仏教の偶像崇拝
御覧頂きましてありがとうございます。
どうも、皇悠です。
さて、仏教は、あまり知られていませんがそもそも・基本的には『偶像崇拝』を禁じています。だから、昔は釈迦の像を作らず、『回転する車輪』や『足跡』をそのシンボルとして拝めてました。でも、これって、ただ『人のカタチ』をしていないだけで、『像』を礼拝対象とするという意味では、偶像崇拝であると言えますよね。
よって同じく偶像を激しく禁じるイスラム教においては、動物や植物のカタチを模す事すら偶像崇拝に通じると言う事で、それを徹底的に配して『幾何学的模様』を生み出しましたが…それらのモノですら、『この色は何を表す』『このカタチにはこういう意味がある』と意味づけが与えられている以上は、それは『偶像崇拝』に通じるのではないかと考えると、厳密な意味での『偶像崇拝』に禁止というのは難しいようです・・・。
さて、実は仏像が所謂『偶像』にあたるかどうかは、意見が分かれる所です。
ただ、経典ではお釈迦様は自分の像を造って祀る事を禁止していますが、その一方で、自分の像を創る事を認め、自分が不在の時に僧侶が集まって集会を開く際などに、その像を先頭に置く事を許したと『律蔵』にはあります。
また、ある大乗仏教の経典では、昔悟りを開いたお釈迦様が神々の住む山(須弥山)に登って三ヶ月間、人間界を留守にした際、信者である優填王(うでんおう)はそれを寂しがり、釈迦の像を作りました。そして、再び釈迦が人間界に戻って来た時、この像は自ら立って釈迦を迎え、その際にお釈迦様は『衆生の教化をわずらわせんや、来世を開導したまえ、真にこれ希うところである』と記述されています。
これと同様のモノが西遊記の三蔵法師のモデルとなった玄奘の『大唐西域記』にも記載があり、お釈迦様が模した像に『衆生を導きなさい』と命じた事を、今では仏像製造許可の『根拠』とされています。
さて、奈良の大仏像などのせいで仏像は何故か『それなりに大きいもの』というイメージがありますが、実は経典通りに作ると、意外に小さいモノが多かったりします。事実、マリシ天像などは10センチ以下のモノとかもあります。
また、歴史的には美術品としての仏像は、ギリシャ彫刻の影響を受けている所謂『ガンダーラ仏』の話はよく聞きます。それに対して、願望を成就させる事を目的とした仏像類は、インドのヒンディ教などの影響を受けてるともされますね。そもそも、明王や天部と呼ばれる存在はヒンディ教の神々を取り込んだモノですから似るのは当たり前ですね。
また、元来インドでは、神々の像を、服の布地に縫い込んだり、髪の毛に房を作ってその中に入れるという形でよく所持したので、サイズを小さくする必要があったとも言われています。事実、日本でも戦国時代に武将などが戦場でも持ち運び・携帯出来る様に小さく作成した例もあります。
この辺は、正直よくわかりませんが・・・、面白い話ですよね。
さて、今回はここまでです。参考になれば、幸いです。
では、貴方に全ての良き事が雪崩の如く起きますように・・・。
皇悠拝・・。
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