になります。

強いて言えば一部で有名な逸話にあるように、18世紀のフランスの娼婦にして名女優、私生児に生まれフランス最高の名誉・レジオンドヌール勲章を受けた、聖なるサラことサラ・ベルナールがレストランでただのメニューを朗読しただけで同席していた周囲の人々は涙したように、朗誦する者の実力が重要になります。

幾ら本人が神仏を見ようとも神仏に術者自身の意を伝え、祈願者の内在する魂・心を芯から癒すのは表面的な発話の内容よりも語られざる思いを伝える何かです。

それは朗誦する者の容姿の美醜やボディランゲージや顔の表情、立ち振る舞いの良さ・美しさとは違うモノ何かです。

そしてこれは才能やセンスなどと呼ばれる生来の才知ではなく、どれだけ伝えたいのか、その為にどのように自らを練磨してきたかが如実に出るモノの一つです。

しかし、このような声の訓練法・朗誦の技は何故か忘れ去られ、意味・意義自体の伝承すらも滅びかけていますが・・・。

ちなみに勘違いされるといけないのですが、TVやラジオのアナウンサーのようなその場の内容・状況を簡潔に分かりやすく台本に付け加えて伝え述べる技術、俳優や声優のように何かに成り切り演じて伝える技術とは違います。

基本的に呪術・祈祷の唱える文章・呪文は経典にしろ祝詞にしろ、大体の呪術体系で同じ神仏ならばほぼ同じモノを使います。つまり文意・内容・文字がほぼ同じなのです。その内容・文字がまず変わらないのに息災、鎮魂、福徳、恋愛成就に商売繁盛、学業成就に病気治癒などなど多くの意味を使い分けた上で伝えるのです。付け加えをするのでもなく、自分でない何かになるのでもありません。

まずアナウンサーにしろ俳優にしろ声優にしろ、このような同じ台本・文句で内容を意味を変え、例えば喜劇のセリフをセリフを変えずに、悲劇、政治の風刺劇にラブロマンスなどのモノとして意味だけを変えて観客なり他人なりに伝えることはまず出来ません。

まして、呪文・祭文に経典の中の言葉の多くは日本の日常的な現代語ではなく、何百年前の古語や漢訳した専門術語、もう誰も世界中探しても日常で使う者がいないだろう外来語だったりします。

そう考えるとかなりの無茶ですよね・・・。

その為か呪文・祭文・祈りなどを極めたという古の聖者や達人は動物と話したとか、龍や鬼と対話したという逸話すら残しています。

勿論、そこまで現代では出来る人はめったにいないので文意や文句を現代語に直し、ある程度分かるように付け加えをしてやるのが定法になっておりますが、しかしそれが便法・手抜きであるのは事実でやはり古よりも効果が落ちているのもまた事実です。

皇悠自身も古の達人と比べますと遥かに格下です。いいところ経文・祝詞を唱えて憑き物を落とし、人に神仏を降臨させ口寄せするぐらいです。

まだまだです・・・。

さて、今回はここまでです。長々とお読み頂きまして、ありがとうございます。

それでは、貴方に全ての良き事が雪崩の如く起きますように・・・。

では、また・・・。

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2008年4月 8日 (火)

簡単な除霊or厄払い法 その1

いつも、ご覧頂きましてありがとうございます。

どうも、皇悠です。

今回は今までの祭文や経典の紹介、理論・哲学ではなく簡単で実用的なものを紹介します。

さて、それでは必要なものは粗塩を一掴み・大体50グラム位、または日本酒一合です。

次にこれらのものを信仰する神仏、力を借りたい方の祀られています神社・お寺に持って行きます。なお、今回はあくまで本人助けて頂きたい方のところに行きましょう、馴染みのない氏神さまとか有名なところとか一宮とかでなく・・・。

次に、持参した塩・清酒を拝殿の本尊の前に置きまして、最低20分・標準タイプのお線香一本分の間祈ります。もし時間があれば納得出来るまで、お祀りされている方が聞き届けて頂いたと感じるまで行います。

さて、祈りの仕方・内容は勿論、霊障の除去、加護、厄払いですが、単純に「助けてください、救ってください、お守りください、よろしくお願いします・・・」などでもいいです。

また、この参拝が信じている宗派と同じ方・本尊である場合は日々勤める勤行の経典・祝詞の読誦形式でもオーケーです。

なお、この場合は普通の参拝と違うので、少し多めのお賽銭を礼儀として出します。

さて参拝を終えましたら、まっすぐに家かホテルに戻り、そしてすぐにその神仏の力の宿るお塩・お酒を全て入れてお風呂・湯船に浸かります。

時間は最低一時間は湯船に入り、心身ともに温まり体を休め、それと共に汗と老廃物を流します。温度は大体50度前後のやや熱めにします。このあいだ好きな本や音楽を聴くのもなかなか楽しく良いものです。

なお、湯あたり・脱水症状にならないように入浴中のジュースやミネラル水などを飲むのは良いのですが、アルコールは悪酔いしやすく、この場合は霊的抵抗力も奪うので不可です。

また、季節によってはすぐに湯が冷めて水と同じになるので、差し湯や再加熱をして温度を入浴中は維持してください。

そして、一時間以上入浴してますので、大量の汗と心地よい疲労感が起きますので、よく水気を取り、湯冷め・寝冷えしないようにして軽く寝て、終了です。

このやり方は基本的には参拝プラス禊の応用ですが、かなりのリフレッシュ・厄払い・心身の充電効果がありますので簡単な霊障ぐらいはこれで十分に取れます。

ただ、やることは一つ一つは単純な事ですが何よりも全て本人がやる点、参拝したい所が遠方だと時間・お金が掛かるのが面倒といえば面倒ですが、それ以外は自宅でも特に道具も要らずで出来るので私は重宝しています。

お困りの人はお役立てください。

それでは、貴方に全ての佳き事が雪崩の如く起きますように・・・。

では、また・・・。

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2008年3月27日 (木)

パワー・ストーンの基礎・・・

いつもご覧頂きありがとうございます。

今週末は、近くの川辺の桜並木で花見をしようかと考えています、どうも、皇悠です。

さて、もう普通のご家庭の季節の行事、春の彼岸は終わりましたが、馴染みの依頼人から神道系のヒーリング・法儀や先祖供養などまだいくつかこの季節の作法・儀式が何件かあり、まだまだ、私はこの季節の行事は終わりません。

意外にこの日本にはまだまだ知られていない行事や古来からの風習が根強く守られています。

さて、今回の記事は「パワーストーン」についてです。

パワーストーン、つまり単純に言いまして宝石や貴石や貴金属など古来より装飾や祭儀などに使われてきました、金属・鉱物のことです。

さて、このパワーストーンですが元来そのもの自体に経済的価値が十分にあり、またその見た目の輝き、希少さから近年すごく人気があります。

皇悠が生まれる前には今のようにこのような石をお守りや開運のアクセサリーに使うなどという考え自体この日本にないモノでした。

ある方から聞いた話でも普通の人にとっては工業用品やわずかに旅行や祝い事の記念に利用する位だったそうです。

神仏への供物・贈呈品に建物や仏像の装飾ぐらいしか日本においては祈祷・呪術関連では使いませんでした。

今みたいに、女性週刊誌で特集が組まれ、大きなターミナル駅で幸運グッズとして売られていたり、100円SHOPで携帯のアクセサリーに使われるなんて、皇悠の子供時代にもありませんでしたが・・・。

さて、その人気のパワーストーンですが何故か各石ごとの見分け方、その効果的な利用法もまた知られてません。

知る限りでは、神話や民話レベルの伝承や過去の有名な霊能者・術者の話を元に「この石はこれに効く的な表記・紹介レベルのもの」がほとんどです。

例えば、水晶ならヒーリング、身代わり、浄化、千里眼などに使える・・・などですね。

こういったモノは一概に間違いではないのですが、石ごとの種類で効能・傾向を決定・固定してしまっているのが現状です。

まるで、「アメリカ人だからどのアメリカ人もアメリカンスピリットに溢れているはず、日本人だから男はみなブシドー精神があり、女は奥ゆかしい大和撫子だ・・・」と決め付けて考えるくらい無茶な見方・やり方をよくしています。

確かに効能自体に各石ごとの傾向・特性はありますがその石を使い利用する個々のレベルの相性や組み合わせで逆効果や無効化することもあります。

それに、専門店や装飾店で幾ら色々と保障され特別に加工し、高価なものを購入し日々身に付けたりしても、それをよくある記事や文献に逸話などのようにある種の願望実現や祈願用のモノとして効果がある物として使うにはなかなかに無理があります。

もしもよくあるようにただ身の回りにおいたり、身に着けている位で謳い文句どうりの力があるならその石の産地や鉱山に住む人、働く人、関わる人達の全て恩恵をうけることになりませんか・・・。

でも、そんなこと寡聞にしても知りませんし、またありえません・・・。

実際はその人にとって、その石がそういう効果が特別にあるだけで、それが万人向けであるわけではありません。ただ、商売なのでその事実を言わないだけです。

勿論、依頼人のその人ごとに効果のあるパワーストーンを選択・加工し、その力を充分に活用する手段・技術・振る舞い方などもありますが余りに特殊かつ面倒なので体得している方も教授している方もあまりいません・・・。

それにこのブログで公開しても基本的な技術や知識がなく、変な先入観で無駄が多い人がほとんどなのであまり意味がないですし・・・。

経験上、マスターするのがかなり大変モノで、やり方を見せないと分かり難く、口頭伝授が一番よい技術群の一つですね・・・。

また、なによりも現代はあまりに物事が安易かつ単純、短時間化そして売る側も買う側も安直に利益を求めているのでパワーストーン関係は特にその影響を悪く受けがちです。

さて、今回はここまでです、長々とお読み頂きありがとうございました。

良き事が雪崩の如く起きますように・・・。

それでは、また・・・。

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2008年2月29日 (金)

蝋燭、またはキャンドルマジック

どうも、皇悠です。

毎度、ご覧いただきありがとうございます。

さて、今回のお題・テーマは「蝋燭、またはキャンドルマジック」です。

ちなみに、蝋燭およびキャンドルを今回の記事の中では、以下の文章においては蝋燭とします。

さて、この蝋燭を使う祭礼は太古の昔、西暦以前より存在しています。

多分、最古の文明の遺産ともいわれるギルガメシュの物語の中の神々の祭礼にも使われていたのでしょう・・・。

さて、蝋燭の最大の効果であり特徴は「その光で闇を照らす/闇を追い払う」ことです。

その為、仏教系では、「煩悩たる闇を追い払う仏の智慧の光」をあらわすものとして灯明つまりは蝋燭を、法具として大抵の場合に使います。

勿論、夜間・室内などで経典を読み上げる際の光源としての実際的な意味もありますが・・・。

さて、翻って西洋魔術においては蝋燭は儀式においての場の装飾の一部として使用される場合がほとんどです。

逆に、魔女術、特にブードゥー系の術では固定の色の蝋燭と神などへの呪歌・讃歌の組み合わせで各種の祈願・願望実現などに使うことが、実はかなりあります。

ちなみに、GD系の魔術では、例えば金星の神格のアフロディテ・ビーナスの儀式では生命の木の万物照応を元にして

大体は七本のエメラルドグリーンor緑色の蝋燭を七角形or七亡星にならべ、金曜日の金星の時間に使用する位でしょうか・・・。-1のパターン

更に凝る人のいる団体では蝋燭に金星の花と区分されるバラの花弁と香料を練りこみ、発火と共にバラの匂いがするようし、さらに火芯に特殊な薬剤を入れて炎自体が緑色に発色するようにします。-2のパターン

この辺の象徴の連続、多重的積み重ねこそがある意味でGD系の魔術の面白さです。

ただ、-2のパターンほどする団体は珍しいですが、-1のパターン位は普通にするレベルでしょう。

さて、蝋燭魔術というかおまじないレベルのものですと、蝋燭の数や並べる形よりも何故か蝋燭自体の色が重要視されています。

しかも、その色彩ごとの意味や効果などの対応自体が、西洋魔術の生命の木の万物照応系か、色彩心理学、カラーセラピーあたりが元ネタで、ただの引用・流用だったりします。

この辺の手抜き文献・情報の多さが、実はGD系魔術団体をはじめ多くの魔術団体において蝋燭魔術、西洋風にいえばキャンドル・マジックが、何故か無視・蔑視されている理由の一つかもしれません。

元来、蝋燭自体は太古より神々への祭礼時の人類にとっての重要な祭器ではありましたが、蝋燭を一本一本彩色し各人が好きなだけ使用できるようになったのは、良い処でここ40年から50年前位です。

それ以前は個人が自作するか、特注で頼むかしかなく、任意に蝋燭の色を選び買って気楽に使用するということ自体がまず無理でした。

そういう意味では、よい時代になりましたね・・・。

さて、今回もご覧いただきありがとうございました。

それでは、また・・・。

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2008年2月23日 (土)

真言・祭文・祝詞などの唱え方とBGM

どうも、皇悠です。

いつも、御覧戴きありがとうございます。

さて、今回のテーマ・お題は「真言・祭文・祝詞の唱え方」です。

今まで、色々な祭文・真言・祝詞などをこのブログを通して公表・紹介して来ましたが、よく考えてみますと、唱え方自体をまったくと言っていいほど紹介していない事に気が付きました。

片手落ちです。

申し訳ございませんでした・・・。

では、そういうわけで今回は唱え方をメインで紹介します。

さて、唱え方ですが一般的・基本的には一定の調子で唱えていきます。

ただ、各地域の方言や各宗派ごとの読みグセなどがありますので、この原則も場合によっては合わない事もあります。

それと、何故か日本では海外の魔術関係の訳書を始め、陰陽道系の次第書、密教系の行記などの儀式の構成・マニュアル本では、まず出ていない・記述されないことがあります。

それは基本的には神仏への法要や祭儀においてはBGM、つまり音楽の流れる中で行うのが最上と言う事です。

ただ、音楽の流れる中で儀式を行うには、近世まで演奏者を揃えられるある程度の組織か金銭的に裕福な個人位しか事実上、不可能な為に書物から除外されるのが、通例になっています。

それ以外にも、良い儀式へと音楽を利用する場合にはある程度の儀式家の音楽的なセンスがいりますし、音楽の進行と儀式の進行を合わすために演奏者と儀式の祭司者が日頃から練習していませんと無理な為もありますし、何よりも良い演奏者と良い儀式家が揃うのがまず無い為に省かれてしまうのでしょう・・・。

そういう意味では、記述されないのもしょうがないのかもしれません。

ちなみに、神道系の儀式ですと雅楽の「越天楽」、西洋魔術では映画スター・ウォーズで有名なホルストの楽曲「惑星」が現在、良く使われます。

勿論、いくらBGMが鳴り響こうとも唱えるスピードは乱してはなりません。

では、今回のブログはここまでです。

今回もご覧頂きありがとうございました。

それでは、また・・・。

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2008年1月29日 (火)

魔力の増強

どうも、こんにちは、皇悠です。

お元気ですか・・・。

さて、明日は下弦で、己巳で弁才天様のご縁日ですね。

お近くに弁天堂などのお祀りされている所があれば、良い機会ですのでお参りされてはいかがですか。

さて本日の議題・テーマは「魔力の増強」です。

魔力、正確には魔術的能力。それ自体の質的向上や術のレパートリーを増やすのを別にして、単純に力を増やす・強めるだけなら簡単です。

体を鍛え、筋肉を増やせばいいだけですからね。

修験道の山行は殆どがただ真言・経・祝詞などを唱えつつ歩くだけですし、これからシーズンですが四国のお遍路も基本的には寺から寺へ歩き回るだけです。

礼拝行で有名な五体投地は全身を使ったスクワットですね。

基本的・生理的には、上記の行による幻視・霊験は全身を動かし筋肉疲労から脳内麻薬が誘発し、それによる脳の機能変化による知覚変化がその正体だとされていますが・・・。

まあ、霊験を何をどう定義・説明されてもいいのですが、これらの行がとにかく身体を使うモノには違いありません。

それ以外にも、各宗派の入門時や総仕上げの行、例えば天台宗の回峰行や求聞持法、密教の四度加行、日蓮宗の水行などもそうですが、根本的基本的には長時間or長期間の間、ずっと行を課せられます。

これらは、基本的に祈祷・行をするうえでの必要な体作りです。

ぶっちゃけ、「神を仏を見ました・願いを伝えましたので、それで終わりです。」ではすまないのです。

見える・聞こえる神仏と交渉し、納得していただき、場合によっては詰問し、取引し脅さなければなりません。しかも、その間ずっと見えて・聞こえていなければなりません。

時に、祈願中に逃げられる事もあります、ほんの一瞬ほど気をゆるんだだけで去られること・見えなくなることもあります。

「傍から見ると、ただ経を読んでいるだけとか、訳の分からない一人言に一人芝居、暴れているだけに見えるので可笑しいものですが・・。」

ちょうど、これらの神仏が見える状態・トランス状態はPCの電源をいれ、ログオンしている状態でしかなく、「その状況で如何に上手くやるか」、これこそが技量・経験・学識の差が一番に出ます。

しかし、それ以前にPCの電源が入らない、ログインできない、ログインしても短時間しかいられないのでは話になりません。

そしてこれらの能力は、基本的に訓練量・体力に比例します。特に、どれだけ長く深く神仏と関われるかは体力次第です。

それなりに学び・倣い始めた頃は筋トレの日々でした。今から考えると懐かしいです。

合計一万回腕立て伏せをしなさい、今から約一キロのトラックを十周して来なさいとかですね。まだ十代の運動嫌いの子供でしたから効果はすぐに出ました。

そのお蔭様で、最大2時間のフルトランス状態を出来るようになりました・・・。ありがたいことに・・・。

さて、この体力をつけることの重要性は、実は明記しているのはオリジナルではありません。

同じようなことを、アメリカのフェミニスト派の魔女スター・ホークなども言ってます。彼女はその意見をエコロジ-風に記述してますが・・・。

また傍証で西洋の達人A・クロウリーが登山家で、M・メイガースがボクサーであり、彼らが人並み以上の体力を有していた事などがあげられます。

当たり前ですが、体が弱いと魔術に限らず、何事も不利です。

病人が神仏を知覚する事や超常現象を誘発する事は生理的・原理的に十分ありえますが、それはまぐれ当たりの偶然でしかありえません。

それをある程度は随意かつ任意に出来るようになるには訓練と体力が、やはり要ります。

最初はこのところが実のところは気に入りませんでした。色々な呪術者の伝記に次第、経典、魔術書に小説や漫画、アニメの中では呪術、祈祷、魔術をマスターするのに筋トレや運動能力が必要なんて出ていませんでしたから、反発もしました。

今から考えると無知で馬鹿な子供でしたね。

さて、上記の知識がなく運動嫌いな人、筋トレ・運動をしていても体力がない人などは食物・薬物系のハーブや漢方薬&スパイス、場合により非合法のドラックなどに頼ります。

しかし、これらのモノもある程度はブースターにはなりますが、やはり基礎的な性能面の体力にその効果は左右はやはりされます。

アントニオ猪木氏のいう「元気があれば何でも出来る」は何故か祈祷や呪術面でも正しかったりするのですね。

さて、本日は今までこういったオカルト技法では語られない、実際面を記述してみました。

お役に立てば幸いです。それでは、また・・・。

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2007年12月 3日 (月)

結界 空の境界その1

今晩は、またはお久しぶりです。皇悠です。

さて、昨日は「空の境界」と言う映画をみまして、一つ疑問に感じました。

よくお話で、小説・アニメ・映画・TV・漫画問わず術者が何の結界、聖域を作らず・整えずに術を行使してますが、どうなのでしょうか・・・。

少なくとも、知る限りは、前段階の祭儀・祈祷をしているか、不断の日々の行や渡りの付いている信仰する神仏の加護・契約でも無い限り、場を作らずに術式が作用することはないのですが・・・。、

しかし、そういう場面は何故か殆ど出ていない・演出されていないのに、いきなり呪句を唱え、印や法具を振り回して験を誘発しているのですから凄いモノです・・・。嘘、お約束と考えればその通りなのですが、ならば、わざわざ実在のモノを誤用する理由がわかりません。もしかして、あまり知られていないのでしょうか・・・。

本当に不思議です・・・。

たしかに、結界や聖域の必要性を分からずに儀式・祈祷を行い、験を得られないという当たり前の事柄を知らず、徒労を繰り返す方・例をよく見かけますが・・・。

元来、霊験を起こすにはある種の場が必要ですが、その状態は日常の意識状態と違う為、容易には制御・統制できません。

その為、鍛えられた精神・強烈な目的意識、統制しうる上位者の来臨、危険を防ぐ保護具などを必要とします。

極端に言えば、天使を呼ぶ儀式で死んだはずの祖父が来ることもあります。

小天使を呼ぶ儀式で、何故か青緑色の森の精霊が来たことがあります。

あの時は本当に・・・参りました。

さて、話を戻しまして、その為、少しでも成功率を上げるために術者は障害になりそうなモノを取り除いた領域、俗に言う聖域・結界を作り、その中で術を行使するようにします。

そして、よく知られている西洋魔術のLPRB、物見の塔、暗黒神殿等の儀式はその為にある儀式です。

しかし、東洋系の術ではこういう儀式はまず教えていません。不思議と・・・。

世の中、不思議なことばかりですね。それでは、また・・・。

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2007年10月13日 (土)

視覚化・幻視化、そのⅡ

今晩は、皇悠です。

今回は、またまた、視覚化・幻視について書きます。

さて、御覧の皆様は、幻視・霊視・視覚化ちゃんと出来ますか・・・。

皇悠は出来ませんでした、そして、幽霊や精霊を神仏を明確に見れる人に憧れを持っていました。

そして、そおゆう人はどの様に見えているのか気になっていました。

それがこの妖術師への道を歩むように導かれた原因の一つだと思います。

さて、ここから、その幻視・霊視・視覚化がただの空想・脳内イメージ・記憶の再現なのか、

それとも、正しく幻視・霊視・視覚化をされているかの判断基準を以下に書きます。

以下のものは正しく幻視・霊視・視覚化されているものの具体例です。

1、見えているものが、映像で言うところの実写版でありアニメ・絵画・漫画などでない。

2、見えているものが、話す・動く。その内容が後で幻視者がチェック・再現できる。

3.、その顔、服装、持ち物が時間・日・季節などによって変わる。

4、その指示に従うと良い結果、発展がもたらされたことがある。

5、時々、音信不通になる。

6、仲間やより上位者を連れて来たり・繋ぎをとってくれるが、それ自身に苦手なものや敵対者もいる。

7、大体、一定の性格・姿である。

8、背景・光背などが、微妙にかわる。

9、その具体的な大きさ・形を言える・書ける・示せる。

など、です。

逆に、言えばこうならないものは、ただの自己暗示・空想・妄想の可能性が大きいですね。

恥ずかしい話ですが、皇悠自身が初期に見ていたモノはただの記憶の映像の再現・つまりは空想が多く、視覚化ですらなかったものでした。

ちなみに、これらを質問して答えられない霊能者は偽者だった例が経験上何件かあります。

さて、今回の内容は出来る人から見れば、当たり前の内容ですがあまり、表だって語られていないのでこのブログで、書いてみました。

それでは、また・・・。

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2007年10月 9日 (火)

視覚化・幻視化について

今晩は、皇悠です。

さて、このブログを見る人は、特に何度も見る人は多分、過去に修行を何かした・現在もしている人だと思いますが、今日はそういう人への朗報または耳に痛い話をします。

さて、魔術・呪術の訓練を始めて悩むのが、いかにして霊的な存在を見るかですね。

つまり、本日のお題、視覚化・幻視化です。

霊的存在を音・匂い・味などで知覚するのに比べ、情報量が圧倒的に違いまして、その有用性は段違いです。

人の脳は一度に何万人を視野に収め識別出来ます、しかし、味・音・匂い・感触を一度に何万も知覚しても識別出来ません。

ここからも、幻視が幻聴・幻臭などより有用な理由があります。しかし、我々の脳・身体はそのポテンシャルは莫大でもその力は危険で、かつまたそれなりの器を必要とします。

それは、丁度、複雑で高度な機能を持つソフトほどそれに見合うハード・場所・環境が必要なのと同じです。

そして、それが揃わないと母体である身体・精神が壊れます。それゆえに、殆どの人は本能・潜在的にその力を抑制・減小させます。望もうと望むまいとです。

だから、誰でも霊視・幻視する能力は内在していても、偶然的にまぐれでしかその力が発現しないようです。

その為の条件・準備・環境・性質などがあるのです。

そして、これこそが、混沌魔術の言うサイキック・センサー、心霊検閲、カスタネダの言うトナールの質の問題です。

そして、遥か昔から新弟子が入門する時に必ずされる試験、上に進むために過程を厳守させる必然性、師が弟子に非情な苦難を課す理由です。

もちろん、金銭目的の試練、歪んだ権力意識、グルイズムの悪癖などもありますが、どんなに慈悲深く、最善な師だろうとしても教える前なり、教えている時なり、最後の教えを伝える時なりにテストを課します。特に、それが高度・有用・強大の時ほど試験は苛烈です。

伝承しえる器か否か調べる必要がある為ですから・・・。

万が一、準備が出来ていない者に伝えるとその者が被害を被るだけでなく、時に師まで害が及ぶからです。

オープンにどんどん伝えたクロウリーの弟子、特に初期メンバーはかなり悲惨な目にあっています。ろくに訓練をしていないスペアのオカルトマニアの友達は人工精霊を見て、発狂・逝去されました。

なんか、「訓練しろ、勉強しろ、考えろ馬鹿・身の程を知れ。」という処世訓が自分で書いてて読み取れます。面白いですね。

ちなみに、個人的には上記のスペアの事件みたいなことがあり、つくづく人の器の重要性を知りました。閑話休題。

さて、ただ幸いな事に、ほとんどの人は心霊検閲の前に敗れるので、幻視化・霊視化はまず出来ません。

当たり前です、生存本能ですからね、ようするに。

サイキック・センサーの大本は・・・、何よりも発狂せず、衰弱せずにまともに生活するために、存在する為にそれはあるのですから・・・。だから、生半可の意志・願望では勝てませんね。よほどのセンス、意志がないと無理というものです。皇悠はちゃんと、正しい視覚化が出来るまで三年近くかかりました。

さて、それゆえに、生存本能の弱い時に心霊検閲の力は弱まります。特に、臨死状態・仮死状態は霊的体験をしやすく、そしてその例は腐るほどあります。

一つ、二つは聞いた事ないですか・・・。

さて、本日は、少しぼかして書きました、術者の方ならここから一つの原理を読み取れるように書きました。お役に立てば幸いです・・・。それではまた。

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2007年10月 7日 (日)

LPRBについて

「祝・ハンター×ハンター再開」。休み長いよ、先生・・・。

さて、今晩は、似非オタクの皇悠です。気を取り直し、本日のお題はLPRBです。

LPRB、正式には、レッサー・ペンタグラム・リチュアル・バニシング。日本語だと小五亡星儀式退去。

主に、自己および場所を浄化、調整するために使います(使われます)。多分、殆どの魔術修行者がその初歩の初歩で学ぶ作法、技術ですね。

視覚化・幻視訓練・四大の区分と体感・西洋系チャクラ開発の中央の柱・呪文詠唱など様々な技法の前段階・準備段階として位置付けられる、技術です。

「アテー」から始まり、「輝きたり」で終わるこの儀式は形式的にはキリスト教系の十字を切り、大天使の来臨・加護を祈り、四方に星型の光・炎を置き、幻視するモノです。

どう考えても、これって、宗教の祈りです。つうか、黄金の夜明け自体が当時のカルト、一新興宗教の一種です。

誰も言わないから、皇悠はここで明示し言いますが、黄金の夜明けをはじめ西洋魔術も一つの信仰体系、宗教です。

霊的存在の信仰なしにその体系は存在してません、ただその信仰者自体が自らの力で存在を見よう、聞こう、対話しようとしているのが他宗派との大きな違いでしょうか・・・、それと、その汎神論的唯一神への信仰があらゆる信仰に活用出来るところも大きな違いですね。

また面白いのは、あのキリスト教への敵対心の塊のアレイスター・クロウリーですら、初心者にユダヤ・キリスト教系の大天使の名前を連呼するこの儀式を教えていた。この事実がこの儀式の有効性を傍証しています。

そして、何故大天使なのか・・・。

ここに西洋魔術の業があります。

黄金の夜明けの結成された、当時からエジプト・ギリシア・ケルト・北欧の神話、妖精の民話は知られていました。しかし、その神話の神々の残虐さ、人への・力なきものへの悪意は神話・民話から読み取れます、ひどい場合、神々の善き信者・従者すらもてあそばれ、殺されます。

よって、ゲーティアをはじめ悪魔は論外としても、黄金の夜明けの人たちは儀式の守護者として少なくても神・主の名前に力に従うキリスト教系の大天使をもってこなければならなかったのでしょう・・・。

東洋の仏教の観音のような慈悲深く、害のない存在など西洋の宗派・神話・民話においていないのですからね。下手をすると、守護者に崇拝対象に殺されるような世界なのです。業深く怖い世界ですね。メイザース、クロウリーなどろくな死に方をしていないのもわかる気がします。

さて、少し脱線しましたが、この儀式、バトラーの魔法修行あたりから日本の魔術の実践者の定番となっていますがその価値は未だ衰えず、場合によっては増しています。

特にスピリチュアル系のエネルギーワーク・ヒーリング系においてはかなり有効です。

つうか、なんでスピリチュアル系の人って、ああ弱々しいのかな、あんな人達にエネルギーだ、ヒーリングだと受けてもその人の問題・困難は越えられん気もするのですが・・・。

さて、本日もなんかまとまりの無いものになりましたが、今日はここまでです。それではまた・・・。

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2007年9月28日 (金)

懺悔文

こんばんは、皇悠です。

今日は、愛用している祭文を一つ紹介したいと思います。

それでは、その祭文とは懺悔文のことです。

内容は、

我昔所造諸悪業・皆由無始貧瞋痴・従身語意之所生・一切我今皆懺悔。

読み方は、がしゃくしょぞうしょあくごう・かいゆむしとんじんち・じゅしんごいししょしょう・いっさいがこんかいさんげ。

多分、この言葉は、一般の仏教の諸派の信徒用の日常用経典には、大抵、出ていたりしていますが、これを唱えているか否かで、その験、効用、そして何よりも速さが違います。

意味的には、「唱える者の遥か過去からの諸々の罪・穢れ・業を自覚し、反省し、改めて、精進します。」という事ですね。

これは実は、祈祷時に神仏に対して「今はこのようなお願いを頼むような状態でいますが、いつの日かは、ちゃんとしたより良い状態・存在になるので、今回はよろしくお願いします。」という意味に繋がります。

なんか、無理に拝み倒しているみたいですね。

しかし、懺悔文を唱える必要のない人は、神仏から見ると何の罪、穢れ、悪業のない、正に欠点のない人・完璧超人なので、神仏の助けが要らなく自分で何とかできる人・だから自分でなんとかしなさい。

と言う事になりえます。

そう判断されると、祈祷している意味が無いので、予防策的な意味も含め唱えます。

また、祈祷している時点で、

祈願者・その人に何かまずい所が、なにかしら往々にしてある訳で、そこを改善しないと、例え願いが成就しても元の木阿弥になると神仏が判断され、そして、神仏は叶えていただけない。

と言う事があるので、それも踏まえて唱えます。

何よりも、ちゃんと、祈願なくても懺悔文を日々、唱え、実行している人は自ら工夫して悪い所を直し、色々と向上する者です。

さて、今回はテク二ック面を前面に出して書きました、いかがでしょうか・・・。

楽しんでいただけましたか・・・。

それでは、また次回をおたのしみに・・・。

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2007年9月24日 (月)

悪魔召喚について、そのⅡ

こんにちは、皇悠です。

少し、日にちが空きましたが、悪魔召喚について、続きを書きたいと思います。

さて、この技に初めて挑戦したのは、もうかれこれ10年以上も昔の事です。

当時のオカルトマニア、いや、ただの霊能少年、と言っても高校生だから少年というより青年とすべきですかな・・・。

兎に角、オカルト、特に西洋系の呪術・魔術にカブレ、団体に所属し、日々瞑想修行に儀式の実践、公案系の思考訓練とそのレポート、必須文献の読破などに明け暮れていた皇悠は、団体の代表というか、顔というか創始者というか、とにかく組織の上の人がゲーティア・悪魔召喚出来るというのを聞いたのが興味を持ちだしたのが、そもそもの切っ掛けでした。

ちなみに、後にこの方の個人的弟子の一人となり、団体・組織では教えていない師の師匠伝来の教え、またオリジナルの技術群の一端を継承・学ぶ事になります。

この辺のことは、また今度でも書きますね。

・・・一応の補足です。知っている人は知っていることですが、この現代の日本に西洋系の魔術だの呪術だのを研究し、実践し、そのあげく希望者に、お茶やお花のお稽古事より安い月会費で・・・これらは大体最低で月3000から10000円しますが、・・・教えてくれる組織・団体があります。

ちなみに、当時皇悠が入会した時は、入会金なしで一ヶ月驚きの500円ポッキリでした・・・。

そして、興味半分で国外問わず関連文献を集め、翻訳し読破し、分析し、儀式を調べ始めました。

勿論、この当時はインターネットなんぞはなく、人が情報を得るには多くの人はTV、ラジオ、新聞の三大メディアか本、雑誌そして人に聞く位しかありませんでした。

まして、悪魔についてなどは・・・・、

今でこそモチーフとして、

流行の俗に言う秋葉系のゲームやファンタジー小説、アニメ、漫画などですら引用・流用・誤用され、とにかく探しやすくなりましたが・・・、

本っ当ーーーーーに、大っ変っでしたぁーーーーーーーーーーーーーーーーーー。

今の海外用の翻訳ソフトを使い、海外の文献・相手にすらインターネットで楽々と情報を求め、集める若造・小僧が本当に憎い。

ちっくっしょっうーーーーー。

すみません、この事に関しては本当に大変な思いをしましたので、普通ではいられません。(笑)

さて、話を戻して、そんなこんなの苦労の末にとりあえず流れと仕組み、そしてそれなりの術式の目安がたち、今から考えると情けない出来の儀式を組みあげ、挑みまして、なんとか対象の悪魔との対話をはたして終えました。

情けない、初めてのお使いならぬ初めての悪魔召喚儀式は知りたい人はいないと思うので、今回は書きません。

希望者もいないと思いますし・・・。

とにかく、この時に悪魔召喚が中世から現代まで残る意義・理由を喜びと共に心から納得しました。

もし、このブログを読み、挑戦しようとする人がいたら本当にお勧めします。

別に、現世的な目的がなくても彼らと対話する事は、それだけで良い経験・体験になります。呼び出し見てるのは、大変ですが・・・。

それでは、今日はここまでです、では・・・。

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2007年9月22日 (土)

悪魔召喚について

さて、西洋魔術について学び始めると、必ず一度は考えるのがゲーティア・悪魔召喚。

人によって、そのスタンスは色々。

インナーライト系ならカルマを汚すから駄目、殆どの魔術師なら難しいから薦めない、アブラメリンを重んじるなら聖守護天使との対話後からやるモノ、西洋のオカルト史に詳しい人ならこれこそ魔術の王道、と色々と考えがありますね。

しかし、皇悠的には、やりたい人はやって良いと思いますが・・・。

元々、悪魔と区分されているモノ達はただ単純にキリスト教と戦い負けて、

貶められただけの存在です。

悪魔より怖い神は世界中にゴロゴロいますしね。

それに、もし、中世ヨーロッパに、現代の日本の僧侶・神主がいる・行ったら、その人はまず間違いなく、悪魔を信じ、従う魔女・悪魔主義者として拷問の後に火あぶりでしょう。

それに、殆どの人は幾ら祈り、呪文を唱え、儀式をしても時間と体力、そしてお金を無駄にするだけですからね。

何故なら、個人的な経験上、確かに、彼らの力は効きますが・・・。

しかし、その力を呼び出し、制御するには、カルキュラム的な訓練のステップにより発現する、ある種の相性または親和性の天稟が必要です。

つまり、ない人は幾ら行じても徒労に終わりがちです。

しかし、これを生来的に持っている人がいるから、この技法は西洋魔術の中で数少ない特に訓練なしにでも出来るモノとして誤解混じりに認知・知られ広まっています。

そして、何より、彼ら悪魔の能力は現世利益に直結している為、完全にマスターしているのならこの技法だけで十分に満足しそこで辞める人も多くいて、自らの思想・体系・技法を広めたい多くの魔術書の書き手は例え出来る人でも、欠落して記述しがちです。

また、有名な西洋魔術師は皆こぞって挑戦し、成功なりしていますから、性質が悪いですね・・・。

こういった現状は個人的に手に負えず悩ましい限りです。

それでは、今日は、ここまで・・・。

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2007年9月20日 (木)

日拝そのⅢ

さて、今日は日拝を野外でする場合の諸注意などをつらつら書きます。

基本として、常識的なことは守りましょう。

例えば、

1、興が乗った・気分が高揚したから、深夜に、夜明けに大声で祈った。しかも、半径100メートルに民家・人がいるのに・・・。

2、体調の悪い・風邪などの日、二日酔い時に行う。

3、相手への敬意、100歩ゆずって太陽への畏敬の念が無いのに行う。

                                             などです。

こういったことはやめましょう・・・・ね。

2は当然として、1は師によっては破門モノです。

こうゆう1の人は理性を忘れ、すぐ暴走・発狂・バーサーカー化するので一部の例外者、霊媒系以外は厳しい師には切り捨てられます。

また、3も論外です。相手に失礼ですから・・・。このブログを読む人で、その相手が何を指すか判ると思うのであえて名前は出しませんが・・・。

もし、それが実感として判らない人、その人の術はありがちな自己暗示・自己欺瞞系の可能性が大です。

特に、西洋魔術系は初めは暗記と暗示から始まり、そこから共時性的現象操作・気功で言う特異能力の発現に向かいますが、その為のノウハウ・条件の構成法・また発現時の危険の予防&対処などを知る人は日本にまずはいません。(残念ながらも・・・)

その為、特に、独習者に多いのですが、自己暗示・自己欺瞞系で道が止ってしまい、

東南アジアのタンキー、ハイチのウンガン・マンボなどのシャーマン系では当たり前の病・身体の自己治癒すら出来ません。

それは、あくまで、暗示・欺瞞は所詮、個人の範囲に留まり他者に効果を及ぼせない為に、事実歴史上の西洋魔術師の殆どが、出来ても体の治癒ではなく心のヒーリングレベルです。

すこし、脱線し過ぎました。

日拝に話を戻して、

この行法ではイメージよりも自然の太陽の光を浴びるのが大事です。

そのため、もちろん、光を妨げない高台や遮蔽物のない場所で行うモノですが、

意外に、この日本という国土では平地が少なく、夜明け・日没の水平線からの太陽光はまず無理です。

その為に海平線や山すそ、ビルや樹木の間から太陽を仰ぎ見る形が自然と多くなります。

そして、ここが落とし穴でして、まず西洋魔術においての日拝はエジプト風です。

つまり、想定されれている情景はエジプトの水平線が見える砂漠、一面の平野、岩石のゴロゴロある岩山などを背景として行うのがスジですよね。

しかし、そこまで、視野にいれて海外でも指導している処も少なく、祈りの言葉はエジプト風、やってる情景はエジプトの歴史上ありえない光景の広がる現代の日本・その国の風景というチグハグな事になります。

この事を、イギリスの魔術師に指摘された時は、本当に私は顔から火が出るかと思いました。

その為、注意として、日拝の使用時においてはクロウリーやその他の人の祈りの文句を参考にしつつを改変して祈りを捧げています。

さて、参考になりましたでしょうか、今日はここまでです。それでは・・・。

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2007年9月18日 (火)

日拝そのⅡ

日拝。

基本的に、太陽の光を浴びつつ、太陽神に祈る参拝の一種ですね。

日本の古神道系だとアマテラスオオミカミこと天照大神、GD系だとエギプト神話のラー、アハトール、トム、ケプラの四相一身の太陽神に祈ります。

効果として、

精神・身体の活性化・特に光量不足による鬱病の予防。

日常的礼拝による生活のリズムの安定化。

時間的変化による心身・精神の個人レベルのクセ・特性の認識。

環境・状況変化の把握力の向上。

ヒーリング力の拡大。

簡単な憑きモノのセルフ除去。

免疫力の向上、「日拝を行い癌が自然治癒した例があります。」

などが上げられます。

何より、あまりない・上手く条件が揃わないと見れないのですが、

澄んだ夜明けの白金と黄金が混在する空の美しさ、

一面に染め上げる紅蓮から紺碧への夕暮れのグラデーションなどは何度見てもいいモノです。

これが楽しみで、この行法を継続する人もいます。

初めの内は、朝起きるのが辛いですが、一週間で慣れますので、未だ経験のない人はお奨めです。

それでは、また次回・・・。

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