御覧を頂きまして、ありがとうございます。
どうも、お久しぶりですね、皇悠です。
さて、今回はカール・シュミットと言う、法学と政治の思想家の事を記述し紹介します。
普段の内容とあまりの違いにいきなり感がありそうですが、祈祷や宗教の分野の中には現在の宗派の信仰や教義とは関係のなさそうな、今ではよくわからない政治闘争やある種の権力奪取を目的に編まれている物・技法などもあります。例えば、ある個人ではなく国に疫病を撒くとか、権力者に好かれるとか引き立てを得るとか、王位を得るとかです。・・・・現在の日本で疫病を撒いてどうするんですか・・?権力者って、いつどんなスキャンダルや持病で消えるかわからん議員ですか?それとも、この不景気で軒なみ減収揃いの大企業の社長ですか・・・?
さて、そういう方法が存在した理由・作られた技法の意義などを理解し、現代に応用するためには、やはりその技法が出来た時代背景や当時の流行、また何故にしてその現象を起こす事が必要か・・・などを推察する必要があります。
ただ、その推察・答えを引き出すには多くの情報が要りますので・・・、大体一つのアウトプットにたいして100のインプットが要りますし・・・大変なんですよ、これでもブログを継続するのも、・・・orz。
そんな訳で呪術や祈祷と関係ない分野の学習も時に必要な訳で、これから記述することもそういう類の情報収集で得た話です。
さて、彼の有名な言葉で「敵とは我々自らの問いが姿を現したものである」などがありますが、彼は一時期ナチスにも荷担したドイツの法学者の一人で、業績としてはカール・シュミットは、議会制民主主義自体を否定・批判を行った人物であり、そして何故か日本はカール・シュミットの翻訳が一番多い国です。同じく協力した学者にP・ファイヤーアーベントなどもいます。
また、彼は優柔不断な政治的なロマン主義者が最終的に権威に屈従していく過程を観つつ、思想的状況に「決断」を下す独裁者を要請し、事実上の王政・独裁者を肯定している思想家でした。この記述を見ますと以前の小泉ブームを思い出します、個人的に・・・。
つまり、政治は有能な独裁者にヤラセ、失敗したら首を落とし、次の奴にやらせれば良いという考えをする思想家です。このやり方は事実上、命が取らないだけでほとんど今の政治とやり方は同じですが、ただ人数が一人か数百単位かの違いがありますが今の業績が悪いと次の任期は無しの議会制民主主義ですね・・・。・・。
また、彼の『政治的なものの概念』等で展開された「友-敵理論」(政治の本質を敵と味方の峻別と規定し、政治的行為とは敵を排除する事とすらする)はいまだに色あせない価値があります。
ちなみに彼の思想によれば「議会制民主主義における諸政党は、社会的・経済的な利権獲得と既得権益の保持のみの集団に過ぎず、国家に対して責任を欠いている。彼らは自らの利益のために立法を重ねる為、そうした体制下での「議会制民主主義の発展」とは、政治的倫理・理念を欠いた妥協のための技術が磨かれたにすぎない。」とします。
これなんかは、よく聞く話ですね・・・。
つまり、政党というのは税金を公共の福祉ではなく基本的には利己的にチョロまかす存在と見做しています。そして、これが確かに一面の事実だから始末が悪いですね。
また彼は、「(特定集団の経済的利害に左右されない)真正の政治が秩序をもたらし、その秩序のもとで法が形成されるのが望ましいと考えるが、しかし、議会制下の日常はこれとは異なっており、「民主的に」(=様々な利権団体に翻弄され妥協を重ねながら)議会で法が定められるのが、議会制民主主義下の日常である」と捉えています。つまり政治は常によき秩序・多くの問題の不断の解決の連続ではなく利権団体の妥協の連続であるとします。
また、その著書『政治神学』において、「主権者とは、例外状態において決定・決断を下すものである。」と示されているように、彼にとっては利権団体の既得権益の取り合いから真正の政治が復権する状況の一つが「例外状態」であると考えています。
ちなみに、例外状態とは国の存亡の危機時です。
また、彼にとって、あらゆる政治的敵対を終わらせようとする試みは、かえって人類の名のもとでの最悪の殲滅戦争(人類が種として絶滅しうる戦争事態)を引き起こすだけなのであり、この世から政治上の神学(善悪を決めて排除のために争うという考え)が消滅することはありえないとしています。
さて、この思想の凄い所は、「如何なる政治形態も最終的には一人の独裁者・責任を取る代わりに全ての指示を出し決めれる人物を選び出し、その方に一任し従うと言うシステムを保持するしかない」という現実を見据えている点です。リーダーとか大統領とか総理大臣とか王とか皇帝とか将軍とか歴史的にはいろいろ言いますが・・・。
また、理論上は議会制民主主義(のわが国もそうですが・・・)では国の政策・統治が悪い場合、全ての責任は国民にあります。誰も意識していませんが、こういう理屈もあるわけですが・・・。
つまり、権力を持つ誰かが悪い事をしてもその人物に政策を作成し、それを執行する力を与え、放置し、追従した者=国民も悪いという理屈ですが、それが自覚されることはなく、平気な顔をして後付けで批判しているだけの場合も多いのですが・・・。
そういう状況・構造を明確にした理論家の一人に彼がいます。
さて、少し話が変わりますが、今でもよく天皇制批判や官僚批判、政治家批判をする方がいますが、歴史的に古い(モノによっては千年単位の昔の)魔術・呪術を学んでいますと「そんなに嫌なら日本から出て行けばいいじゃん、そいつらを殺してでも排除して自分がやればいいじゃん」と時に思います。
呪術・宗教の世界の理屈は基本的にこの世・社会に対して、アナーキーです。邪魔モノ・むかつく奴は生存権を認めず殺しても良いとすら時に考えていますし、唯一の価値基準は信じ従う神仏・聖典の記述に則っているか否かの場合も多いですし・・・。
ですので、時に平気で呪術師・宗教家は社会的に殺人だの戦争だのをやらかします。ただ、そこまでこの世の原理を否定し、神仏に従うからこそ神仏の加護があるわけという理屈もありますし・・・。
また、ある意味で、その時代・その土地の政権/社会に適応し追従出来ない人物が呪術師・宗教家になりますのでそういう考え・立場なども一面ではしょうがないのですが・・・、
更に、王権神授説・天命思想などに代表されますが王権、今で言う国の指導者として「地位が与えられるのは、その国の神仏の支持・庇護・意思によるものであり、神仏の庇護がある限りはいやでもその職権はその人のもとにある」という考えもあります。
逆に言えば本人が呪殺される事や呪いの効果にさらされる状態、何をしようと統治が正常に機能しない状況(具体的には異常気象や病疫が頻発すると言う事)は神仏より権威を奪われた・資格を否定された証で本人が辞任・辞職をせざるをえないと言う思想もあります・・・。
ただ、これらの事実・古い思想を理解し考慮に入れている術者・方は今では何故か少ないですので、忘れられた秘教なんかだったりします。
そして、呪術・祈祷の世界の多くの技法・思想が基本的に今(2009年現在)よりも人の生活がハード・困難な状況(カール・シュミットの言う例外状態)が頻発していた時代の産物である為、勢いその思想は根本的には現代の下手な理屈より厳格かつ非情だったりします。生命に直結していた為でしょうか・・・。
またその名残でいまだに多くの国で(日本でもアメリカでも、イギリスでも・・・)権力者の就任式では神仏の庇護を求め、「自分らが適任であるように、的確に職務が果たせるように・・・」などと祈り・宣誓をよくしていますね、何故か・・・。
さて、今回は此処までです。今回いきなり変な・異様な視点からで普段と違う記述なのですが、なんとなく記述する必要性を感じ、記述してみました。何かの役に立てば幸いです。
では、「貴方に全ての良き事が雪崩の如く起きます」ように祈ります。
皇悠、拝礼。
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