戯言

2009年9月28日 (月)

何だかなぁ~。

御覧頂きまして、有難うございます。

妖術師と云うよりも、近頃はまったくのプリーチャーかエヴァンジェリストな皇悠です。(因みに、エヴァンジェリストと言っても皇悠はMac使いじゃありません、閑話休題)

え~と、お気楽&変なサービスをしがちな皇悠は、当ブログの記事に関連しての事なら、それなりの範囲・許されている内容で質問への返信や雑談でひょいひょいとコメント欄で記述してますが、どうもこういうケア(?)は相手を腐らせるから辞めた方が良いと敬愛してます方から忠告されました・・・。

全くに確かにその通りで・・・すよね。
歴史上、多くの行き届いた優れた師や良く出来たテキストがありますが、皇悠も自戒してますが弟子・学徒は屑・間抜けが呆れる位に量産されてます・・。

例えば空海さんに御釈迦様、孔子にキリスト・・・、間違い無く彼等の弟子は存命中に少しでも教えを受けた方々も含めれば何万・何千単位で居たはずなのに師に並んだ方・正しく能力的に継承したと言え方はいません・・・。良いところで学び取ったのは一割なんて例が殆どです・・・。

皇悠自身も恩人たるK師に神道系の先生の教えを受けていながらも両氏の各一割位しか修得して無い筈ですし・・(^_^;)。
正に不徳の致す所で、このブログも実際的には皇悠流以外の何ものでもありませんし・・・。

だからこそ、「所詮どんなに尽くしても学ばないのだから、辞めたら・・・」と面と向かって言われました・・(苦笑)。

まあ、有望株な方が出たらこのブログは止めるかも知れないでしょうが・・・、現在は弟子も無く皇悠が死んだら失伝しますし、何かの時の備忘録でもあると云う事で納得して頂きましたが・・・。

こういう苦言を言ってくれる方は貴重です・・・有難い事でございます。

さて、今回の記述は心ある方にはキツい内容ですが、何かの参考になれば幸いです。

では、閲覧頂きます方には全ての良き事が雪崩の如く起きますように・・。皇悠より。

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2009年9月26日 (土)

不可知または土台以前の問題

御覧頂きまして、有難うございます。

どうも、妖術師の皇悠です(・ω・)/。

さて、今回は呪術・祈祷に関わらず神仏に向き合い、魔術・宗教体系を日々行い続ける上での前提の話です。

大ざっぱに云うと「こんな方々は無駄・才能と言うか素質が無いので諦めろ!」の話です。


ただ、今回の記述・話は何故そうなのか理解不能・不可知な方もいます。
そういう方々には説明しても絶望的に無駄なのでしませーん、もうね・・・何というか説明しても見栄で理解した振りはするは、論破・約束しても改善しないので・・(^_^;)。
つうか、自分で理由・意味を見つけ出せない・気づかない方だから理解不能な訳ですが・・。

まず、汚い事に気づかないヤツ、掃除嫌いは駄目ですね!

完全なケチも社交的なヤツも駄目!

本嫌い・新しモノ好きは本当に死ね(笑)!

取捨選択と言うよりも先ずは物を捨てれない方も無理。

効率重視や安心&確実さを求める方もまず駄目ですなぁ~。

さてまだまだ在りますが、何というか信仰者として、実践者として見た際に偏見や思い込みはあると思いますが・・、とりあえず上げた上記の要件を複数保持している方は残念ながら向かないと言うか、皇悠の知る範囲で高確率で挫折します。


まあ、それぞれの流派・宗門に依って修道体系は勿論違いますが、上記の要素の強い方は本当にどの体系でも大事(大変)だと思います・・。

もうね、とてつもない枷・重荷ですもん・・(≧▽≦)ゞ。

さて、今回は正に雑話ですが、その人がどの程度なのかも判る基準にも使えますので、何かの参考に成れば幸いです。

では、閲覧頂いております皆様には全ての良き事が雪崩の如く起きますように・・。皇悠より

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2009年9月20日 (日)

ネットの害

御覧頂きまして、有難うございます。

どうも、多分日本ではタダ一人の妖術師と名乗り上げる、奇人変人こと皇悠です。

さて、今回はインターネットによる情報革命の害についてです。


まず、ネットの最悪な所は、あまりに安易に関連した多くの雑多な(ほぼ八割は屑な)情報しか無い事です。
特に呪術・祈祷関連に関しては基本的な用語の説明や素人の体験談はあっても・・・ですよねヾ( ´ー`)。
例えば、いまだに五体倒地系の最上位の技法は中沢師の虹の階梯のモノですがネット上ではあまり出て無いです。


次に情報を得た(誰かの文章を読み、選別した画像に編集された動画を閲覧した)だけで、理解した気に成り易く、自ら試し体験・検証しないままで、未消化しがちで・・。だからか、大抵の方はちょっと突っ込んだ質問をしただけでボロボロとメッキが剥がれます。
その場所に行かないと見えないモノ、体験しないと話せない事は何でもそうですがあります。

また、ネットの情報はキーワードを知れば誰でも得れる程度の知識しかないにもかかわらず、そのキーワードをちゃんと理解してないとネットで得た情報で間違いを修正するどころか更に拡大してしまう点です。(一部で言われるサイバーカスケードやコメントスクラム等によく見られます現象です)

更にコピー&ペーストで文章・記事が楽に作成しえますので、結果的に類似なモノばかりがネット上に増え易くなる事です。

しかも、それであまり知られてない専門的・最先端・異端の説等が広がれば良いのですが、まずは広がりません・・(*゜▽゜ノノ゛☆。

それはネットに記述し表現するにはその人が多くの先行知識・経験による体得・理解が必須で、成し得た方はそれが如何に色々な意味で難しいか知るが故に書き込みやアップを諦めるのですよ!文章だけでは伝達不可!更に理解しえます方は少ないから誤解が広がるだけで意味があまりに無いと判るから・・(ノ_・。)。
だから、当ブログでもまずヒント位にしか出してません。自身で肉付けし色々と集めて試行錯誤しない方にはあまり教えても意味が無いので・・。

さて、何故かこのまま自分語りに成りそうですので、今回はここまでです。

では、何かしらのお役に立てば幸いですが・・・。

閲覧頂きます方には全ての良き事が雪崩の如く起きますように・・。皇悠より

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2009年7月14日 (火)

ニコ厨の日

いーた! いーた! いーた! いーた! いーた! いーた!
(笑)

ありのまま今起こった事を話すゼっ!

オレは、頼んでいた二冊の本(読んでボロボロになった無の書、性と呪殺の密教の替わり)を受け取った帰り道で、久し振りに蝉丸Pのサイトをチェックしたんだ!

そした、そしたらアレが、奴がいたんだ!

まさか、あのガンダム等でいつも少年の夢を作り上げるバンダイがっ、ナムコがっ、(・_・)エッ....?あんな事をしていたなんて・・・・(泣)。

全年齢対象ゲームのアイマスにっ!

Y(>_<、)Yまさか、まさかの男の娘(女装少年)をヒロインにしていた!なんてぇぇぇぇぇぇ\(゜□゜)/。

ひどいですよ!(笑)(もっとヤレ!(b^-゜)gj!)

いゃあ~、久し振りに大笑いさせて頂きました。

さて、その一笑い後に蝉丸Pのブログを見てから見ようとして残してた動画を見てから、更に笑ったゼ!(=^▽^=)

シーダPがはたらくクルマに続く名(迷)作をアップ/リンクしてたんだぜっ!

ニコマスPのひどい系(あの楽器/ケツドラムミックスに、ぎゃわず・わかまら・未来派等)も楽しめる皇悠には御褒美でしたね!

いゃ~ぁ、いい事件でした!

一昨日・昨日と鎮守の杜さんに寄って際に参拝した明治神宮の対応でちょろっと不快だったのも、スッキリしました(個人的には要らない写真付きで御朱印が五百円はどうかと感じます・・・(*^ー^)ノ)

さて今回、女性閲覧者には御不快かも知れませんが、こういう小学生レベルの悪ふざけが大好きなので許して下さいませ!(≧▽≦)ゞ

次回作は真面目にやります。

では、閲覧頂いてます方々には全ての良き事が雪崩の如く起きますように・・・。

皇悠より。
(ちなみに、蝉丸Pの今回の題名は孫子からだと思いますれば、神速ではなく拙速だと思います・・・(^_^;))

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2009年7月 8日 (水)

ある行者の復活

御覧頂きまして、有難うございます。

どうも金毘羅/稲荷系の皇悠です。

さて、約一年前にある不動行者がネット界より撤退した記事を書きましたが、実はその方が別の形で復帰されていた事が分かりました\(^_^)/。

正直、嬉しいッスよ~(≧▽≦)ゞ。

何と云いますか、ネット界、特にブログ等では呪術的・祈祷系のモノはチョー極少数派ですから、たまにやっててイヤになります(`∀´)!!

そりゃあね、ネット上には下手クソな次第や教義のコピー&ペースト、相談・依頼窓口、祭や祭儀の感想文なら腐るほど有りますよ!?

でも、そんなのネットが広がる前から古書店・本屋に行けば、幾らだってありましたし、散々今まで見て得てきました。

何と云いますか、利害得失・上下関係等の無い今を生きる実践者の話・心に触れられるのが良いのです。
多分、皇悠は死んでもこの方に会う事は無いでしょうが、某アール師が末長くネット上に居られる事をお祈りいたします。

さて、今回の記事は備忘録・個人的独り言です。

そんなの訳で、お付き合いさせてしまった閲覧者には全ての良き事が雪崩の如く起きますように・・。お祈りいたします。

皇悠より

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2009年6月24日 (水)

ヤバい霊能者・団体の見分け方

御覧頂きまして、有難うございます。

近頃、何故か記事をアップするべきな所をコメントの返信ばかりしている管理人、皇悠です。

さて、今回はヤバい霊能者・団体の把握、見分け方・識別方法について記述しますね('-^*)/。

まずは、西洋魔術の黒歴史から、薬物並び性の祈祷・呪術的利用を素人・未熟者に教授・勧めだしたらアウトです。

これらは効果は確かに普通のモノよりは段違いにありますが、基本的には最低限は2から3年間位は基礎訓練が無いですとただの憂さ晴らし、変わった経験で終わります。

やっている間は超人・聖人気分ですが終えれば、相変わらずの自分自身ですから・・ね。

次に、洋の東西を問わずに起きた破壊的な終末論と選ばれた者の新世紀論のセットを謳い出すとアウトです。

これは先のオウム真理教事件にノストラダムスの流行、戦中の神国日本論に、中世欧州の千年期騒動等々、飽きずに人類史で何度となく起きますがどれも無事に終わって、唱えてた方々は恥を晒していますね。

こうした方々をみると新世界が来るまで自身並び信徒達が必ず生きていると何故か確信しているのが皇悠的には不思議っスね。

皇悠は直近で一秒先、一分先、一時間先、明日、明後日、一週間先、1ヶ月先と無事に生きている確信は無いのですが?
また、どんなに素晴らしい世界が来ようといずれは自身は死に絶え、サヨナラするので生きている間は良い環境であれば、正直な話でこの辺の世直し論には、興味がありません。

政治家さんなど有難う&ご苦労様としか思ってませんし・・。

こういう所は魔術や呪術にかぶれ、信仰にハマった弊害かも知れないですね・・?

では、今回はここまでです。

閲覧頂いた方に全ての良き事が雪崩の如く起きますように・・。

皇悠より。

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2009年6月19日 (金)

探求と加護

御覧頂きまして、有難うございます。

どうも、皇悠です。
さて、今回は探求と加護と題しまして、色々と考えてみます。

え~、ご存知かと思いますが、皇悠はかなり信仰や魔術修行をやる上で、ハンデのある環境下で生育しました・・。

また、今のように、全国的な通信販売網やネットなどは影も形も無い時代性もあり、よくよく考えてみますと、あまり良い環境下では無かったのも確かです。

ただ、我流で始めの数年間(十代の前半)を過ごし、黙々と探求・工夫、苦闘の日々でしたが、師と出会い基礎を/から叩き治して頂き(感謝しておりますし、ちゃんと流派の奥義までいかずに基本的な面だけ習得して辞めて申し訳無いとはいつも思っています)、更に神道(神仏習合系)の方面の師にある意味で具体的な型を頂いて今がありますが、しかし二人の師の行恩だけで進ん来た訳ではなく、折々で手に入れた文献や寺社、夢に何気ない他人の話が進むヒントや地図になってま来ました。

これは現在進行形です。

本日も家から徒歩一時間圏内に伏見系稲荷神社を見つけ、占い呪術系の古書店(カモ○○)も発見し、古伝の呪術本などを手に入れました。(財布の五千は消えましたが・・(笑))

そういう意味でたまに、志願者・修行者が師が居ないから道が進めないとか、何年もある段階で止まると言う話をチラホラ聞きますが・・。
しかし、皇悠自身の人生を振り返って見てもたかだか三十年弱ですが、ヒントも無い状態は実感で判りかねます。

まして、無料の情報は携帯という安価な道具(月一万前後で)で溢れる位に、皇悠自身も一翼を担っていますがネット上に公開され、数万円で様々な講習会が全国で開催され、次々と秘儀・古伝が出版され、安価ですぐ入門書が新古書店に流れている現在進行形の日本で地図やヒントは莫大にあります。いい時代です:*:・( ̄∀ ̄)・:*:

百年前ではこんなに技法・体系を比較しうるほどに一個人が手に入れる事など不可能でしたから・・(^_^;)。

だから、真面目に進んでも最終的にはそれなりに自己流でも行ける気がしますが・・。どうでしょうか?

実際、皇悠自身に取っての師は技法の修正や課題を課し、その試験(つらかったですよ(笑))をする方で教えるよりも、やって!知らないのヾ( ´ー`)、あっそう・・の人でした。
やはり、師がいてもしない人は・・ですし!?

では、全ての良き事が雪崩の如く起きますように・・。

皇悠拝

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2009年6月18日 (木)

稲荷・御利益信仰について・・

御覧頂きまして有難うございます。

どうも、皇悠です。

さて、今回は雑談と言うか提案・参考記事です。ハイ!

えっと、今聖地の巡礼というか神社や寺院に参拝に行く旅行がそれなりに流行していますが、いくら雑誌などで「この神様はとてもご利益がある、素晴らしい」とか書かれていても、実際そのお寺なり神社に長く来てる参詣者が貧しかったり不幸だったりすると・・・な気が皇悠はします。

勿論の事ですが、誰だって初めの内は神仏を真摯に頼る際は不幸な境遇から始めますよね、ありがちですが・・・(笑)。ただ、それでも真摯に努力し、日々色々と手を打ちながらも2年、3年と定期的に長くお参りしてるのに一向に状況が好転しないとなれば、可笑しいですよね。やはり・・・。

何事も論より証拠ですが、そういう意味では本や先人がどうこうよりも実際の目で確かめるのも一つの良い手です。

だから、御稲荷様が商売繁盛に良いに言いながら、何時もお金に困っている人を何人も知っていまし・・・。また、寂れたというかボロボロな神社や寺院によくお参りに行ってる人で成功してる人を皇悠自身は知りません。不思議と・・・。

やはり、現世利益が絶大な神社・寺院なら、信者さんからのお布施が沢山あるはずですしね。

逆に参拝者も少なく境内も汚れ、建て直しする事も出来ないようなボロボロだったら、まずご利益はないと見て間違いないのではないはずですが?

何といいますか神仏の名前よりもその場所の佇まいも実は重要です。勿論、成功者が信仰してる神様も気にはしていますが・・・。それなりに個人差や相性はやはりありますが、多くの信者が感謝のお金を出すから神社やお寺さんの施設が立派になるというのもやはり一面の真実ですし・・・。

よくある御利益の本にある神仏が金運に良いと出てるからって、それは実は通う寺院・神社によるとも思います。

更に、参詣者の身なりやステータスも考慮に入れて判断もしています。 勿論ですがボロの服や衣服に興味のない大金持ちや成功者だっていますが、大半は服装にその人の 身分が影響しますし・・・。

こういう判断の仕方をしていくと、驚くほどご利益のある寺院・寺院に出会えたりします。

この辺、少し難しいモノが、何分にも感覚的な話ですからね・・・。ただ、物事を総合的に判断する際の役には立つのでは?と思いまして今回、記述しました。

では、閲覧頂いた方に、全ての良き事が雪崩の如く起きますように・・・。

皇悠より・・・。

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2009年6月16日 (火)

九字の作法いろいろ

御覧頂きまして有難うございます。

どうも、皇悠です。

さて、今回は雑談です。えっと、この日本の沢山ある『呪術』の中でも、最もメジャーなモノといえば『九字』でしょうか・・・?よくテレビや映画、講談や漫画に武術系の古書など色々な所で使われていますし・・・。

ただ、この九字の原型とされる『抱朴子』の『六甲秘呪』は『臨兵闘者皆陣列前行』ですが、密教では『臨兵闘者皆陣列在前』になったり、また陰陽道では『朱雀、玄武、白虎、匂陣、帝台、文王、三台、玉女、青龍』となりますし、実に様々なバリエーションがあります。

因みに法華経行者などは、『妙法蓮華経序品第一』『妙法蓮華経呪詛毒薬』『令百由句内無諸衰患』と、法華経の題目や経の一説を引用・アレンジして使いますね。

ただ、何故か九字をする場合は『九字を切る』と言いまして、これにあわせて刀印で縦横に九回切ったり、決まった図形を描く作法が多いです。

しかし、中国の道教などの刀印を筆に見立て、それで『勅令』などと空に書くと呪術が起動するという考えがありますが、それに弘法大師などが筆で空に文字を書きますと、それが龍になったという伝承もありますので、それらが取り込まれて九字と結びついて『(空中やお札に)九字を書く』というパターンの九字の作法もあります。

また、『九字を結ぶ』と言えば呪(唱える文句毎)に合わせて九つの印契を続けて結びますのもよく知られています。

更には、呪にあわせて決まった運足をする事を『九字を踏む』という言い方もしますね。

往古の術者の想像力・創作力・験を得るための工夫は本当に凄いものがあります・・・。

まあ、現代ではあまり使われない技法ですが、楽しんで頂けましたか?

今回は以上です。

では、閲覧いただいた方に、全ての良き事が雪崩の如く起きますように・・・。

皇悠より。

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2009年6月13日 (土)

えっ、修羅の巷?

御覧頂きまして、有難うございます!

しがない兼業信仰者の皇悠です・・。

さて、今回はつくづく思う所があり、当ブログでもリンクさしております「坊主めくり」の管理人/作者の尊敬し大好きな、ニコニコ動画では蝉丸Pで有名な仁鐵師のブログの近作・僧職シリーズを紹介します。

こうなんと言いますか、信仰心とか崇敬の念とかが死語になり、批判され衰退し始めた日本の専門仏教徒・僧職の悲哀とか現状とかが今話題の婚活に絡めてとてもよく記述されております・・・。

何人か僧を知っておりますが、祈祷師としてどうか以前に大変な環境下で仏門に居続ける事のツラさが判り易く書かれております。
(ノ_・。)

特に他派に比べて神秘だ、即身成仏だ、神仏の加護だのとある種の現世利益・祈祷の凄さを前面に出します真言宗の専門家が暴露した事はとても貴重にも思えました。

これらの記事を読みまして、多分、僧職者を何人か知ると皇悠が勝手に推察してます当ブログの閲覧者の方々の中に(例えば宝尽くし様に新発意様など)も同じように蝉丸Pの記事は「よく書いた/書けてるなぁ~」と思われるかなと思ったりも実はしましたね。(^-^)/

また、なんと言いますか、仏教に限った話ではないのですが、術や教えに法の伝授はこういった伝授される環境・時代性とか教授して下さる方の状況とかを理解した上で受けるべきかとも思ったりもしましたね。

(だからこそ、皇悠を始め亡くなったらしい弟弟子H(彼の献身は当時から素晴らしかったです)などはK師に恩返しではないですが、よくお土産だ、色々な協力をしましたし、次の師ともよく食事などもしましたから色々と伝授してくれた気もします・・・。閑話休題)

え~と、少し話がズレましましたが、色々な意味で現状認識は大事と言う事でも、お薦めです!

では、いつものです。
全ての良き事が雪崩の如く起きますように・・。

皇悠より。

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2009年6月10日 (水)

金毘羅大権現様 神仏交代&悪口 夢その2

「ビル街・住宅地を抜け、白い砂浜に立つ、コバルト/マリン・ブルーと言うかエメラルドグリーン・ブルーのテレビか映画でしか見た事が無い地平線のように海は広がっていた。
しかし、遥か先の海原より白い糸のモノが現れたかと思うと高波が砂浜からビル街・住宅地までなめ尽くし、何とか激流に耐えたが街は廃墟と化した・・・。

唖然とし、立ち尽くが、海原より砂浜の境に化け物が突然にいた事に気付く。

少なくとも全長40から50メートル、高さは10メートルはあり、2・3階建ての体育館位の巨大な有り得ない(^_^;)蒼褐色としか表現出来ないゴツゴツした体表に鰐と龍の混ぜ物と言うか、昔博物館で見た海の恐竜(モササウルスと言う名だったか?)に似ていた大海/怪獣。
更に良く見るとその怪獣の頭?の上に神職が着るような白衣にえらい長い髪&髭の40から50前後の怖い位に威圧感を放つ壮年の男性が此方を見下しつ立っていた・・・。

そして、奴ら?は割れた鐘が鳴るような声で
「我は金毘羅大権現 汝 我が下に降るべし!!
稲荷の加護は無し」と告げる。」
その大音響に驚き夢から覚醒しました。
では改めて、御覧頂きまして有難うございますです。

どうも、皇悠です。
さて、これが予告しました啓示・夢の二番目にして、クリティカルなモノでした。

そして、以後に慣らし行中に起きた幾つかの事・特に直後の覚醒時にみた本尊の稲荷が決定打となり・・。

(と皇悠自身はイヤイヤながらも今は盲信してますが、いままで散々持ち上げた記事を記述してましたが、はっきり言って金毘羅大権現様は嫌いヾ( ´ー`)です。
商売繁盛に、家内安全or厄除けなどと縁も無いor他の方々より効きは弱そうですし・・、伝統的に関連性の高い船員でも海上輸送系に農耕もしないサービス系の一サラリーマンの皇悠にはメリットはろくに無いですから~~!

まあ、逆らって不幸に成りたく無いのでお祀りいたしますが・・・、稲荷信仰に戻りたいですよ
(*゜▽゜ノノ゛☆!物質的現世的なメリットが少な過ぎますし、惹かれないですから!!)

金毘羅信仰が廃れたのも、基本は現代メインのサラリーマン・第三次産業の守護神でないからですし・・・。

だから、妥協案で皇悠はいまだに稲荷神を祀る水道橋金刀比羅宮を、崇敬していたりする訳っす。

では、閲覧頂きました方々に全ての良き事が雪崩の如く起きますように・・。

お金は大事です、皇悠より。

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2009年6月 8日 (月)

金毘羅大権現様 冒険の始まり 夢その1

「いつも通りと言うか・・・、稲荷神社の前に立つ。
朱の鳥居、石畳の参道を抜け、狛犬ならぬ二対の石狐、高さ2メートル弱の日に焼けた白木の社まで進む。いつもの作法の通りに合掌&祈りを始める。

だが、爆発音or轟音と白みがかった赤か黄(変な表現、(*゜▽゜ノノ゛☆)に染められた。

しかしながら、よく目を凝らすと社は燃え上がり、所々で社は黒炭化し、狐達は顔や身が溶け歪んでいく・・・。

そのまま、成り行きで眺めるが、木がはぜる音に伴って哄笑/嘲笑が漏れ聞こえてくる。

それは焼け落ち・倒壊していく社の遥か上、青い突き抜ける天空に、長いザンバラの黒髪・ヒゲに目に刺すくらいの白衣を着た鷹のような翼を持った男性、全長4・5メートル位ワニのような四肢と蛇体をくねらせた何かが嘲るように、焼け落ちていく稲荷神社を正に見下していた・・・。」

さて、御覧頂きまして有難うございます。

どうも、皇悠です。
いきなりのトンデモ話でスミマセンでした。

上の記述は覚醒夢(俗にいう明晰夢)の話です。
安心して頂けましたか?

これが皇悠が金毘羅大権現様との付き合いの初めでした。

正直な所で、覚醒後に何故にして稲荷神(と当時は判断)の部下の天狗?、龍神?が稲荷社を(多分、落雷)攻撃をし、滅びるのを嘲笑うのか分かりませんでした。
不思議な夢を見たな・・・。で終わるはずでしたが、翌日の夢が啓示・キッカケとなり、後の祈祷の日々に入り込んだわけでした。

では、今回はここまでです。

閲覧頂いた方に全ての良き事が雪崩の如く起きますように・・。

皇悠より。

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2009年4月16日 (木)

霊的?精神世界?

どうも、御覧頂きまして、有難うございます。m(u_u)m

さて、今回はこの界の不思議的な術語について書いてみようかと思います。お遊び・思考実験ですよ!

さてさて、当ブログは霊的とか精神世界とかに何故か区分されていたりしますが、良く考えると不思議っすね。

霊って、死者の事だと思いますが、そんなに死んだ方の事を書いていましたか!当ブログは?

悪魔、神仏、精霊に化け物、更にそれらに関する祈祷・呪術に説話の方を多く書いていたと把握していましたが・・・、びっくりですよ!

あと精神って、皇悠は気持ちとか感情とかの事だと把握しています。その人なり集団なりの考え方や価値基準・世界観や人生観とかは主義とか、哲学とか処世術・信仰って明確な言葉がありますからね・・?(違いましたら、ごめんなさい。)

そうすると、精神世界って、感情の世界?気持ちの世界?

何というか楽しい世界ですよね。その世界ではみんなが感情的に振る舞うのでしょう・・?
皇悠的には、感情的というのは、傍からみたら理解しがたい事やくだらない事で反応し、泣き叫んだり、怒鳴ったり、喚いたり、喜びすぎて飛び跳ねたり、すぐに失神したり、恐怖で失禁したりとオーバーアクションというものですが・・・。

それと、精神世界という事は精神の世界ですから、神仏とか呪術とかは関係は無い気がしますが・・・。

何故って、学び研究する際に学問や大学に書物だと明確に区分されていて神仏の事は神学や宗教学・民族学の専問範囲内で、精神だと心理学・医学の範囲内ですから・・・。違うのでしょうか?

良く判りませんが、なんとなく定義なく雰囲気?ごちゃ混ぜに使っているこの2つの言葉で当ブログの主題・内容を霊的とか精神世界という言葉で普通に考え、含めて使える人は何でもごちゃ混ぜにしてしま、識別能力が低いといいか大らかな方かもしれないのでしょうか?皇悠もなんとなく使ってましたが・・・。(最後の最後に、台無し?)

色々な意味で凄いですよね。

さて、今回は此処までです。何かの役に立てば幸いです。

皇悠より。

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2009年4月13日 (月)

ツマラナい話、その2

御覧頂いて、有難うございます。

どうも、皇悠です。
さて、前回はちょうどネタが無い時に、未だに未練タラタラにも尊敬してますK師の現在のお弟子さん達らしい方の記述を発見・拝見させて頂き、当時の事の中で最大の葛藤・経験を思い出し晒してみました。

よくある真摯かもしれないが才能の無いモノの挫折、自爆をアレな感じで記述しましたが、コレを他山の石にして頂けたら、イイナァとは思っております。

今の日本でエロい意味でなく惚れ込んだ方に許されて弟子入りし、学べるのはすごく少ないッスからね('-^*)/!

また、拝見させて頂きました内容に、師の思っておりました以上に、高い評価に皇悠的には本気で、('-^*)/嬉かったッス。

端から見たら、何故?(・_・)エッ....?かもしれませんが・・・。

さて、実質的に逃げ出した際に、持っていた全ての文書・アイテムなどを返し、ただ残ったのは記憶という脳内情報だけ!才能無く(T_T)、流儀の技術・技法などはは全く欠片も身に付かずに、得たものは哲学的な理念とか、振る舞い方の知識とか、雑学的な色々だけが残り、当時の兄弟弟子達が基地外扱いでしたが判る気がいまは・・。

それでもね、その思い出/教えは皇悠に取っては以後の人生に色褪せない宝物として、生きる指針・人生の知恵となっており、本気で師には感謝してます。

さて、どの分野でもお馴染みですが、その道の格上の方の記述を拝見させて頂きますと、目からウロコが雪崩落ちです・・!

有り難い事です。

当時の何気ない指示の意味とか、より深い内容とか・・・。
ただし、個人的に会いたくは無いモノですなぁ~。

会うと、惨めというより、洗脳か?散々、師から同門の恐ろしさ、師の体験談の抑えの無い状況での酷さは聞いてますから、どうも。いい遊び道具にされたくはないですし・・(笑)。

一皮剥けば、この世界、何でも有りですし・・。f^_^;

さて、考えますに、皇悠にK師は色々な意味で、魔術師としてよりも大事な人生の何を与えてくれた方だったと確信してます。

個人的にも発火やアポーツなどの力、知識なんかよりも、師の(オカしい表現ですが)深い非情なやさしさが好きでした。そして、当時は応えられなかったのも実はツラかったッスね。

さて、今回を最後に当ブログにおいてK師関連は、もう書かないつもりです。

K師マンセーの内容なるだけですから・・。

では、また・・。

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2009年4月12日 (日)

ツマラナい話

御覧頂いてありがとうございます。

どうも、皇悠です。
さて、今回はツマラナイ戯れ言?独白ですよ。

さて、このブログを始めてから速いモノでもう三年目になりましたね………。
:*:・( ̄∀ ̄)・:*:
速いモノです……。
何故か?何度も終了フラグが立ち上がったのに、継続してます当ブログ、自己顕示欲・尊大心・習慣などでしょう、何かがその都度、力を貸して復活しています。

単純に承認欲求・ヒマなんでしょうか?
バカな皇悠にはわかりません。

けれども、尊敬してます方、特に今でも尊敬してます師匠に、再師事し、辞めろと言われれば、直ぐにも全力で記事から何まで、削除し当ブログを終了しますが・・・ね!

えーっ、自主辞退で辞めていて何ですが、今から考えますに、当時は「ココまでしか出来無いんだ!」「十分やったさ!もう無理なんだ」と諦めつつ半泣きで思い込みましてK師から離れてしまった訳ですが、本当に残念な事でしたね。

今だから明かしますが特に才も見込みも無く、理想は高く努力をすれども空回り、同期の人に比べ遥かに無力でカスという状態が続きまして、見込みの無さに絶望し、「せめて知識を!」と足掻き虚勢を張るだけ、そんなイタイ存在だった・当時の皇悠には逃げるしか出来なかった訳ですが・・・。

嫌ですね、「認めたくないモノだな、若さゆえの過ちというモノは!(ここは、あえてオタクらしく、ガンダムより引用してみました)」という気分ですよ。

憐れみ、勝手に絶望し、(根拠が無い訳でもないので、貧弱小僧には絶望してしまったのもしょうがないちゃ、しょうがない訳ですが・・・)涙にくれつつそんなウザイのもイヤで皇悠は師に辞める事を申告し、特に問題なく絶縁とあいなりましたとさ・・・(軽っ、笑)
それから、はや十年以上が経ち相変わらずのバカさ・無力さを腐れ縁として、いつか死ぬ事を自覚しつつ、未だにさまよっていますYO-。

こうおセンチなのは、久しぶりにネットサーフィンをして、師の現在の弟子らしい方のブログを発見、拝見したからでしょうね。(秘技責任転換)

戻りたい気持ちというか、当時の兄弟弟子の訃報を風の噂で聞いてもいますので、線香の一つも脱落した者ですが同じ時代を共有した者としてあげたいですが、今では連絡先も分からないですして、どの面下げてという論理もあり、無理そうです。

とりあえず、師が元気そうで良かったですが・・・。

さて、長々となりましたが、今回は以上です。

皇悠より。

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2009年1月24日 (土)

御祈祷の流れと御酒の味

御覧頂きましてありがとうございます。

どうも、お久しぶりですね、皇悠です。さて、今回は雑談です。

さて、そろそろ今月も終わりですが、全国ではまだまだ一月中・今月の間は新年・初詣の御祈祷を執り行っている日本ですが・・・(本当に沢山で、どれくらいかはわかりませんが・・・。)

そんな訳で今更ですが、神社の御祈祷の簡単な流れを紹介します、そういえば記述していなかったのを思い出しましたので・・。

順番としては以下の通りですね。
1、まず、参加する場所及び参加者等を清める。『偉大なる神様・その眷属達の前に立ち、それと接する訳ですから身を清めて身奇麗でないといけませんよね』←俗に言う、禊・祓いです。
2、供物や賛否をしつつ取引してお願いを伝える・祝詞の奏上をします『なお感覚的な表現ですが祝詞は言うのではなく奏上、つまり奏でるモノです』←内容的にはまず始めに神主が願主の願いを代表して伝える事です、祈祷の肝要・祈願の為の祝詞奏上ですね。
3、 個別に玉串拝礼をする『神に玉串を供えて個別に拝みます』←願主が神主では表現出来ない細部まで具体的に祈願するパートです。
4、 直会(なおらい)『捧げた供物や御神酒(など)を頂く』←儀式・祭礼を終えて、供物の処分を兼ねた宴会です。

おおまかな流れはこういうモノですが、今日は最後の直会(なおらい)についてちょっと掘り下げてみます。

まず、直会ですが、これは「なおらい」と読みます。よく地域や神社のお祭りや何かの行事の後なんかに皆で集まってお酒を飲んだり、ご馳走を食べたりする事があると思いますが、これ何かも直会ですね。これは雰囲気的には足洗いとか精進落としとも言いますが、要は打ち上げみたいな感じで、実質的にはただの慰労会・反省会みたいになりがちではありますが、実はこの直会は神事としての意味もある大切なモノです。

どんな御祈祷・祭事もそうですが祭事では、神様にお米やお酒などを代表として他にも諸々のモノをお供えとして捧げてますよね。それで、この祭りの後に神様・眷属に供えたモノを(これは祭礼時に神様が召し上がったモノの残り物とされるモノですが、現代では何故かだいたい御神酒やお菓子の場合も多いですね・・・)「祭りの最後に自分達も頂いて神様の御力を頂く、自分達の体内に取り入れてより強く御加護を得る。」というような意味があります。神人供食とも言います。

また、他に意味なんかもありまして、御祈祷や祭りではまずお祓いをして身を清め、そして神前で神様と時間を共にしますが、その行為自体が神様と共に過ごすという非日常の世界に足を踏み入れている・異常事態な訳ですから、祭りの最後に直会(なおらい)を行い元の日常の世界に戻る(直る)必要があるという考えから代表的な日常的行為の飲食を行いまして心身を通常状態にする・戻すという事です。スポーツで言う所のクールダウンです。神様と時間を共有する場から元の生活へ戻る為の、神懸りから日常の状態へ戻る儀式というような意味もあります。

また、儀式で消費した生命エネルギーなど(混沌魔術の言うライフフォース・気など)を補給する意味もあります。

しかし、ここで、以前から不思議に思っていた事があります。私は残念ながら下戸で味がよくわかりませんが・・・。それでも不思議に感じるのは時々御神酒を飲んだ方の中でお酒の好きな方は「いつもよりも美味しいお酒だ」とよく言います。これらは実質的には同じお酒ですが片方は神様にお供えをしてその後の要するに神様の飲んだ後のお酒と、それをしていないお店でただ売っているだけお酒。同じ銘柄であれば、お酒自体は同じモノでそう差はないのですが・・・。

勿論、神様にも召し上がって頂くモノですからそれなりに資金のある場所ではそれなりに美味しいお酒を選んでいる場合もありますが、大抵の神社は貧乏で・・・。それに御神酒そのものも、勿論色々あります。一応日本酒とは言え・・・、参拝者が「これをお供えしてください」と酒屋さんで買ってきたお酒をそのまま一応お供えした後にもったいないので祭礼時に流用している場合、他にその神社ご用達の出入りの酒屋の酒などを祭礼の参加人数が多い場合は名前も質も味も色々なモノがある意味混ぜこぜで使用されていたりしますし・・・。

それにお供え物のお酒はやはり、人・神社によりぶっちゃけで言えば金額・質・味は色々ですが、そう特別上等・銘酒という訳ではないです。

しかし、この同じ銘柄のお酒の場合でも、1本は先に神様にお供えをしてその後に飲む場合ともう1方はお店で買ってきてそのままで飲む場合とこの二つを比べると、神様にお供えをしたお酒のほうが美味しい(らしいのです)。また、普段は日本酒が好きで儀式で使うお酒よりもぶちゃけ、高い・良いモノを常飲している方でも美味しいと感じる場合があります。

これは私のようなあまり酒に強い方ではない、というか下戸で日常生活で飲酒をしない人間ですのでよくというか、はっきりとは分かりませんが、お酒に強くてお酒が好きな方でも祭礼をして神様の力が込められたほうが良いとそう感想を述べる方もいます。

つまり好きに飲める自宅で飲む同じ銘柄(場合によってはより高価なモノ)のお酒よりも神事・祈祷後のお酒の方が良いとも言う場合もあります。隠してお供えをしたお酒とそうでないお酒と、一緒に飲ませると、不思議と神事後のこっちが旨い、と明確に言う方もいます・・・。勿論どっちがどっちだとは教えていませんが・・・。これはお酒好きの人ほどその傾向が強いようで・・。ちょっと、不思議な現象ですが、面白いですね。

さて、今回はここまでです。楽しんで頂きまして、何かの参考になれば幸いです。

では、[貴方に全ての良き事が雪崩の如く起きます]ように祈ります・・・。

皇悠より。

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2008年12月 4日 (木)

空海様の呪術戦

御覧頂きましてありがとうございます。

どうも、皇悠です。さて、今回は空海様の呪術戦という内容のある説話を書きます。

さて、何度か書きましたが、日本に密教を請来したのは真言宗宗祖の空海様です。ちなみに天台宗宗祖の最澄サマも、密教を請来されましたが、法華経の方を重視していたのでコチラの方面はさほど充実しておらず、空海様と色々あった後にお弟子さんたちが密教を請来して発展させていきました。もっとも、空海様・最澄様以前から、断片的に密教経典は日本に持ち込まれていて、そちらはそちらで一つの宗教体系・呪術体系をつくりあげていましてそれが、いわゆる山岳修験です。

さて、今でも京都に東寺というお寺がありますが、平安時代にはこれと対になる形で西寺というお寺がありました。そして、空海サマが東寺をまかされ、守敏(しゅんびん)とい僧侶が西寺をまかされた。このお二人、たいそう仲が悪かったといいますか…伝承上では、空海様が自分を売り出す為に、当時の法力僧として有名だった守敏様をダシにしたのが悪いのではないかと愚考します・

法力で氷を溶かし、炭火を消し、火を使わずに粟を煮る事が出来た(とされる)守敏様。それを聞いた空海様は、守敏様が天皇の前で法力を披露しているところ、物陰からその法力を打消す呪術をおこなって大恥をかかせた。……そりゃ怒りますわな(汗)。

さて、824年、都を旱魃が襲ったので、当時の天皇は空海様と守敏様に雨乞いを命じた。

まず守敏が雨乞いをしたところ、平安京内に雨は降ったが、郊外の水瓶となる場所にはふらなかった。次に空海さまが雨乞いをしたところ、幾ら祈っても雨が降らない。おかしいと思って霊視をしてみれば、世界中の龍神が守敏によって水瓶に封じられている。雨を司る龍神を封じられては、雨を降らせられない。しかし、一匹の龍が封印されずにいるのをみつけ、それを勧請して雨を降らせるのに成功したそうです。

しかし、怒りがおさまらない守敏様は、大威徳明王法にて空海さまを呪詛するが、空海さまは軍茶利明王法にてこれを迎え撃つ。双方の明王は互いに矢を射合い、それは羅城門の辺りでぶつかり合って、二人の僧侶には届かなかったそうです。

そこで、頭の良い空海様は『空海が死んだ』という噂を流させた。それを伝え聞いた守敏様が祈祷を辞めると、あわれ軍茶利明王の矢にい抜かれて死んでしまった。

つまり、空海様と守敏様は、法力僧としての力はほぼ互角で、空海さんが不意打ちだの嘘だのを使わなければ勝てなかったと。

こうなると、雨乞い勝負での空海さまの勝利は怪しいわけでして。水瓶のことを密教では『軍茶(ぐんだ)』といいます。呪詛合戦で空海さまが祈った『軍茶利(ぐんだり)明王』は、名前のとおり『軍茶』に関係があり、『不老不死の霊水アムリタを満たした瓶』を神格化したものです。

更に、『軍茶利(ぐんだり)/クンダリーニ』は蛇の姿をした神のことで、軍茶利明王は龍蛇を支配するとされ、その身体に数匹の龍蛇を巻き付けています。

こうみると、雨乞い勝負で先に龍を封じたのは空海さんの方で、それにも関わらず守敏様は封印を免れた龍神を見つけ出し、少量ながら雨を降らせた。対して空海様は、水瓶の封印を解き開放した龍を軍茶利明王によって使役して大雨を降らせたのではないかと勘ぐったり・・・。

守敏の祈った大威徳明王は、密教では西方を守護する明王であるとされています。西寺の僧侶だから、西方守護の大威徳明王に祈るという設定になったのかどうか判りませんが・・・。人を調伏するのには大威徳明王が一番効果的であるとされている説の従ったのでしょう。そして、守敏亡き後は西寺及びその周辺は廃れ、今は影もろくにありません。

さて、今回はここまでです。楽しんでいただければ幸いです。

では、貴方に全ての良き事が雪崩の如く起きますように・・。

皇悠、拝礼。

 

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2008年12月 1日 (月)

インチキの確認について

御覧頂きましてありがとうございます。

どうも、皇悠です。さて、今回は「インチキの確認について」と言うことでまた、ぞろぞろ書きます。

えーーと。サイババってインチキなんですか?ラエリアンは?北条一鴻の真伝って本物なんですか?某研究所の森田〇氏てどうなんですか?

上記に類似した質問がこのサイト・ブログを始めてから、身内というか知り合いに半バレしまして、ちょこちょこと寄せられています。

もし私が「誰々はインチキだ!」と言った所でインチキを信じる者は後を絶たないですし、反対に、「誰々は本物だ!」と言った所で、必ずや彼らを叩く者がいるモノで大抵は、ワカラナイで逃げてます。だから、大筋で「信じたければ信じれば良い」というのが私の意見です。

でも、ここで重要な事は、『「信じたい」と思っているうちは信じてはいない。(当たり前だけど)信じているのだったら、何故信じる必要なんかある?ん?(←ちょっとOSHOのマネ。笑)』です。

つまり、「信じたければ信じれば良い」というよりも、「信じたい」などと思っているうちは信じる必要はない。とも言えます。それに、私が「誰々はインチキだ!」と言った所で、それは、勿論、安全・確実・正確・絶対的なモノではなく、大勢の中の一人の意見に過ぎないですだから、そんなもんには何の価値もないです。

ある人が、あるHPの中でこう書いていました。「私は、7割ほど信じている。しかし、3割ほどは信じていない・・・」
これって一体なんなのでしょう?「信」というのは常に100%であって、そこに0.1%でも「疑」が在るのなら、それは信じているとは言えない気がします。つまり100%の「信」か、100%の「疑」であるかのどちらかでしかない訳ですよね。

また、有名な『チベット永遠の書』の中で主人公は神々が住む聖地に乗り込むのだが、実はそこはトンデモない悪魔の巣窟であった。それに気付いた彼は命からがら逃げ出して、ひとりの聖者の家にたどり着き、彼はこう言います。
「なんで最初にそれを教えてくれなかったのですか?」
聖者は答えて言います。
「あれは良いこれは悪いと言うのは簡単だ。しかし、チベット(聖地)を目指しているのは、他ならぬキミ自身である」と・・・。

すばらしい(逸)話ですね。大事なのは、自分の人生ですから自分で答えを見出し、進む事です。私の弟子で私の出来損ない、模造品になりたいのなら幾らでも私のその時点の答えを教えますが・・・。

ちなみに「私は何も信じていません。」、経験上、知っているので信じると言うのとは少し違います。毎日、太陽が朝に東から昇るのを知っているようにそれなりの行や祈祷をすれば私の祈りに神仏が応え、示現するのを経験し、体験し知っていますから・・・。

さて、何事も、疑って疑って、疑い尽くした時に真実が明らかになるのは事実ですが、そして何よりも重要な事は、「真偽」は真実にとっては何の関係もないと言う事も確かですが、それは自分で肉体的な行動や試行錯誤の先に在るモノで、ただ考えたり何か読んだり誰かから聞いたりして真実が判る事ではありません。そして、判ったとしてもそれはあくまでその人の真実です。

例え、もしも神が存在しないなら世界中の人が神を信じた所で、存在しないものは存在しないものです。逆に、神が存在するなら世界中の人が神の存在を否定した所で、存在するものは存在します。真実にとっては何も変わらないモノですから・・・。

でも・・・こんな事を言うと、特にサイババ信者にはおバカが多いので、彼らはこう言うかもしれないですね・・・。
「もし、ババ様が本当にインチキだったとしても、多くの者たちがババ様を信じれば、その『信じるパワー』によってババ様は本物の聖者となるのです!」
しかし、そもそも信じなければ本物の聖者になれないような、そんな偽者の聖者なんていらない気が・・・笑。

道を求める上で、一見して遠回りに見えても、実はそれこそが最短距離である場合も多々ありますし、この辺は難しいですね。

さて、今回はここまでです。楽しんでいただければ幸いです。

では、貴方に全ての良き事が雪崩の如く起きますように・・。

皇悠、拝礼。

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2008年11月30日 (日)

易について

御覧、頂きましてありがとうございます。

どうも、皇悠です。さて、今回は易についてです。

さて、易は何故かあまり語られない怖い一面があります。

それは、まず初めに言いますが、「天網恢々疎にして漏らさず」という言葉が確かに昔からありますが、ただ、易経の観点から観れば・言えば、どのような状況にあっても逃げ道が用意されていると言うモノです。

これは易が因果・正邪などを問わない占断方法だからですね。実は易は尋ねられた質問には平等に答えを出します占術です。

その為、例えば貴方が犯罪者としても、嘘の答えしか言わない・告げないと言う事ではありません。具体的には「犯罪者がどうしたら逃げ切れる事が出来るか?」と尋ねて占えば、易は「逃げ道・対処法を教え・告げます」。また、「バレずに見つからずに、如何にして人を殺せるか?」と問えば、間違いなくそれに対して答えます。これが易の特性です。

その為、「法を守り従う軍人がそれを破り強盗になれば、一儲け出来る」という言葉があるように、(これは漢民族思想の最たる言葉ですが)「邪は正に勝たず」と言う言葉が易には存在しますが、それも一つの卦爻辞・答えに過ぎないので問いや条件を増やし変えると易の答えは変化します。

もし、「どうやって逃げたらいいですか?」と尋ねて、この手の卦爻・答えを得たら、「裏口から逃げず正面口から堂々と逃げれば、逃げられる」と判断し読むのです。

これは易にもし固定した善悪観があるのなら、易(変化)という名前はついていないはずだったように、易は元来は老壮思想を基礎に構築・創作され、老荘思想自体の大前提が、善悪は時代と共に変わり、根源的には同じ・等価という基礎理念な為にこのような占術が出来ました。

さて、今回はここまでです。お役に立てば幸いです。

では、貴方に全ての良き事が雪崩の如く起きますように・・・。

皇悠より・・・。

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2008年11月29日 (土)

七つの大罪

御覧頂きましてありがとうございます。

どうも、皇悠です。

さて、今回は雑談ですがキリスト教には『七つの大罪』という言葉がありますが、事実上は大罪というより、大罪を『生み出す』人間の七つの欲という感じのモノですね。

しかし、この七つの大罪は何故か『罪』の概念として分かり易いので、少年向けの小説や漫画から映画(メイドインハリウッドのモノにすら・・・)にいたるまで多くの娯楽によく用いられますが、旧・新・正のどのキリスト教会でも何故か今では重要視されていないようです。ちなみに紹介しますと伝統的にはこのような対応・組み合わせになります。

 傲慢:司る悪魔はルシファーまたはベリアル。
 嫉妬:司る悪魔はレヴィアタン(リヴァイアサン)。
 憤怒:司る悪魔はサタン。
 怠惰:司る悪魔はベルフェゴールまたはアスタロス。
 強欲:司る悪魔はマンモン(マモン) 
 暴食:司る悪魔はベルゼブブ。
 色欲:司る悪魔はアスモデウス。

元来は四世紀に考えられた暴食、色欲、強欲、憂鬱、憤怒、怠惰、虚飾、傲慢の『八つの大罪』が、6世紀後半、グレゴリウス1世により改定されたとされています。また、この時に『虚飾』は『傲慢』に含まれるとし、『憂鬱』と『怠惰』とが同じモノとされ、『嫉妬』が追加されました。これはおそらく、聖書の『黙示録の龍』の七つの首に対応させる為に、数を調節したモノとされています。

また、罪とそれを司る悪魔との関係は、十五世紀末期の《自称》悪魔学者ペーター・ビンスフィトの著書に書かれたモノですが、この方の著書はあまり重要視されていないようですね。それでも、設定がもっともらしいので低級というか変な魔道書(?)に多く採用され、それが定着したとも・・・。

ここら辺の事は不勉強な人間が手当たり次第に集めた三流の次第書・伝聞記事を切り張りして作った本や古書が、何故か後世に霊学や神仙道の奥義書みたいな感じで定着しているのに似ています。

それで、どれほどの人が誤解し、金銭と時間を無駄にしたことか・・・。さて、今回はここまでです。参考になれば、幸いです。

では、貴方に全ての良き事が雪崩の如く起きますように・・・。

皇悠拝・・。

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2008年11月21日 (金)

ある信仰者とその弟子・ラーマクリシュナとヴィヴェーカーナンダ

御覧、頂きましてありがとうございます。

どうも、皇悠です。

さて今回の内容はインドのある信仰者の師弟の話です。まあ、有名な方々なのでいまさらと言う気もしませんが,日本の似非詐欺師or妖術師としての戯言にお付き合いください・・・orz。

さて、19世紀の人、この記事に取り上げる師の方のラーマクリシュナは、信仰&熱愛のヨーガことバクティ・ヨーガ(献身)が最も容易な道であると語り、その道を進んだ方でした。彼はある神を熱烈に愛して、神に渇仰心をもって祈り、涙を流すそんな人でした。「それでは、どうすれば、そうなれるのだろうか・・・」と彼の話を聞く人はよく思うそうですが、彼はアッケラカンとこう言います。

『憧れを持って、母(神)を呼びなさい。あの方を見ることができたら、世俗の快楽の甘美さ(糖蜜)は、乾いてしまう。自分の母であるという思いがあれば、直ちに実現します。あのお方は義理の母ではありません。実の母です。

母に憧れを持って、子供のようにおねだり(強要)しなさい。(中略)あのお方は、必ず姿をお見せになります。』
(ラーマクリシュナの福音/東方出版から引用)

以前に記述しました歓喜天こと聖天様の和讃みたいに、これほど純粋に童心に帰って、神を請い求めるのであれば、神もその姿をお見せくださるような内容ですね。まるで、そう出来ない人の方が可哀そうな言い方です。しかも、それが一面で事実なのがムカつきますが・・・。

さて、当時の19世紀のインドではまだまだ農業が主要でのんびりした土地のようで、このようなバクティの行の歓喜に恍惚となることを皆にお勧めしても、違和感はなかったと思います。現代の日本だと無理でしょうが・・・。

まして、それに恋い焦がれるあまりに、しばしば恍惚に浸るのは現代の都市に住み、農業人口がせいぜい1割の商業・工業中心の社会では、情動をだんだん高めて行って、神の愛に酔い、『母よ私を狂気させて下さい』とまで盛り上がる状態になるのは、クラブ(ディスコ)などの特殊な空間以外では難しいですね。

それに加えて、ラーマクリシュナは大麻好きらしくで、こう言うのは素面では難しいのかもしれないとも思います。ちなみに彼はほとんど小さな寺院の寺守りとして人生を終えます。

さて、ラーマクリシュナ自身は確かにインド的定義では神人だったと思いますが、19世紀インドの風土という背景は無視し得ないモノもありますね。今ここにラーマクリシュナがいたら、日本では家族か身内が即精神病院送りするという話になるでしょうね。

また、彼は性欲が薄い人らしく、ラーマクリシュナが一人で坐っている時に、誰か女性がやって来たら、ラーマクリシュナは、全くの子どものような状態になってしまい、「その女性は宇宙の母親、太母であるという明知」を持つとすら述懐している始末。「おいおい、お前・・・いくつだ?」と聞きたくなるような事を中年になっても言い放つ人でした。

更に、結婚したばかりの弟子の一人に、美しい奥さんであっても、肉体的な交わりはせず、神の話だけしなさいというアドバイスまでしています、現代ではセックスレスは立派な離婚要因で認められますから、現代での彼のアドバイスはキツイデスネ・・・。きっとラーマクリシュナ自身の結婚生活がそうだったからなのでしょうが・・・・、まあ、成人の彼は家族の勧めで初潮前の少女と結婚したほどなのでそうなるでしょうが・・・。当時のインドでは当たり前の風潮とはいえロリコンにもほどが・・・。

さて、ラーマクリシュナの虚弱な肉体、母なるカーリー女神との渇望としばしば起こった一体化とその恍惚の歓喜、そして常習的な大麻好き。こうした彼の信仰生活の中に肉身の女性は、入る余地がなかったと言う事になるでしょうが、彼がヨーガの達人に弟子入りしていながら体質改善・心身の強化に進まなかったのは彼の道が完全に肉体的な強さや性的モノとは関係がないか、その必要性が少ない証ですね。しかし、ヨーガが往々にして、肉体的な強さや精力を重んじるのに対して珍しいです・・・。

また、仮にラーマクリシュナ自身が強壮な肉体ないしは普通の体力の肉体を持っていれば、あれほど簡単に太母神との合一は、起こらない可能性もあります。事実、後述する彼の弟子は人並み以上の体力の持ち主のためか師と違う道に行きました。

さて、彼が高名になったのはあまりに彼の弟子のヴィヴェーカーナンダ(1836~1902)が名声を得た為です。彼は、インドのバクティ・ヨーガ(献身)の聖者ラーマクリシュナの後継者と自他共に認められながらも、一番の弟子とされながらも異なる道・ヨーガの聖者になりました。

さて、その彼・ヴィヴェーカーナンダは、弟子入りした前からニルビカルパ・サマディの体験と言うものに憧れていましたそうです。それは絶対者との合一体験だそうですが・・・。そしてある日突然それがやって来ましたが・・・。(なお、文中のナレンドラは、ヴィヴェーカーナンダの名前です。)

『彼はいつものように瞑想に没頭していた。その時突然、あたかもランプが頭の背後で燃えているかのように感じた。その光はますます強烈に光を放ち、最後に破裂した。ナレンドラは、その光に圧倒され、意識を失って倒れた。しばらくして、正常な状態に再び戻り始めた時、彼は自分の頭以外の他の肉体の部分を感じる事は出来なかった。(中略)

ナレンドラは長い間意識を失ったままであった。正常の状態に再び戻った時、彼はこの上ない安らかさに浸っていた。

彼が師ラーマクリシュナの部屋に入ったおり、師は言った「いま母神がお前に全てをお示しになった。しかしそのような実現は鍵をかけられた箱の中の宝石のように、お前から隠され、私の管理のもとに置かれる。鍵は私が預かっておく。お前がこの世での使命を遂行した時に初めて、その箱の鍵は開けられ、お前は今知った全てのモノがわかるだろう。」』(スワミ・ヴィヴェーカーナンダの生涯/法律文化社から引用)

さて、このようにヴィヴェーカーナンダは、その光・体験に出会う事は出会ったが、結局その時は何が起きたのかを理解する事は無理だったようですね。その光・体験は、「遠くから星」のような小さな光として眺めたのではなく、間近で「光が破裂」したのですから、相当な至近距離での出来事と思います。ただその体験を理解し咀嚼する事が出来るほどには、 ヴィヴェーカーナンダの霊的成熟というか器というか知識の咀嚼というか前提条件が十分ではなかったという事でしょう。

さて、こういう体験・出来事も時にはあります。魔術師から僧侶になったアラン・ベネットも似たような事が報告されていますから・・・。

さて、ラーマクリシュナの後継者であったヴィヴェーカーナンダが世に知られたのは偶然に出かけた世界レベルの宗教者会議に参加して、そこでの説法・講演のあまりの素晴らしさから一躍に時の人になりました。(ただ、以後、請われながらもその種の主に欧米での求道心のない人々を相手に講演させられたことには辟易していたことがあったようですね。)

さて、この違いすぎる弟子が師の神に触れたのは北インドのスリナガルでです。その時、カーリー女神への冥想が深まり、「暗く、苦しく、不可知なる面」に全神経を集中して、「恐怖の一者」(カーリー女神)を見神して、彼は、暗闇の中で次の詩を書いて力尽きて倒れたそうです。そして、ヴィヴェーカーナンダのこの詩は、バクティ(全身全霊の熱愛で神に献身する事)により、「死と世界の本質を見るに至っている」と描写されるほどの内容です。しかし、描写がひどく、この世の地獄か何かでしょうか・・・?とても怖い内容です。

『「母なるカーリー」

星々は、消え雲が雲をおおい闇は震動し鳴り響く,

吠えたけり渦巻く風は幾百万の狂える魂であり、
牢獄より放たれ樹々を根こそぎもぎ取り全てのものを道から一掃する。

海は騒ぎたち山なす波を巻き上げて暗黒の空に届く。

蒼白い稲妻の閃きは四方八方に汚れた黒き幾千もの死の影を現す。

疫病と悲哀をまき散らし歓びに狂い踊りながら、来れ、「母」よ来れ!

恐怖は汝の名前であり、死は汝の呼吸であり震える歩みの一歩一歩が永久に世界を打ち砕く。

汝よ、時よ、万物の破壊者よ来れ、おお「母」よ来れ!

悲惨をあえて愛し死の影を抱きしめ破壊の踊りを舞踏するもの・・・彼のもとに「母」は来たる。』
(スワミ・ヴィヴェーカーナンダの生涯/法律文化社から引用)

さて、この師弟の守護者にして導師のカーリー女神は、死と破壊を属性にする大女神です。事実、この女神の信仰には歴史上何度も殺人儀礼や生贄祭儀が頻発しています。そして、現代でも殺人こそありませんが、動物の血や肉体を捧げる事は常習となっています。また、こんなにも恐ろしい女神に守られているのなら、下手な呪術師・行者に恨まれても彼らは平気でしたでしょうね・・・。事実、お釈迦様の時代からインドでは呪術師同士・宗教家同士のシェア争い、非難合戦は多かったですから彼らも実際はそれなりに戦い競っていたと思いますし・・・。

しかし、このような神を愛し歓喜に震える師も師なら、話術とその知性で民衆を魅了した弟子を導き守護した者が共に破壊の女神というのはすごい話です。片や破壊神に狂う師、片や知性で人々を魅了する弟子・・・。

しかし、ヴィヴェーカーナンダ自身、「汝(カーリー女神)は私を殺害しても、それでも私は汝を信頼します」とまで言ったので信仰者としても彼は素晴らしいですね。ここまで、至れば確かに師のように純真さや童心さはなく、時に信仰心の反対・逆の属性とみなされる知性・話術に長けた彼が神に愛され導かれたのも分かる気がします。

ただ、ここで言う「殺害や死が肉体(自己の生命)のそれを指すのか、自我や精神などのそれを指すのか・・」は不明&疑問ですが・・・。

さて、今回はかなり何時もと違う面から信仰心について、記述してみました。参考になれば幸いです。個人的にはこういう深い信仰者に成りたい者ですが・・・。

では、貴方に全ての良き事が雪崩の如く起きますように・・・。

彼らのように素晴らしい信仰心がなく、負けた気がしている皇悠より・・。




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2008年11月 8日 (土)

掛け持ち信仰 天部・稲荷信仰をもとに現世利益 その2&信仰告白

何時も御覧頂きましてありがとうございます。

どうも、皇悠です。さて、今回は前回の「掛け持ち信仰 天部・稲荷信仰をもとに現世利益」のその2&信仰告白として前回書き切れませんでした事を記述します。

今回の記事はtony様のコメントを読みまして、前回の記事に書いておくべきでした私の稲荷信仰上でのミスを記述し忘れていた事に気付き、急遽記事にしました。

tony様、閲覧&コメントありがとうございます。そして、助かりました。また、前回の内容をご賛同頂きまして、ありがとうございます。

さて、正直に言いますと、私もtony様と同じような別々の稲荷をそれと知らずに掛け持ち崇拝・祀りをしていました。

同じ稲荷・同じウカノミタマの大神とちゃんと各神社の祭神の紹介欄・由緒でも広言していた上に、各神社のサイトなどでもそう紹介していることで安心し複数の神社から一つは勧請と言う形で、他はお札と言う形で御祀りさせて頂いておりました。

確かに、それはそれで現在は同系列の同じ神さまなので、ロスや危険は少ないものでしたが、全て伏見系・神道系のお稲荷様でしたからね・・。

しかし、何故か無駄・危険・不敬が深く祈り、祈れば祈るほどにあるように感じていたので、興味半分に各お稲荷様の歴史をより深く調べ返しましたら、何と各神社の行われていた祭礼やその本地・由来、もっと言えば神仏自体が違っていました。今は同じ名前で呼ばれていようとも、由来が祭り方が違えば、なにより名前が同じでも以前と本尊・ミタマシロ自体が変化していないのならば名前を同じ神様にしても違う方です。特に御祀りの仕方が長年違っていたのは致命傷でした。

例えば、同じトマトでもそれをケチャップソースのピザにするかトマトゼリーにするか、ハヤシライスにするのかで味・形・栄養度がかなり違いますよね。まして、元が同じ伏見の稲荷、今も同じ名前(ウカノミタマ)の稲荷と言えどもその途中の長年の祭礼の仕方、名前、姿が違えば(つまり料理方法が違えば)内実はぜんぜん別物です。

さて、私が勧請さしていただいたお稲荷様は現在のウカノミタマ、サタヒコ、オオミヤメの伏見稲荷の直系、しかも現代版の伏見稲荷信仰のお稲荷様でしたが、他のお札で頂いていた方は以前は三天和合尊(聖天、ダキニ天、弁財天)として祭られていた方、ある方など観音様として祭られ崇敬されていました。自分が考えていた方達と内実はぜんぜん違うモノでした。正直、それを知り背筋が凍りました・・・。

大失敗です。何も知らずに多くのお稲荷様を侮辱し、更に誤解したまま不作法をし続けていたのですから・・・。

その為、すぐにお詫びとケジメのために、より身の安全と間違いを正すために、信仰の一本化のために泣く泣く全てのお稲荷様を、勧請したお社つきのお稲荷様からお札でのお付き合いのお稲荷様まで、大小・格式・掛かった費用・美醜にお気に入りなど何もかも関係なく、その全てを社から神棚、祭器にいたるまで何から何までお詫びの供養などを厳修してから、お返し&手放し&処分の全てをしました。

そして、許しの啓示が降りるまで、日々神仏に浄化と懺悔・供養(大祓いの祝詞や禊詞や般若心経などの朗誦行が中心)の行に、更に幾つかの多くのモノへの善行を平行して行いました。そうして、全てを処分・お返しした日から約二ヶ月(の浄化・懺悔行の日々)の後に、許しの霊夢(内容は秘密です)を見た時は本当に嬉しくて涙と共に、目覚めてから約一時間咽び泣きました。

こうして、今は以前勧請させて頂いた伏見系の東伏見神社のお稲荷様ではなく、色々考えて元真言宗系のあるお稲荷様を信仰しております。(といっても近頃のここ数ヶ月の私のブログを見ますと丸分かりかもしれませんが・・・?)

さて、今回はここまでです。安易にお稲荷様だからと判断しては、崇拝しては、いけない事がご理解いただければ幸いです。

では、貴方に全ての良き事が雪崩の如く起きますように・・・。

神仏習合系稲荷信仰者、皇悠拝。

追伸、本日は後一つ、かなり有用性がある記事を投稿します。

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仏教の学習と理解、その弊害

何時も御覧頂きまして、有り難うございます。

どうも、皇悠です。さて。今回は学習と理解ということで幾つか仏教を題材に記述しようと思います。

さて、仏教の教えを日本仏教に限っても本格的に学ぶのであるならば、基礎的な教えだけでも倶舎論、唯識、中論、華厳などを学ぶ必要があります。

しかし、これらの教えの難しさは半端ではなく、独学で学ぶのは非常に困難な教えばかりです。その為、本当に学びたいと考えるのであるならば、どうしても仏教系の専門大学やその通信講座などで学ぶ必要があります。

しかし、仏教を専門的に学べば、誰でも悟りの境地に到達できるかと言えばまた別の問題となります。困った事に・・・。

本来は悟りを得るための学びであり、学びは手段であったのに、何時しか知識を得ることが学びの目的になってしまっている場合が多く、これは仏教を知的に理解しようとする宗教学者や学僧に多く見られる傾向で、仏教の教えには精通されていても、知識だけで終わってしまっている場合がほとんどです。残念ながら・・・。

多くの方が経典の約束する神通力やその証を出せない故とはいえ・・・。

さて、これらの方々に共通しているのは、仏教の解説をされるならば豊富な知識で仏教の教えとは何かを解説出来るくせに、それを日常の生活に密接した話に持っていくとなると途端にありがちな道徳論になってしまうことです。

情けないですね・・・。

また、もう一つの特徴として難解な仏教知識の体系を自分の理解できる範囲に矮小化してしまう傾向で、その矮小化がほとんどの場合で本人は仏教の教えを理解したつもりになっているという実情です。

判らないのなら判らないで、私は良いと思うのですが・・・。

さて、これらの厄介なのは、仏の教えの名を借りた道徳論や矮小化した仏教が多くの人に求められ人気がある事です。その理由を考えますと仏の教えの名を借りた道徳論や矮小化した仏教が分かり易いからではないかと思いますが・・・。つまりは、教えを説く側も教えを聞く側も共に仏教の教えの持つ雰囲気に酔いしれ楽しんでいるだけ、ということです。

それでも知識の枠の中で雰囲気に酔いしれているだけならば、それほどの実害がないのですが、これが日々の行い・実践の中で雰囲気に酔いしれるとなると非常に危険となります。

単純に言えば、空理・空論で物事を判断し、生兵法で対処するからですので・・・。

本人が苦しむだけならかまわないのですが大抵は弁が立ち、知識だけは十二分な為にその勘違い行為の被害は拡大しやすく、また多くの人を巻き込み易いので始末が悪いです。

ちなみに私の経験上では、このような場合の実害を避ける手段は個々の見識・実力を上げるしかなく、その人に注意や助言に知識の伝授などはあまり役に立ちませんでした。残念ながらも・・・。気をつけたいものです。

さて、今回はここまでです。お役にたてば幸いですが・・・。

それでは、貴方に全ての良き事が雪崩のごとく起きますように・・・。

皇悠拝。

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2008年11月 5日 (水)

お礼参り

何時も御覧頂きましてありがとうございます。

どうも、皇悠です。

さて、そろそろ秋も終わり、冬支度の準備が必要になりますが、皆様はもうされましたか?

さて、先ほど、ホンの三時間前に久しぶりに内藤新宿は花園神社(旧名、花園稲荷神社)にお礼参りにいきました。ちなみに叶えて頂いたのは、ぶっちゃけますが金関係です。急場で金が必要になったので金策に回りながら、願掛けしました。さすが、信頼している神社ですのでちゃんと叶えて頂きましたが・・・。

しかし、お礼参りに神社に向かう途中で「失敗した!」と思いました。花園神社はちょうど、今日が初日・一の酉の市(本殿に大鳥様こと、武神の大和武尊を稲荷神社としては珍しく御祀りしていますので大鳥様にちなむ酉の市を花園神社でも行います)の本祭日でしたのを昨日、ブログに書いていたにもかかわらずスツカと忘れていたいました。境内は参拝客と出店が多く(普段の100倍の人口密度・・・orz),特に本殿は殆ど映画館の入れ替え制状態でした。

まあ、諦めて今回は簡単に本殿では挨拶と感謝をして、後日に再参拝を約束してきました。

でも、本命の同神社の境内にあります、威徳稲荷神社様はやはり参拝者も少なく、何時も通り、いや少し短めの30分ほどのお礼の参拝・祈祷を出来たのは、良かったですが・・・。この神社は新宿の歌舞伎町という繁華街のすぐ隣りにありながらも、しかもそれなりの知られた神社の一付属としかいえない小さな社の神様ですが、何故か私と相性が良くてここでの祈願は7割以上の成就率があります。実は、往々にしてその神社の本殿に祀られている神様よりも境内にひっそりとあるこのような小さな社の神様の方が験があったりします。

しかも、有り難いのはこちらの方はそれほど供物や賽銭を出さなくても(数十円でも十分に・・)古伝の経や祝詞を納受してくれます。ほとんどの寺社の神仏はそれなりの供物&少し痛い賽銭&経&祝詞のフルコースでやっと叶えて頂けるか、どうかなので正直、あまり気軽に祈願出来ませんから・・・。

といいながらも、私の参拝・祈祷方法は師のやり方のさらに改良版・一門の秘密系の呪術師仕様なので、普通の人がここに祈願に伺おうとしてもあまり意味がないかもしれません。昨日も書きましたが、ほとんどの人の参拝は数秒参拝&祈祷『 パン・パン・合掌・「00欲しい」で終了』で、『お前、幾らなんでも人に何か頼むのにそれはないだろう・・・』という礼儀知らず&神仏を舐めたやり方ですから、「何処の誰がそんなやり方で叶えてくれるんだ?」という状況ですから祈願が成就しようがありませんからね・・。

こういう時に本当に私は、今ではこういう忘れられた作法を時間も金も労力もかけて身につけましたが、こういう時に役に立つのが呪術を学んだ報酬・祈祷の醍醐味だとつくずく思います。

さて、今日はここまです。

それでは、「貴方に全ての良き事が雪崩の如く起きますように・・・」

皇悠より・・。

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2008年10月21日 (火)

2チャンネルにおける会話or記述

何時も御覧いただきまして、ありがとうございます。

さて、一部で私の2チャンネルだの記述にたいして興味があるということなのでそこでの会話・記述を書こうと思います。ただし、私が記述していないところの文章は著作権があるので要約・意訳で記述しています。

(まず前の76番目の記述者の書き込みで師の弟子が来ないかな?が記述されていました。)

77番目の私の記述(私の登場・自己紹介と告知)

どうも、呼ばれてたので来ました。k師の元弟子desu.
ある心でブログを書いてる似非妖術師の皇悠です。

チャオ! 久しぶりに来たら荒れ&廃れで驚きました。古い十年ぐらい前の情報でよければ、禁に違反しない限り書くよ・・・。
でも、混沌魔術はもう古い体系だから興味のある人はいるのかな?

ちなみに、また明日から忙しいので今日の22時まで出来ません/いられません。

それと、あれから来られなかったのは2チャンの人大杉で携帯(当方はドコモユーザー)からのアクセスが拒否されたためです。

78番目の私の記述

記述ミスで(age=空白)でアップ

79番目の私の記述

どうも、皇悠です。 すみません、上の77は間違いです。あげ間違えました。

詳しい範囲を決めてませんでしたので大枠まで、基本的に私が知る範囲での
「混沌魔術・メガ・西洋魔術それと当時の差しさわりのない範囲でのメガ一門、
KBとBPWのサファイアロツジなど・・・」について書こうと思います。

ただし、かなり基礎知識を最低限、「無の書や魔術(byクロウリー)、カスタネダ」位は読了していると言うことでお願いします。
これらの本の知識ぐらいは混ぜて書かないと私が表現出来にくいので、「それでもよければ・・・」と言うことでお願いします。

では、よろしくお願いします・・・orz。皇悠より。

80番目の私の記述

再度、すみませんでした。間違いは77ではなく78でした。

81番目の無名の質問者の登場・質問(の要約)

答えれる範囲でメガの訓練内容を教えてください。(前回の混沌魔術はここ中心で語ろうpart1にてODIO師の本BPWの自費出版本のMMMの要約がアップされ分離眼と米粒数え・高所立ちは詳しく記述されていました。よって、それ以外の訓練を希望されました)

82番目の私の記述

どうも、皇悠です。

さっそくの質問ありがとうございます。
分離眼・米粒数え、高所立ち以外ですと、シャーマニズムの定番不眠/徹夜、
姿勢制御などがありました。それと四大の克服/制御(これは人によりどのエレメントを突破するかは師の指示で決まりました)

83番目の私の記述

補足です。四大と言いましたが正確にはエレメント(メガ流の世界の構成要素)の克服です。
ただし、このエレメント区分が伝来のものか、師が加えたモノかは私には不明。

具体的には、響が某サイトでネット上に公開したような焚き火を踏み消す(師は火の上を踊ると表現していましたが・・・)などです。
ちなみに、私がした克服は秘密です。

84番目の質問者の記述(要約)

集中力がいり、心身にきつい感じがします。エレメント区分は西洋魔術と同じですか?

85番目の私の記述

どうも、皇悠です。

数が多いですが同じものです。ただ、ODIO師(以下、和名の憎悪師とします)のいうように、象徴体系ではなく信念体系ですので、物理世界の四大を内包しています。
つまり、例えば水を支配すると言うことは水に対する耐性・恐怖を持ちその上で操作・熟知が必要になります。具体的な考え方としては泳げない人は水の支配は不可能です。

このことはD・フォーチュン女師(以下D・F師とします)が心霊的自己防衛で非・人間の章でも書いていますね。

また、個人的な考えですが、集中力というよりも訓練をどれだけ真摯にしたかだと考えています。

ただ、メガの一門は正直なところ同じ教義・信仰を保持する団体・教団と言うよりも武術者集団に近く、各自の訓練・考えはかなり色々でした。
当時の雪氏と巧、響と私などの意見はバラバラでした。そして偶然会いました師の兄弟弟子のお弟子さんも考え方は異なっていました。

また、当時習いながら修せずにいたことを、独立後に学びなおしたことなどがあるので正直なところ、正しいかは別ですが・・・。
それに、メガの体系では暗記テストとか知識問題はまずないので、あくまで実力重視でした。

86番目の質問者の記述(の要約)

近年売られた師の本[BOB]にて死者の喚起があり、それについての私[皇悠]の感想・考えおよび実践しているのか?

87番目の名無しの記述  

面白い

88番目の私の記述

どうも、皇悠です。
返信が遅れて、申し訳ありません。
ただ、正直なところ道義的な問題を多々含むのでどう答えるべきか、
考えてしまいます。

まず、私自身は死者の喚起、または死者との対話系の術はやったことはありません。
幾つか知ってはいますがそれは全て東洋系の技法です。
何より、私が師の下にいた頃では死者(死霊)に関わる技法は私が知る限りでは、
ほぼ、禁忌に近い扱いでした。これは師の師[私にとってはメガの源流に当たるの方〕が禁じた事
の一つと認識しています。
もし、やるのなら死霊魔術の専門家にでもなるしかないという話を聞いた覚えが
あります。その理由は幾つかあり長いので今回は省きます。

ただ、一つ言える事は
輪廻転生が存在するかどうか判りませんが、死者の喚起および魔術的Entity
の作成はその魂の運命/ 存在を呪縛or改変します。『前回・本文章の2チャンネルでは抜けてますが、ここで言う魂とは死者の魂の事です』

故にこれこそ魔術〔自らの意志を人に押し付けると言う意味では真っ黒ですね〕と言えるかもしれませんが?
また、私がいた時代には知る限りで死霊系の術の伝授はありませんでした。

これで答えになりますでしょうか?

89番目の私の記述

どうも、皇悠です。本日22時までという話でしたが需要がありそうなので、
何とか10月15日24時までの分は返信します。

90番目の無名の質問者の質問(の要約)

KBとはどのような団体でどのような活動をしていたのか?MMMにてODIO師がメガを信念体系、(西洋)魔術を象徴体系と記述・定義しているのですがその違いを教えてください。また、メガには四大の区分は使われているのですか?

91番目の私の記述

どうも、皇悠です。

信念体系とは「本人がそれを真実だと考え・そうを確信していれば(=それがその人の信念であるならば)そうなる」とする体系・立場です。
象徴体系は「ある象徴を動かすことで、ある変化をおこせる」という体系・立場です。

さて、構造上、信念は象徴を規定しているので、信念体系は象徴体系の上位になります。

また、メガかどうか判りませんが四大・七惑星・十の球以外の区分は存在していました。

92番目の私の記述

どうも、皇悠です。

質問の続きですが、KBとBPWは完全に別組織でした。
ただ、私のように両団体に所属していた上に師の弟子である者。
BPWの会員で師の弟子であるもの、両方に所属しているが門下でないものなど、
師の周りではかなり重複・混交してはいましたが・・。

KBの当時の活動は、師が代表になったことで改変期にいたので明確な教義はありませんでした。
毎月のように新しい技法・考えが生まれ試行され、批判と工夫のうえに再構築されていました。
その一部が、出版された無名祭儀書などに出ています。

ただ、研究活動は特殊な神格との交信と分析、当時我々が翻訳した無の書の研究・実践が中心でした。
ちなみに当時の私は混沌魔術の源流、クロウリー系のヨガとカスタネダの分析にハマっていました。どうも、皇悠です。

93番目の私の最終記述「(24時を過ぎた・翌日になったので宣言通りに終えました)

さて、かなり簡略して書きましたが、これで失礼いたします。
やはり、2ちゃんねるはどうしても書ける量が少ないのでぶつ切り気味になり
変な文章になりましたがこれもお許しください・・・orz.
私自身、欲求不満ですがシステム上仕方がありませんよね・・・。

それでは、皆様に全ての良きことが雪崩の如く起きますように・・・。
皇悠・・・orz(拝礼)。

なお、94番目に遅れて質問がありましたが、基本的にメガ及び西洋魔術に関係ない事柄(私の保持する東洋系の死霊魔術、私の死霊魔術についてのスタンス)を聞かれるなどだったので記述せずに、終えました。

さて、2ちゃんの記述様式とブログでは様式が違うのおかしな感じですがお役に立てば幸いです。

それでは、貴方に全ての良き事が雪崩の如く起きますように・・・。

皇悠拝・・・。

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2008年9月 7日 (日)

神棚・・

何時も御覧頂きましてありがとうございます。

どうも、皇悠です。

さて、最近は神棚を祀っている家庭が減ってきたと言われます。

家庭が核家族化し、古くからの信仰やしきたりが解体されてゆく現代社会において、若い世代の信仰心は極めて薄くなっているかというと、そうでもないようです・・・。
実は、きちっと神棚を祀りたい、神社で拝礼するちゃんとした作法を知りたい・・・。そういう方もまだまだいます。


夏休みなどになると 結構若い人たちも大きな神社や有名なお寺に 朱印帳 を片手に持って、参拝に来ていますから・・・。

しかし、核家族化、単身赴任、1人暮らし・・・。
決して広くない住宅事情・・・。
信仰の多様化・・・。
西洋化した生活空間、インテリア と 神棚 のギャップ・・・。

本人が神棚やお社を真摯に御祀りしたくとも、いろんな理由で出来ない事は多々あり、しょうがない面があると思います・・・。

なかなか、御祀りは難しいモノです。私も何度か神像や仏像を手に入れ・御祀りさして頂きながらも手離した事や御別れせざるを得ない場合がありました。

今あるお稲荷さんも何時までいられ持つのかは、実は不明です。

私には日々の勤行している最中に、突然ピキッという音と共に観音像(高さ約15cm/銅製)に割れ・クラックが入り、腕がもげた経験があります。さすがにこの場合は銅製・鋳物なので溶かして型に入れ直すしかない・修理ではなく再鋳作しか手がないので、あきらめて魂抜きして処分しましたが・・・。

まあ、かなり荒いというか負担になる使い方をしていたので、しょうがないのですが・・・、面倒でした。

では、このたびはここ迄です。楽しんでいただき、お役に立てば幸いです・・・・。

では、いつものヤツを、『貴方に全ての良き事が雪崩の如く起きますように・・・。』

皇悠より。

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2008年9月 2日 (火)

基本ポリシー

何時も御覧いただきまして、ありがとうございます。

どうも、皇悠です。

さて今回は、只の雑談です。

えーと、まずこのブログは基本的に

リンクも、

コメントも、

トランスバックは完全にフリーです。、

「勿論、その内容が記事にかかわりのあるという基本的なこと条件を満たしているのであれば、どんなものでもオーケーです。例えば神道の祝詞の記事にどこかのサラ金の批判、アニメの記事にエロサイトの広告などというような可笑しなモノでない限りはですが・・・」

また、内容が適切であり、断りがあればコピー&ペーストも許可するつもりです。

そういうわけで、前回の記事でコメントをいただきました(・・・ありがとうございます)Nola lLa様へ、

どうぞ、お気兼ねなく、お書き込みください。

さて、少し硬くなりましたので、ここからは雑談を書きます。

まずは、注意を・・・・。

かなり以前になりますが、天使の記事と信仰の記事で日本の魔術文書や公的文章の中で、ズレた見解・間違いがあるということで批判的に書きましたが、今回もそういう事を幾つか書きますので、お嫌いな方は今回はここでお読みになるのを御止めください・・・。

さて、ここまで進まれたということは、

お読み頂きまして、その結果が大変に不愉快になるのもかまわないかということと考えさせて頂きますので、

これから罵倒雑言、批判を書きます。

1、今でもアブラメリンが最強・最高・無敵などと考え信じる西洋系の術者、具体的には魔術師・魔女などは、その実力・経歴を問わず馬鹿であるか、現代的な海外なら子供ですらわかるようなメディア・リテラシーすらできない屑である。

では、反証として以下をあげます。

何故なら、まずアブラメリンよりも強力な術は現在いくらでも開発され、存在している。

アブラメリンを公的に広めたはずのマサースやクロウリー、この日本で訳して商業出版した二人が基本的にアブラメリン術師ですらない「内一人はわが師ですが・・・」事実。

オカルト雑誌・ムックでかかれるライターが基本的に版権その他により古い文書/記事をもとにして書かれ、往々にして西洋系の術師ですらない事実があるからです。

勿論、アブラメリンの特に修行方法は今でも大変に有効ですが、あれよりも強力にして効果的なモノ(その分、精神的・肉体的に危険で辛い)は幾らでもあります・・・。

2、いまだに性魔術が普通の儀式魔術や祈祷法よりも強力だとか効果的と考えている術師は、同じように馬鹿か屑である。

事実は、逆です。

優れた術師は性行為という「・・ギネスの最小出産記録は10歳以下ですので」子供すらできる娯楽・遊戯・本能的行為すら魔術に利用出来るということです。

といっても、師はSEXやドラックの魔術は相性もあるので、人によっては性魔術のほうが効果的な場合を否定はしてませんでした。只そういう方は変な言い方ですが普通の魔術も上手・才能があるといわれてましたが・・・。

私も、そう思います。

さて、性エネルギーは私のような薄徳な凡人すら持てる万人に開かれた数少ない力の一つなのでSEX・出産・養育行為に使うよりも別のことに活用・利用した方が魔術・宗教に限らずに歴史上では、基本にして、また、デフォルトです・・・。

それでは、今回はここまです。

それでは、いつもの言葉で締めます。

貴方に、全ての良き事が雪崩の如く起きますように・・・。

皇悠より敬愛と感謝を込めて。

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2008年8月 8日 (金)

立場表明・・・。

いつも、御覧頂きましてありがとうございます。

どうも、皇悠です。

さて、今回はコメント頂いた悩めるもの様に答えつつ、改めて私の現在の立ち位置を表明・説明したいと思います。

まずは、悩めるもの様へ。
精神的、経済的、家庭環境的、そして肉体的にも辛い状況とお察しいたします・・・。

私自身、祈祷師時代にも何人もの苦難を乗り越える為に努力する方々を見てきました。

破産間際の会社を立て直す為に持病と戦いつつ苦闘した方、交通事故の被害者として後遺症に耐えつつ社会復帰に漕ぎ着けた方、色んな苦境を乗り越えて幸せ・目標を達成した方々の援助をしましたが、皆様全てかなり大変な思いでやられていました・・・・。

ただ、現在の私はそういった事を含め、まずは相談事・依頼祈祷からほとんど手を引きました。

幾つかの案件で成功しました事で、同業他者からのトラブルやそれらを聞き伝え依頼人の増加等々で自分の学習・修行を含め私生活がなくなったので・・・。

その為、簡単なアドバイス位しか出来ませんが、参考になれば、幸いです。

先ずは、多分悩めるもの様自身が恐れ・不安感から先送りしている事柄・問題が幾つかの在ると思います。

それらは神仏や祀り事とは関係無い事柄で・・・。

先ずはそれらから、勇気を出して、見栄と依存心を棄てて取り組む事をお薦めします。

何故か神仏・祈祷の世界、呪術の力はかけ算の世界なので、日常的な面・社会人としての常識的な面等がマイナスやゼロですと、全てがあしき結果にしか為りません。

ただ、そういった事柄がまともに対応し、処理出来ないから神仏・呪術に頼る、または逃げたい人が神仏・呪術に手を出しドツボによく嵌まりますが、しかしながら私の経験上において、残念ながら人として当たり前ができない限りは永続的な神仏の加護、呪術・祈祷力が維持出来ません・・・。

ですので、神仏祭祀以外の解決法を同時平行的に行って下さる事をお薦めします。

また、ご希望の具体的な神仏への対応、祭祀の仕方・祈祷による開運法・特に御返しアンドお詫びの仕方などは残念ながら、実地で教えながら行わないと意味がなく、万が一にも間違いますと更に悪化するので、対面口授でしか出来ない事を御理解下さい・・・。

また、あらかじめ伝えておきますが、現在の私は少数の固定客以外の方への対応は時間的状況的に出来ないので、対面口授自体がまず出来ません。

しかし、ヒントは過去の記事に十分書いてありますので、読み解いて下さい・・・。

現在、ソロでかつまた、引退した身の上とは言え、私も其れなりに守らざるを得ない秘密・ルール・約束等が色んな処に有りますので、幾つかの暈し・なか抜きはしてますが、それでもかなり有効な手段を幾つか書いていますので、御参考下さいませ・・・。

それでは、悩めるもの様のご多幸をお祈りいたします。

お役に立てば、幸いですが・・・。

今回はここまでです。

それでは、悩めるもの様、御覧の皆様方、
貴方に全ての良き事が雪崩の如く起きますように・・・。

では、また・・・。

皇悠拝。

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2008年8月 6日 (水)

返信

いつも、御覧頂きましてありがとうございます。

どうも、皇悠です。

さて、今回は近頃頂いたコメントへの実質的な返信です・・。

まずは、tony様へ。

勘違いだったら申し訳ないないのですが、私もよくコメントさして頂いてます同じココログの内の中村師に同じように書き込みをよくされる、あの同じ伏見系稲荷勧請をされたtony様ですか・・・?

そうでしたら、正直嬉しいのですが、間違いでしたらごめんなさい。

さて、ごめんなさい忘れてました、わざわざのコメントの方も有り難うございました。orz。

特に神仏祭祀の記事を的確な個人的体験談と共に発表・御理解の方をして頂きまして有り難うございます。

正直なところで、
願望実現したい!お陰を頂きたい!!不思議体験したい!?
でも、日々の祈り・勤行は嫌です。修行や学習は面倒くさい!!
という方々がやはり大多数なので、祀り過ぎの弊害や各神仏への信仰の分散化・俗な言い方なら二股三股・・・による神仏同士の力の対立と混乱、そして何よりも多く祀るがゆえに各神仏の個々に対しての関心が薄れと、その必然で起こります各神仏の応験の弱さ等は誰も理解されないだろうと書きながらも感じてたので、嬉しいです。

また、理解してくれてもなかなか一度祀り・関わりを持った神仏を整理し絶つのは難しく、祈祷業者時代はそれでも苦労しました・・・。

さて、tony様は現在お祀り・信仰されている神仏が4・5あると言うお話ですけれども、数百の聖地・霊山を巡り多分各地毎に御札を集め、信仰に迷っていたのが4・5にまで収束し濃縮されたのであると考えますので、更に無理に狭める必要はないと思います。

私自身、恥ずかしい話ですが、元が西洋魔術から入り鍛え上げて頂き、更にその恩人がゲーティア・俗に言う悪魔召喚術の名手だったので、それもそれなりにしますし、時には西洋魔術系の基本的な祈願や使役もします[ただ、西洋魔術系では、基本的に唯一神への信仰とまでいかなくても存在すると考え、敬意があれば、理論上使用出来るので、かなり窓口が広く、その辺はアバウトですが・・・]。また、今は稲荷信仰者と言いつつも現代版の稲荷信仰ではなく、私のは絵画や説話において天狗やダキニ天に神仙等が稲荷神と共に描かれ関わる中世の稲荷信仰に近いタイプです。
[何故か、私は稲荷の使いが蛇・竜・龍神等の原型系ではなく狐・女天・天狗等の稲荷修験系ばかり感得しますので、合わせていった先がこうなりました・・・閑話休題。]

ですので、かたち的には私のは稲荷プラス天狗の神仏習合信仰です。そして、稲荷神自体が元来複数の神のまとめての信仰ですし、天狗信仰自体が基本的には私に限らず、ある長の大天狗から始まる小・烏・木っ端まで含む天狗集団への信仰ですので[私の場合は、稲荷大明神を長とする天狗集団信仰です]、お祀りする神仏は少ない方が良いと言っている私自身が関わります存在自体はかなりの莫大です。

基本的にはお稲荷様だけですが・・・・。

また、お不動さんや弁天様の童子たち、毘沙門天の夜叉群、薬師の十二神将などど部下も仲間ない完全に孤独な神仏は実は少ないですが・・・。

そういう意味では、tony様の信仰する神仏が4・5位あるは日々の祭祀が主に供物料の財政面と勤行時間さえ折り合えば在家の個人で行える範囲内ですね。

ただ、先の悩めるもの様の場合は桁が一つ違う上に難しい神仏、例えば供物料や掃除が大変厳格な聖天様に、天照大御神と大物主と言うどう見ても神話的ライバル・競争関係でもあり、しかもさらに両者共に当時も今も日本の最高祭祀一族の天皇家が祀りきれないと投げ出し、他人に押し付けた神々などをお祀りをしていましたので、個人レベルでお祀りするというのは難しい問題と判断して、敢えて批判的に書きました。

幾らお祀りしたくても、ちゃんと出来ないなら無茶は無茶です。

それに、しっかり出来ているならば、怪しい何処のどいつとも知れない私なぞに質問自体があるはずがないので、全然お祀りしきれていない前提で書きました。
ただ、書いたからには誰かの何かの役に立てば、良いのですが!?

さて、それでは、tony様。これからも引き続きご愛顧の方をよろしくお願いいたします。

また、御覧頂いているだろう、他の方々・貴方にも全ての良き事が雪崩の如く起きますように・・・。

では、また・・・。

皇悠拝。

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2008年8月 2日 (土)

閲覧される方へ・・・

いつも御覧いただきまして有り難うございます。

どうも、お久しぶり?です。皇悠です。

さて今回は、期間限定でこのブログを御覧いただいている方・閲覧者にご質問をさせて頂きたいと思います。正直に言いますと、そろそろネタ切れになってきましたので、協力いただけると助かります・・・。

因みに期間は今月の十日「日曜日」夜10時までとさせて頂きます。

では質問です。

  「貴方は、このブログの記事でこれから何を読みたいですか?」

なお、ご要望・ご返答はこのブログ・今回の記事の下のコメント欄に名前入りでご記入ください。

今回は名無しは無効とさせて頂きます、何度でも自演・偽名の利用は可とします「どうしても書いてほしい・見たい・読みたい熱意と考えますので・・」。

一応はそのコメントの内容に出来るだけ答えていこうと考えております・・。

勿論、あまりに無茶なモノは出来かねます。

かつて、呪殺法を真顔で初めての顔合わせ時に開口一番で聞いてきた方、いきなり弟子入りを希望してきた方などがいましたが・・・・、非常識でしたが礼儀として最低金額「多分業界の平均を知らない方でしたので、驚いていましたが・・・」や入門試験のいくつか(ハードなモノもあります)を教えますと、彼らはその内容を聞き何故か諦めてくれました。

当たり前ですが、呪殺などの大法・弟子入り「特に弟子希望者からの場合は・・・」は大抵きつい条件が付きます。これは多分どの分野でも同じでしょうが・・・、流派・教義に関係なく・・・。

さて、今回はここまでです。

どうぞ、よろしくお願いします・・orz.

それでは、貴方に全ての良き事が雪崩の如く起きますように・・・。

またです、皇悠拝。

追伸、なお某掲示板での今までの書き込み内容でも可とします。あそこは現在私の携帯電話「因みにドコモです」は一律のアクセス拒否によく引っかかるので完全に撤退をしました・・・・。

あそこで告知出来ませんでしたが、告知することすら出来ない状態なのでしょうがないですよね。この場にて一応の説明・告知させていただきました。では・・・。

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2008年7月29日 (火)

師と弟子・・・。

いつも御覧頂きまして、有り難うございます。

どうも、皇悠です。

さて、今回は私を妖術師として、育て上げてくれました2人の師について書きます。

まずは、私に呪術的な基礎と多く知の恵みを与えくられた恩人がいます。
彼には、西洋魔術と彼の継承した特異性溢れたメガと呼ばれる体系の基本技術を習いました。

もう1人は、もう亡くなりましたが、修験系古神道を奉じる個人営業の祈祷師・神主の方でした。
この人からは現代版に改変された神社神道とは違う古い形の神ながらの道と救済の具体策を幾つか習いました。

その為、基礎な考え方や個人的な訓練は初めの方風に、日々の信仰生活や除霊・祈祷はその方風に今は私はなっています。

ただ、こういった事が成り立つのも2人が全然タイプが異なる技術者だったためでしたが・・・。

片方は自己訓練と学習・探究型で、もう一方は奉じる神仏への奉仕とその威徳の厳修に明け暮れてましたから・・・。

修行と帰依、魔術と信仰、色々な面で違いました。

但し、2人共にあまりにもマイナーな体系だったため、普通に人前に使う場合にはある程度汎用性をもたらす為に、かなり改良と工夫がいりました。

幾らなんでも、緊急時に野外なのに黒いローブに着替えてから変な自作の杖で空書したり、室内に塩水のばら蒔き・線香焚きは今の21世紀の日本の住宅設計的にも、無理があります。

着替える場所がない場合や時間的余裕さ、用意出来るだけの経費・費用も馬鹿になりませんし・・ね。

だから、私のやり方は必要かつ最小限の道具立て・作法等にしました。

そういう意味では2人の師がいて良かったです。片方が駄目でももう一方と言う風に補完できましたから・・・。
但し、その為にかなりの我流・特異性なモノになりましたが、しょうがないですよね。

個人にとって真にフィットし効率的・有益なモノは最終的に個人仕様に為りがちですから・・。

さて、今回は久しぶりの個人的な語りをしました。
楽しんで頂けたら、幸いです。

それでは、貴君に全ての良き事が雪崩の如く起きますように・・・。

ではまた、皇悠拝。

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2008年7月28日 (月)

現代の呪術修得のいくつか

いつも、御覧頂きましてありがとうございます。

どうも、皇悠です。

お久しぶりです。いそぎの鎮魂儀礼も滞りなく、終了し、ヤるべき事も一通り終わったので、また、このブログを再開しようかと思います。

引き続き、ご愛顧宜しくお願いいたします。

では、いきます、再開第一回目はこれです!?

さて、今回は現代の日本における呪術修得・修行についての考察です・・。

まず、現在、私もこうやって利用させていただきますネットという手段で安易に情報自体は入手出来ますが?

しかし、ネットの情報に騙りや偏重、バイアスまた自らの無知のゴマカシを隠す為の偽造等が、溢れかえっているのは、ネットにて情報発信・作成に関わった方々ならご理解頂けると思います。

また、正直なところ、雑誌・新聞・本などの紙媒体と違いネットでの情報入手者は金銭をまずは出して無いので、例え虚偽だとしても[ならみるな!!]の一語で文句が言えなく成ります。

それに、所詮ネットの情報は画像と文章がまだまだベースなので、書籍などの紙媒体と変わらない面もありますし、ネット情報だけで呪術知識が足りる・修行が出来るとはイキマセンね、残念ながらも・・。

さて、現代にて呪術を学び修める方は大体幾つかのパターンに分かれます。

まず多分、現代日本で一番に多いのは、生まれた処が宗教関係の家で、親や周囲が自然にやっているので習い覚えてしまった系でしょうか・・・・。

ほとんどのお寺や神社関係者はその呪術知識、祈祷技能は生育環境に負ってますからね。

具体的には、親が住職でよく祈祷していたとか、神社の子なのでお祓いを見て育ったとか、です。

この場合で有名な方と言えば、高野山真言宗の池口恵観師や金峯山修験本宗の田中・五條御兄弟などですね。


次にありがちなパターンは、中村雅彦師が呪いの研究でも上げられた例です。

幼少時からだったり、突然の霊的危機だったりしますが本人は意図せずに霊や神仏意識と繋がってしまいそれに対処し付き合う過程で学んだ場合です。

実例はほん怖の寺田玲子氏や作家家田荘子氏、分かりやすいのは、映画にもなりました小説コンセントの主人公等です。

[何故、例に男女差・偏りが・・・?]

さて、最後に、興味半分だったり、なんとなくだったりしますが、呪術を学び修行するか過程で、どんどん深みにハマり、気付くとプロ・専門家になっていた系ですね。

この場合の有名なかたは、ブラジルのパブロ・アマリンゴ師、D・フォーチュン、カルロス・カスタネダ、中村雅彦師、アレイスター・クロウリー等々諸氏多数です。

そして、何故か後世に影響力を発揮するのは、家業系でも宿命系でもなく、こういう修行系だったりします。

何故かこういう方は書籍を出す場合は多作で良品質なモノを作ります。

この辺は色々と面白く不思議ですね。


さて、今回はここまでです。

それでは、貴方に全ての良き事が雪崩の如く起きますように・・・。

では、また・・・。

皇悠拝。

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2008年7月11日 (金)

道楽者の日常

いつもご覧いただきまして、ありがとうございます。

まだまだ、梅雨とも夏とも言えない不安定な天気ですが皆様はお元気ですか?

どうも、皇悠です。

私が現在住んでいる場所は神奈川県の内陸部なのですが、かつての干拓される前の海沿いの頃の名残か地名は海に関係する入り江だの、島だのがちらほら見かける処で、似非二流風水師としては、さっそく竜脈だの、方位だの地磁気に、周囲の寺社の御本尊なぞ調べながら日々暮らしています。

因みに発見としては当地は伏見稲荷系の小社、成田山系の不動尊と伏見系の稲荷の両祭神にする社「ここにはしっかり堂守が常駐してます」、それとサルタヒコを単独で祀る小社などがちらほらあり、パワースポットなぞも見つけました・・・。

これらの神仏には勿論、ご挨拶をした上で、御加護と面通しをしておきましたが・・・。

昔の西洋魔術バリバリの頃では、面通しの必要性なぞ分かりもしませんでしたが、意外にこうゆうことはこんな稼業をしていた者として、重要です。

奴ら、というか遣い魔や霊に襲われ、戦うor逃げる場合などの避難所・防衛ライン、簡易緊急要塞などに使うのに、あらかじめ許可をもらっておくと大変便利ですので・・・。「この場合はめったにないのですが私にとって有害・ネガティブなモノと対処する場合がどうしてもあるとお考えていただいて、いただきたい・・・」

別に、今のように専門祈祷師・拝み屋をほぼ廃業していても、自然にアストラル界のチンピラ、俗にいう悪霊としか言えないものと霊能稼業・呪術修行ナゾ積むと関わる事になるのです・・・。

メンドウクサイ話ですが・・・。

このことはあまり語られませんが、(南米のノーシス系の一派の本とか、かつてオウムのグルともいわれた中沢氏のバリ島の呪術師の記事ぐらいかな・・・?)大抵の呪術師は大なり小なりこのような霊的な害虫駆除の経験を積むモノです。

あえて、どこぞの霊能者のように意識して未成仏の死霊だの幽霊だの、妖怪だのを供養し祀りあげる事などをしませんが、何故にしてか関わってくるモノもいますので、そういうモノへの準備も必要という訳です。

同じ事をかつて仙道家の高藤総一郎氏も幾つかの記事で書いていましたが・・・・、本当に面倒くさいです。

なんで、こんな一人パントマイム、個人でのゲリラ戦をしなくちゃならないのでしょうか?

唯一、めったにないのが救いですが、始まると精神的・体力的に本当に参ります・・・。

見たくもない奴らの姿が四六時中視界に映るのは勘弁して欲しいものです。

トトロとか、ネコバスみたいな可愛いモノならいいですが、どう見てもバタリアンや腐乱死体一歩手前のお姿がチラチラ居られると「ホント、カンベンしてください・・・(涙目)」という気分になります。

そんな訳で、今は当地に来てからは日々御仕えするお稲荷様その他の方々以外に、近所の各種の御祭神・仏と友好関係を結ぶことに力を入れています。もう少しである程度の形が出来て、終わりそうです。

それでは、貴方に全ての良き事が雪崩の如く、起きますように・・・。

では、また・・・、皇悠拝。

追伸、ここ四・五回の記事は文字を全部青字にしてみたり、途中で文字の大きさを変えたりしてみましたが、よい気分転換になりましたか?

楽しんでいただけたら幸いです、では、また・・・。

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2008年7月 1日 (火)

夏越しの祓

いつも、ご覧いただきまして、ありがとうございます。

どうも、皇悠です。

さて、昨日は6月30日という事で、少し念を入れてミソギの大祓を中心に祓いをしました。

また、昨日は時間が無い事が先に判っていたのでさらに前の日に近くの夏越しの祓由来繋がりで氷川系のある地元神社に守護・祓いを祈願しました。
ただ、正確には夏越しの祓もそうですが、日本の祭事は全て旧暦&月の満ち欠け基準なので、また近い内に面倒ですが行じる必要がありますね。

それでは、貴方に全ての良き事が雪崩の如く起きますように・・・。

皇悠拝。

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2008年6月21日 (土)

ある魔術戦・呪術闘争・呪詛祓い・・・

何時も、ご覧いただきましてありがとうございます。

どうも、お久しぶりですね。皇悠です。

さて、今回は前回の予告通りに私が体験しました呪術戦・魔術戦闘の一つについて書こうと思います。

ただ、私はあまり書く力もエンターテイナーとしての才能もろくにないので、あまり面白くないかもしれませんが・・・。

もし、話としての面白さを求める方には、朝日ソノラマの実話系漫画の寺尾玲子氏のシリーズや日本に魔術を導入した朝松健氏の小説などのほうが面白いですので、先にお勧めします。

それと、もう一つあらかじめ書いときますが、プライバシーや契約などによる守秘義務により、一部事実や名前などをボカシ・仮称などをさして頂いて書きます。

さて、これでどう書いてもオーケーですね。それでは始めましょうか。

あれはもう今から十年近く前のことになりますが、当時恩人・師匠から独立していた私は南米の混交宗教「マクンバ・ブゥードゥーなど」やカルロス・カスタネダ/マイケル・ハーナーのシャーマニズムなどに興味を持ちつつ自身の体系の再構築、幻覚性植物の実験「勿論、合法な朝鮮朝顔やウバタマ、サンペドロ等のサボテンを摂取する位だけで、非合法な覚せい剤や麻薬などはしていないですよ」をしていた頃でした。

さて、その当時の友人の一人に今も人気のタロット占いを趣味としていた奴がいました。そして、彼の友人兼相談者にある女性がいて、彼の占いではその相談に対して有効な手立ても知恵もないということで、私に相談と言うか/話が何故か来ました。

ちなみに、私が彼から相談されたのはこんな感じでした。

「なあなあ、俺の占いにこんなんが来たんだ。彼女の家及び周囲・家族にここ2・3ヶ月の間に不幸というか奇妙なことが連続して起きるんで、その原因と対処法を教えてくれと彼女からは相談されたんだがよぅ、でも、俺のお得意のタロット占いでは判断・答えが出ないんだよなぁ・・・。なあ、さっ、お前ならわかる?・・・」

さて、その奇妙な事の内容というのは以下の通り。

『まず始めに、彼女の飼っていた猫が朝いきなり死んでいた。

それを皮切りに台所のガス給湯器が突然止まり、冷水になる(なお、何度も修理に来てもらうが原因不明で直らない状態が継続中)。

同居している親が風邪または気管支炎が治らずに約1ヶ月微熱と眩暈でフラフラし、半寝たきりでいる(一応は内科に行くが処方された薬・注射の効果もなく、また改善が見られず。ただ薬を貰う為に通う状態)。

原因不明の手足のシビレおよび頭痛が断続的に、大体一日に3から5回、一回30から40分位起きる。

また、近頃では週に3・4回悪夢(内容は各回ごとに違うが鎖・紐・蔦など何かに締めつけられるモノか、黒い影や男に追いかけられると言うのがパターンがほとんどとの事)を見るようになった。

家の中に何か魚か生ゴミの様な臭いが時々するように感じる・・・・等』

さて、これらの話を聞いて、はじめに私が感じたのはその女は只の関連妄想者、よくいる悲劇のヒロインぶる女・自分に不都合なことは全て他人のせいにする人種かと思いました。

今も一部で私の中にありますが・・・。当時は特に、「どんな状況でも繁栄し、成功し、幸せになる人間は確実にいる。だから、どうしても、不幸なのは本人が弱い・愚か・未熟なだけ・・・」と考えていたので、まさか彼女・その相談者が呪い・呪詛を受けていたとは、思いもしませんでした。

さて、その話を聞いてもやはり、よくわからない、というか判断がその時はつかなかったので、彼には正直に「やっぱ、わかんねえ・・・。」と答えて終わりました。

さて、ここで普通なら可笑しな話を聞いて、終わりですね。しかし、運命と言うか人生は不思議なモノでそれから、変な感じで動きました。

さて、少し時は飛びまして、その話が出て確か約半年後、私はその占いをする彼と少し音信が途絶えていたので、久しぶりにいっしょに飯を食うことになりました。

そして、その席に彼は確か初めて会う彼の最新版の彼女さんを連れて来ました。

そして、実はその彼女さんが件の話の相談者でした。

始めは、普通に再会を祝い、定例のお互いの近況報告。そして始めて会う彼女さんの彼からの紹介、穏やかに食事に雑談と進みましたが、何故か話は彼女のいまだ継続している不幸に至り、その原因を知るために何故か私が彼女に催眠術をかけることになりました。

ちなみに、この辺の流れは、すこし酒を飲んでいたのでウロ覚えです、スミマセン。

さて、さすがに夜のレストランで催眠術をやるわけにもいかないので後日、日を改めて行うことでその夜は分かれました。

そして、その日の夜から私の魔術戦は始まりました。(催眠術を行うまで私も呪詛に巻き込まれしまったとは自覚していませんでしたが・・・・。)

まず緒戦は、彼女と同じような悪夢から始まりました。  その内容は「巨大なヒドラー多頭の大蛇、八岐大蛇などに追われ、それと戦う」夢を断続的に見るようになりました。

そして、当時住んでいたアパート・部屋の中に不意に何か刺身か魚のようなものが腐っているような臭いがときどき発生。

ちなみに、彼女に比べこの程度で済んでいたのは師の教えでもある、西洋魔術界の慣例で日常的にLPRB/小五亡星の退去式を行い、室内に結界を張り、自己のオーラ・精神の浄化に励んでいたからでしょう・・・。

そして、彼女の催眠術による原因究明の日が来ました。場所は彼氏たる占い師の部屋で行いました。

まずは、雑談と軽い食事をしてお互いの交流&緊張を解き(ここから少し心理学・心理療法の術語が出てきますが、あくまで内容に正確を期したいのでお許しください・・・)、催眠を始めました。

ちなみに使用したのは、古典催眠ではなくNLPやエリクソン(尊敬してます・・・)派の現代催眠系で行いました。

まずは、呼吸・姿勢などのミラーリング。次に声のトーンを少しずつ落としつつ、会話のペースを遅くします。それから過去想起/何年も前の光景を思い出してもらうこと・未来予想/未知空想などのイメージングなどによる催眠の深化を進めます。(この際、勿論ですが彼女の安全と私の公正を図る為に彼氏の立会い・正確には邪魔しないようにだまって見学してもらっていました・・・)

そして、少しずつ、彼女の催眠深度を深めていき、それとともに混乱した文章の接続、埋め込まれた命令/誘導、ダブルバインドなどを使いつつ、より彼女の意識の枷・フィルターを緩め、サイコセンサー/心霊検閲を弱めて行きました。

そして、完全に彼女がかなりの潜在意識・埋蔵された記録にアクセス出来る状態になったのを確認して、質問を始めました。

この辺の会話は書くととても長くなるので結果のみ書きます。

「占い師の彼と付き合う前にある交際希望の男性と付き合っていたが、天秤にかけた後にその男を振り、その人から別れる際に呪うと宣言されていたこと。

呪い手の男性は龍神の力を借りていること。

呪いは一人ではなく複数の人間で行われている事。」などが判りました。

さて、それらの催眠の結果、彼女の口述は催眠から醒めた彼女とそばで見ていただけの彼の二人にとってもかなりのショックだったようでした。「書くのを忘れて、スミマセン。催眠中の質問/審議応答を始めてから傍で立ち会う彼にICレコーダーで私とトランス状態の彼女の会話を録音していました。ですので、質問の内容も彼女は知ることが出来るようになっていました。往々にして、フルトランス・深い催眠状態では記憶の健忘が起きるのでそれに対しての備えです・・・。」

さて、このまま普通の漫画やドラマならすぐに呪詛払い、魔術戦になるのですが、現実は、というよりも私は違います。

催眠・トランス状態の発言/霊告が如何に当てにならないか知っているので、呪いをどうにかして欲しい/どうにかしたいと考えているばかりの二人をとりあえず本当にその男が呪いをする/出来る人間か調べるように説き伏せました。

(彼らにも、未だに伝えていませんが一部の術の中にはこのような被害者の魂・潜在意識/守護者からの情報入手を警戒して、間違った情報を伝え混乱をもたらす為だけの使い魔の憑依を標的に仕込む術があります・・・。ただ、このことは下手に伝えると、このような場合には特に関係者の多くが疑心暗鬼になるので伝えること自体まず出来ませんが・・・)

さて、ここで彼らはかなり頑張りました。なんと二人で協力して調べるだけでなく、探偵を雇い、その男について調べまくりました。

その結果、男は現在は違う団体名ですが今もかなり出版物でも有名な全国レベルの新興宗教・当時の名前で某C、その支部長クラスの祈祷師で、その団体の役職・技能に確かに龍神の力を使うモノがあり、男もその位階に達しており、また同団体の他の祈祷師・呪術者の協力を得られる立場を持ち、更にその支部で彼女の不幸の連続が起きた頃から特別な祭儀・祈祷が行われていることまで判明しました。

さて、この状況証拠から見て、どうやら彼女が呪詛・呪いの標的にされているのは間違いないのは私にも納得せざるをえなくなりましたが、そこからが困りました・・・。

実は私の師は基本的に西洋魔術、しかも黄金の夜明け系儀式魔術と混沌魔術と呼ばれるモノを中心に先々代からの呪術・祈祷法も身に付けた人で、その師・恩人から私が習い学んだモノに龍神系の力を抑え、ねじ伏せるようなものがなかったからです。

しかも、男の力の源たる龍神は由来的能力的にも最高ランクの龍神でした。普通龍神にはカルラ天や孔雀明王など龍族の天敵系の神仏や八大竜王・水天など龍族の王の力で対処するのがこの界の常道ですが、しかし、かのレベルの龍神ではまず減衰させることは出来たとしても無効化、返り討ちにはまず持ち込めず、また出来ません。

「また、この当時は今のように祈祷本尊たる稲荷明神も御祀りしていませんでしたし、龍神祝詞も知りませんでしたし・・・・・。」

そして、何よりも組織対こちらではマンパワー・数の力で押し切られる可能性もあり難しいものでした・・・。

そこで、私は対抗できる神格・神仏を探すことからまずは、始めました。勿論、2人と私の身の安全を図るための護符や身代わりの人形・撫物を作製し身につけ、各自も基本的な祓いである大祓詞・禊詞や般若心経などの朗誦を頻繁に行いつつです・・・。

そして、それらを行うことで確かに彼女も私も不幸・悪夢などが減りました。しかし、根絶・封印とまでは行かず、そうこうして催眠から約2ヶ月たった頃にやっとなんとか対抗できうる神格を見つけて、祈りこみ&祭儀を行うと完全にそれらの現象はなくなりました。

(なお、この神格は、かなりマイナーかつ忘れられた神仏なので、勿論かなり危険度もあるので残念ながら非公開の秘密とさしていただきます。)

さて、以上が私が体験した魔術戦・呪術戦の一つの顛末です。

「追記、その神格の祭儀の後、かの男はブーメラン効果か返しかは判りませんが、約2週間後に交通事故で即死しました。正確にはかの男の携帯電話に相談者の電話番号が、入っていたために交通事故で死にその葬儀の招待が男の親から友人の一人と考えたらしくかかって来たそうです・・・。」

さて、今回はココまでです。つまらない話ですが長々と、お読みいただきましてありがとうございます。お役にでも立てば幸いですが・・・?

では、貴方に全ての良き事が雪崩の如く起きますように・・・。

それでは、また・・・。    皇悠拝。

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2008年6月17日 (火)

予告

いつも、ご覧いただきましてありがとうございます。

どうも、皇悠です。

さて、今回は釈明です。

実は、本業の方が忙しく、帰ったらすぐ寝る生活でネットに触れられない日々で、更新が滞りました。
次回は、その埋め合わせという事で、私が体験した魔術戦・呪術合戦の一つを書きます。
それでは、貴方に全ての良き事が雪崩の如く起きますように・・・。

それでは、皇悠拝。

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2008年6月 7日 (土)

真珠氏の質問などに答えて・・・

いつもご覧いただきましてありがとうございます。

どうも、皇悠です。

長らく、パソコン自体に触れられない生活が継続していましたが、やっとこうして皆様の質問やコメントをじっくり見れる暇が少し取れました・・・?実は今まで使用していたPCがお亡くなりになり、今はネットに繋ぐにも中々任意にいかない状況です・・・苦笑い。

さて、まず初めに真珠氏のご質問ですが、実は私個人はこのブログを書いていていつも感じていたのは実はこのような質問が無い事に対しての不満でした。

ただ、読んだだけで理解できるのか?このままで行うと必ず疑問が出るはずだがなぜコメントが無いのだろうか?試してみれば必ず欠落・不足感を感じると思うのだが・・・・。

などなど書いていてもどうしても私の力不足と文字表現の限界で伝えきらない問題があり、少し悩んでいました。閑話休題。

さて、それでは真珠氏の質問に答える本題に行きましょう。

まず、人形は男女一対というのは、雛人形のように必ず男性形と女性形の二つの人形で一つのセットであるということです。形は最悪同じものでも服の違いや文字を書き込んで「男霊・女霊と別々に各人形に書き込むなどをして」男女二体用意します。なお、その明確な神話・神学的な裏付けは無いのですが、これは私が習った師の話では一つの片方の性の人形では片方の性のしか助けられなかったという流派の伝承からだそうです。また、中性・無性の区別をつけずにただ二つ・二体用意するとか、一つで済ますのは逆に効力を落とし守りの意味が無くなるそうです。

なお、勿論の事ですが、この男女一対の人形セットで一つの船用です。

次に人形の作成の方ですが折り紙で作る場合は、折り紙の本をご覧いただいたほうが写真や図説入りでわかりやすく出ていますのでそちらに譲ります。もし作るのが面倒な場合はこれは師から聞いた話でも有りますが、リカちゃん・バービー人形を使い男女のセットを用意してもいいそうです。事実、昔のそれなりにお金のある船主は当時のリカちゃん・バービー人形の雛人形を「最高級品は今の金額でウンっ百万ぐらいの金糸銀糸絹に染めのモノの一点モノなどすら」使っていたそうですから・・・。

最後に一枚の(折り)紙で一つの人形を作るのは別にかまわないとは思いますが、あくまでも依頼者ないし術者の船旅の安全をもたらし、海難より守り、そして災厄を防ぐための守り神・または身代わりですからそれなりのモノを作り、用意をしたほうがよいとは思います・・・・ね。それか、かなりの念入りの祈祷・加持を行う必要があります。

何よりも船霊の最後の最後・究極の使い方は海に投じて水・海の神への生け贄・供物として使うものですから、それなりに価値のあるものにする必要が)あります・・・。

これで、真珠氏のお答えになっていればよいのですが・・・?

それでは、皆様に全ての良き事が雪崩の如く起きますように・・・。

皇悠拝。

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2008年4月25日 (金)

当ブログの基本構造or再考・・・?

いつも、ご覧いただきまして、ありがとうございます。

どうも、皇悠です。

さて、久しぶりにこのブログを全て見直しましたが、改めて色々と考えさせられました・・・。

正直に言いまして、文章は下手ですし、だらだら長くその上にクドすぎる位にクドく、醜い例え・言い回しを使うきらいが多々あり,けっして褒められたモノではあいません。・・・・・orz

しいて無理して、美点を上げれば神仏習合というよりも、東西の神仏をキリスト教から古神道まで幅広く上げているので、そのぶん内容の幅があり、多様な術・理論を押さえていることでしょうか・・・・?

ただ、それも良し悪しでこの傾向・方法論は一つ間違うと相手・読者側に希望しない知識を集中豪雨の如く与え、それは必然的に読み手に疑問・混乱を無理やり起こさせる現象を発生させます。

しかも不親切なことに疑問の答えをブログというやり方では、あえて自分で探し見つけるか、筆者に質問メールを行うことのどちらかを要求させます。

なかなかにそう考えますと、難儀で下手な書き手です。

出来る限り頑張っていますが、何故か師のように上手く出来ません。

申し訳ない。・・・・orz

師はつまらない雑談の中に多くの宗旨や各派の教学を例え話と経験談で説明し、天文知識や心理学に経済論などを古の高僧・修行者の逸話やハーブや植物の由来と効能などと絡め、幅広い話題に飛びながらも私に疑問や注意を呼び出させて飽きさせず、その場にあるありふれた物と祈祷・呪術の関係に繋げ、巧みに数多くの智慧・技法を伝授してくれました。

それに憧れ、真似して書いておりますが、残念ながらもまだまだです。

将来的には、小学生が読んでも楽しめて専門家が思わず引用してしまいたくなるような文章が書ける様になりたいものです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・無理ッスね。

さて、何故か今回もグダグダになってしまいましたので、今日はここまでとさしていただきます。

では、貴方に全ての良き事が雪崩の如く起きますように・・・。

それでは、また・・・。

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2008年4月24日 (木)

憑依?中毒?

いつも、ご覧いただきましてありがとうございます。

どうも、皇悠です。

さて、この道に入りましてもう十数年、そろそろ20年目も近くになりますが、完全に本人の意志が奪われ、人生・運命が何かに憑依され支配された方を見たことがありません。祓いとか、供養とか何かしら手はあるものですから・・・。

さて、西洋魔術にも動物的な憑依儀礼が幾つかあります。混沌魔術の隔世遺伝的ノスタジァ・先祖がえりなどと呼ばれるものです。

これを何度か師の下での修行時代から作業したことがあります、また神道や修験道でお馴染みの寄り加持・託宣を求める為に神になる技・降神系のフルトランス状態/完全憑依状態・バーサーク状況の人とのやり取り及びその状態からの解放・戻し・祓い作業も何度かやりました。

その経験から言えることは実は「半日から2日もすればその状態から放置していても人は正気に戻る」ということです。

ただ、放置して戻る場合は単純にまた憑依状態になる事はあまり避けられませんが・・・。

さて、これは憑依されている人の体力・精神が耐えられず、ちょうど携帯やノートパソコンのバッテリーが切れれば自然に止まるのと似てます。多分、憑依状態の精神のプログラム・回路が自然停止・シャットダウンするのでしょう。

ところで、始めての頃はやはり完全憑依・トランスではバーサークしました。情けないことですがある時などは師は幾ら呼びかけてもまともな発声をせず吼え唸る状態だったらしく押さえつけてから大便用の個室に閉じ込めました。

そして、私が正気を取り戻した時は、

自分が床にうずくまっていて何が起きたのかわからず混乱したまま肩や背が痛くてしょうがないのに何かからか解放されたような気がして半泣き状態でした。

そして、後日に皇悠は師に何かされたのではないかと恐れと疑いの気持ちが払拭できずにそのまま修行は続けられず、逃げ出していたと今では思っています 。   

  閑話休題。

さて、その完全憑依・フルトランス状態になり自己制御を失いコントロールを放棄し暴走してから自分の意識の統制に努め、その状態になりそうに成るのを抑えるように気を配ると以後はバーサーク・暴走するのはよほどのことが無い限りは無くなりました。

つまりは、アルコール・ドラックなどの薬理効果のあるモノを過剰摂取でもしない限りある程度の任意下で憑依できるようになりました。

さて、ここからが本稿のテーマですが、経験・体験も含め知る限りでは、

「憑依状況は本人の精神的ストレスが限界に近くなればなるほど、そのストレスを発散するために憑依状態になる」  この傾向は確実にあります。

この反証として、経済的・物質的に満たされた生活を送り、読書・スポーツ・ゲームなどストレスの発散する時間を多く割けれたの方のほうが憑依しにくい・トランス状態に入りにくい傾向が上げれます。

そして逆に言えば、「本人がたびたび憑依状態になるのは、本人があえてそのストレスフルな状態から逃げないままでいる」ともいえます。

この辺の関係性はアルコール依存及びその家族の共依存関係に似ていますね。

特にフルトランス・憑依後の蕩尽・開放感は憑依前の何かが入り込み自己を支配する恐怖と対になっており、ちょうどホラーハウスやホラー映画を愛好する方がいるようにある種のクセになり、表面上は嫌だ嫌だといいながらも好きで同じ事を何度もする人のように確実にいます。

その為、よく憑依されていて困るという方は生来的な気質的な方とトランス中毒・依存者、そして霊障の被害者にわけて考えるようにしています。

そして、霊障害の被害者以外は憑依は基本的に治しようがないことに気付きました。生来の方は死んで生まれ変わり体ごと取り替えるしかなく、中毒者は本人に治す気が基本的に無いのですから・・・。

この辺のことは、あまり語られませんが10人ぐらい憑依の相談・案件を知る人ならば、なんとなくご理解いただけると思います。

また、それ以外にも人間・ペットなどの友達・相談相手などがいないので寂しさ・不安などから霊体・精霊を作り出す・呼び出して憑依させている方もいます。

さらには、職業的行者や術師の中にも意識的に憑依させ、自らの守り手・眷属として日夜養い纏う人もいます。

そういう意味で、憑依といってもいろいろです・・・。

今回はここまでですが、楽しんでいただけましたか?

では、貴方に全ての良き事が雪崩に如く起きますように・・・。

それでは、また・・・。

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2008年4月22日 (火)

再定義または業務連絡?

いつも、ご覧いただきましてありがとうございます。

どうも、オハヨウございます。皇悠です。

さて、もうお気付きの方も居られるかと思いますが、当サイト/ブログの名前と紹介文を一部変更しました。

まず名前のほうは「妖術師の戯言」はそのままですが、/の後を「更なる開運への道」から「楽しき開運への道」にしました。

また、説明文の内容的には以前はブログの内容の悪用の禁止を訴ったえていましたが、やる方は所詮、どんなに禁止しても悪用・誤用するので諦めてカット・消去しました。

どんな知識も技術も創作者や教え手よりも実際の使い手の意志と技量と運次第でどうなるか解らないですし、それ以外にも色々と思うところがありまして、今回変えさしていただきました。

ただ、基本的なスタンスや考えは特に変わりません。御安心ください・・・?

「今こんな事を考えてます、知ってます・・・。」「世の中には歴史上には実はこうゆう事がありますので少しでも広めれば誰かが楽しくなる/誰かの役に立つのでは・・・。」などと考えていつもこのブログを書いています。

あと、似たような趣味・考えの人から連絡&繋がりが得られたらとも考えていますが・・・。

でも、何故かもう当ブログを立ち上げてから半年はなりますがまだありません、無理なんでしょうか・・・orz.

何かどんどん暗くなりそうなので、今回はココまでで、いつものヤツで締めさしていただきます。

では、貴方に全ての良き事が雪崩の如く起きますように・・・。

それでは、また・・・。

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2008年4月18日 (金)

ある行者の撤退・・・

いつも、ご覧いただきまして、ありがとうございます。

どっも、皇悠です。

さて、そろそろ全国的に桜も散り始め、花見のシ-ズンも終わりでね。

皆様は、いかがお過ごしですか・・・。

さて、もう世間は4月も半分が過ぎて、新学期・新入社員などの新人の顔見世が終わった頃ですが、また色々と参考にさして頂いた方が何人かが残念なことにネットの世界や祈祷の世界より撤退・引退が続き桜の季節は別れの季節などだと感じた、今日この頃です・・・。

そして、その代わりの新人さんはまだ現れずにいるので、利己的損益分岐では損害のほうが大きいです。

特に、ネット界より撤退したある方は優れた不動行者でしたが、マナーの知らない方の悪質なイタズラメールや問い合わせ、特にスパム・メールの対応に追われ時間的にどうしようもないこともあり、元来あまりPC自体に不慣れなことも手伝い本来の相談の時間すら逼迫してしまうために辞められたそうです・・・。

あの方の祈祷スタイルは不動明王への信仰と般若心経・不動真言・観音経などの多重・連唱系の読経を中心とした伝統的スタイルでよくあるネット上に蔓延るニューエイジ系や似非黒魔術系とも違いかなりの希少なものでした。

本当に、何も出来ない為に残念ですが・・・。

日本でインターネットが普及し始めてもう約20年近く経ちますが、未だにマナーの知らない方のせいで良質なサイト、具体的にはメルマガ・ブログ・ホームページがどんどん閉鎖され、開店休業に追い込まれるのは何度も見ていますが、そのたびに残念に思います・・・。

赤ん坊が成人するぐらいの月日が経つのにもかかわらず未だ小学生のイタズラレベルのことをする方がネット上にはゴロゴロしています。

さて、このブログもそういう意味では同じ危険を内蔵している点で、気をつけてはいますが同様です。いつ炎上し罵詈雑言の嵐、スパムメールの雪崩が発生するかわかりませんから・・・。

そして残念ながらもそういう方を懲らしめる呪法も祈祷もあまりありませんし、行うメリットもないので、特に対象の数が多すぎるのと成功したかどうか確認が取れない為に報復手段もなかなか取れません・・・。

事実、たとえいくら正当性があり金銭を積まれてもさすがに相手が死んだのかどうかもわからない環境下で、見ず知らずの方を成果・効果自体を確認する手段もないのに呪詛・呪殺、調伏法などを厳修する方はいませんし、まず出来ませんからね。

勿論、採算を無視して時間と手間を掛ければ成功はしますが、よほどのことがない限りはまずしないでしょう。

さて、一応、基本的に日々の勤行・祈祷の中で私も含めた多くの行者・呪術師自身が自らの心身の安全や加護、守りを祈願してますが、その行の中の祈願に応じた加護がネット上自身のサイト・ブログ・ホームページの加護まで入るのかは未だ不明です。

まして、日々の祈祷であえて、「ブログも守りたまえ・・・」とは祈ってません。もしかしたら、そろそろしなければいけない時代なのかもしれませんね。

しかし、家内安全や商売繁盛、ぺットの病気治癒や供養はあっても自社サイトの安全や自分のブログの加護を祈祷してくれという方は、それなりに私自身経験を積んではいるのですが未だ寡聞にしていらっしゃいませんし・・・。

将来的には出てくる可能性はありますが・・・、そういう意味では、ネットと呪術・祈祷の関係はまだまだ未知数ですね。

さて、今回も長々とお読みいただきまして、ありがとうございました。

それでは、貴方に全ての良き事が雪崩の如く起きますように・・・。

それでは、また・・・。

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2008年4月10日 (木)

ゴミ処理と内弟子・拝師すること

いつも、ご覧いただきましてありがとうございます。

どうも、皇悠です。

昨夜、寝る前に見ましたTVのNEWS番組の四月危機というシリーズでゴミ処理の話が出ていました。

沼津市でゴミの分別があまりに不徹底な為に、リサイクル業者が引き取りを拒否してゴミが町に散乱し集積所に放置されている状態が映し出されていました。

私の住む町、東京は多摩の方ではゴミは有料の袋に入れて出しませんと引き取り自体がされません。

皇悠の小学生時代とはゴミの出し方自体も雲泥の差を痛感しました・・・。

さて、呪術・祈祷にもこのようなゴミ処理問題ともいえる問題が色々とあります。

例えばD・フォーチュンが神秘のカバラーで記述してます精神的不均衡・内的コンプレックスなどによる儀式の不成立、フラターUDが述べている信仰や狂信、性的嗜好や恐怖心などによる魔術を選択し実施する上での限界や苦労、穢れ・汚染・ゴミとしかいえないものが残る浄化・準備作業の手抜きによる降臨・行幸の失敗・・・。

これらの問題というか状況は、ほぼ間違いなく多くが個々人の実存・人格に関わるので早期に自覚して自己改善・修正が効かず放置されがちで、他人に知られた時には大きな問題になっていたりします。

例えば、道教やブードゥ系の儀式では時に供物として捧げる為に儀式の施行者・祭司自身が、その場で生きた鶏を短剣で殺さなればならないのですが怖くて出来ない・その場でその過程を静かに可哀想で見ていることすら出来ない。

性魔術に興味があるくせに個人的志向・性交時のプレイスタイルの報告や例え話としての乱交に同性愛に獣姦に死姦などの話が出来ない。

儀式で必要な完全沈黙や徹夜に禁酒の行が守れない。

ある種の神格を呼ぶ為には例えば生きた魚や蜘蛛に蛇に犬などのその眷属・象徴に慣れていないといけないのですが生理的嫌悪・トラウマで触れない・近くに寄れない。

などなど・・例を挙げていくとキリがないほどあります。

さて、これらの問題、特に個人的な嗜好や恐怖などの問題は残念ながら現代の民主主義国家下では、個人が自分で治さなければならないので大変です。

古えならば泣こうが喚こうが蹴り倒してでも師が弟子に強制的にやらせて、無理やり慣らせ出来るように矯正しましたが・・・・。

今では人権侵害、グルイズム、暴力沙汰として出来ません。

しかし、自ら治せるなら問題になる前になんとか本人がしている訳で、やはりというかどうにも出来ず、その挙句に出来ない身を正当化して破門や流派内で争乱を引き起こす例もあり、なかなか大変です。

ちなみによくある正当化の例として、

「私には必要ない・関係ない。そんなの時代遅れ。今の時代に合わない。逆切れしてやりたくない・やらないと居直る。・・・」などがあります。

ただ、どうしようもない方もいてこのように騒ぎ、出来ない以上はそれ以上の伝授はカリキュラム上は出来ないのに更なる高位のカルキュラムの伝授をを求め、問題を更に起こす方がいることです。

このような問題があるため、やはりどうしても本当の良師・実力のある術者は人を見極める為にどんなに熱意を見せ、金銭を積んでもすぐには内弟子、拝師を許しません。

個人的な話ですが師に正式に内弟子として拝師したのは団体に入り、訓練を積み出してから約2年ほどしてからでした。

なつかしいです・・・。

よくいう「弟子を見れば師が分かる」とありますように、師として正式な弟子として取るということは、それなりの師の人格・評判などに関わりますから師の方でも弟子としてふさわしいかはやはり考えるものですね。

ただ、不肖の弟子たる皇悠がこのようなことを悟ったのは情けないことに卒業・離反してからでした、今から考えますとあの当時の馬鹿を内弟子にした師の恩は本当に大きいです。

ありがたい事です。

さて、このまま行きますと思い出話をダラダラと書きそうなので今回はここまでとさしていただきます。

長々とお読みいただきまして、ありがとうございます。

それでは、貴方に全ての良き事が雪崩の如く起きますように・・・。

では、また・・・。

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2008年3月29日 (土)

偽霊能者・術者とは、その5

いつもご覧いただきまして、ありがとうございます。

どうも、皇悠です。

さて、今回はまたまた、久しぶりになりますが、「偽霊能者・術者シリーズ」です。

このシリーズを何回かお送りしましたが、今までに何人かの方から幾つかご質問を頂きました。

「オーラの泉の江原さんは幻を見ているのですか、それとも本物の霊能者ですか・・」

「天草四郎の生まれ変わりと自称する歌手の三輪氏の言う正負の法則と三輪氏の力は本物なのか・・・」

「東北の神様、木村氏はどう思いますか・・・」

「織田無道のやっていた水晶で霊を映すというのは何なんですか、どういう理屈なんですか・・・・」

「恐怖実話系漫画出身の寺尾玲子についてですが、彼女の技は神道や仏教と違うと思うのですが、ではいったい何系になるのですか・・・」

・・・などなどと、色々な方に聞かれました。

そのたびに思いますのは、やはり霊能者やオカルティスト、呪術に祈祷・霊視というものに興味のある方はそれなりにいるのだという思いです。

ただ、質問者の皆さんに抜けているのが、TVにしろ書籍、漫画それら全てが基本的に商業行為であるという大原則と其処から導き出される視点です。

質問者が尋ねる方々は本人の意志に関係なく、絶対により放送なり出版する際に邪魔になる内容はカットされ改変される定めの下にいます。つまりは俗に言う編集後の姿で世に出ています。

その為ただでさえ彼ら自身はあくまで正直に発言・行動していても誤解されやすい内容を語るのに、絶えず誤解・歪曲などが起きてします。

その上、TVや漫画、雑誌などは次回の制作費確保・経費よりも売り上げる為に少しでも売れるように視聴者・読者の望む内容の為に、過激さ、面白さ、分かりやすさに放送・販売の納期などなど多くの考えにもとずき、番組・作品が製作されています。

特に必要な映像・写真は予定を立てて、時に偽造してでも撮られています。

その為、どう考えても彼らは虚構混じりの姿であり、正確を期すのなら正体不明でしかないと視点です。

そして、こういう現状を説明した上で、番組なり書物の内容が全て事実というのならば、という仮定の上でお答えしています。

勿論、知らない技法、能力に関しては分かりませんとお答えさして頂いてますが・・・。

そして、これらの前置きをおいて話し始めますと、「それならいいです」と意見を聞かずに途中で話を終える方もいます。

面白いですね・・・。

さて、最後に個人の総論として述べますと「TVや書物で取り上げられる方々はそれなりに力がある」と考えています。

ただ、「いい様に誇張や不都合な面の隠蔽は必ずあると思うのでその能力が高いか否かはわかりません」ということも明記しときます。

では、今回も長々とお読みいただきありがとうございました。

貴方に良き事が雪崩の如く起きますように・・・。

それでは、また・・・。

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2008年3月21日 (金)

偽霊能者・術者とは、その5

いつもご覧頂きありがとうございます。

どうも。、皇悠です。

昨日は、職場の東京都内も、そして住む多摩地区でも一日中雨と冷たい風の春分でした。

祝日でお彼岸中もあり、皆様はお墓参りなどをされましたか・・・・。

翻って皇悠はお墓参りは仕事の都合上で出来ませんでしたが、当家鎮守のお稲荷様に旧初午ということもあり、懇ろに勤行・供養しました。

神道では私たち日本人は基本的にその血統を遡りますと必ず造化三神なり三貴子神なりに辿るとされます、だから先祖供養がそのまま神祭りに繋がります。

大抵、先祖といいましても祖父・祖母ぐらいの記憶のある肉親・血族までしかしないので、先祖供養と神祭りを同一のものと考える人は少ないものですが・・・。

さて、今日の題材は偽霊能者・術師シリーズその5です。

突然ですが少し質問です、お読みいただいています貴方にお聞きしたいのですが、

「貴方は偽の霊能者・術師をどうして偽者、詐欺師」と考えますか・・・。

        ・・・・・・

        ・・・・・・

        ・・・・・・

・・・答えは出ましたか・・・。

では、皇悠の答えを上げます。

それは「出来もしない事を出来るという者が偽者・詐欺師である」です。

一応、依頼料・祈祷料などの請求の額・金銭の方はあまり考えません。たまに安くて腕のいい方もいるので・・・。

さて、あまりに当たり前というか、普通な答えですが、某小説の主人公「尊敬してます・・・」の決め台詞ではないですが「この世に不思議はありません」

ただ単に世の中には当たり前の事とその人には理解出来ない・知らない事、人間には許容出来ないことがあるだけです。

ただしです、人それぞれ個人差や能力差があるのも忘れてはいけませんが・・。

この日本は全ての者が値段と競争の中で吟味され、個々の商取引が休まず日夜繰り返される資本主義社会です。

だから、ある意味で日本人全てが商人であり、その中で偽モノや詐欺に引っ掛かるほうが間抜けな一面があります。

あまりに安易に霊能者・術師にいい大人が自分の人生に関わらずも頼る・縋る風潮があるため、くだらないレベルの騙しに嵌ります。

このシリーズでは、幾つかあまり書物・ネットに出てこない面での偽行者・術師などの特徴を書いて来ました。

しかしそんなことを知らなくても大抵の術師は普通に専門書や学術書などのレベルのモノに出てくる日本の古典的宗教・心理・文化人類学や祈祷法・呪術などの技術/技能関連・専門分野の知識がないです。

だから、具体的には都内ですとジュンク堂や紀伊国屋など俗に最低十万単位の書物を扱う大型書店と呼ばれる処で売られている何人かのその専門の博士号者、現在大学教授職の人、または大学での講義経験者の本を各分野10冊ぐらいは読めば偽の霊能者や術師の底・実力が判断出来る知識が手に入ります。

魔術・呪術などの実力は一面で各自の知識量と知識の理解力がモノをいいます。その為、幾らいいセンスの人でも知識がないので無駄なロスや手間をかける次第で行い効果や験を自ら駄目にしている例がありますし・・・。

クロウリーが著作の魔術にて上げました読破を最低必要とした本は数十ありますし、この国の過去の呪術の達人は空海、良源、天海、宮地など皆その時代の知識人であった例が多々あります。

何事も具体的で広範囲な知識があれば偽モノを判別するのはすごく簡単な面がありますし・・・。

何か最後は「知は力なり」という簡単な落ちがついた所で、今回はここまでです。

本日も長々とお読み頂きありがとうございました。

皆様に良き事が雪崩の如く起きますように・・・。

それでは、また・・・。

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2008年3月17日 (月)

偽霊能者・術者とは、その4

いつも、ご覧いただきありがとうございます。

どうも、皇悠です。

さて今回はまたまた前回と同じく、零能力者、欺術者「←は誤植ではありません」について書きます。

さて、霊性とか、スピリチュアルなとか、魂の浄化などという言葉が流行り続けてもう何年になりますでしょうか・・・。

それらの影響の為か魔術や呪術に祈祷がある種の下賎なものとして見られることがニューエイジ系や俗に言うスピリチュアルな文脈で言われることがあります。

しかし、彼らの大好きなキリストや仏陀がやっていたことが実は今の魔術やシャーマニズムの訓練法に技法などと同種・同業でしかないと言うことを理解している人はさてどれだけいるのでしょうか・・・。

仏教の原始経典や聖書にある神々や悪魔、過去の偉人たちと仏陀やキリストがこの世界で対話したということが、西洋魔術で言う悪魔喚起、神々の召喚術、死霊魔術と同じ技法・意味であるという事実、特に有名なキリストが悪魔憑きから悪魔を払い健常者に戻した事や仏陀が魔の軍勢を大地の神の力で・大地の力を触れることで借りて抑えた・調伏した故事などは小五亡星の退去式などのエクソシズム・浄化儀礼や神の似姿・神々の自身への召喚とそれによる下位・従属神への命令とも呼ばれる技法と同種のものだと言うことを理解しているのでしょうか・・・。

簡単に言葉でキリストは・・・・だの、仏陀が・・・だのと軽く言うことは出来ますが、かの聖者・偉人の行為と同質のことが出来ないのであればそれはタダの騙り、いいとこ引用上手の詐欺師まがいです。まあ正しく言えば偉大なる先人の権威・言葉で威張り飾る者というのがより明確でしょうか・・・。

例えば、普通の五体満足の人なら走り、泳ぎ、自転車にも乗れますが、しかし規定の距離を完走出来ない限りはその人はトライアスロンの選手だとは認められないように、いくらキリストや仏陀などの偉人の残した言葉と大変良く似た言葉や同じ言葉を流用して語り、記述しても同じ成果、偉業を達成しない・しえない限りはタダのオウムか録音テープと同じレベルです。

そんなことして、楽しいものでしょうか・・・、いくら有名で人気の料理人の美味しい料理について長々と話すよりもそれを自由に作れて、好きに食べれるほうが何倍も楽しいと思うのですが、どうでしょうか・・・。

さて、長々と前振りが長くなりましたが、本日の偽霊能者・零術師の証・傾向は

「彼らは過去の偉人や宗祖・聖者の事績や訓話、所属・傾倒する教義の受け売り、流派の統一見解に解釈などはとても素晴らしく長々と話せても、自らの試行錯誤の話に個人の失敗談とそれを乗り越える為の工夫・改良例、何よりも伝授された・する技法の具体的注意や実践的な質問に対する返答と説明がまず出来ない」ということです。

何故ならばそれらをするにはそれを十分に実行出来る力・経験・智慧・道具等がいるからで・・・。

そして、勿論ですが偽者にそんなモノがあるわけはありませんし、それを得る為の時間もお金も智慧も使いませんからね。

さて、本日も長々とお読みいただきまして、ありがとうございました。

楽しんでいただけましたか、お役に立ちましたでしょうか・・・。

では、貴方に全ての良き事が雪崩の如く起きますように・・・。

それでは、また・・・。

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2008年3月16日 (日)

偽霊能者・術者とは、その3

いつも、ご覧いただきましてありがとうございます。

どうも、皇悠です。

さて今回は前回の予告どうり偽霊能者・術師について書いてみようと思います。

まず、金銭面で偽者のありがちな傾向は、「基本的に初回でかなり高額な要求をしてくる」ということです。

これは彼らの能力・技能が基本的に偽者である・あまりに低すぎるために相談者が満足しない・良い効果がない、つまりはどれだけ広告やメディアへの露出などの労力・経費をかけてもその割りに再度の相談・リピ-ター化をしないために採算を合わず、その少ない依頼者に多額の経費・利益をまかなう為に結果的に高い金額を課すことになります。大体は最低十から百万単位は・・・。

勿論、例外もありまして、その場合は能力が高い・特殊な技能を有している為に依頼者が多く、よってオークションのように経済原理が働き高額になる場合があります。

その場合は、大抵は多くの信者がいたり、相談者は予定待ちで居たりで相談する前からある程度、高額なのも納得できるものです。

次に、偽者・ペテン師に多いのが「基本的に何でも屋、考えられない位に軽薄に浅く流行に流され名前や職業名、専門を変える」ということです。

これは基本的に元々の技能があまりに低い、またはその能力が安定して金銭が請求できない位にひどい為に、流行や目先の利益を追う為にそうなります。

より高度な能力、すぐれた効果的な技術を獲得し維持するには必然的に専門化、特殊化した技能とそれを支える広範囲の知識・長い修行・つらい経験・継続的な研鑽がどうしても必要です。

これは別に祈祷、呪術に限りませんが・・・。

また、その為にある種の修練場やすぐれた技術・知識の伝授者が必要な為、また必然的にそれらの獲得に長い時間がかかるので、ある種の修行組織に所属していたり、個人的な師匠がいたり、多くの団体・行者に関わるように本物はなります。

またその為、ある種の免状や資格を有する場合が特に東洋系の術者ではあります。

ちなみに皇悠は元が西洋魔術系でしたのもあり、残念ながらそうゆう半公的な資格は保持してません。

あえて、系統を言えば一部で有名な旧HGS、今のIOSのたまにメディアにも出られる秋端勉氏の孫弟子に当たります。ただ師自体が色々な方につかれ経験・研究を積み自らの体系自体をかなりの独自の進化を遂げさせたので、分類すると混沌魔術師ということになりますがかなりシャーマニズムというか修験や神道系の技法もあり、一概に混沌魔術系と言えない方でした。

勿論、独立後に師以外の多くの方や団体から習い、関わり、学んでいるのでまったく師と同じ流儀の術者とは言い切れなくなっていますが・・・。

ただ、私の根幹が、自らの根源的な技法・哲学などの部分が師から習ったモノであるので、皇悠にとっての師はやはりあの方一人です。

なお、師は基本的に無名の方でした、またまだご家族なども存命なので迷惑がかかるといけませんのでこのブログでの公表はしません。

さて、少し話がずれましたがこの界で師がいない者・自らの系統を公表できない者、ある種の免状・資格がない者などの独習・独学で来た者ー仏教で言うところの独覚者、またそういう人だからこそ学恩や師恩などなく軽薄に流行に乗り一つ一つの技術体系を確実に修めずにいるのですが、そういう方に高い技能者・能力者はまず、いません。

少し考えれば分かりますが、独学のものが参考にする多くの書物やメディアで筆者がごじする体系・技術・知識などを全て書きえるなどということはありえませんし、編集者が幾ら重要なことでも売れないネタ・一般受けしにくい専門的な知識・精密にして高度な技術を編集しないで、そのまま乗せるわけがありません。

だから、よくある霊能者や宗教者の本は、安易で簡単な技法の紹介に終始し、派手な奇跡や即効の霊験譚が紙面を埋めるのです。

それで、普通に騙される方、安易に考えて苦労する方なども多いですね。

さて、今回もお読みいただきありがとうございます。

楽しんでいただけましたか・・・、お役に立ちましたでしょうか・・・。

では、貴方に全ての良き事が起きますように・・・。

それでは、また・・・。

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2008年3月15日 (土)

偽霊能者・術者とは、その2

Goraikou_4  どうも、皇悠です。

さて前回の記事の続編を今回も書こうかと思います。

さて、前回は「十から百万の金額を使い祭礼・祈祷を普通に受けても意味がない」ということを書きました。

その理由として本当に力のある方は今は囲い込みか半引退状態にいるため、接触出来ない、つまり探し出した方はまず間違いなく偽者であるということをその理由として書きました。

では今回は、祈祷・祭礼の実際面から何故間違いか書きます。

まず十中八、九の人が勘違い、大間違い、誤解しているのが今の形式での派手で大掛かりな祈祷や祭礼は実はあまり意味がないという事実を知らない為に起こります。

だからと言いまして、素朴なとか、心の籠もったとか、シンプルな、とかと形容されます儀式・行事・呪術が断じて良いというわけでもありません。

事実は単純に祈祷の効果は「誰が、どのように、どれだけにやるか」という質×方法×時間の問題だからです。

現在、誰がやるのかという質の面はまず、期待が出来ません。前回の記事はそれをメインに書きました。

では、「どのように」これが普通で言えば金額面です。

これが本稿のテーマでもありますが、つまりどれだけ高価に豪華に派手に行うかです。

といいましても、現在の祭礼は往古の祭礼や儀式に比べてチャチで安ポッイものです。

歴史上においてまず祈祷というものは、次第通りでかつ伴僧が百人千人単位で読経するとか、違う宗派の術者達が祭壇を各々組んでその上で各派十人単位で一つの祈願・目的のために同時に祈祷を施行するとか、場合によってはその祭礼専用の寺院や神社を建て日々祈祷させるなどと今とは桁が違います。

現在の貨幣価値で直すと何千万・何億の規模です。勿論祈祷代だけでなく供物代とか場所代とか色々と込みでその値段だと思いますが・・・。しかも、一個人とか一家族がです・・・。

その事実をある方から説明、いや折伏、いやそう悟るように誘導・指導していただいたと悟った時は脳天が割れる気がしました。

そして、それが正しいのかどうか、史書、次第書や魔術書、行記、経典などを手当たり次第に読み調べ再確認してみました。

概ね残念ながらもその通りでした。

今の祈祷方法は金額的に材料的に言いますと次第書や往古のやり方の代用や簡略版でしかないのです。

こうゆう面から考えますと今の祈祷がある意味で効果のないのも仕方がありません。

とても普通は用意も出来ないためにです。

さて、今回はここまでとします。今回もお読みいただきありがとうございます。

貴方に全ての良き事が雪崩の如くおきますように・・・。

それでは、また・・・。

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2008年3月14日 (金)

偽霊能者・術者とは、その1

どうも、皇悠です。

本日二度目の投稿になりますが、ご覧いただきありがとうございます。

さて、先ほど雑談というか、簡単な相談を受けたのですが、

彼女が曰く「何度も菩提寺で先祖供養や有名な神社で御祓いをしてもらっているのだけれども、親戚などの身内の破産や共に暮らす家族に事故や病気が頻発する」と言う件でした。

彼女は会社の同僚の知人だったのですが、ちなみに紹介してくれました同僚も彼女も皇悠が俗に言う拝み屋・妖術師だとは知りませんし、今度の件ではあくまで知人としてのアドバイスとして終始対応しました。

こうゆう件というのは、けっこう意外と多いですね。

まず人の生き死にや事故などの不幸が起きると何とかそれなりに弁護士だ、お医者様だ、保険屋さんだ、と世俗の専門家に協力を仰ぎ、彼らの力と専門的な知識で解決を図ります。

ですが、いくども連続しますと、大体は2から3ヶ月中に3から5件位、発生しますと御祓いだ、先祖供養だと身内の中から必ず一人が音頭を取って騒ぎ出します。

ただここで勘違いしがちなのがTVや雑紙で活躍する霊能者、CMや本などでよく取り上げられる神社・寺院などに駆け込むことです。

そこで十から百万単位の金額を使いまして、派手な供養や大掛かりな祈祷・祭事をしてもらう事になっても、まずは意味がない無駄になるということです。

残念なことに、この世界の祈祷師、霊能力者は百人いたら百人が偽者の力のないペテン師です。

正味、二・三百人に一人いるかどうかだと思います。

神仏や霊への作法や祈祷法、呪術のやり方、祀り方を知る事は基本的に本の暗記と読書量で対応できるので、実は技能・力がなくてもある程度見よう見まねでも素人がカバー出来ます。

しかし、確実に個々の場合に応じて神仏をどう使うのか、また書物に出ていない・出せない奇特な病・障りの場合や術者自体が今まで経験していない状況で臨機応変に上手くアドリブを利かせられるかどうかはまったく別物ですから・・・。

教えられるようなカルキュラム・マニュアルなどはないですし、それと皆さん勘違いしている方が多いのですがマニュアルは基本的にその分野の最低レベルの人に合わせて書かれているのである程度出来る人はマニュアルのやり方を省いたり、改良したり、より高度にしたりして行います。

そのため、マニュアル、魔術書、次第書の内容をどう改変して行うかが術者の実力の判断基準になります。

さて、何よりも本当に優れている人はもう囲い込みされていまし、頭のいい人は下手に依頼を受けると自分の修行が出来なくなるので半引退状態で縁ある人しか救わない状態にしています。

映画にもなりました、元祖手かざしのヒーリングマスターの高塚光師も一時期は無料で一般に広くヒーリングをしていましたが、現在はもう囲い込みが終了してまして普通の人は彼の近くによる事さえ出来なくなっています。

また、かつてはTVなどで一世を風靡しました故宜保愛子氏も晩年は一部の信者とだけお付き合いするようになりました。

よほどのことがないと、優れた能力者には出会えないのでしょうね。

では、本日はここまでとします。

貴方に良き事が雪崩の如くおきますように・・・。

それでは、また・・・。

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2008年3月13日 (木)

異次元への旅と術者の人格・・・・

どうも、皇悠です。

いつもご覧いただきありがとうございます。

さて、今回のテーマは「異次元への旅と術者の人格」です。

異次元ー本稿の中での異次元とはこの世界の生命・住民が過去・現在・未来に渡り、まずは行けない・住まない・住みえない世界の事としてお考えください。

つまりは、浦島太郎や仙人に迷い人が行き、ひと時とはいえ生活しえた海界・仙界や妖精郷に異界、また死者が赴くと言う冥府・浄土に地獄、それに神仏と繋がりが持てれば行けるという神界に天界などを除外した諸界のことです。

つまりは、異次元の世界とはH・P・ラブクラフトらのクトゥルー神話やK・カスタネダの非有機的存在の世界、P・アマリンゴの絵画の世界などの事です。

さてこの異次元、西洋魔術の中では一部の団体や達人において興味深く探求、研鑽されています。

といっても、近年の傾向ではありますが・・・。

東洋・西洋を問わず、未知にして未踏の先例のない世界を行く事よりも、過去の偉人や達人の世界を追求するある意味での伝統主義、先人の方法論や足跡をなぞる前例主義が幅をきかせています。

しかも、そのくせ先人達と並ぶ位に到達してないのでほとんどは怠慢と言われても仕方のないモノも多く、「どうなの・・・」という気がしますが・・・。

さて、これら異次元の世界を具体的に探求した先人で有名なのがA・O・スペアがいます。

彼以前の術者、魔術師は基本的に幽体離脱・スクライング時において、基本的には過去の先人が行った神々・精霊・悪魔・死者・過去の世界に赴いて、知識や技法を獲得していました。

しかし、特にスペアのシジル・印形魔術の開発により既存の諸界以外の道が開かれました。

そして、自らの力と探究心、そしてセンスと運を頼りに挑戦が始まりましたが・・・。

それらの世界はあくまで入出自体が出来るか否かが個人の運と相性に左右される為に、可能な一人の経験の中に留まり、そして余人には理解も真似も出来ない体系・実績を積み上げ各個人がその技能を伸ばすだけのオンリーワンにしてアナザーワンの孤絶した術者を量産しています。

ちょうど現在の日本では海外への渡航が基本的に万人に開かれているので、まだましですが、海外の情報が入らない鎖国をしていた江戸時代の人間が海外に渡り、その知識・技術を日本に持ち帰ったとしても共有が大変難しかったのと似ていますね。

下手したら、狂人扱いされますから、必然的に人との付き合い方も変っていきがちです。

基本的な世界観・価値観自体がズレ、乖離していくので周囲との会話自体すら苦痛を呼ぶので避けるようになるため、一部しょうがない面がありますが・・・。

さて、この価値観・世界観、具体的には世の中において何を重視しどう善悪・正邪・利害などを定義付けるかが、幽体離脱・スクライングを繰り返すごとに、異次元に向かわなくとも変容していきます。

そして、それらのズレ・変容による対人生活上の障害を防ぐ為に、術者は隠遁生活を行うか、同等の価値観を持つ集団内で生活するか、日常の人格と術者としての人格を分けた上に、術者人格をかくした仮面をかぶる偽善者の生活を行うようになります。

本当に祈祷・魔術・霊的技術などの精神的指導者や教師として一般に広めながら術者が生活するようになったのは、ここ20から30年ぐらいしかない近年のことなのです。

しかし、やはりというか高度により精密になればなるほど、訓練以外にセンスや精神的な相性としかいえないモノが問われるので、あいかわらずこの界の秘奥や奥儀、極意は文章や映像に公表されていてもマスターし得る人は、残念ながらいないのでしょう・・・。

知る限り文書や映像媒体だけで達人や術者として最低限は一人で対処できるだけの実力を持つモノになったものはいません。

つまり、弟子なり、生徒なりが発狂しかけた時や自らが呪詛され・霊障に苦しむ時の対処が出来る人は、まず間違いなく集団なり師匠なりから教育・伝授などを受けてきた方だけです。

呪詛払いや霊障外しの技法はよく探せば文書などで出ていますが、それだけだとなかなか難しいです・・・。

バイクをマニュアルだけでマスターできないのと似ていますね。

さて、今回も長々とお読みいただきまして、ありがとうございます。

全ての良き事が雪崩の如くおきますように・・・。

それでは、また・・・。

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2008年3月10日 (月)

除霊と浄霊そして上霊の違い

どうも、いま、窓からは鮮やかな金色がかったオレンジの黄昏の光が空を染め上げていまして、とても美しいです・・・。

やはり、この世界は凄いモノだとしみじみ感じている、こんにちは皇悠です。

さて、今まで何度かに渡って、西洋魔術・東洋呪術の理論・哲学を書いてきましたが、今までの七回で大まかな理論的な骨子は必要にして十分なものは発表しましたので、とりあえず前回で一反、終了とさしていただきます。

さて、今回のテーマは「除霊と浄霊そして上霊の違い」について書こうと思います。

では、

除霊ーその場所・品物・人物などに憑いている霊、または影響している霊を追い払い、その影響を除去することを意味します。場合により再憑霊や憑依の拡大、移動で終わるだけの場合があります。

浄霊ーその場所・品物・人物などに憑いている霊、または影響している霊を然るべき場所に送る、または行くべき場所に送ることを意味します。場合によりその霊の消滅を意味します。

上霊ー俗に神上がりなどとも呼ばれ、霊が祖霊・御霊・祖師・氏神などとも呼称されるある種の修行者や信徒・集団の守護者・指導者的存在に成ることを意味します。

ただし、この区分もある種の便宜的なモノです。

状況によりズレや、例外が勿論あります・・・。

ちなみによく勘違いされやすい、キリスト教などのエクソシズム・悪魔祓いは神の許可・命令で取り憑いた天使・悪魔をもう取り憑かなくて良いと命令し義務・行為の解放の許可を与えるのが元来の意味です。聖書のヨブ記などに出ている話がその代表例です。

基本的にキリスト教、特にプロテスタントなどの聖書重視の宗派やイスラム教においては、その人の人生・出来事などは基本的に神の御手の下にあり、如何なる不運・災害も基本的に神の意思、神の許可なしにはありえないとされてますので、悪魔に取り憑かれるのも神の御意志となります。これを神の予定調和とも言います。

よって、基本的に悪魔祓いは神の取り成しのみを求めます。具体的には神の名を唱え、神に祈り、神に救いを求める行為の繰り返しですね。

逆に仏教や道教などでは、取り憑いた霊の意志・因縁などにより憑依が起きるとされるので平和的に取り憑いた本人というかその霊と取引したり、取引が無理・不可能時にはその霊より上位または強大な存在たる神仏にお願いしたり、と手段が必ず二つ以上あるようになっています。

さて、こう考えますとある意味でキリスト教やイスラム教の儀式や祈祷が仏教や道教よりも簡素というかシンプルに、祈るだけになりやすいのも分かる気がしませんか・・・。

さて、今回も長々とお読みいただきまして、ありがとうございました。

楽しんでいただけましたか、お役に立てば幸いです。

それでは、また・・・。

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2008年2月25日 (月)

ヘルシングより 妖術師の演説

「 諸君・・・・・・私は魔術が好きだ・・・・・・

諸君・・・・・・私は魔術が好きだ・・・・・・

諸君、私は魔術が大好きだ・・・

召喚魔術が好きだ、喚起魔術が好きだ、アブラメリン魔術が好きだ、

印形魔術が好きだ、護符魔術が好きだ、アルマデール魔術が好きだ、

惑星魔術が好きだ、戦闘魔術が好きだ、グリモアール魔術が好きだ。

平原で。街道で。塹壕で。草原で。凍土で。

砂漠で。海上で。空中で。泥中で。湿原で。

この地上で行われる、ありとあらゆる魔術行動が大好きだ・・・

隊列を並べた術者の一斉発唱が、轟音と共に悪魔を呼び出すのが好きだ。

空中高く放り上げられた撫物が魔術剣でバラバラになった時など心が踊る・・・

魔術師が繰るファミリアーの爪牙が敵病魔を撃破するのが好きだ。

悲鳴をあげて燃え盛る護摩から飛び出して来た人形を法具でなぎ倒した時など

胸がすくような気持ちだった・・・・・

剣先をそろえた術者の舞踏が力の混乱を蹂躙するのが好きだ。

恐慌状態の新人が、既に息絶えた勇気を何度も何度も鼓舞している様など感動すら覚える。

懐疑主義の依頼者達を結果で吊るし上げていく様などはもうたまらない・・・・・・

泣き叫ぶ奴ら達が私の振り落とした手の平と共に、金切り声をあげるファミリアーにばたばたと喰われるのも最高だ。

哀れな生贄達が、雑多な小爪牙で健気にも立ち上がって来たのを

ハンマーの痛恨の一撃が内臓ごとこっぱみじんに粉砕した時など絶頂すら覚える。

同業の眷属に滅茶苦茶にされるのが好きだ。

必死に守るはずだったモノが蹂躙され、弱者から犯され、殺されていく様はとてもとても悲しいものだ・・・。

自己の未熟に押し潰されて否定されるのが好きだ・・・。

天災に遭い呪われ、害虫のように地べたを這い回るのは屈辱の極みだ・・・・・・

諸君、私は魔術を、

神威のような魔術を望んでいる・・・

諸君、私のブログを見る大多数の人達諸君、

君達は一体なにを望んでいる

更なる魔術を望むか

情け容赦のない狂気のような魔術を望むか                                             

博覧強記の限りを尽くし、三千世界の鴉を殺す 嵐のような魔術を望むか 」

えっと、説明します。昨日見ました、OVAのヘルシングの少佐があまりにカッコイイので作ってしまいました。

どうですか・・・だめですか・・・

さて、今回もまたご覧戴きありがとうございます。次回はがんばります。

それでは、また・・・。

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2008年2月16日 (土)

エジプトの神と西洋魔術

どうも、皇悠です。

今月も半分が過ぎましたが、まだまだ寒いですね・・・。

さて、今回のテーマはいままでの神道・仏教から離れて「エジプトの神と西洋魔術」の関係について書いてみようと思います。

古代の断片的な祈祷書に、キリスト教系の他宗派の批判と論破用の資料や書物、中世の精霊や悪魔の召喚用の奥義書などはあっても、現代の西洋魔術を体系化しある程度の有効性のある技術群を作り上げたのは歴史的には黄金の夜明け団・ゴールデンドーン、以下GDのお陰です。

同団に所属し、学び、研鑽した人たちが現在に繋がる多くの団体、多くの有能な教育を授けイニシエートした後継者、各種の技法・思想等を開発し遺してくれました。

代表的な所で、メイザースにクロウリー、フォーチュンですね。

そして彼らの弟子系のバトラー、リガルディ、ナイト、グランドなどに加えて、

また大小の影響を受けた有名な人に、スペアやキャロル、UD、ガードナー、ヴィリアンテなどもいます。

日本で一度でも西洋魔術の本を4・5冊でも纏めて読めば必ず出てくる人々はまずGDの洗礼を受けてます。

まあ、日本で西洋魔術を持ち込んだ人・公で論じ書いている方々は、例えば大沼氏、朝松氏、秋端氏、鏡氏などが今は無きHGSやSOL,IOSなどのGDの影響の強い団体の一員だった・であるという一面も一部にはありますが・・・。

ただ、GDのカルキュラムがあまりに優れていたのでクロウリーをはじめ、ハウやリガルディの暴露と公開の出版行為によって西洋魔術がGD系に規格・統合化された面もありますので、西洋魔術イコールGD系の魔術と断言してもまず間違いはないと思います。

この辺の歴史の流れは日本において、最澄・空海をはじめ日本にインド・中国の密教がもたされると日本の土着の呪術・祈祷法が一気にその影響を受けて統合化され習合・模倣した例と似ています。

さて、ここでGDの魔術体系を学び研究すると一つ疑問が出てきます。

「何故、発祥の地のイギリスのGDの人たちは、GDの幹部の大多数は生まれも育ちもイギリス人ばかりなのに、何故にして、当時まず彼らが行くことも難しいエジプトのしかも、当時も今もイスラム教下で遺物ぐらいしかないエジプトの神々を知り、その体系に取り入れたのか・・・」という疑問が出てきます。

彼らはキリスト教徒なのですから、あえて失われ忘れられたエジプトの神・エジプト風の祭礼を使う必要性はありません。

また、ヨーロッパにはケルトにギリシア、北欧などの当時もエジプトより知られ馴染みのある神々・様式がありました。

たしかに、「GDの創始は創始者たちがエジプト風の参入儀式を含む幾つかの儀式文書を手に入れたことから始まる。」というのがまず定説とされますが、それでも同文書にない彼らオリジナルの技法・儀式までエジプト風にする必要はありません。

その答え・理由は、個人的に長い間不明でした。また、その説明も知る限りありませんでした。

そして、その答えはふとしたことから知った、当時のイギリスの文化・流行からわかりました。

当時、イギリスでは古代のエジプトの文化・遺物・建築遺構が大流行していたのです。

元々、GDの創始者のメイザース、ウェストコットなどはフリーメイソンの一員でエジプト風の儀式に少しは馴染んでいた上に、手に入れた儀式文書にもエジプト風の象徴があり、しかも当時エジプトの大ブーム「全ての神秘・文明は東方・エジプトから・・。というキャッチ・フレーズすら当時はありました」の中で、ハマッた彼らはエジプト神話を自らの体系の主要象徴としたのでしょう。

逆に、当時のエジプトブームを知らない弟子・後継者たちは自らの体系からエジプト神格を任意に外す事すらしています。

こういう事は、まず魔術・宗教系の書物、サイトに出ていないので知り理解するまで苦労しました・・・。

さて、今回は、あまり語られない西洋魔術の裏話を書いてみました。

楽しんで頂けたら幸いです。それでは、また・・・。

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2008年1月21日 (月)

掃除、その2

本日、二度目の更新です。どうも、皇悠です。

「あらかじめ、記述しときますが、幾つか流派の技法上のことなどは、専門的ですので省いて、書かせていただきます。」

また、今まで、忘れていまして、お答えするまで期間が開いたことを、Alice様に対して、ここにお詫びします。それと、遅まきながらですが、貴重なコメントありがとうございます

以前、いただいたコメントの返信として今回は記述します。

それでは、さて、掃除をされている場所とされていない場所では幾つか如実な差についてですが、勿論、あり・出ます。

「注意として以下は、具体的にはよく掃除されている場所とお考えください。」

まず、一つ目は祈り・儀式の通りが違います。

いかに由来、道具、環境、人数などが揃い、素晴らしくとも余分なモノがあるだけで、手間や時間が成就するまで余計に掛かります。その為、大寺院や大社の中には、ある儀式・祈祷専用の場所・部屋を常設し、それ以外の使用を禁じている例があります。

気功法でいうところの気場の良さに関わる訳です。

二つ目は、神仏をはじめとして霊的な存在、特に人にとって有益な方々、チカラ、エネルギーはまず、清潔な所を好みます。よって、場所の乱雑さ・汚染具合によっては去るor変質し悪性化することすらあります。

神仏によっては、そのお祀りの仕方で供物や作法よりも何より奇麗さ・清浄を第一とされる方々すらいます。面白い事に、本当にそういう方々が存在するんですよ。

また、三つ目として、これはあまり言われない事ではありますが、基本的に物事は定期的に、掃除・浄化・整理されていませんと、よくて停滞、普通は病化、腐敗化、悪化します。

具体例として鳥や動物ですら自らへの水浴びや毛繕いなどからはじまって巣や家族、なわばりなどに対して日々、多くの手入れ・整理・掃除をしていることがあげられますね。

その為、定期的に掃除をしていないと知らず知らずにあまり好ましくない方向に進みがちです。

逆に言えば、掃除を習慣化しているだけで運勢が良くなります。奇麗にすればするほど良いモノがまわりに集うわけですからね。

以上の三つが掃除をよくされているか否かの大きな差だと経験上では上げられます。

それと蛇足ではありますが、掃除・浄化後に室内で、酒や塩をまく方がたまにいますが、これはあまり良くは無いと考えています。

普通の家庭用の掃除機は塩などの砂状のモノや酒のような液体状のモノを吸引するように出来ていないので、故障の原因になります。しかし、だからといって他の道具、たとえば、雑巾・タオルや箒などでは取りずらく、取り残しやすいものです。

また、酒は匂いの好みが分かれる上に腐りやすく、塩は汚れを吸収してより見た目が汚らしくなります。

もちろん、酒や塩の霊的浄化力は絶大なモノがありますが、その後の不利益・手間を考えると撒くことはお薦めしません。

それでは、また・・・。

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2007年12月17日 (月)

今晩は、皇悠です。

今日は、お月様が上弦です、ハーフムーンですね。

明日は、納めの観音です。今年最後の観音様の縁日ですね。

このような事柄は、今ではあまり気にもされていませんが、縁日や暦の行事、天象の循環などは我々の生理現象、生活リズムに影響があります。

勿論、その現れ方・作用は一律に同じであるはずがないですが・・・。

しかし、大なり小なり必ずあります。

また、儀式の効果・験、意識の変成にも微妙にして決定的な 要因としてあります。

これに気付いたのは、日記を書き始めて、それを何度も読み返したからでした。

日常の当たり前の事柄が小さな変化を呼ぶものなのですね。

こういう発見・驚きがあるから魔術・呪術の修行をしています。

別に、お金を代表とする現世利益は否定しませんが、魔術自体が面白いからしているのです。

でも、こういうのは魔術に限らず何かを学び、研究し、自己を鍛え上げていく人なら誰でも経験していると私はまた、確信をしています。

魔術は人の作り出した、何億・何万とあるうちの技術体系のうちの一つの体系ですから、別の技術体系を行く人にも同じよう発見・驚きの喜びがあるでしょう。

それでは、また・・・。

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2007年11月27日 (火)

掃除

今晩は、皇悠です。

いきなりですが、皆様は家の掃除をこまめにしていますか・・・。

さすがに毎日は仕事柄、出来ませんが意識して、するようにしています。

風水や宗教上の修行などに取りいれられているように、掃除は意外と効果的な開運・精神修養に為ります。

仏教の故事では黙々とただ、靴を道場を掃除しただけで悟りを開いた方もいるほどです。

初めの内は、なんとなくやっていましたが、後に修行が進みますとその必要性が分かってきました。

具体的にいうと、行の進み、験の威力、状況・場の力が如実に違います。

清水と汚水、太陽と豆電球、飛行機と徒歩位の差が出る時があります。

初めてその違いを認識した時は驚くと共に、怖くなりました。

そして、、「もっと早くからしていたら・・・」と後悔しました。

しかしながら、なかなかに掃除が苦手な人も多いのも事実で、そういう人を診ますと大体三つの特徴をお持ちの方がよくいます。

「一つ目は、物を処分できない・捨てれない。イコール、取捨選択できない・決断できない。

二つ目は、掃除を始めても途中で投げ出す・他のことに流され忘れる。イコール、計画性とそれを実行し達成する力がない。

三つ目は、そういう性質を知らない。イコール、己が器量を知り、その後に更なる向上の為の努力、訓練、時間を取らない、またその必要性もまた理解していない。」などです。

あまり、褒められた性質ではないですね・・・。

更に付け加えると誇大妄想や驕りが出てくると不思議と自分では掃除をしなくなります。そんなことは他人がやればいいとでも思うためでしょうか・・・。

よく分かりませんが・・・。ただ、物事の始末が出来ないのは、代表的な無能力者の証の一つです。気をつけたいものです。堕落するのは早いですから・・・。

また、霊的というか、気的というかよく掃除されている場所と掃除されていない場所の差もまたかなりあったります。

この辺のことは長くなるのでまたの機会でも書きます。

それでは、今日のところはここまでとさして頂きます。それでは、また・・・。

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2007年11月 9日 (金)

反省・・・

今晩は皇悠です。

お久しぶりです。

さて、このブログもそうですが、色々なHPを何の為に見ていますか・・・。

ただの暇つぶし・情報収集・気まぐれ色々あると思いますが、所詮はタダ・無料の情報です。

この事で、久しぶりに会った兄弟弟子というか、同門者というか、とにかくも似た系統の方に注意、非難されました・・・。

「なんで、書くのですか、」「勘違いさせていればいいのに・・・。」「無駄で、理解し得ないことを書いていてどうするんですか・・・。」「所詮、私利私欲の人ばかりでは・・・」「刷り込みを自ら解く気の無い人たちに、ヒントをあげて、まったく・・・。」

などと、有り難いご忠告を頂きました。

こうゆう素晴らしい同業者がいて、本当に幸せ者ですね。面と向かって言えないのでここに書いときます。

それでは、また・・・。

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2007年10月19日 (金)

インターネット・魔術について

今日、買ったブラック・ラグーン7、ヨルムンガルド3はやはりおもしろいな・・・、と。

今晩は、アクション大好き皇悠です。ガンとバトルは男の血にきます。

さて、本日のお題はインターネットです。

今、利用していてなんですが、胡散臭いものでないですか・・・。

企業のhpならまだしも、こんなブログなんて誰が書いているかは解かりませんものね・・。

それに、アフリエイトですか、広告で実態も見ないで購入するなんて怖くないですか・・・。

アメリカなんぞでは、偽のhpで本人のデータを入手して、相手に成りすましカードから預金まで根こそぎ奪う事件が続発しています・・・。

こんな事を書いていてなんですが、一応嘘は今まで書いてませんよ。

一部、書けないモノやあえて省いているものはありますが・・・。

それと、どっかの本やhp、ブログからの流用も特にしてません。

総て、一度は体験なり、調べ、分析した上で書いています。

それにしても、ネットは不思議なものですね。

殆どのモノがボランティアの力を借りています。2ちゃん・ユチューブ・ニコニコ動画・ミクシィ・ブログなど別にお金にもならないのに、こうやって書いて・投稿しているんですからね。

そしてまた、オカルト、宗教、呪術、信仰もまた不思議ですね。

それを行い、学ぶことで世界に、人々に、殺され襲われ白い目に遭うとしても行いをやめない・・・。

まあ、皇悠自身はこれ以外に、特に楽しめるものが見つからなかった為ですがね・・・。

セックスもギャンブルも酒もお薬もスポーツも音楽に武道に車、まあ面白そうなものは大体は手を出したけど飽きるか、すぐにひどいと10秒で虚しくなる、魔術・呪術の興奮・喜び・啓示に敵わないからしかたがないです。

漫画を含め本と呪術・魔術位しか、今のところ残ってません。使ったお金は本当に無駄でした・・・ね。

さて、何故こんな事をだらだらと書いたかというと、

実は、魔術・呪術の修行には現世利益が無いからです。

もちろん、修行をすることで人格が魅力的になり人に好かれ人生で得をしたり、お金を得たり、色々な知識に触れられて楽しかったりしますが、しかしそれに費やす時間・労力・お金は莫大です。

ほんっと、人生を捧げるしかない位です。10使って1得ればいい位です。

「行者の末路は哀れ・・・。」という言葉やGD以来多くの魔術団体の団員の半分以上はカルキュラムの途中で退団・活動停止している事実がこの道の益の無さを証明しています。

魔術・呪術で幸せになった人はいません・・・。

それでも、やっているんですから業は深いです・・・。

今日は、ちょっと毛色を変えてみました。それでは、また・・・。

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2007年10月10日 (水)

たまには、日常を

今晩は、皇悠です。

何故か、今日は個人的な現在の日常と過去なぞを書きます。思い付きです。

普通の会社員ですので、まず月曜から土曜までお仕事。

週末・連休そして特別な祭礼・用事の時以外は極々一般人で過ごしてます。

しかし、眷属や御祀りしている方々の啓示・同業者からの依頼等があると妖術師に変身します。

ただ、今は昔よりも依頼人も減らしましたし、「何人かの信頼出来る方とその紹介だけ受けるようにしています。」

付き合い先もを減らしたので日々平穏・充実して暮らしています。

さて、受ける依頼は大別して以下の三種類が多くて、

1、精神を病んだ方のエクソシズム・治療・・・時間・手間・道具が本当に掛かり半年かかったケースもあり、大変ですね。

2、悪夢・呪い・災厄の払い・・・1日から1週間位で上手くいく・効果が出るまで遣ります。

3、祈願祭・現世利益用の祈祷・・・よく遣りました。お金にはならないけど、責任も少ないので仲間内・リピーター相手にやっていましたね。ただ、当時も一見の方はこちらからお断りしていました。欲望を叶えるための道具・人生の師扱いされがちだっので・・・。

さて、2と3はふつうのお寺・神社で行う加持・祈祷と方法論・祈願対象こそ違え内容・目的は大体同じです。

ただ、1は多分、現在もやる人は少ないと思います。

単純に言えば、精神病・統合失調症の方を相手に日常生活が出来るように成るまでカウンセリング・プロテクション・エンチャントメントをしつつ、ナビゲートするものです。

ぶっちゃけ、霊障持ちの気違いを普通人に戻すという事です。

この具体例は私が知る範囲だと、脳機能学者の苫米地英人氏の脱洗脳が一番近い例ですね。

何故か、今日の内容は依頼主のプライバシーの為に歯の抜けた櫛状態ですが、解かる人には駄々漏れの内容でお送りしました。それではまた・・・。

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2007年9月28日 (金)

懺悔文

こんばんは、皇悠です。

今日は、愛用している祭文を一つ紹介したいと思います。

それでは、その祭文とは懺悔文のことです。

内容は、

我昔所造諸悪業・皆由無始貧瞋痴・従身語意之所生・一切我今皆懺悔。

読み方は、がしゃくしょぞうしょあくごう・かいゆむしとんじんち・じゅしんごいししょしょう・いっさいがこんかいさんげ。

多分、この言葉は、一般の仏教の諸派の信徒用の日常用経典には、大抵、出ていたりしていますが、これを唱えているか否かで、その験、効用、そして何よりも速さが違います。

意味的には、「唱える者の遥か過去からの諸々の罪・穢れ・業を自覚し、反省し、改めて、精進します。」という事ですね。

これは実は、祈祷時に神仏に対して「今はこのようなお願いを頼むような状態でいますが、いつの日かは、ちゃんとしたより良い状態・存在になるので、今回はよろしくお願いします。」という意味に繋がります。

なんか、無理に拝み倒しているみたいですね。

しかし、懺悔文を唱える必要のない人は、神仏から見ると何の罪、穢れ、悪業のない、正に欠点のない人・完璧超人なので、神仏の助けが要らなく自分で何とかできる人・だから自分でなんとかしなさい。

と言う事になりえます。

そう判断されると、祈祷している意味が無いので、予防策的な意味も含め唱えます。

また、祈祷している時点で、

祈願者・その人に何かまずい所が、なにかしら往々にしてある訳で、そこを改善しないと、例え願いが成就しても元の木阿弥になると神仏が判断され、そして、神仏は叶えていただけない。

と言う事があるので、それも踏まえて唱えます。

何よりも、ちゃんと、祈願なくても懺悔文を日々、唱え、実行している人は自ら工夫して悪い所を直し、色々と向上する者です。

さて、今回はテク二ック面を前面に出して書きました、いかがでしょうか・・・。

楽しんでいただけましたか・・・。

それでは、また次回をおたのしみに・・・。

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2007年9月19日 (水)

祭祀している神仏について・稲荷その1

さて、自己紹介の一つとして、

当家、というか皇悠個人が自宅でお祭りさせて戴いている神仏の一つに、稲荷大明神様がいらしゃいますので、ご紹介させていただきます。

ちなみに、一般的な稲荷について知りたい方は、伏見稲荷神社のHP、中村雅彦師のやおよろずcom.をご覧ください。

とても、詳しく紹介されています。

さて、お稲荷様を勧請した理由は当時のクライアントの事もあり、個人の関わりだけではないので、今回は控えさしていただきます。

しかし、勧請当日からなかなかの荒神ぶりでしたね。

例えば御神体に分霊を入れていただく祝詞を祭礼の一つとして、

神主様に唱えて頂いてる間に、しかも肝心要の数節でヘリコプターの爆音が響き、聞こえない・・・。

勧請したその次の週に初めて交通事故に巻き込まれる。

など渡りをつけるまで、なかなかに難儀しました。

しかし、拝み倒しの上に祈り倒し・・・・。

向こうの世界にまで、更にこっちから伺い移動して上役に、本人に、同輩、親族関係者まで交渉してやっと契約成立した途端に、嘘のような汎用的な万能神ぶりです。

この辺は、一般の対人関係や営業と同じで、往々にして、始めは難しい方ほどこちらの対応と努力に応じて素晴らしい友人・顧客になるようにです。

しかし、神仏によってはそのハードルは大変or無理だったりします。

特に、生活環境・家系的な因縁が絡むと大変です。

この間の技法・経過・工夫・診断法などはまたの後日に。では・・・。

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