日本呪術の源流の一つ 呪禁道を元に日本の呪術・作法について
御覧、頂きましてありがとうございます。
どうも、皇悠です。さて今回は日本の呪術の源流の一つ、呪禁道をベースに日本の呪術・祈祷の基本・技法についてです。
内容自体は以前に書きました記事の改訂版ですよ。
また、今回もとても長いので呪術・呪禁道などに興味のない方は、今回は避けてください・・・orz。
では、まず呪術の歴史からです。
まず、私達の日本という土地に住み着いた先祖が神々の単純・素朴な呪術行為を試行錯誤しながら継承していた古代神道に六世紀末頃・新羅(朝鮮)の百済王が、天文科学、その他の先進技術、仏教経典等と共に、呪禁師(ジュゴンシ・ジュキンシ)達を、我が国の朝廷に献上した事から混交がおき次第に隆盛となった呪法(道教仙術=民間の呪術信仰)が呪禁道(ジュゴンドウ・ジュキンドウ)です。
そして始めは、時の政府は呪禁師を典薬療の医療期間の治療師(医者)として優遇しましたが彼等・呪禁師達に委ねた専門の仕事は神秘的で不可解な出来事(事件)に対する原因と対策を究明検討して、それを治療する治療師・解決業者としてであったようですね。
ただ、彼等はその仕事に飽き足らずに、徐々に時の政府の要請を利用して、予防学、予知学としての占術部門(巫術、巫占、仙術等)へ、更に原型の道教仙術等を媒体として、攻撃的な武器(体術・武術幻術・経絡気孔・鍼灸等を原型とした技術群)としての呪術を発展させ、次第にその勢力を拡大して行ったのであったようです。ちょうど呪禁師版の僧兵ですね。
さて、元来が妖怪に霊の祟り、呪詛に憑依、天災・人災などの異常気象、その他の生活全般に至る相談者、医者、予防治療学等の権威者であった呪禁師達はその地位を利用し、政治・行政・軍事等へとその勢力を拡げ、終には軍事顧問の地位を確保するに到ったみたいですね。
(なお、中国の道教では教団道教と民衆道教とがあり、教団道教は[老子、荘子]を開祖として、自然に即応した無為自然な生き方(仙人になる事)等を理想とした教理を基礎として、更に養生法、錬丹法、房中法等が加味され組織体系化された宗教です。それに対して民衆道教とは民間の俗信に古来の神仙説が加わり、一般民衆の信仰対称としての信仰が加わり自然発生的に出来たので、教団道教のような理論も組織体系を持たない旧来の俗信仰をそのまま受け継ぎ継承しています。なお、民衆道教の代表的な神々は関帝、〇〇娘娘(ニャンニャン)などの多くの土地神でありますが、一応は民間道教の主神は「玉皇大帝」と云われています。)
さて、彼等の呪法は、未だ対一人用ではありましたが、防衛に優れ敵を排除する上では、距離を無視し攻撃出来る術を兼備していた為に、当時としては「戦闘武器としての呪いのスペシャリスト」としての地位を確保する必要にして十分な条件を満たしていたようです。今で言うボディガードのような存在でした。
それでは、彼等の呪法がどのようなもので有ったかと言いますと、「大宝律令、続日本書紀、神明経、日本霊異記・・・」等から推測すると、凡そ、次の様なモノらしいですね。
まず、武術or呪術的な一種の護身術(バリヤー)と呼べるモノです。
多くの文献によれば、呪禁道の呪術/仙術を身に付けると、熱湯、火、刀剣等にも損傷される事が無い強靭な肉体と、猛獣、虎狼、毒虫、精魅(物怪)、怨敵、盗賊等々、如何なるモノも襲い来たる事も進入する事も出来ない強力な結界(バリヤ)を張り巡らす事が出来るとされ、当時としては画期的で斬新な呪術であったようです。つまり、不死身で無敵の人間になれると云う売り込みですね。これはどうやら、現代で言う硬気功系のそうとう過酷な身体の鍛錬に依ってのみ身に付ける事が可能な武術的仙術で、現在の気功法、太極拳等の原型らしいですね。
また、呪禁道の法はこれ以外にも、怨敵が如何なる場所や遠隔地に隠れようとも、呪い殺す事が出来ると云う「厭魅(エンミ)の法」がありました。
これ以外にも動物の魂魄(全ての霊魂・動物や虫・人間まで)を操り外敵/害敵を呪い殺すと言う「蠱毒(コドク)の法」と言うモノもあります。
なお、併せた厭魅蠱毒法と云う恐ろしき呪法も存在していたらしいですね。
さて、始めに、まず厭魅法の「厭」とは、魘とか嫌悪とかと同意義の襲われる意味があり、厭+土=圧(アツの旧字体)とも云われ、その字義の通りに悪魔等に襲われる意味やそれ等を(悪魔や悪霊等)を抑え込み・鎮める意味があります。
又、厭魅法の魅は物怪、化生、妖怪、病魔、睡魔、夢魔等の邪悪なモノ達のことで、池や沼に住む精霊達・不快な者達や障りあるモノ・邪気等の人を害するモノ等の魔性全てを指す言葉の意味もあったみたいですね。
そして、これらの上記の意味から厭魅の法にて呪詛をされると、遠隔地や如何なる場所に潜み隠れようと関係なく何か邪悪な者に憑依され、圧迫され金縛りの状態で操られているような状態となり、更に毎夜・一定の時間になると悪夢などに襲われ、その恐怖から不眠不休の状態となり、終には体は衰弱し、次第に精神が錯乱狂乱して行き死に至らしめる事を目的として考案された呪法らしいです。今で言う呪詛・呪いのイメージはほぼこれから来ています。
つまり人が鬼と化して行う現代のオーソドックスな呪詛の〈丑の刻参り〉の原型がこの時代に既に出来ていた事になります。
また、厭魅法の中には呪う相手を人形に見立てた〈呪い人形(形代・カタシロ)を作る事から始まる一連の法があります。この人形の材質は千差万別で、板、布、粘土、飾身具、骸骨等の何でも良く、人に作る所を見られない条件の他は、何等特別な条件は無かったみたいです。更に色彩、形状にも拘りがなく曲がりなりにも人形と目鼻を書き入れれば良かったようです。
(ただ、平安朝の厄払いであった雛人形〈流し雛〉もこの風習の流れで、密教や陰陽道が盛んになると、少々不気味な様相を持ちます。形代も、葦、藁が多くなり、形代に変わるものも、頭髪、陰毛、櫛、絵像、下着、所持品、粘土等々も追加され、生年月日、生命、名前等も大いに利用されました。加えて呪術師の衣類の色にも拘りが出来、向かう方角、時刻、日、期間、月の満ち欠け等々にも規定が設けられました。勿論、一般人と呪術師が行うモノの形式には随分差異があったようですが・・・。)
こうして、人形が出来上がると、深夜の一定の時間と期間を定め、法に則り、寺社、墓他、深山、大木等にて、人形(形代)の顔、胸、腹、陰部等々の急所に、針や、釘等を金槌にて、恨みの怨念を込めて打ち込んで、規定の満願となったなら、逆さに貼り付け、刀やハサミにて、切り刻み、火で焼く、川に流す、神社(寺院)の縁の下、道路に捨てる等々恨みの強弱に依り千差万別方法があったみたいですね。
勿論、その効能も千差万別であったようです。形代を紐等で縛ったり、針、釘を打ち付けたりする行為は紐、釘、針・・等に魂を封じる力があると解釈されていたからで・・・。逆に刀や挟み等はそれを「切断したり、削除したり、開放追放したり」する力があると考えられたのでしょう。
更に形代等を切断したり、壊したり、流したり、土に埋める等々の行為は魂の「悪霊部分・魔性部分」等を特定の場所に送る為の転移、再生、転生・変易変容等の儀式等と考えられる一面もありました。
これらが今に残る慣習としては厄払いの節句の雛祭りの人形・流し雛・灯篭流し・盆の送り火・正月の締飾りの釘止め・丑の刻参り等がありますね。
又、神仏の像に針や釘を刺し願望成就の祈願の奇習、更らには神仏像(神仏像の額に針や釘等を刺してあるのは、神魂・佛魂を神仏像に封じる為のもの) に針や釘、刀等を刺す等の奇習をしたり、願望成就を完璧しようとして神仏像を熱湯等に入れたりする鉤召法の秘儀も伝承されています。
これらは主に密教・神道・陰陽道が行う鉤召法の一つでもあり、その中に飯網法(茶吉尼天法)等々も継承されています。故に、悪法のみに利用されたのではなく、汚れを封じ、穢れを拭い去る、祓い清める等の意味から、浮気封じ、厄払い、家出人の足止め、病気追い出し・・・等種々応用範囲の広いものであったようです。しかし反面人を呪う呪詛法にも様変わり出来るものでもあったようですね。
さて、前述の神々の呪詛は、言霊と同じくその他のモノにも霊魂が宿るとの信仰から始まったようです。厭法はこれに〈文学〉にも霊魂が宿ると云う思想を併せて呪符(祈祷札)を作った所にその特性があると思われ、そこに後述する邪霊を操る魅法が加わり厭魅法と云われる恐ろしき呪詛法が完成されるに至ったみたいです。
だが、この厭法の呪詛を解く方法はそんなに難しい方法ではないようで・・・。相手(敵対する者等)を赦そうとするなら、呪う行為を中途で止めれば良く、逆なら、呪う者の呪い方法を探り、形代等を取り除くか、当事者が和解すれば良く、又、呪う者の能力にも大いに関係が有りました。又、厭法は神仏に捧げる生贄の儀式や蘇生の儀式等に使われる生贄や殉死、人柱などを人形(形代)に変え形骸化したと云う歴史的な意義も大きく、日本の墓相形式「殉死・順死・葬儀方法・人柱・・・」等にも多大な影響を与えたのであったようです。
次に厭魅法の「魅法」について説明すると、魅法の呪詛法は呪いの為に所定の呪い文字を書いた札(呪符)を作成する事から始まります。つまり、これは言葉だけでなく象形的な文字にも霊力が宿るとの思想があってのことで・・・。また、札の材質は、木切れ、木葉、布、紙、金属、骸骨、動直物の革や繊維等々色々で、札の中央部を縛る覆いや全体を隠すもの等は他の呪者との区別の為のものであり、自分の呪法を他に知られ盗まれる事を危惧して使われ出したようです。それも始めは布きれ・縄・糸・藁・蔦、藤・植物の繊維・・・等と種々雑多であった。呪字を書く筆具も血、墨、葉汁の他、釘、先の尖った者、妖しげな物の筆状のモノとか、手の指に浸けて書いたモノも多かったです。
なお、札の形状は菱形・円形・方形など種々雑多で次第に搭形・燈形となり、現在の上部を三角形の細長の長方形が一般的となり、また誇張や権威を込めた自らの符牒を印した呪符をも作り出して行ったようです。こうして準備したもので、多少の呪文もあり・・・それを唱えながら、人に見られない様に注意を払い、人知れず密かに呪字を書き、作法も行い一定期間、早くて三日間か七日間。通常は二十一日間。長くて百ヶ日~一ヶ年に渡り怨念を凝らす事もあったようであるみたいですね。
さて、一連の全てが終れば呪符は恨みの強弱にて、燃やして灰とし、土中に埋めたり、川に流したり、切り裂いたり、墓場に棄てたり・・・等の色々な工夫が凝らされたみたいです。つまり厭法と似た事を行い、呪いのある者、敵対する者、怨霊・・等々害する者を呪い殺そうとする呪詛法であったみたいです。またその反面、前述の神道の魔性を祓い清める(大祓)等に類似する呪法でもありました。
さて、魅とは前述の如く「化物、妖怪、物怪」等々の意味で、精霊に通ずる意であるので、つまり、魅法とは人型以外の形状の「札状」のモノに呪文や呪字にて、邪悪なものの妖力を封じた呪符(魔呪+マジナイ札)を作り、相手を滅す道具(武器)として利用、応用した所に厭法と違った特性が有ったようだ。
(厭法も魅法も考え方によっては素晴らしきモノで、本来は共に悪魔封じや災難除等のマジナイ札で有ったようです、魅法はこれより一歩前進し、邪霊、物怪、妖怪等を鎮める方法「淨霊・除霊・鎮魂」等から、特定の〈もの〉に封じる方法「霊封じ・神封じ・悪魔封じ」等となり、更には、邪悪な者を駆使する方法「霊寄せ・神寄せ・興神・生贄・供養」等を考案し、他に転移させる方法「神移し・霊移し・霊祓等を考案した事に特徴があります。魅法に良く見られる文字に後で説明する陰陽道でも利用される「霊、宿、動の字・合成文字・呪い用の特殊文字シッタン文字・サンスクリット・梵字(仏の種字を示す為に考案されたもの)」等もあるのであったようですね。)
そして、この魅法と厭法が合体して、より強力となった呪詛法が厭魅法です。
故に、呪禁道の呪禁師達は「呪禁道を修業すれば、何物にも害される事のない強靭な肉体、無敵の肉体と結界(バリヤ)を手に入れる事が出来、更に、形代、呪文、呪符に依り、如何なる場所に敵が隠れ潜もうと、怨敵を滅す事も排除する事も撲滅する事も出来る。」と豪語したのでしょう。この事は次の蠱毒法を説明すれば、如何に妖しげで、陰湿な呪術であるかが更に明確になります。
このように自らの身心を過酷なまでに鍛錬し、身を護る為の護身法を体得した超人間的存在の彼等の働く道が、人を害する武器として一部の権力者に利用されるのは、昔も今も軍隊において特殊部隊などがある種のエリート教育を受け、超人化するように変わりは無いですね。
さて厭魅法は、これ位にして、以下蠱毒法を紹介します。本来、蠱の意味は蠢めくものを指す意味であったので、穀物に付く虫 人を害するモノ、人の腹の虫、悪気、邪気、毒蠱、巫蠱(マジナイ用に使う虫)、妖蠱(人を殺傷するなどの邪悪な用途で恨みを晴らす為の専用の虫)等に拡大解釈されて、総じて呪いに用いられる虫や動物を意味する言葉となったらしいですね。
また、蠱毒の「毒」とは御存知の通り、損なう病毒・害毒、災いあるもの、悪いもの、怨毒等の意味があります。だとすると、蠱毒法は前述の意味から、毒薬、毒虫、その他の邪悪、不気味なものを用いて、隠密裡に、怨敵、邪魔者等を排除抹殺する事を目的とした呪詛の法であると定義出来そうですね。
では、その呪詛法はというと次の如くであったらしいです。
一、主に毒蠱と呼ばれるものですが、異種雑多な虫を、数十匹程を一つの容器(檻)に入れ餌を与えないで一定期間放置。その間に虫達は生き残る為に「共食い」を始める。そして最後に残った虫、それが毒虫なら毒蠱、蜘蛛なら蜘蠱等と呼び、次第に妖しげな妖蠱(マジナイ専用の虫に特別に品種改良したもの、異国の虫も多く名も不明な虫も多かったようです)を使うようになったと云われます。こうして生き残った虫を育て飼い慣らし、直接人を襲わせたり、人を呪う為に使ったり、殺して燃やして灰とし、間接的に怨霊悪霊等と戦わせたり・・・、相手の呪術師の蠱毒等と戦わせたりしたらしいです。
宗教的表現を借りるなら、生き残るだけの生命力と人を怨み憎み呪う力を併せ持つように訓練され育成した虫=蠱毒にて邪魔者を排除する為に人等を襲わせると言う方法と、虫(虫の魂と虫の体に寄生する邪霊=宿魂)を殺す事に依って、宿魂(邪霊)を怒らせ応用し敵に宿主に憑依をするように、虫自体の怨霊と怒らせた宿魂との両者を怨敵に憑ける間接的な方法とがあったようです。
また、呪術師自身が、自ら飼い慣らし製造した、蠱毒、妖蠱等にて、自ら命を落した話も多く伝わっています。
次に動物を使った蠱毒を紹介しますと、先ず、異種雑多な動物を一つの檻に入れ、餌を与えないで「共食い」させます。そして、生き残った動物が蠱毒となり、恨みの念が吹き込ませて、使用します。その方法は飼い慣らし直接人を襲わせるか、生き残った動物を殺して、霊媒に憑依させる。或いは、死骸の一部(主に頭部)を手厚く埋葬し、他は燃やして灰とする。埋葬する場合は何かの神として祭祀するのが通例であったようですね。
また、生き残った動物が蛇なら蛇蠱、狐なら狐蠱等と呼び、蛇なら「・・・大明神、・・・龍神」 狐なら「・・・稲荷大明神」 犬なら「・・・犬神」等と称され祭祀するやり方もあったらしいです。この行為が現代に続くあまりに雑多な稲荷信仰・龍神信仰の源泉の一つでもあります。ただ、その地位・力・影響は余程の妖力や魔力が無い限りは神々の眷属、使い魔としての地位と性格とを兼ねていた様ですね。
さて、この灰は非常に利用価値が高く貴重な物として珍重されたらしく。怨敵に送っても、怨敵の居る家に撒いても、怨敵に飲ませても良く、その相手は霊に憑依された状態となって、苦しみ抜き、骨と皮となり、恐怖の余り精神が錯乱狂乱して、自ら死に至るとされる類の空恐ろしい呪詛法だったらしいです。
又、間接的に呪う相手以外の者や動物等にこの蠱毒の灰を飲ますと、その者は奴隷や使い魔の如くとなり、呪術師の言う通りに命令に服従し、催眠術を掛けられた如く記憶無いままに役目を果すとも言われてます。更に、この蠱毒法は人の秘密を探り出すスパイ的な役目は勿論、財を盗む事、財を護る事、鉱山等を探し出す事等にも駆使され、実に広範囲に渡り珍重された様であったみたいですね。
しかし、人を呪う為の呪詛術が財を豊かにする呪詛であるとは何とも皮肉な訳で、俗に言うゾンビ・パウダーみたいなモノですね。
なお、この呪術は何故か後世の縁者、血族に受け継がれ血脈相承になると言われてます。つまり、修業も何もしなくとも子孫の誰かにその能力が血脈として、遺伝として、継承伝承されて行くと言う事らしいです。更により多くの蠱毒法をマスターした者が、より強力で強大な霊能力、呪術力等を有す者として、尊敬され重視され人々から支持されるに至ったらしいです。この真偽は不明ですが、現代にもこの血統血脈は密かに受け継がれているとの噂もありまして、犬神伝説や飯網伝説(茶吉尼伝説(狐))、竜神(蛇)伝説等があり、人間が犬の遠吠えや狼鳴きする家系等々も珍しくないらしいですね。
ちなみに、稲荷行者で活躍中の中村雅彦師自体が元来が代々稲荷を祀る家の方であるなど、今でもこの蠱毒・筋とまではいかなくてもその家系による特性はやはりあります。
皇悠自身もある経典を使う際は確実にその効果が飛躍的に向上する特性がありますが、それが実は父・母共に宗旨が違いますが代々ある経典を護持・重視する宗派を渡り歩いてきた家系だったと知り、驚いた経験があります。
さて、これらの不思議で不可解な呪法に対して、時の政府(奈良朝)でさえ、時が立つにつれて、この厭魅・蠱毒法が、外敵害敵に広まる事を恐れたり、その怪異性に恐怖してか、再三に渡り厳しく規制したり・罰したりして弾圧しましたが、逆効果となり、次第に地方の貴族や豪族達に広まり、その時代時代の政治や個人の野心、野望、私腹を肥やす欲望の道具として利用されていきました。
こうなれば憎悪に満ちた者同士の呪詛合戦は言うに及ばず、各地で謀略等による泥試合の様相を始めて、時の政府自体にも、その勢力を押さえる事が出来無くなり、終には民族部族間紛争の末、京都へと都を移す事を余儀なくされたみたいですね。しかし、一度拡散した知識・技術は後世まであとを残し、多くの後継宗派・技術の基幹技術・思想として組み込まれていきました。
さて、長々と書きましたが記述された呪禁道系の呪法は、終には後世の宗教的呪詛の根幹となり、現代に於いても、この類の宗教的行為をそのまま継承していると思われる宗教が結構多く、類似の呪術自体は多くの文献で記述されていますので、ご存知の方も多いでしょう。
では、今回はここまでです。今回・私の長年の研究を書きました。長文・乱文気味ですが参考になれば、幸いです。
では、貴方に全ての良き事が雪崩の如く起きますように・・・。
皇悠より・・・。
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