学問・資格

2009年1月16日 (金)

神主・神職についてあれこれ。

御覧を頂きましてありがとうございます。

どうも、お久しぶりですね、皇悠です。さて、今回は以前書きました、神職のなり方の補足です。問答形式でいきます、では・・・。

Q女性の神主さんは少ない/いないのでしょうか?
A.いえ、います。結構というかそれなりに沢山おられます。総神主のうちで割合として1割~2割は女性だと聞いた事があります。勿論、それ以外に巫女という職種もありますが・・・。ちなみに、その区分は基本的には祝詞を唱え、祭礼を司る方が神主、その補佐が巫女さんと考えるのが妥当かと思います。

Q又、女性は神主になれない/なりにくいのですか?
A.もちろん、男女平等の現代では資格を得ること事態はできますし、その際のハンデも特にありません。戦前は神主資格は男性にしかありませんでしたが、戦後は女性もなれる/取れるようになりました。ただ、性別や(勿論、普通に社会的に未成年はまず無理ですが・・・)年齢などで男性よりは神社での奉職の際に採用されにくい傾向や、また慣例・神託などにより男性限定やある血族・特徴の方のみ積極的に採用する役職がある神社などはあります。ちなみに、もっと昔、邪馬台国の卑弥呼(ヒミコ)とか平安時代などで、それくらいまで遡ると、女性の神主(今の神主と若干意味合いが違いますが)もあったと言えます。

Qよく聞く神主さんと宮司さんの違いは?
A.神主=神職ですが、神社で神に奉仕する者の事を基本的に神主(神職)と呼びます。そして、その神社の中での奉仕・奉職する者=神主さんの中で最高責任者・代表者である神主が宮司さんです。そして、宮司とは役職の名前ですので、他に役職はありまして、ほかにも、規模により禰宜(祢宜)、権祢宜、などがあります。ただ、普通の一般神社では専属の職員・神職が宮司1人だけとかある家族が代々護持しているという小規模な神社も多く、また主に経済的理由で複数の神社の宮司を1人で多数兼務する土地も少なくないですね。

ちなみに、一般の企業で例えると、
宮司=代表取締役社長、一部の神社では宮司と禰宜の間に権宮司が置かれますが基本的には禰宜・祢宜=専務などの部長以上の重役、権禰宜(祢宜)=課長・係長などに値しまして、そして出仕は平社員です。

ちなみに、基本的にはどれほど古かろうとも、規模が違おうとも、氏子の数が差があっても、神社自体の格や歴史などに関係なく宮司は宮司同士、同格です。この辺は普通の社会と違いますね。同業者同士で会社の規模や歴史などで差がつかないというのは・・・。

勿論、人格や学識、年功や評判などで個人としての敬意の差などはありますが・・・。

ただ、神主に限らず、聖職者にとって若いということは、信頼を得るという点で、また人生経験が不足してるという点で、どうしても補えない・舐められ易い所があり、信頼が氏子さんや出入りの業者さん達から得にくい点がありますので、若い方では苦労されている方も多いのですね。

だけれども、若いからこそ挑戦出来る事、女性だからこそ出来る事が、あるはずで代替わりする事で一気にその神社が変わり、良くなる例もあるので、私個人としては若い神主さんに対しても特に偏見はないです。

ちなみによく神職の方の本で明階、直階などが出てきますが、あれは日本最大の神社の包括団体・宗教法人神社本庁内の神職のライセンス・資格(の段階名)です。つまり、神社本庁において所属する神社の社格に応じて宮司なり、神職になるのに必要な資格の名前です。その為、それを必要としない神社の宮司さんや関連がない宗派の神職の方でない方もそれなりにいますね。この辺も含めて、普通の仏門諸派に比べて、神道では基本的に位階が少ないです。

ただ、これらの資格は残念ながらも個々の霊的能力や祈祷師としての実力には比例も証明もしませんし、関係自体もまたありません。

ちなみに、現在神道系でありながら理論だけでなく実力派でもあると、大活躍の独自の稲荷系行者・心理学者にして神主である中村雅彦師(尊敬しています)は神社本庁外の神道・神社の出で、師の名乗る資格(権訓導)も師の帰属する一宗派内での資格(言い方を悪くするとお手盛りとみなせるかもしれない資格)ですね。

さて、基本的に神社内の役職名・宮司などはどちらかというと法的な経営・責任能力と在籍年数による功績などの証明資格で、それに対して神社本庁の位階は大学などの修士・博士号などの学識証明・経験履歴的要素が強いです。その為、神社本庁で資格を得てから他派の行者・在野の祈祷師・霊能者などに弟子入り・修行する神職の方もちらほらいます。この辺は、人によりますが・・・。

さて、今回はここまでです。お役に立ち参考になれば幸いです。

では、貴方に全ての良き事が雪崩の如く起きますように・・。

皇悠、拝礼。

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2008年11月15日 (土)

密教の伝授についてあれこれ

御覧、頂きましてありがとうございます。

どうも、皇悠です。

さて、私はよく密教系について、「これより先は良い師と縁を結んで頂いて、伝授を受けて下さい・・・・」という趣旨の発言・記事・投稿をよくしますが、さて、これは具体的にどんなパターンが想定されますか?

失礼ながら、とても非現実的な空論に聞こえるんですね・・・ある種の人には・・・。えーと、普通に密教寺院を調べて、まずはいくつかめぼしい所に出向いて、まずは、一番良さそうな所の行事に参加して様子見る。そこの坊さんと相性が良さそうなら、具体的な講義とかに参加してみる。

駄目なら、別なところに移動。ただ、あまり完璧を求めすぎても駄目ですよ。自分の現状を差し置いて、自分に縁のある寺や坊さんに完璧を求めるのは、仏道とは合わないから・・・、そして、2~3年通ったら、在家のまま得度とかすれば、本山の主催する行事に参加出来るようになったりもします。この辺りは、真言宗は古義系新義系で、結構違いがあるから、自分で調べて下さい。すぐに出家じゃなくても、時間かけて選ぶほうがいいですしね。お見合いみたいなもんですし・・・。西日本だと、そんな苦労せずに善良なお寺に出会い安いかも知れませんが、意外な所に明師・高徳な人はいますから探すのは気長にかつ真剣にやるべきですね。それで、その師が知りたいことをご存知か不明なんですものね・・。

まあ、ある程度、自己努力が必要です。
特に、密教の場合は、自分の師を探す過程が、大事な修行になるので。求められて拒むのも越法の罪ですから、基本的にお断りは直接にはしません。「大変・・・」とか「本気ですか?」ということは言われますが・・・。

だからと言って、それをご存知の人を紹介なんてとても出来ません。たかが、ネットで数回交信しただけの人を大事な友人の近くによせるなどは常識からいって危険で出来ません。

さて、基本的に顕教と密教で得られえる成果は同じですけれど、祈祷・手法等はそういう部分で密門はまったく違い、ある程度のセンスが要ります。

ですので、その面で拒否されたら諦めて下さい。こういうのは文字や会話だけじゃ絶対に伝わらんのですよ。また、文字や表面的知識だけで伝えては駄目なのです。これは、特権意識とか、秘密の維持の為とかじゃなくて伝授者、授法者に加えて、将来密教と縁を持つ者、それ以外の衆生--すべての衆生にとって一番安全かつ責任あるやり方なんですよ。

で、お釈迦様は、教えを隠すことはしなかったとかそういう話があったとしてもそれは、それを説かれた文脈の中で有効なことであって密教には当てはまらないので、ここは誤解してはいけません。以前、私も誤解してました。

密教の場合は、それを理解出来る準備が整わないと、伝授出来ないんですよ。

で、この話に違和感を覚えた人は、別に顕教で修行すればいいのだと思います。向いてないのですし、何故なら、よほどのことがない限り、非常に安全ですから・・・。それに、顕教やその瞑想であっても、普通の人は、十分満足できる結果が得られるはずです。密教に入る場合でも、むしろ、顕教やその瞑想に習熟した人の方が、習得率も安全性も完成度も「高く早い」ですし・・・。

「若し実の如く説かば小機は疑いを致し、
謗を生じて、定めて一闡提無間の人と為らん。
是の故に応化の如来は秘して談ぜず、
伝法の菩薩は置いて論ぜず。」(秘蔵宝鑰)

事実、真言や密門の法をおおっぴらに説かない理由はこれでしょう。
ですので、祈祷の具体的な所・事相について語るのも当然、私は控えています。このブログを閲覧して頂く方には御分かりだと思いますが・・・。この辺に関しては求められて拒むのも越法罪という論は成り立たないと思います。事実、最澄さんに対して空海さんはこのように言って法の授与を拒んでいます。

「秘蔵の奥旨は文を得ることを貴しとせず。
唯心を以て心い伝うるに在り。文は是れ糟粕、
文は是れ瓦礫なり。糟粕瓦礫を受くれば則ち粋実至実を失う。
真を捨てて偽を拾うは愚人の法なり。」(性霊集)

真に真言・密法を求めるならば、ネットなどで済まそうなんて気はおこさずに、自ら師を探して入門するのが本道・良いでしょうし・・・。ただし教相・教義に関して議論するなどには問題ないと思います。密教の場合は、それを最低限は理解できる準備が整わないと、伝授出来ないんですし・・・。

また、それは昔の話として今の時代の話を一緒にするのは可笑しいよ・・・。
今のお坊さんに理解出来る準備なんて出来てないと思うけど・・・。
酒は飲むは、女遊びはするは、お金で僧の階級を買う人よりは、まだ印でも知って護身法をしたいっていう在家の人の方が準備が出来てると思うけど ・・・。

などの論もありますが、要するに私が言いたいのは、事相に関しては、節度をもって
必要以上のことを得意になってしゃべるのは上記の論により良くないと言う事です。

勿論、気をつけたいのは、多くの人が知らない事だからと言って、必要以上に秘匿を強調したり、出し惜しみをしたりすることは可笑しいですよ・・、勿論。または、それとは全く反対に伝授で口外を禁止されている事を現代ではそんな事は言ってられないと称して必要以上に公開することも・・・。

ただしです、事相と教相との区分を明確につけるのは本当に困難です。だから、結局はこの節度というのは個人個人の良心に掛かっているとも思います。事実、安易にマニュアル化することは危険ですし、不可能に近く・・・。それなりの本に一八道まで乗ってるんですし…汗。というか一八道の基本をなす印と真言(さらに観想までのってるんでしょうが・・・汗)だけでは修法として成立しないんです。面受の問題だけでなく細かい佛器や仏具の作法や意味もあるし…。

いずれにせよ車も運転方法を文章化して、それを読んだとしても決して完全に安全に人を乗せたり出来ないのと一緒で、衆生救済の為にはそれなりの阿闍梨から面受で授かり、繰り返し繰り返し修法を行うという加行を受ける事でしか、その精神と法は授かる事がまずは出来ないですし、無理だとも思います。十八道位のモノならば、まだ良しとしなくちゃならん事実は、それなりにありでしょうが・・・ね。

ただ、真言法の中には積極的に他者に危害を与えるモノもあるじゃないですかーーーーー。

そんなモノまでをおおっぴらに載せているモノもありますよ。ええ、お世話になってます、某0研さんとか、原〇房さんとかの本には・・・。ただ、だからと言って、効果のあるなしに関係なく、かけられた人が精神的被害をこうむるには違いはありませんから、こういうモノは良心以前の問題でやるべきじゃないですし、私も追随して公開すべきじゃないと思うのですよ。

要するに、総てを公開してもいいって事になると、十八道のようなモノと降伏法のような危険度の高いモノとをいっしょくたにしてしまうような事が起こるんですよ。そうなると大変な事になりますし、私は責任は取れないですし・・・。だから皆さん越法罪なんてことが強調されるのでしょうね。

ただ、こういう事実が真言・天台の坊主の中から、念仏系、日蓮系の教祖が出てきて民に、その法が広まった理由に繋がるんですよね。あれは越三昧耶だからダメ、これは灌頂を受けてないからダメ 、修行や伝法灌頂を否定する訳でないけども法華経の[御仏は人が仏を想い恋い慕うようになった時どこにでも誰にでも姿現し法を説く]という教えの方が分かり易いですし 、実際そういうモノだとも一面で思います。

それに高野山の宿坊もサーロインステーキなぞを焼いて参拝客に出してるのもどうかと思いますし、例えば護身法などは、在纏位の尊の御信心をしている人に乞われた場合、どうしたものか・・・。厳密にいえば×でしょうが・・・ 、教えるべき例外の人は確実にいて、許したい気にもなりますでしょうし・・・。

また、般若心経秘鍵に「賢者の説黙は機をまち人をまつ」云々とありますように(間違ってる??)、機根が備わって無い人に教えるのが、罪深い事だと思うのです・・・。アーナンダも多聞により迷われたそうですから・・・。まあ、後世の事を考えれば、アーナンダだったからこそ、迷えても悟りを開ける貴重な存在であったかもしれないと私は思ってしまいますが・・・。

そう考えれば、今の真言・天台宗のシステムは一部か、大部分かにおいて確実にかなりの罪を作っていると思いますよ。その罪は、現に犯罪坊主や不良坊さんの出現に現れていると思います。それに、機根論はかつての真言宗学などでは盛んに議論された所ですが、近年では全くといってよいほど論じられる事自体が無いですしね。

大体上根か下根か、なんて簡単に伝授の資格の客観的判断は出来ない事ですし、更には極端な話で、差別問題にも発展しかねませんし・・・。ただ、僧侶全般のモラルが低下していることは確かです。その内、だんだんと淘汰されていって、ホンモノだけが残るという事になるんじゃないでしょうか。そうして、慈雲さんのような中興とか称されるすごい人が出てくるのじゃないでしょうか・・・希望半分ですが・・・。

でも、「ただよく受けて修行することあたわざることあり。もし求法の人、未だ五種の灌頂法を受けざれば、まさにこの瑜伽法を与授すべからず」とあるんですよね。

このほかにも挙げだしたらきりがありません。弘法大師さんだって『秘蔵宝鑰』の中に引用しているじゃありませんか。

要するにですね、後の宗団の人間が宗団の利益などの為に越三摩耶というのを作っただけなのであったならば、私もこんなに書かず、こだわらないんですよ。でも経典の中に書かれていたら、しょうがないじゃないですか。

経典に「ヤメレ」って書いてあるのですから、ここは素直に随わなくてはならないのじゃないですか? 信じ学ぶ者として、それとも、経典の意に背いてまでも越三摩耶を犯す意味がありますか?

あと、真言には確実に副作用もあります。具体的にどういう事かわからなくちゃ、そう単純には結論づけられないと思いますが・・・。

例えば、商売繁盛をお不動さんに祈って、その真言の効果が出たとしますね、あまりにも繁盛しすぎてその金をめぐって色んな人が寄って来て、最終的には不幸になってしまう、ということを言ってるのかもしれないですし・・。あるいは不動の真言を唱えて効果が現れた分、その福徳がどこかから差っ引かれてしまう、ということを言ってるのかもしれないですし・・・。色々なケースが考えられるじゃないですか?

教化に熱心な方の「越三昧耶」の問題には必ずこういうのに直面する訳ですが、現状、ここまでいろいろなメディアに情報が出ている状況で、何でもかんでも「隠すべし」はいろいろな意味で危険かとも思っています・・。

ただ、それら断片的情報(護身法にしても、口伝の部分は大抵は省きましていますでしょ?)で、見よう見まねの自己流をやってしまう方(また、それで事足れりと勘違いすること)が危ないとは思いますが、それは公開者の責任にはならないですよね。

勝手に自作・改変した行で自爆しているわけですから・・・。その意味で「越三昧耶」は有効ですよね。それに現実問題として、希望者全員に得度・授戒・加行をさせる訳にもいきませんし・・・ 、どんな境涯の人に、何をどこまで、という問題は一纏めには出来ないモノの、人的資源・環境的リソースは限られて物理的に無理なものは無理ですし・・・。

それに以前、神職の教育課程を書きましたが、神道は最終的に責任を神様・眷属に押しつけられるんですよ。基本的に祈願を叶えるかどうかは神様・眷属次第というスタンスですから・・・。ただ、密教は基本的に伝法を受けた僧は菩薩と同格なんですよ、だから明王部や天部、垂迹部なんかの神仏に対して祈祷(つまり、仏門として禁に触れる調伏・呪いのような事を命令出来る訳ですよ・・・。)は祈祷僧の責任になります。だからこそ、バレた際に呪いを掛けたとされる僧はこの国の歴史上で多く裁かれるんです。神職は裁かれた例はほぼ無いにも関わらず・・・。

これらの意味で、密門は人を選びます。真実、密教僧でない習合系神道と西洋魔術系を修めた私にも判る位に、密教には伝授・教授に対して問題・障害があります。他の仏教の門派よりも祈祷・呪術・加持を看板にしているので、特に・・・。

さて、今回はここまです。参考になれば、幸いです。

では、貴方に全ての良き事が雪崩の如く起きますように・・・。

皇悠より・・。

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神職免許取得の実際など

御覧頂きましてありがとうございます、[いつもは、巻頭は「何時も御覧・・・」でしたが、閲覧頂いている方は、別に何時も見ている訳ではないので、これからは「何時も」は無しでいきます。]

さて、どうも、皇悠です。

さて、今回は業界、(特に神道の)教育・後継者作りについて書こうかと思います。

基本的には古来からの師弟間の伝授が本道ですが、大きな仏教教団などでは専門の大学や紹介者のみ入れる修行寺などで教育・稽古をつけています。勿論、神道のにもあります。

そして、神道系は神職になるのが仏門より難しいですね。教育機関が少なく知られていないので・・・。また、仏門は師がしっかりしていれば学歴は関係ない場合もありますが・・・。

特に神職の資格免許の取得への道はそれなりに厳しいもので、まずないと奉職出来ず。また、 神職の免状があるからと言って、 必ずどこかの神社に奉職できるとは限らないのが実情です。 勿論、奉職している神官が験・救い・祓いの功があるのかというと・・・、ですが。

さて、それはそれとして神職取得への道ですが、 関東なら東京の國學院大学。関西なら三重の皇學館大学。この二校にある神道科に入学し、神職課程に必要な所定の単位を修得すると同時に、神社での研修を経ることで、神社本庁所属の神職としての免状を取得自体は出来ます。 このルートが多くの社家(家が神社)の跡継ぎ子弟の進学の道ですね。

後は通信制の大阪國學院大学。 こちらは、各都道府県の神社庁からの推薦状が必要になります。

また、皇學館・國學院の別科・専攻科というルートもあります。 1~2年という短期間での修得が出来るそうですが、 その分だけ、かなりハードだと聞いています。 こちらも、各都道府県の神社庁からの推薦状が必要です。

あとは、現在・通われている大学を卒業後、 皇學館、國學院に学士入学するというルートですが、これは理系の方には学士入学するには、三年生(三回生)に編入という形になるわけですが、 基本的に神道の教学には古文、漢文、日本史の知識・理解が必要であるので、 入学希望の際にその辺がネックにあるいはなるかもしれませんね。 ただこの辺は最後は大学側がどう判断するか、ということになると思いますが・・・。

事実、それなりに高齢の方が入学したり、バリバリの理系の医者が卒業した例もありますから・・・。

なによりも、まずは、各大学・機関にお問い合わせされるのが、一番だと思います。

後は、神社庁に属さない単立の神道系宗教団体における「神職」 というのもありますが、これも各教団へ問い合わせるするより他はないと思います。

さて、基本的にはどれも信徒→専門家/神職というルートですので、趣味や好みではやるものではありませんね。それなりの金額をはらって、知識だけという方が多いですし、それだけの代償を払うのなら私が稽古をつけるのに・・・、と思うときもありますが・・・。

さて、今回の記事を読んで頂いて多くの場合で神社本庁所属の機関や神社の宮司様からの推薦状や面接の合格というのが必要と書いていますが、これは資格者が卒業後の奉職する神社を確保し資格者が野に埋もれない事、また神様に奉仕出来る人のみ教えるべき定員制の専門教育機関であるという事実、そして変な霊感商法や拝み屋さんの権威付けに利用されたくないなどの理由で必須とされています。

さて、師のいない(推薦状の予定が無い)方で、神道を学びたい方は事実上、上記の大学に学ぶのが唯一の手ではないでしょうか・・・。基本的に神社の氏子や信徒には教えない場合がほとんどですし、各種の文献には参拝作法や祝詞の用例位しかでていませんから・・・ね。

では、今回はここまでです。お役に立てば、幸いです。

それでは貴方に全ての良き事が雪崩の如く起きますように・・・。

皇悠より。

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