何時も、御覧頂きまして、ありがとうございます。
どうも、皇悠です。
さて、今回は過去の記事に対して、幾つか質問がありましたのでそれについて幾つか答えようかと思います。
コメント・閲覧頂いた皆様順不同でありますが、妙蛸様、エピクロス様、伽羅様、セイタカドウジ様、たこ様、nor様・・・(名前の記述に間違いがあればすみません・・・)ありがとうございます。
まずは、前回(眷属・盟友・奴らとの関係性と危険)の記事で私の説明レベルが不足していましたので、一部誤解がありました・・・、申し訳ありませんでした。
まず、眷属および神仏と交流することは心身に多大な負担をもたらすということをメインで書きましたが、これはあくまで最高or高水準の作業を行う場合です。普通の魔術・呪術で必要とされるレベルの交流ではさほど、と言うのは語弊がありますが、個人の趣味レベルでは大して心身に影響はありません。そこまで、追い込まれることもこともまず無いですし・・・。(具体的にはかなり初期の視覚化の記事の中のテストに合格するくらいのレベルは必要であり、そのレベルはかなり心身に負担を与えるということですね。)
また、まず普通の公開されている行や作法・術は基本的に中抜き・簡略化しているので禅病・偏差・負担などはまず起き得ず無いですね。私が問題としているレベルは単純にいって、物理的に行者・呪術師として作業・実験するのに必要な(意識)状態のことを書いています。極端にいえば呪殺or呪詛払いが出来るか否かのレベルの話です。もし、「するなら前回の記述される負担レベルぐらいは必要だ」という話なだけです。
これは、有名なところですと「呪いの研究」で名を馳せる中村雅彦師の各種の記事・文献、少し古いですが「エクソシストとの対話」という本にも、またアマリンゴ師の「アマゾンの呪術師」などに出てる体験・試練などです。上記の本では術者が呪詛・祓いを行う際にどのような苦難・負担・代償を得るのか色々な形で出ていますね・・・。
さて、もう一つ、妙蛸様の質問で師の一門が数人しかいないというお話ですが、これは単純に処世術・対人関係へのスタンスの問題です。
当時(多分、現在もそうでしょうが・・・)、師は相手のレベルに合わせて伝授のレベル・保持する技能どころか、交友関係などですら抑えたり・隠したりしていました。私も弟子入りの際、そして修行時代も当時は師と兄弟弟子以外の前では、BPWの会員ではあってもKBの団員であることも、師のメガの弟子であることも公表どころかそぶりも出していませんでしたし、また出すこと自体を禁止されていました。勿論、BPWの只の会員に対しても隠していました。
理由は幾つかありますが、一番くだらない理由をあげますと、「同じ訓練も学習もしない口だけの関係、読書・又聞きしただけの存在に教え、見せる必要がない」ということですね。所詮は、一門に入らないよそ者ですし・・・。
また、逆にいえば、所詮タダの情報・話ですから身内でもない他人に真実を伝える義務も責任も無いわけで、隠したり煙に巻くのは別に道義的な問題も無いわけですから、反対する理由もありませんでした。もしかしたら嘘も許容されるかもしれません・・・。
勿論、私も当時は真摯な弟子として従いましたので、交流会などで出会う秋葉師や鏡氏など他団体の方の前でも、只のBPWの平会員として振る舞い・隠していました・・・。あえて、嘘やけむに巻くことはしませんでしたが、向こうが勝手に誤解していても訂正してはいませんでした。(まだ弟子なので詳しくは)「知らない/わかりません」、(BPWでは)「平会員ですので・・」などとカッコ内を省きしゃべればよかったので楽でしたが・・・。
ちなみに、現在私が暴露していることももう10年近くたった過去話であり、公開している技法もメガおよびKBの独自の技法ではなく、基本的にはもう一般に流通・公開している文書・教えをもとに記述しています。
また、誰もずばり書いていませんがメガの教えは基本的に有償(金額などは任意でしたが、やはり誠意やその人の経済状態は考慮していました上で判断していたようですが・・・)でした。
ここがBPWやKBの教えとの一番の違いでしたね。『金銭で払うか、労働か、物品か』は別でしたが、私も現在の貨幣価値にに換算しますと多い時では約1年間に合計で最大100万近くのささげモノ(経費・代価)を使い・払いましたか・・・・。
憎悪師も贈り物という形で代価をMMMで書かれてますよね。これは、今でも悔いもない良い買い物だったと考えていますし、その事で感謝しています。良い訓練と稽古に試験をつけて頂きましたから・・・ね。
ちなみに、憎悪師については[混沌魔術はここ中心で語ろうPart1]などに出ている通りです。彼の逸話や専門・当時の興味は当時のBPWの会報に出ている通りですので、二度書き・孫引きなどはしたくないので省きます。
正直な所で、メガ関連の体験談や師の周囲で起きた出来事は、どこかの説話かトンデモ話位にしかならない信憑性ゼロのことが多いのであまり語りたくありません。自分で経験していてなんですが、あまりに荒唐無稽な事が多かったので秘密にさせていただきます。
話しても信じない人は最後まで疑問を持ち続けるでしょうし、理解・出来る人/する人は別にここで書かなくてももうネット・書物などに出ている情報だけで判断し、信頼されるでしょう。残念ながら、体験談は会話・文章で理解出来るものではないので、最後はその人のセンスや訓練量、実力に左右されますので何度か師の逸話を人に伝えた事がありますが初めから猜疑心や不信、疑問を持つ人は幾ら詳しく説いてもかなりの方が解かれないモノでした。まあ、弟子でもないので今では詳しく説く必要もないと諦めました。
また、師自身が説明をメガについてはあまりなされていませんでした。正直なところで、理解しても出来ない者には価値が無く、他者に説明出来なくても出来る/克服/成就することに価値があるので、メガの教授に関しては訓練法とその試験、それと幾つかの逸話や実践上の質問に対してのヒントがメインでした。
その為、以前書きましたがメガの定義や考えは弟子の中でもかなりズレていました。最悪、意見がぶつかりましたらこの界の不文律、呪術・実力で方を付ければいいのですから、楽なモノですよね。
(ちなみに、同門同士の個人レベルの呪術戦は事実上、当時は黙認されていたようです。ただ、幸運にも嬉しい事に私の修行時代ではそれは起きませんでしたが・・・。また、弟子同士の討論や対立も師は基本的に放置していました。メガに関しては友好的・博愛主義の面を師は出さず、基本的に互いに協力的である事を要請していましたが、個々の訓練と向上と献身のみを求めていたようでした、メガが個々の信念体系であるからにはしょうがないのですが・・・)
さて、私個人としては師との数年の間に、色々と多くの奇跡・霊験を体験さしてもらい、歴史に語られる仙人や超人の実在を確信出来るようになりました。また、あれらがよく出来た奇術・トリック・ペテンだとしたらそれはそれで良い見世物を体験さして頂いたとも考えています・・・。まあ、個人的には狂気の支配・抑制、使い道を教えて頂いただけでも、十分に感謝しています・・・。
ちなみに、少し話は変わりますが個人的には『真面目に日々訓練する誠意と試験に挑戦する勇気、代価を払う意志があれば多分当時も今も師は弟子入りぐらいはさせて頂ける』と考えています。それなりに大変ですが・・・。
しかし今でもですが何故、当時も弟子入りしないで師について話を聞きたがる・知りたがる人がいるのか不思議です。何故、私のような者・半端モノに聞くのか?嘘吐きでは無いつもりですが所詮身内でない者に師の不利益になるかもしれないのに真実・核心をべらべらと語る者・恩知らずとでも考えているのでしょうか・・・・?
私は基本的に疑問/そういう思いがあり、そういうひねた考えを持つに人間でしたので、「身内になれば師の実力がわかるだろう・・・」と考え当時も色々言われていたがゆえに、逆に興味が出来て師に近き、それが巡りめぐり師に誘われたのを契機に弟子入りしました。
そして、そこで経験した事が予想以上で感動・驚嘆しましたので弟子入りを決めた当時の自分の勘・センスと決断は私の密かな自慢です。
さて話を戻しまして、イエズス会の記事でも一部に誤解があったようですね。
まず、基本的前提として当時の宣教は莫大な費用が掛かりました。今のように高校生が2ヶ月もバイトすれば地球の裏側までいける時代と違いまして、正に一つの国家か大商人以外は海路で地球の裏側の日本・アジアに行く事は西欧人には不可能でした。ここから導かれるのは、経済的な利益なしには国も商人も[最低でも初期投資としての初回の渡航費位は完全に持ち出し・自己負担ですから、援助を受けるには利益なしには・・・]動きませんから、教会(ローマ・カトリック及びイエズス会)としても勢いその活動は経済面が強くなり、必然的にそれは商人的な打算を含んでいるのが大前提になります。
何故か、このような経済的・物理的な理由をスピリチュアル系の人は無視し、考えに入れませんのでこの記事ではあえて、ドロドロとしたごりごりの経済面[儲からないと宣教・布教師の派遣・維持・継続は無理という事実を基に色々な事]を書きました。金をかけずにスピリチュアルをするには一人で孤独に瞑想するぐらいしか手はありません。
(ここで記述しているだけでも、電気代だ家賃だ睡眠時間だと代価は掛っていますからね・・・。)
そして、当時の宣教事業は奴隷貿易以外で日本に対しては対価になるものはありませんでした。幾ら殉教する意志があろうと最低限の金銭なしには当時は完全に渡航・布教は不可能です。そのため、私個人としてはイエズス会が奴隷商人であろうと武器商人であろうと彼らの行為は非難されることは無いと考えています。
正直なところ、当時の日本人の権力者および庶民にたいして武器で接触したのは上手い手だと考えます。当時の我々の御先祖達は戦場で互いの首を狩り、それで主から恩賞を得た首狩り・戦闘一族でしたから・・・・。
それでは、今回はここまでです。
また、長々と色々と書き散らしましたが、お読み頂いた皆様/貴方に全ての良き事が雪崩の如く起きますように・・・。
皇悠拝。
『皇悠さんのブログ、まだ全部読んでいないので、お伺いしたいことはたくさんあるのですが、とにかく、
修行の中で、祝詞や真言などを、何度も何度も唱えるということを書いておられます。
祝詞を一時間とか二時間とか、唱え続けることにより、脳内の変化が起こってくるのでしょうか。それとも別の次元の存在が、そこに興味を持ってくれるということなのでしょうか。
それなしに拓かれる道はないのでしょうか?』
さて、何故私が修行及び礼拝、儀式などにおいて祝詞・祭文・経典の連唱を勧めるのかは、幾つか理由があります。過去の記事にその理由も幾つか書いておりますので覚えている方には、またかと思われるかもしれませんが改めてお答えしますね。
まず、第一に我が国もそうですが多く国の神仏の祭礼・祈祷では基本的に信仰心とその証たる供物をささげること、代価による交換を重要視しています。そして、経典・祝詞・祭文を唱えることは良い信仰の証、供物とみなされています。また、極端な話で毎回毎回、供物の御香や食物、財物、宝石などを用意をするのは難しいので私は繰り返しの朗誦を勧めています。
次に、催眠術や洗脳、行動心理学などで証明されていますが人には何度も同じ内容を口に出し、行いますとその内容・意味・行動を自らの信念・価値基準などに取り入れ行動・生活パターンが変容させる特徴があるので、清め払う祝詞なら自然と穢れを避け浄化を心がけるようになり、富貴繁栄の経典を読み込めば自然と豊かに栄える行為をするようになるのも理由の一つです。
さらに、付け加えますと、朗誦以外の視覚化、幻視、憑依、薬物摂取、舞踏、夢見、呼吸法などにより神仏との繋がりを求め祈祷する技法は基本的にそれなりの訓練時間・熟練・才能がいるのでネットのような公的な場所では、紹介しても理解は出来ても独学の習得差は個人差が本当にひどく、また利用・応用しにくい為、あまり相応しくないと考えますので記述・公言を避けているのも事実です。
勿論、私もかつては混沌魔術などをそれなりに修めた者なので、無言・空手・無動作で幻視・夢見などだけで祈祷・儀式をすることもありますが、これはあくまで例外です。やはり朗誦あり、道具使用あり、動作ありのほうがやり易いものですので、無言・空手・無動作などはお勧めしません。
また、長く同じ言葉を唱えることによる意識の変容(俗にいうトランス状態の一種で単純作業と自己暗示系の精神疲労性トランスです)は時間がかかり、かなり大変ですが万人向けの有効性があるので勧めやすいのも事実です。
正直なところで、どんな人でも同じ祝詞なり、経典なり、祈祷文なりを、何十時間も何千回も唱えるといやでも悪魔だろうが、天使だろうが何かしら現われ見れるようになります。
(そういえば、はじめの魔術の師はある大悪魔の召喚儀式で古来の祈祷文の連唱でやるとあまりに大変で団体の会報で悪態をついた記事を書いたことがあります。閑話休題)
また、優れた舞台装置(例えば寺院やパワー・スポットなど)を紹介しても人それぞれの相性があり、更にやはりそれなりに経験・熟練がないと慣れない場所の見知らぬ他人がいる中で祈祷・儀式をするのは難しいです。
また、良い道具などを自作・用意するのはそれなりに腕や運がいるので難しく、いきおい祝詞・祭文・経典の紹介およびその朗誦などへ私のブログへの内容・記述などが偏り・比重がいくのも事実です。この辺は気をつけていますが私の力不足で難しいです。
勿論、他に伽羅様がやり易い方法があるのならば、そちらを行うのが良いと思います。私の弟子ではないので私の好みを強制しません。
正直なところで、連唱系の技法は行為自体は簡単ですが、儀式や薬物、瞑想などよりも時間も労力も慣れも要ります。
ただ、このような朗誦技法は、場所を問わず使え(異界や夢の中でも使えます)、使用前提がまずなく(瞑想は騒がしい場所や動きながらはまず無理ですし、薬物は安全が確保されないと命に関わります・・・)、道具なしに出来(儀式をイメージだけで行うのはかなりの熟練が要りますよね・・・)、何より一度強力な幻視・トランスに没入しますとその時唱えた言葉を再唱することでより早く同じレベルの状態に再体験し易く、また多くの他の技法にも組み合わせられるので私個人としては気にいっています。ただ、こういうのは最後は好みの問題ですので難しいですが、ご理解頂けると良いのですが・・・?
それでは、今回は此処までです。長々とお読み頂きまして、ありがとうございます。お役に立てば幸いです・・・。
では、いつもの『貴方に全ての良き事が雪崩の如く起きますように・・・』
今日は本当に大量に記述し、疲れた皇悠より・・・orz。