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2009年5月の記事

2009年5月31日 (日)

金毘羅大権現様 その5

御覧頂きまして有難うございます。

どうも、皇悠です。
さて、今回は金毘羅大権現様の東京の聖地、虎ノ門金刀比羅宮の紹介です。

この神社は旧称を虎ノ門金毘羅大権現事比羅神社と言いまして、元来は万治3(1660)年に芝・三田にあった讃岐丸亀藩の江戸大名屋敷の鬼門除けに勧請されたのが、延宝7(1679)年に同地へ、そして明治4年に独立・府社へなったモノです。

さて、この一屋敷神が後に東国名社の一つになったのは、江戸時代の金毘羅大権現様への流行で庶民の嘆願に応えて縁日10日に開放した事が縁らしいですね。
なお、本殿の祭神は大物主神・崇徳天皇のお二方です。

御神徳は五穀豊饒、豊漁満帆、海陸安穏、万民太平です。

また、同神社では
金毘羅大権現様は八百万の神様の中で運を司っている神様としてます。
更に自戒し慎む者は天・地・人の運が開くと教え、
金毘羅大権現様は一切貧窮無福の人に大福徳を与え、家内に崇敬すれば八万四千の福徳神を遣わす神様と説きます。
因みに福徳の具体例は悪人には善心、短命者には延命、愚者には知恵、病人には良薬などです。

なお毎月1日に朔月祭、10日に月次祭(金毘羅大権現様の縁日でもありますからか里神楽をやる事もあるらしいですね)、更に20日と9日にもお祭りをやっているそうです。
御朱印は巫女さんが書いてくれたりします。(初穂料はお気持ちとの事ですが、定番で三百円位はだしましょうね!)

境内の摂社は産日社(御神得は縁結びと殖産興業)、喜代住稲荷社(御神得は五穀豊饒と商売繁盛)があります。

ただ、この神社は桂の大木?はありますがあまり境内に木が無く、石畳と二つの手水場と噴水というか湧き水の池?そして神楽殿以外は高層のオフィスビルの一階の社務所に野外喫煙所、缶ジュースの自販機が露骨にありますかなり近代化した神社でして好き嫌いが分かれそう神社です。しかし、さりげなくお百度石や鳥居に四聖獣があったりします。

しかし、藩主が江戸に鬼門除けで祀ったモノが、江戸城の裏鬼門に大名屋敷ごと移転されたのは面白いですね?!

では、今回はここまでです。何かの役に立てば幸いです。

閲覧頂いた方に全ての良き事が雪崩の如く起きますように・・・。

皇悠より。

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2009年5月29日 (金)

金毘羅大権現様 その4

御覧頂きまして有難うございます。

どうも、皇悠です。
さて、今回は金刀比羅宮の実質的な由来について私的考察です。
つまり、今回は仮定の試論です。

さて、現代の金刀比羅宮が実は真言宗の寺院だった事は以前記述してますが、ここで一つ疑問点がでて来ます。

つまり、「何故にして鎮守に金毘羅大権現様を祀ったのか?」という事です。

当時の金刀比羅宮は金毘羅大権現様と関連がある十一面観音とも御釈迦様とも本尊は言われてますが、だからといって金毘羅大権現様でなければいけない理由は無いですよね!?

他の寺院のように真言宗の看板のお不動さんに、よくあるお稲荷様でも、神道系の地元の神様でも良かった訳です。

で、ここでそのヒントに成るのが、同じ宗派でこんぴら奥の院を謳う箸蔵寺です。

さて、このお寺さんは天長5(西暦828)年に弘法大師が創建したと言います古刹(現在は真言宗御室派)で、実は弘法大師が感得し自作の金毘羅大権現様がありまして、しかもよくある大日でも不動でも薬師に観音でも無く天部のその金毘羅大権現様を本尊にしていますお寺さんです!つまり、地元の真言宗関係者ならよく知り得た訳です、金毘羅大権現様を・・・。。

更に、金刀比羅宮と箸蔵寺が今なら車で1~2時間、往時でも徒歩1日圏内に在るそうで、知り得た可能性がまた高まりますよね?!

しかも、ここの金毘羅大権現様は「お箸を挙げれる人なら全て救うよ~」と阿弥陀様以上に気前よく助けると約束したそうですから、金毘羅大権現様について法を知らない方でもお力添えを願える訳で・・・・。
(しかし、ほとんど誰でもOKって事ですから、凄いですよね。)

更に、金刀比較羅宮の最初はある僧の隠居先として始まったという説があり、つまりその方はどちらかに長く修行・奉職した後に金刀比較羅宮の元を開いた訳ですから、じゃあ、その修行・奉職先に箸蔵寺があった可能性が十分ありえます。
だからこそ、こんぴら奥の院と呼ばれる気がしますが・・・、どうでしょうか?
では、今回はここまでです。

それでは、閲覧頂いた方に全ての良き事が雪崩の如く起きますように・・・。

皇悠、合掌。

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2009年5月28日 (木)

金毘羅大権現様 その3

御覧頂きまして有難うございます。

どうも、皇悠です。
さて、今回は金毘羅大権現様のもう一方の主役・崇徳院様の紹介です。

さてさて、この方はググって頂きますと分かりますが日本有数、もしかしたら最大最強の大天狗・御霊・祟り神になった方です。

太平記などでは戦乱だの飢餓だのを起こし、天皇家をどんどん衰退させたと記述してますし、日本国憲法を読みますと分かりますが今の民主主義を遂にはもたらしました方とも考えられます、ある意味では庶民の味方です。

更に、京の都を二度も焼き、天狗から御霊まで様々な魔の支配者にもなりました大魔神ですね。(皇悠が考えますに、これは自作の素晴らしい法華・華厳・涅槃・大集・大品般若と言った日本仏教の大聖典の功徳をよりにも魔道の衆に与えたからだと思います・・ね)

そして日本最大の祭祀者達(歴代の天皇家に王城鎮護を謳う天台宗とか鎮護国家の真言宗とか)が勝てなかった方です。実に長々と戦乱を抑え切れず、京の都を散々衰微させ、挙げ句にどこの馬の骨とも言えない豊臣秀吉が天下統一するまで何も出来なかったですから・・・。

(因みに、あの太平洋戦争時も散々宗門を上げて祈祷したのに負けましたから、よくも未だに伝来の鎮護だの護国の教えだのと謳う彼らの嘘つきさ、恥知らずさはある意味で立派かもしれないですね。閑話休題)

さて、そんな恐ろしい方ですが、実は庇護者としては素晴らしく、ある武将を大名格にしたり(だから細川氏の守護神とされています)、ある皇族を天皇にしたりしてますね。

(因みに崇徳院様の話でよく出ます西行は実は名族の末ではなくてその分家の分家・ある意味ではカスの血統です。)

また、金毘羅大権現様と天狗信仰を考える際に見逃せないのは、金毘羅大権現様を祭祀しておりました戦国時代の別当が神体を守る為に天狗になったと言う伝承もあります。

さて、現在の崇徳院様は悪縁を絶ち良縁を与える神様として信仰を集めています。(ある小説では絶ちモノの神様扱いでした・・・。)

多分、好き嫌いが別れるとは思いますが今回の記事で崇徳院様への興味を持って頂けたら幸いです。

では、閲覧頂いた方には全ての良き事が雪崩の如く起きますように・・。

新米金毘羅大権現様信仰者、本日も雨の中参拝さして頂きました皇悠より。

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2009年5月27日 (水)

金毘羅大権現様 その2

御覧頂きまして有難うございます。

どうも、皇悠です。
さて、今回は前回に書き足り無い分の補足・説明です!

前回はこの国における金毘羅大権現様信仰(の本拠地)の歴史をメインに記述しましたが、今回は金毘羅大権現様の仏教面で記述します。

さて、金毘羅大権現様は仏教的には薬師如来様の部下・十二神将の筆頭・宮毘羅(持物は太刀、象徴色は黄色、種字はユ、本地は弥勒菩薩、滅罪・成仏の功徳もあるとか・・)とされてますが(薬師本願経など)、他に般若経守護の十六善神や千手観音様の二十八部衆の一員だったりします。(どんだけ頼られ参加しているのでしょうね・・?)

因みに、その部下には七千とも六万七千の夜叉がいるともされてます。

更に十二支の内では平安時代は亥でしたが、室町時代以降は始まりの子を司るとされ、十二支で表された全ての年・月・方位の支配者達の長とも目されるようになりました。

漢語上ではコウ(虫ヘンに交わる)竜とされ、魚身に竜尾で宝珠を持つとされています。

なお、金毘羅様を祀る山に象頭山とよく付けるのは、梵名クンビーラの宮殿がある山の名がそうだからですね。

また、前回記述しませんでしたが水の神として火難避けや、風を支配し嵐を鎮め起こす方としての信仰もあり、信仰の本拠地の金刀比羅宮自体が真言宗(善通寺系)の住職が開山した為か金毘羅大権現様は真言宗系の寺院にも大日如来や不動明王を押しのけて、時に本尊として祀られていたりします・・!
更に、御釈迦様を救い助けた幾つかの故事により御釈迦様を教主とする禅宗系の寺院にも鎮守として祀られていたりします。

また、薬師如来様を祀る寺院にも付属扱いで祀る場合が多々あります。

因みに個人的に中世以降の日本が薬師如来様の浄土への(ちょうど、日本はインドから見ても東の外れと言う所から)同一視観の広がりで日本の守護神に金毘羅大権現様が加わりその信仰が加速した気がします。

因みに御真言は、
宮毘羅様ーオン クビラヤ ソワカ
金毘羅大権現様ーオンヒラヒラ(ピラピラ) コンピラコウテイ ソワカ

他に宝号に「南無金毘羅大権現」があります。

さて、とりあえず今回はここまでです。何かのお役に立てば幸いです。

では、閲覧した方には全ての良き事が雪崩の如く起きますように・・。

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2009年5月26日 (火)

氏神・産土・鎮守 その2

御覧頂きまして有難うございます。

どうも、皇悠です。
さて、今回は以前同じ題の記事を書いた際に個人的に頂いた質問に対して、多くの方にも有益な事だったので記述しす。

Kさん、良き質問を有難うございます。そして、ネタにしてスミマセン。許して下さいね(b^-゜)

さて、その質問をざっくりと要約しますと「何とか探してみたが氏神・産土・鎮守が見つからない?探して見つけたが納得出来ない/疑問が残る・・」という事でした。

具体的な例として、外国で生まれた、幼少時から家の事情で住居が転々としている、お寺関係しか付き合いがない、家族がクリスチャン・無神論者・無信仰、ハーフor混血だったなどでした。

それで答えなのですが、皇悠自身が実例ですが「無い・イナイ人がいる」という事です。多分、多くの神道家は認めないでしょうが・・・。
えっーと、プロフィールでも書いておりますが皇悠の(今は脱会してますが)家族も親族(こちらは現役です)はあの排他的な学会員でした。

しかも遡ってみますと少なくとも祖父母の代からの信徒でした。

よって、他派の仏教の仏、ましてや神道系の神様は全く存在すら無い環境でした。

これでも安心して信仰出来る方を探す為に、それなりに探してみましたがゼロでした。

まあ、先祖伝来の神仏の方が先祖の信仰の蓄積があるので験・妙が頂き易く、かつ個人で神仏を選ぶ責任・リスクも無く安心したい打算混じりでしたが・・。

しかし、これはある意味で当たり前の話でして、いくら名族で生まれ、どのような素晴らしい環境で育とうともそこの役所に住民登録していないと役所から万全なサービスが無いように分かりやすい例で初宮参り=赤ん坊は行け無いので実際には家族・一族全員の信仰する環境にいなかった方には氏神・鎮守に産土などの先祖伝来の神仏がなく、その加護などは有り得ないですし、何とか見つけても納得出来ないモノになりがちです。

ましてや、神道系の方は密門で言えば天・垂迹部ですから、日頃から信仰・崇敬してなければ加護も大した事が有るわけ無いですからね?!
また、以前にも書いたと思いますが、何より呪術・祈祷・祈願などは神仏との約束行為ですから、約束もしていない方には加護自体が有り得ないのですよ。

では、とりあえず皇悠の基本的な見解を書いたので今回は此処までです。

それでは、全ての良き事が雪崩の如く起きる事を祈りつつ・・。

皇悠でした。

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金毘羅大権現様

御覧頂きまして、有難うございます。

どうも、皇悠です。

さて、やっと行・祈願・慣らし運転が終わりましたので、今回はお付き合い頂いた金毘羅大権現様を、皇悠が新たに(嫌々ながらですが・・・)メインの祭神・本尊としてお稲荷様を押しのけて御祀りする事になりました御方の本朝での歴史の紹介です。

(何故にして皇悠がこの方を御祭りしなければならないのかなどの経緯は今度にでも書きます。)

まず、一般的には金毘羅大権現(こんぴらだいごんげん)様は海上交通の守り神として「こんぴらさん」の愛称で親しまれています。

元々はヒンドゥー教のガンジス川の神クンビーラ (Kum-bhira) とされ、ガンジス川に生息するワニを神格化したモノとされ、竜神の一種ともされ、主に仏教では薬師如来に従う十二神将のひとり宮毘羅 (くびら) 大将を示しますね。

またクンビーラは、同じくガンジス川を司るガンガー女神の乗り物(船)だったため、船、航海の守り神としても信仰されており、神仏習合によって弥勒菩薩(他に十一面観音菩薩など諸説ありますが・・・)の垂迹神として金毘羅大権現が成立したともされています。

その姿は基本的にはインド・中国・日本の仏教が伝来した三国の衣裳(基本は武将形ですが)と装身具を身につけ、眷属として大小の天狗尊を従えています。

持つ物はよくあるモノで、右手に握る剣は知恵を表し、一切の煩悩・執着・迷いを断する誓願を示し、左手に持つ宝珠は正しい信仰者の苦しみを除き、あらゆる祈願の成就を表していますとされます。

ただし、修験道系では、大天狗形や神道系の御幣を持つ壮年の神職形の本尊もあります。  

ちなみに金毘羅大権現様は琴平山(象頭山)の中腹に鎮まりまして、「玉藻集(たまもしゅう)」(小西可春編・延宝5年<1677年>)や、「讃州府志(さんしゅうふし)」 (菊池武賢編・延享2年<1745年>)などには、それぞれ「この山の鎮座已(すで)に三千年に向(ちか)づく」とあります。

さて、現在は金毘羅大権現様こと金刀比羅神社・琴平神社の総本社である金刀比羅宮の祭神は大物主命様(なお、大物主神様は天照大御神(あまてらすおおみかみ)の弟、建速素盞嗚命(たけはやすさのおのみこと)様の子孫で、大国主神の和魂神(にぎみたまのかみ)とされ農業殖産、漁業航海、医薬、技芸など広汎な神徳を持つ神様)、

並びに崇徳上皇様(なお、この方は永万元年(1165)に琴平神社の相殿に合祀されました。)としますが、これは近世の平田派の神道教学の捏造・押し付けでした。

それは、『金毘羅大権現は大物主命が象頭山に行宮を営んだ跡を祭った琴平神社(古伝によれば、大物主神は、瀬戸内海の海水が深く湾入し、潮が常に山麓を洗う、湾奥に横たわる良き碇泊所であったこの琴平山に行宮を営まれ、表日本経営の本拠地と定めて、中国、四国、九州の統治をされたといわれています)から始まり、中世以降に薬師如来の眷属の金毘羅・宮毘羅大将と習合して金毘羅大権現と称したとするモノ・学説』で・・・。

しかし、元来は金毘羅・金毘羅様自体はインドの土着の神・鎮守神で仏教の伝来時に、仏法の守護神の一尊として祀られ伝えられてきたモノです。

また、古伝によると金毘羅大権現様は『金光明最勝王経に此の神名がありともいわれ、最勝王経流布の国を守護し説法者を擁護し給はんとの本誓也。

又一説に天竺に象頭山金毘羅神の居所ありと。又曰く釈尊出世の時、仏法を守護の為にとて天竺に出現し給ふ。則ち修多羅、所謂耆闍窟山の金毘羅神是なり。

釈尊入滅の後、舎利を分けて此の地へ渡り給ふと。又説に三輪明神、清滝権現、新羅明神、同神の異名なりとも。

或は素盞鳴尊にして三国流転して仏法を守護し給ふ。震旦には武塔天神、牛頭天王と号し、天竺にては摩訶羅神という。

雲石阿闍梨の曰く、我聞く大物主命、天竺にゆきまして彼の土にて金毘羅といひしとかや。伝教大師が神域に通じ、金毘羅三輪一体と釈し給ふことあり。

経の中に演ぶるに釈尊に提婆大磐石を投げし時、神手をさゝへ給ふは此の神なり。即ち祇園精舎の鎮守とし給ふものなりと。尚権現の霊験奇怪は言語の及ぶ所にあらず。権現の御神躰は本社の上の方に巌窟あり、其の中にまします由。 』とも伝えられています。

さて、上記の古伝の本地堂記事などによれば、松尾寺本地堂本尊はまた不動明王であったとも推察されます。

つまりは金毘羅大権現は要するに、諸説紛々・支離滅裂・詳細不詳でよく分からないということを云っているだけで・・・。

また、本地が釈迦如来というのは松尾寺本尊が釈迦如来であったことに拠るものと推測されますが・・・・。

そして、このような由来は不明ながらも絶大な験と加護を持つお方なので讃岐松尾寺の鎮守神の金毘羅様は流行神仏の一つとして多くの信仰を戦国時代頃から集め始め、更には金毘羅大権現と称し全国に勧進されていきました。

よって、日本の所謂「神」とは何の関係も特になく、また金毘羅大権現が神社とされる謂れもあまりないはずですが・・・。

さて、金毘羅大権現の現存する確実な最古の史料として以下があります。
元亀4年(1573)「金毘羅宝殿棟札」(本宮再営棟札):

(表)上棟象頭山松尾寺金毘羅王赤如神御宝殿 当寺別当金光院権僧都宥雅造営焉 于時元亀四年11月27日記之
(裏)金毘羅堂建立本尊鎮座法楽庭儀曼荼羅供師高野山金剛三昧院権大僧都法印良昌勤之

※なお、この時(元亀4年)には確実に金毘羅堂が造営、金毘羅が祀られたものと解釈されています。

さて、金毘羅様が大々的に全国展開しましたのは、太閤こと秀吉の朝鮮出兵頃からで、大漁を与え海難を避ける海・水の神として漁師・船乗りに知られ、更にまた雨乞いを叶え豊作を与える神(農業神)として農民達の信仰も集め、それが象頭山(海からの航海時の目安となる山)への「御山信仰」ととも結びついて、

終には海難を始めとして全ての厄除け・殖産興業・大漁/豊穣の神として本尊の釈迦如来を凌いで信仰を大いに集めていきました。

そして、江戸中期以降には江戸を始め全国に金毘羅講が組織され、金毘羅参りが大流行。

その一方で、支配層である長宗我部氏、生駒氏(高松)、松平氏(高松)などの四国近隣の大名からも庇護を受け、多くの堂宇が建立されます。
 長宗我部氏:三十番神堂修復、仁王門(現賢木門)建立、
 生駒氏:三十番神堂修復、鐘楼など寄進、
 松平氏:三十番神堂修復、大門新築、木馬舎寄進、本社・経蔵・阿弥陀堂など造営。

そして、近世以来は神威・信仰は益々著しくなり、江戸時代中頃の桃園天皇の御字(みよ)宝暦3年(1753)12月、勅願所とすることが仰せ出される。

同10年5月、日本一社の綸旨を賜わり、明治初年に至るまで、毎年春秋の2回、禁中より御撫物(おなでもの)が当宮別当に下賜され宝祚悠久(ほうそゆうきゅう)を祈願されるようになりました。

さて、何度も記述しますが元来の金毘羅神は仏教の伝来とともに 仏教を守護する神仏として入ってきた天部の諸尊の一人であり、日本の所謂「神」とは何の関係も無いものであったのですが、大権現あるいは金毘羅神などと称したために、結果として明治維新の神仏分離の標的にされ、現在の形になります。

まず、明治元年の神仏分離令の発令当時の金毘羅大権現の別当(担当住職or祭祀責任者)は松尾寺金光院の法印宥常と言う方でした。

まず、明治元年3月神仏分離令が執行されます。
同4月に宥常の政府への上申書で:大権現は天竺より飛来、仏法を守護・・・・趣旨は日本古来の神ではないという事でした。
しかし、同5月宥常の嘆願書では:豹変して、大権現は大国主尊(大物主神)と同体であると認めます。
同6月宥常の届け出:松尾寺の堂宇を改廃する。大権現の建物すべてを社殿に改めたと申告。

そして、現在の名称の基の琴平神社と改称。

同6月宥常の復飾改名:金光院を琴陵宥常と改名し、復飾。寺中の僧侶に復飾もしくは退去を命ず。寺中の内、万福院は退身して復飾、神護院は復飾して社人に、真光院は当時欠員、普門院および尊勝院は復飾および神社化に強く反対したと伝えらてます。
  ※普門院は旧地を離れ、松尾寺として現在もなんとか存続してます。

同7月に宥常は完全に軍門に下りまして平田門下へ、大宮司補任を願います。

そして同7月に金刀比羅宮と改称。(現在の名称です)。同8月宥常は社務職に補任。

明治4年に更に事比羅宮に改称。
明治5年裏谷で諸堂の仏像を焼く(観音堂本尊十一面観音、護摩堂本尊不動明王は何とか免れたそうですが・・・)。

明治16年再び金刀比羅宮に名称を変更。
明治19年宥常、宮司に就任。そして、今に繋がります。

時代性を感じさせる話ですね。

ちなみに、金毘羅信仰には実際に参拝出来ない方用の酒樽を海などに流して参詣の意を表す金毘羅樽や犬の代参の風習も見られ、奇異な霊験談も多くあります。

また、あまり知られていませんが般若経典の守護者の十六善神の一人でもあります。

更に薬師如来の眷属の『宮毘羅大将(くびら)』 としては太刀を持つ十二神将形で子の神です。薬師如来の十二願の内で は<第十二願>の『美衣満足、 満足する衣類を得て健全な精神を宿らせる』を司るそうですね。

では、今回はここまでです。

ではいつモノです。

(閲覧頂いている方に)全ての良き事が雪崩の如く起きますように・・・。

そんな訳で、旧稲荷信仰者・現/新米金毘羅信仰者へクラスチェンジしました皇悠及び当ブログを、何卒宜しくお願いいたします・・・。

 

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2009年5月14日 (木)

祈祷・学習・巡礼の日々

御覧頂きまして、有難うございます。

特にコメントを頂いたやまざき様、コウジ様、宝尽くし様、そして新発意様、有難うございます。
m(u_u)m

どうも、お久しぶりの皇悠です。


さて、先週から意図しない霊夢(?)というか、電波と言うか?兎にも角にも啓示が有りまして、ある神仏を祀る為の準備と行に追われております。

しかも、こういう時に限って残業&早出が何故か重なりますよね・・・。

願掛けの間はこういうモノでは有りますが・・・、大変です。

しかし、伝えてきた誓約というか、条件が色々あり、然もどう考えても大好きな稲荷と関連性のない神仏なのでこの方との交渉は難渋しております・・。(><;)


自分だけ信じれば良い系の方で、然もかなり強烈な方で・・・、祀り方も知らんし、本当に大変っス!

もうモロに電波系、アタマ行っちゃた系の話ですんませんです?!
f^_^;


えーっと、そんな訳で今しばらくは落ち着き折り合いがつきましたら、概略・発表&更新等のブログ再開をしますので、宜しくお願いいたします。(^-^)/

では、閲覧頂いた方に「全ての良き事が雪崩の如く起きますように・・」祈りつつ、皇悠でした。

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2009年5月 7日 (木)

近況告知

閲覧頂いている皆様、当ブログをご愛顧頂きまして有難うございます。

どうも、当ブログの管理人&筆記者の皇悠というしがない妖/呪術師崩れです。

さて、本日より緊急に個人的都合等で特別な行・儀式に入る事になりました。

その為、当ブログを約三週間ほど記事の更新が予定では止まります。

いつも楽しみにして頂いておられる方々には、申し訳ありません。m(u_u)m

さて、今回の行の結果の如何によっては、皇悠自身の稲荷信仰が終わり、他の方に移行するしかない重要なモノの為、御推察・御納得の方を頂けると幸いです。

それでは、勝手ながら失礼致します。

追伸、なお、コメント等は出来るるだけ期間中もお答えしたいと思います。

それでは、閲覧頂いた方に全ての良き事が雪崩の如く起きますように・・・。

皇悠でした。

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2009年5月 4日 (月)

氏神・産土・鎮守

御覧頂きまして、有難うございます。

どうも、皇悠です。
さて、今回は当たり前的な用語解説です。

えーっと、当ブログをよく御覧頂いてます方には常識かもしれない言葉・業界用語に氏神・産土・鎮守と云う言葉が有りますが、何故か同義語扱いされている例が多々在ります・・・。

まず、氏神とは基本的には同じ姓・血縁を持つ一族が代々奉り上げ加護を頂いてきた先祖たる神・守護者の事です。

次に産土とは地主神とも言われ、そこで産まれた土地の元来の支配者・主or統治していた一族が信仰していた神の事です。
その為、後世にその土地に渡来した一族・神仏との闘いに敗れ、信仰を失う・勝者の信仰に吸収合併されて衰微・死滅した例が多々有ります。(有名な所で諏訪明神に負けたモリヤ神がありますね。)
また何故か違う場合にも生誕した土地の神だからと安易に産土と呼ぶオカシナ例も多いです。

最後に鎮守とは、屋敷神とも言われある私有地・建物などの災厄を抑え鎮めそこでの生活を守る為に勧請され祀られた神仏の事です。
(これは仏教伝来に伴って広まった信仰ですので、必ずしも神道系の神や氏神な訳でなく、仏や妖怪に精霊等が勧請され祀られた場合も在ります。)

誤用しやすいので気をつけたいモノですね。

なお、氏神を知る良い文献がありますので、紹介しますね。戸矢学著「氏神事典 あなたの神さま・あなたの神社」です。

では、閲覧頂いた方に全ての良き事が雪崩の如く起きますように・・・。

小野氏末流、皇悠より。

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2009年5月 2日 (土)

明治神宮・春の大祭

当ブログを御覧頂きまして、有難うございます。

どうも、皇悠です。(^-^)/

さて、当ブログを御覧頂いている方の中にはもうGWに入っておりますので、旅行に趣味にと楽しい予定を消化し始めている方もいらっしゃいますでしょうね?

しかし、当方は残念ながらも連休が取れず、ツマラナいGWになりそうです・・。┐(´ー`)┌

ただ、本日/久しぶりに仕事が半日で終わりまして、ちょうど近いので久しぶりに(約3月振り?)明治神宮に参拝しました所、運良く春の大祭の神前奉納の紅葉笠・島の千歳の長唄等を拝見出来ました・・・。

正直な所、本日が大祭の日と知らずになんとなく参拝する気になりまして訪れたので、ラッキーでした。
(ちなみに、このような出来事を俗に神に呼ばれると云うんですよね。で、こういうのが続くとナルシストに、ユング系に例えれば貧弱な人格は自我の膨張へ、または選民思想に走る馬鹿者になりますが、こういうのは神仏からの日頃の行いへの単純なご褒美のようなモノです。)

さて、今回皇悠は初めて長唄を肉眼で拝見しましたが、とても感動しました。
ぱっと見は、単調なゆったりとした所作の中に演じ手の気迫・指先から視線の先までの緻密さを感じ・・。素晴らしい!!

ただ、残念ながら明日の午前10時からの本祭・崇敬者大祭は仕事がありますので参加出来ませんが、祭典式次第を見る限り、拝見したかったですなぁ・・f^_^;。

また、こういうのは出来れば、仕事着ではなく礼服で拝見・参加したかったです・・。

さて、本当に本日は良い眼福・体験が出来ました。

ぜひ、関東圏でお暇な方は明日・5月3日の大祭の参加をお薦め致します。

明治神宮は呪術的・風水的にも面白い作りをしていますし・・・。

では、来て頂いた方に全ての良き事が雪崩の如く起きますように、祈りつつ・・・。

皇悠より。

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