日記・コラム・つぶやき

2009年12月28日 (月)

(金毘羅様の)日本の信仰について・・。

御覧頂きまして、有難うございます。

妖術師?雑学屋?魔術師?の皇悠です(^-^)/。

さて、今回は金毘羅様の信仰などについて、つらつら記述しますね。


えっとですね、当ブログの管理人皇悠は東京の水道橋の金毘羅様を通した金毘羅信仰者です。

もっとも過去はどうあれ現在のこちらの祭神様は大物主神様と倉稲魂神様なので厳密には金毘羅&稲荷信仰の神社となります。

だから、当ブログの内容も基本的にはそういう形式・信仰を重視したモノになっております。

つまり、現代のオーソドックスな金毘羅信仰とは違うマイナー派閥・一派の立ち位置で記述してます。

これは、具体的に言えば、個人的には好きな方ですが、崇徳院(白峯大神)様への信仰は特に在りません・・、何故なら崇敬する水道橋では神社に祀って無い方(由来書並びに出仕された宮司様などで確認済み)はやはり意識・信仰から除外されてます

また、頂いた金刀比羅本教の信徒用勤行集たる神拝詞集にも記述が無いので、省いてます・・・。

どうも、一部で金毘羅様への信仰は大物主(旧金毘羅神将)様と崇徳院様だけへの信仰と考える短慮な方々が、居られるようで・・・、今回改めて記述しました。


まあ、歴史的な観点を知らない方はどこにでもいるものですが・・(≧▽≦)ゞ。

さて、日本に於ける金毘羅信仰の本山たる讃岐の金刀比羅宮を始め日本の殆どの本家たる本山・大社などは複数の本尊・祭神を幾つも加えては削り、代わった先に今の形になっております。
更にその上、その分社・末寺・支店たる多くの寺院・神社も各々が創立・開設以来の独自の歴史を歩んでいます。

そうした流れ・歴史を理解してないと、実はこの国の信仰は理解出来ず、意味が無いのです。


また、ぶっちゃけますと、日本の神仏は各時代の亡国の仏教や呪禁道に陰陽道などを飲み込んで進化・変異・成長して来ました(近年では、モダニズムや人権思想を取り込み始めていますが・・)。

勿論、現代の形が最終形ではなく、また新たな変容を遂げていくでしょう・・。

そう、大日本帝国が滅び国家神道下の弾圧・抑制が消え、法的政治的な自由を得ながら何故か神仏習合への回帰を、祭神/本尊の取り戻しや戒律に儀式の復興を多くの寺院・神社がやらなかったように・・。


色々、変わり行くでしょう・・。

では、閲覧頂きます方には全ての良き事が雪崩の如く起きますように・・・。

皇悠より。

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2009年12月 8日 (火)

信仰・・・歓喜天様を題材に

御覧頂きまして、有難う御座います。

どうも、妖術系神学伝道師の皇悠です。

さて、当家で御祀りしております方にお稲荷様が居られますが、その同体とされるダキニ天様か歓喜天様かと云われる位に、仏教の尊格の中では歓喜天様は非常に怖い天部とされ、一般的に信心・信仰を避ける傾向があります。

実際、関西で最も有名な生駒聖天(真言律宗 宝山寺)の中興開山、湛海律師が自身の経験を綴られた『霊感記』にも、天尊を「他化自在天の主である魔醯首羅であって、障害神の毘那夜迦」と思うことの間違いを、歓喜天様が直接現れて間違いを指摘されました旨の記載がありますから、歓喜天様を忌避する傾向をかなり前からあるようです・・・。

しかし、普通に人として折り目正しく・礼儀正しく振る舞い礼拝・信仰をすれば罰が当たる事はまずありません。

ただ、特に注意しなければならないのは、願いを叶えるために断ち物・誓願(○○をしません、とか○○を食べません等々)をして、願望成就したにもかかわらず、それを守らなかった場合です。俗に言う恩知らず的な行為です・・・。(これは歓喜天様に関わらず多くの仏尊、特に天部・垂迹部の方々が嫌がる行為ですが・・・・)

まあ、これはこの世の日常でも真摯さ・誠意を示すために約束をしたのに、それを守らなかったら、普通に仕返しというかペナルティが課せられるのと同じです。

例えば、『会社を維持するために社長が土下座して他人から大金を借りたのに、一番大変な時期を過ぎたからといって、遊び呆ける。それを見て戒めようと、債権者が返済を求め強硬手段に出て、また困った状況に陥る。』という風な感じです・・・。

また、人によっては『煩悩にまみれた自分は拝む資格が無い』というような感じで神仏を避けられる方もいます。

しかし、歓喜天様は大日如来が大慈大悲によって、救いようのない衆生や、他の神仏では救い難い最底辺にいる衆生を救おうという願に基づいて化身された尊格ですから、自分が「煩悩にまみれた身」と思う人ほど信ずべき天部様の一体です。(ちなみに、ダキニ天様もそうです・・)

また、古くより歓喜天尊は「大日如来の最後の方便身」と諸経典類をはじめ偉大な先徳方が口を揃えて「衆生済度の為になった方素晴らしい方」と述べ、障碍神よりも善神としての面を強調されてます。

ですから、歓喜天様に祈る際には、まずはどんな人でもどんな願いでも一心に祈れば、叶えて下さるようですね。

このような祈りの真摯さ・一生懸命さが大事な事は、今まで何度となく他の神仏の場合も記述してますが、御理解頂ければ幸いです。

では、閲覧頂いた方々には全ての良き事が雪崩の如く起きますように・・。皇悠より

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2009年12月 6日 (日)

弘法大師の偉大さ・・。

御覧頂きまして、有難う御座います。

どうも、皇悠です。

さて、今回は空海さんこと弘法大師の凄さを書こうと思います。


さてさて、彼の事績を現代的に記述するとこうなります。

彼は日本の大学の最高峰の東大を卒業後に、国家公務員上級試験に合格しキャリア官僚として日本を動かす研修を受けている最中に、自らドロップアウトします。

しかし、長年の独学後に科学・工学系の世界最高峰のアメリカはMITに留学、その全ての学部を主席で卒業。

後に帰国し、日本に総合私立大学を設立、以後その大学からはノーベル賞受賞者が続出する。また、その大学のカリキュラムは当時あった全ての大学に取り入れられ、日本の学問の基準となります。

更に、その学識を買われ死ぬまで各種大臣を歴任、また政財界の要人にその人望から私淑する者が多く大いに影響を及ぼします。

また、社会事業家としても知られダムや総合病院を各地に創設、また芸術にも優れその作品はオークションでは億単位の値がつき、国宝に幾つかはなると共に、医療に優れ多くの患者を救う。

また、その書物はロングセラーとなり広く海外にまで知られ、多くの学者・偉人に愛読され研究されていく・・・。


何と云うか、今書いていても凄過ぎて笑えます。
現代的に当てはめて考えると有り得ない完璧超人ぶりで・・。
まさに、神仏が如き多才さ、万能さで・・・。

後の世に、大師が数少ない人から神仏になった方(の一人)として扱れ、神仏として信仰され、また多くの人々を救うよすがに成るのも判る希ガス・・。

有り得ないですものこんな方・・・。話半分でも嘘臭いですが・・、この方は実存しこれらをまた成している訳ですよ・・・。

本当に凄い人です。


また、ある意味ではその影響力を考えると日本の歴史を変えた方でも在ります。


では、今回は此処までです。

閲覧頂きました方々には、全ての良き事が雪崩の如く起きますように・・・。皇悠拝。

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2009年12月 1日 (火)

2009年12月を迎えて・・

御覧頂きまして、有難う御座います。

どうも、皇悠です。

今、外には雲の切れ目から満月が在り、空を白銀の光で皓く照らしてますが、本日から二千九年もあと残り一ヶ月を切りました・・・。速いモノですね('-^*)/。

さて、今年一年も皇悠には公私ともに色々有りましたが、後の残り一ヶ月間を真剣に過ごし、良い年を迎えたいと思います(^-^)/。

これは少し速いかもしれないのですが・・(^_^;)。

また、来年はオフ会、希望者には(居るのかどうかワカリマセンが・・)講習会や研究会・勉強会などを何度かやりたいと思いますし、また折り合いがつけば遠距離祈祷や遠征(伏見の大社に讃岐の本宮などの巡礼)にも挑戦したいと思ってます・・・。

また、(両部・修験道系の)神道の先生に習い修めた技法群も簡便なモノは公開していこうかと思います。(あまりにハードかつ無茶な習いました魔術・妖術関係の恩人の体系・訓練法などは相変わらず今も絶賛封印中ですが・・(^_^;)。

まあ、辞めてからかなり経ちますので現在の恩人の体系と皇悠の知るモノとはかなり違うと思いますし、でも今も飛行薬だの言語統制だのしているのかな・・・?

それに当時の半基地外の皇悠(今から考えると強迫性神経症&軽度の統合失調症者)はかなりセーブされた・ギリギリ/最低ラインの訓練を受けただけなので、正確には良く言ってフリークス/悪く言えば面汚し・最低ラインしか出来ない馬鹿・能無しな弟子でしたが・・・閑話休題)

さて、本格的な冬はまだまだ続きますが、これからも当ブログをお体にお気をつけつつも宜しくお願い致します。

では、閲覧頂きました方々には、全ての良き事が雪崩の如く起きますように・・・。

皇悠、拝礼。

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2009年11月28日 (土)

霊的教育・呪術的修行

御覧頂きまして、有難う御座います。

どうも、妖術系神学の伝道師・皇悠です。

さてさて、ある方から当サイト(ブログ)は、初歩的な豆知識・専門的な業界話から一寸先のディープな技術論まで各種そろえているが残念ながら系統だった紹介・段階的なステップを記述していないと言われました・・・。

皇悠の認識でもある意味で当ブログは備忘録であり雑記帳で、的確な評価ですが・・・f^_^;。

しかしながら、流石に弟子を持ち小なりとは云え一門を率いる人間は違います・・・(*^_^*)。見てますかY師?

さて、一人前に成るまでの間の訓練課程を終えて一人立ち出来るまでは完成・成長するまである種の親として監督・保護義務のある弟子以外に厳密には教育の義務はありません。

ちなみに、学校や講習に於ける先生・生徒関係は皇悠の見る所では、ただの商取引なので、上記のような保護・協力関係はあり得ません。だからこそ、大抵の学校・講習会では間違って学んでもまず矯正行為はしません。
そして、当ブログも弟子に教える事柄(具体的には基本的行に訓練)は全く記述してません。

依って当ブログの内容は他派なり皇悠と同系統なりとは問わないのですが、厳密にはある程度のレベルになった方にしか、活用し得ない内容になっております。


ちなみに、呪術的修行・霊的な訓練は必ずある段階ごとに決定的な変化が起きます。まさに段階ごとに世界が変わりますし、生まれ変わりますよ(^-^)/。


逆に言えば、元に戻る・何も変わらないと感じるようですと真面目に修行していない・ちゃんと教育されてなかった証とも云えます・・・。

さて、今回は此処までです。

では、閲覧頂きました方には、全ての良き事柄が雪崩の如く起きますように・・・。皇悠拝。

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2009年11月25日 (水)

護摩供について・・

御覧頂きまして有難う御座います。

どうも、妖術系神学の伝道師・皇悠です。

さて、少し前に護摩供について某師との会話で「入護摩(火を焚く)前に“火”が心に見えていないといけない・・・」と教えて頂きました。

最低限、能でいう所のその「位」にないと、他の人の為の護摩供は出来ない・不可能との事です・・・。

まあ、護摩供の作法(修法の仕方)自体はそれ程は複雑で無く・次第書も神田の古書店街や誰かの行記を頂く・筆写しなくてもそれなりにあり手に入れ易いモノではありますが、技能を高くするというか・・・それなりに修練を修めないと、きちんとした護摩祈祷にならないと改めて祈祷の難しさを実感し考えました。
まあ、完全なイメージ法の内護摩法というモノもありますが・・・。
ただ、視覚化・幻視化は難しんですよね・・・。まず独習は無理ですもん・・・(笑)。モドキは出来ても・・・。

では、今回は此処までです。

閲覧頂いた方には全ての良き事が雪崩の如く起きますように・・・。
皇悠より。

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2009年10月31日 (土)

悟り・神との出会いなどの周辺

御覧頂きまして有難う御座います。

ソーサリック・エバンジェリトの皇悠ッス('-^*)/。

さて、どんな高僧、聖人、達人に術者であっても、この世で生きていくからには、飯を食う為に托鉢で御布施を貰ったり、働いて生活費を得たり、炊事に洗濯などをしなければならないですよね('-^*)/。

つまり、世俗・日常的な物事とどこかで折り合いをつけなければ成らないモノです。

当たり前の話ですが・・・。

これは自分が何の為に生きるか?

何故にして存在しているのか?という意味を求め、疑問を感じつつ生きている多くの現代人が、内心では何故食う為に働く必要があるのか・・・?と日々疑問に思っているのと同根・同意です。

有名な話ですが、イエスが『明日のことを思いわずらうな!』と豪語してますが、それは文脈・応用などを考えますと「明日の食べ物の心配をするな!」と言ったと言う事でもあります。

また、これは例えば今・この瞬間に神に出会い・見性/覚醒/悟りを啓き、その感動に震え喜びに浸る者でも、明日になれば食べ物を探し、生きる為に日々の営みをする事になるのを、ある意味で正直に顕しています・・・。

因みに禅宗では、世俗との折り合いにおいて、最も世俗を否定した側に位置する考え方の人物がチラホラいます。彼らは『例え非業・不遇の死を遂げても仏そのものを・仏として生きるべきだ!』と考えた人たちです。

そう云う方の一人に有名な臨済の友人でもある普化と言う方がいます。

彼は、豪華な三ツ星レストランで歓待され楽しんでいても、話題が道に外れようならば出て行くような人でした。


また、不思議な事に、悟りに神との出会い、つまりは修行なり訓練なりで、個人の限界・高みなり深淵なり究極なりに至った後にこの世でどう生きて暮らすのか・・・、世俗の折り合いをどこでつけるか・・・という問題はありながらも何故かその人の生き方を実際に悟り前と悟り後でどうするのか?を具体的に記述し、有効な形で組んでいる体系は、実は殆どの呪術体系・宗派ではありません。

一応は、仏教では悟り後には菩薩行をするとなっていますが・・・、悟った筈の人がどう考えても後世に問題や騒乱、分家騒動などを起こす要因を残したり、在命中にしたりで、救済や慈悲行のはずの菩薩行とは見做しにくい行いをしています。

また、悟りながら・見神しながら不遇の死や悲惨な人生を過ごした方(例えば、ジャンヌ・ダルクなど)は、やはりそれなりにいます・・、残念ながら・・・も。

では、今回は此処までで・・す。

閲覧頂きました方々には全ての良き事が雪崩の如く起きますように祈りつつ、失礼します。

皇悠拝

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2009年10月28日 (水)

何故?貴方は呪術・祈祷・信仰をするのですか・・?

御覧頂きまして、有難う御座います。

ソーサリック・エバンジェリト(?)の皇悠です。

さて、今回はガチ話です。

『何故?貴方は呪術(祈祷・信仰)をする(学ぶ)のですか?・・』
この言葉は、皇悠が始めて拝師した方に、ある重要な祭儀時に問われた言葉です。
(勿論、そのままでは無いっスf^_^;、ある文脈からの抜き出した言葉ですから・・)

そして、折りに触れ自ら問い直し・考え直す言葉でもあります。

これは別に呪術に限りませんが、
何故知りたいのか?
学んで何を為すのか?
習って何をするのか?
その願いを叶えるのには(それなりの労力・時間・資金を掛けさているのだから)代わりに何を提供するのか?


そうした理由・意図・代償無しに反射的に知りたい・見たい・教えを乞う行為をする愚かさをまたこの言葉を自問自答しますと教えてくれます。


そして、また恩人はくだらない質問をした際に同じような趣旨の言葉で啓発して頂きました(有り難いに・・(^^ゞ)。

(因みに、皇悠はたまに怒った際に、何かが気に入らない際にも同様の言葉で問い詰め・ガンずめしたりします。閑話休題)


さて、人生にはやらなければ、理解不能な事もありますが、ちょっとこのような言葉で掘り下げるだけで、無駄や回り道を省く事が出来ます。


人生は長いようで短いのですから、真摯に悔いの無いようにすべきでは無いでしょうか?

そして、当ブログがその役に立てば幸いです。

では、閲覧頂いた方には全ての良き事が雪崩の如く起きますように・・・。

皇悠拝。

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2009年10月23日 (金)

何故にして、古い寺院や神社は廃れているのか? 間違った認識等

御覧頂きまして有難う御座います。

ソーサリック・エバンジェリトの皇悠ッス('-^*)/。

さて、今回は当シリーズの最終回として、多くの寺院や神社にはびこる間違った伝統・保守性・認識等を上げます。

えっとですね。
まず、前提として呪術・祈祷と信仰・崇敬と宗教は別々のモノです。

そして、残念ながら神社や寺院を経営し管理し維持する事は呪術・祈祷や信仰・崇敬に宗教と全く関係のない事です。

だからこそ、呪術・祈祷師でも無ければ信仰者でも無く宗教者でも無い経営し管理維持する存在を寺男とか堂守り等の言葉として古より在ります。現代語で云うなら多くの文物の維持・管理する博物館や美術館の職員に近い意味あいで・・。

しかし、現在は誤った認識からか間違った保守性からか分かりませんが、ただのそんな管理人・職員レベルの方々が多くの住職だの宮司をやっていたりしてます。

しかし、宗教施設であり、呪術・祈祷を行う場所であり、神仏への信仰・崇敬に関わる地である寺院や神社は必然的に宗教者・呪術/祈祷師・信仰/崇敬者である事を住職・宮司に希求されてます・・・。

そして、そんなギャップ・ズレが結果的に寺院・神社に集い関わろうとする信者・氏子・檀家との断絶・離別を呼び、廃れさせてます。

ぶっちゃけると、祀っているはずの神仏の存在・力を確信してなく、救いの御業たる呪術・祈祷を行わず、各派毎の理論・教学・神学に詳しく無い方々が古い寺院や伝統ある神社内ですら溢れ返っていたりして居るわけですよ・・・。

そして、そんな寺院や神社に誰が行きたいのでしょうか?

皇悠には、不思議ですね。

ある意味で多くの人は正直ですから、廃れている寺院や神社は廃れ・消えるのに値しているのかも知れないのです・・(^_^;)。

支え守り維持し、出来れば繁栄させたいと思わせる何かが無い、信者・氏子・檀家にそういう気持ちを起こさせないからこそ、廃れている訳ですから・・(≧▽≦)ゞ(笑)。

偏見かもしれないでしょうが、皇悠が個人的に思ってますが、何事も問題の解決策や改善法は幾らでも在ります。
しかし、そうした問題点を自覚して無い事こそ、多くの古い寺院や神社が廃れている最大の原因では無いでしょうか・・・?

では、今回はここまでです。長々と当シリーズを閲覧頂き有難う御座います。

では、閲覧頂きました方々には全ての良き事が雪崩の如く起きますように・・・。

皇悠より。

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2009年10月21日 (水)

何故にして古い寺院や神社は廃れているのか? その4 人口または世代

御覧頂きまして、有難う御座います。

道楽・妖術系伝道師の皇悠ッス('-^*)/。

今回は人口・世代論の話ッス('-^*)/。

さて、今でこそ若い人(皇悠は三十半ばですからオッサンですが・・)には個性だの独自性(オリジナリティ)だのを評価・讃美されていますが、往古より日本人は若い人にはらしさや伝統様式の礼儀に作法、躾や教養・基礎知識などを概念的に云えば個人に於いては歪みより均質性、個性より伝統・独自性より普遍性を評価していました。

そして、その証・基準の亜種が世代論/年代的な特徴の保持だったりしました・・(^_^;)。

しかしながら、少子高齢化・人口ピラミッドの崩壊、そしてそれから導かれる最大の未知たる日本人・日本の人口の減少が明らかになるにつれて世代論や年代の特徴を表現し・括る基準が難しく成りました(つまり、パイが小さく成るので、当てハメ難い人間が増えた訳ですよ。例え一%でも対象百万なら一万ですが十万なら千人で、万と千の差は・・・ねぇf^_^;)。

そして、コレはまた寺院や神社の支持者の減少にも繋がります。

例えば、今でこそ十万の支持者がいてもその構成の大部分が六十代では未来は無いのです、彼・彼女らはまず間違いなくこれからの三十年以内に死んでいドンドンいなくなる方々で・・・、そして例え宗教・寺院や神社に興味を持つ割合は世代的に関わらずいつも一定にあってもパイ自体が小さければ必然的に少なくなります。

現に、今の日本の宗教に起きてます衰退の大きな原因の一つが定期的な宣伝・告知を忘れてしまった事によるミスと世代的減少(人口ピラミッドの崩壊)に拠るモノです。


ぶっちゃけると今までは何にもしなくてもパイ自体がデカかった・デカくなったので、次の若い人が安定して来ましたが、どんどん人が減るなら来なくなるのは必然な訳ですよねぇ~。

まして、外来の宗教や思想が遥かに容易にネット経由でやって来る時代には、未だにネットに繋がらない所も多い旧態依然な日本宗教はヤバいですよね・・・♪(*^ ・^)ノ⌒☆。

しかも、若い人ほどネット経由で情報を得る・未知を知る機会が増えてますのに・・・。

この辺は微妙で・・大丈夫かぁ~?とたまに思います。


では、今回はここまでです。

閲覧頂きました方々には全ての良き事が雪崩の如く起きますように・・・。皇悠より

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